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ローリング・ストーンズ「19th Nervous Breakdown」日常の闇を描いた19回目の神経衰弱

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Photo: Jeff Hochberg/Getty Images

ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)が、18年ぶりとなる新作スタジオ・アルバム『Hackney Diamonds』の発売を記念して彼らの名曲を振り返る記事を連続して掲載。

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「お前たちがどうかは知らないが……俺は“19回目の神経衰弱 / 19th Nervous Breakdown”に陥りそうだ」

1965年末、疲れ切ったミック・ジャガーはバンドメイトたちにこう語ったという。

彼が疲労感を訴えたのも無理はない。バンドは同年2度目となる全米ツアーを敢行し、5週間に亘る公演を一息に終えたところだったのだ。さらに、1965年自体がバンドにとって特に過酷な一年でもあった。その年の彼らはほとんど休みもなしに、世界的な成功を追い求め続けていたのである。

彼らは過密スケジュールの中で何とか時間を見つけて、定期的なリリースを求められていたシングル用の新曲の作曲とレコーディングを行った。そうして同年6月に発表した「 (I Can’t Get No) Satisfaction」は、世界各国のチャートで首位を獲得。バンドの評判は著しく高まった。そしてそのことは、その後の数ヶ月における彼らの作品作りにも勢いを与えたのだった。

その冬、街から街、州から州へと