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ザ・フー「Baba O’Riley」誕生物語:『Tommy』と『Life House』、インド神秘主義を経て生まれた名曲

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1969年、ザ・フー(The Who)は、自身の運命を決定的に変えることになるアルバムをリリースした。彼らが作り上げたロック・オペラ『Tommy』は、母国英国で大ヒットを記録したが、アメリカではさらなるヒットとなり、急成長するロック・シーンの成功例ともてはやされた。

『Tommy』は極めて重要なマイルストーンとなったゆえに、ザ・フーのメイン・ソングライターであるピート・タウンゼントは、その後続作の制作を担う段になると、大きな困難と直面することとなった。

コンセプト・アルバムとしては、『Tommy』が描いた、激しいトラウマや虐待によって視覚・聴覚・発話障害を負うも、成長してピンボールをプレイする救世主的なリーダーとなる少年トミーの物語は、複雑ではあるものの、(1975年ケン・ラッセルによって)映画化されるほどには十分理解できるものであった。

しかしながら、タウンゼントの次作の構想は、たとえ彼に近しい人物であってもほぼ理解できないものとなるのだった。

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『Tommy』からのインスピレーション

『Tommy』で描かれた少年トミーがコミュニケーション能力を欠きながらも熱心な支持者を集めていたことは、ピート・タウンゼントの心の師ミハー・ババの教えを引用したものだった。というのもこのインドの導師は、1925年に沈黙を宣言し、1969年に逝去するまでその沈黙は維持されたが、それでも慈悲や神性を民衆に伝えることできたのだ。

ピート・タウンゼントがミハー・ババの著書に出会ったのは1967年のこと。彼はその時に“人生は幻想であり、その偽りの世界を超越することでのみ人は神に近づくことができる”というこの導師の信仰に触れたのだ。ババの教えは1970年のタウンゼントの心にも息づいており、その時彼は、人類をより良くしようという導師の目標を参照した新たなストーリーの構想に思いを巡らせていた。

 

『Life House』

そしてピート・タウンゼントは『Life House』と呼ばれる複雑な寓話を創造し始めた。それは未来のディストピア空想物語で、管理されたロックンロールというものを体験したことがない人々が、最終的に音楽との集団的接続によって解放されるというものだ。

それは、音楽を「神に辿り着く一番の近道」と称するインドの音楽学者にしてスーフィズム運動の先駆者でもあるヒダヤット・イナヤット=カーンの教義に刺激を受けたものた。そこから、全人類が一つのハーモニーによって一体化するというアイディアが生まれたのだ。その中で彼は、人間の魂はサウンドのヴァイブレーションと関係があり影響を受けていると論じていた。ステージ上からファンに及ぼすパワーの存在に気づいていたタウンゼントは、それらを関連付けずにはいられなかった。

 

作曲

テクノロジーによる装飾は『Life House』に通底するテーマであり、ゆえにタウンゼントは、自身の複雑な概念を最高の形で具現化すべく、最新のエレクトロニック楽器に目を向けた。

当時、常に熱心な音の冒険者であったタウンゼントは、米国のミニマリスト作曲家テリー・ライリーに心酔していた。その進歩的で即興的なテクニック――革新的なテープループの使用や果てしない単一コードの持続など――は、彼自身のエレクトロニック実験に多大な刺激を与えた。

複数の異なるソースからコードを生成する可能性を探っていたタウンゼントは、コンピューターに繋いだシンセサイザーに個人の経歴情報を入力することで、個々の聴覚的な人物像を作り出すことができると確信した。「まるで人間を音楽に翻訳するようなものだ」と彼は説明している。さらには、入力数を増やすことで、全人類の和音と共鳴する相乗的な複合体が生成できることも。

自宅スタジオにローリー・バークシャー・デラックス TBO-1というオルガンを装備したタウンゼントは、ミハー・ババのデータ入力によって割り出されるパターンの生成を試みた。この楽器の「マリンバ・リピート」という機能で出来上がったものは、テリー・ライリーの作品とまさに偶然の類似性というべきものを宿す、パルスのような持続的リズムだった。タウンゼントは、彼の2人の詩神にちなんでそれを「Baba O’Riley」と名付けた。

 

歌詞

後に「Baba O’Riley」となる曲の歌詞は、物語の主要登場人物を紹介する役割を担っていた。テクノロジーを介して実生活体験を管理する独裁体制に抑圧される汚染された世界において、レイとその妻サリーは、スコットランドの人里離れた農場でこの原野の自立した存在として生活している。

その刺激的なヴァイブレーションによって社会の解放を約束するライヴ・ミュージック・イベント”ライフ・ハウス”のニュースを耳にした二人は、そこを目指して出発する。そして、彼らの娘メアリーは既に自身の巡礼の旅を始めていた。レイは「サリー、手を繋いで。国を縦断して南へと旅しよう」と促す。そして彼らは思い切って「幸せな人々」の元へと向かうのだ。

旅は彼らに、汚染によって荒廃した不毛な原野を通過させる。大勢の若き漂流者たちもライフ・ハウスへのそれぞれの旅を続けている。そんな見捨てられた悪地を想像するにあたり、タウンゼントは、1969年のワイト島フェスティヴァルでのザ・フーのギグの聴衆が残していった瓦礫のことを回想していた。さらにはこう語る。

「ウッドストックでの荒れ果てた若者たちのことも。そこでは、聴衆は麻薬でラリっていて、20人が脳障害を負ったんだ」

そして彼はこの侘しい風景を「十代の荒れ地」と呼んでいた。

 

レコーディング

マネージャー/プロデューサーのキット・ランバートと共に『Life House』楽曲のレコーディングを試みたニューヨークでの最初のセッションを打ち切ると、ザ・フーは、ロンドンへとそそくさと舞い戻り、高名なプロデューサー、グリン・ジョンズを立てて作業を再開した。

最初はミック・ジャガーのスターグローヴスの別荘で、その後はバーンズのオリンピック・スタジオへと場所を移した。グリン・ジョンズがタウンゼントのシンセサイザー・デモを16トラックに移し、それを、バンドが合わせて録音するためのリズムトラックへと作り変えた。

シンセのフレーズをヘッドフォンを通して再生しながら、ザ・フーはこの曲をスタジオでライヴ演奏した(彼らはこの曲の30分に及ぶヴァージョンを作ったが、『Who’s Next』に収録されたのは5分に編集されたものだった)。

延々と続くアルベジオのイントロは、タウンゼントのつんざくようなピアノのコードに取って代わられ、やがて、とてつもなく凶暴なドラマー、キース・ムーンが加わり、あのタムのロールや煌めくシンバルの音が鳴り響く。ベーシストのジョン・エントウィッルスがパワフルかつしっかりと下支えするルート音を敷くと、シンガーのロジャー・ダルトリーが加わり、その力強い唱法で主人公の絶望的な苦境をドラマティックに再現する。

タウンゼントのギターが聴こえてくるのはほぼ2分後。雷のように落ちてくるパワーコードは、激しく生々しいロックンロールのまさに基盤となる響きだ。それは一時的なブレイクへと繋がり、そこではタウンゼントが慰めるかのように歌うメロディ――「泣くんじゃない、そんな目で見るな/たかが十代の荒れ地じゃないか」――がこの曲の情感の核心部となり、やがてムーンが雷鳴のようなフィルと共に再び大騒ぎを始める。

浮かれ騒ぐような倍テンポのアウトロは、デイヴ・アーバスがヴァイオリンを加えるべく迎えられた時には既にレコーディングされていた。グリン・ジョンズは「あれはキース・ムーンのアイディアだった」と回想する。このキース・ムーンは、隣りのスタジオにいたプログレッシヴ・ロック・グループ、イースト・オブ・エデンを訪ね、そこにいたヴァイオリニストがゲストに最適だと考えた。

「彼はキースに合わせてスピードを上げていなかればならず、当然それはかなり難しい作業だった。彼は実際にはそれに付いていった。素晴らしかったよ」

活気溢れる最後の仕上げとなったアーバスのヴァイオリンは、曲タイトルの「O」となった――というのも、タウンゼントの説明によれば「最後に少しアイリッシュっぽいサウンドになったから」とのことだ。

Baba O'Riley

 

『Life House』の発売断念

タウンゼントは『Life House』を演劇や映画として構想していたが、その複雑なストーリーはバンド仲間にさえ完全には理解されなかった。彼のこのプロジェクトへの創造力の注ぎ方はあまりに激しく、決定的な障害と直面すると神経衰弱に陥ってしまうほどだった。彼はこう言っていた。

「とんでもないアイディアだと気づいた時には大いに傷ついたよ。完全な精神分裂を防ぐのに必要な自己制御は、全くとてつもないものだった」

『Life House』のサウンドトラックとしてバンドが計画していた2枚組アルバムに代わって、優れた楽曲を1枚のアルバムにまとめることが決定した。それは彼らがグリン・ジョンズと作業を始めた時のことだ。

『Life House』は常に野心に満ちていた。その主題は驚くほど時代を先取りしていた。その中でタウンゼントはインターネットやヴァーチャル・リアリティの出現を予言しており、また、気候変動やパンデミック型のロックダウンを警告していた。

これらは1970年当時にはあまりに厄介な企てだったが、タウンゼントは誰にも止められず、ことあるごとに立ち返り、ついには1999年BBCラジオ3でラジオドラマとして放送。その一年後には全てを網羅したボックスセット『Life House Chronicles』がリリースされた。これによりプロジェクトは完結した。

 

リリース

『Who’s Next』は1971年8月にリリースされた。グリン・ジョンズはザ・フーのライヴのダイナミクスを巧みに描き出しており、その結果、アルバムは壮大な響を獲得した。そのインパクトはすぐさま感知され、全英でNo.1を獲得している。収録曲は『Life House』の物語から抜粋されても決して色褪せることはなく、評論家筋も極めて優れていると見なすような、まとまりがあって説得力に充ちた傑作を形作っていた。

タウンゼントは『Who’s Next』についてこう語っている。

「その出来映えに喜んでいたよ。ザ・フー初のまっとうなアルバムのように感じたんだ。複雑ではなくシンプルに感じられて、ストーリーが失われたことなど気にならなかった。とにかく何かを作り上げたことに安心したんだ」

「Baba O’Riley」は全米でも全英でもシングルカットされなかったが――ヨーロッパでは5~6カ国で多少のヒットとなるのみだった―-、攻撃的で堂々たるアンセムとしての名声は広く素早く認められ、ラジオDJにとってはアルバムから選ぶ有力な一曲となり、すぐさまその世代の反体制の定番曲となった。

The Who – Baba O'Riley (Shepperton Studios / 1978)

 

レガシー

「十代の荒れ地」と高らかに響く挑発的な最後の叫びによって、「Baba O’Riley」は自己主張の賛歌として永きに亘って称賛されてきた。それは反抗と徹底的な憎悪との微妙な境界を揺れ動くものであり、革命のサウンドトラックでもあった。

それは気概の感覚と深く結びついており、それゆえに、映画・TV制作者がファイティング・スピリットを表現したい時の文化的試金石となっていた。例えば、スパイク・リーは1999年の自作の犯罪スリラー映画『サマー・オブ・サム』でこの曲を実に効果的に使用しているが、おそらく最も知られているのは科学捜査官ドラマ『CSI:ニューヨーク』のテーマ曲としてだろう。

ザ・フーにとって、「Baba O’Riley」は6番目に多くライヴで演奏された曲であり、大抵はクライマックスとなる最終曲でのことだった。彼らが激しい演奏をしたことで最も知られるのは、2011年のザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ、そして2012年ロンドン・オリンピック閉会式だ。

CSI: New York Intro and Theme Song [HDTV]

ロックの殿堂では「ロックンロールを形作った500曲」に選出されている。しかしながら、ロジャー・ダルトリーにとって、それは、テクノロジーが我々の集合意識を強固に支配するという未来への警告でもある。

ロジャー・ダルトリーはそれについてこう語っている言っている。

「(それは)何世代にも渡って語りかけるんだ。人生とは、画面に視線を落とすのではなく、見上げること。俺たちは、若い世代に広まっている依存と共に大惨事へと向かっているんだ。気をつけなきゃ、人生は終わる。君たちはコントロールされているんだ。それが恐ろしいんだ」

Written By Simon Harper



ザ・フー『Who’s Next / Life House』

2023年9月15日発売
10CD / 2CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music


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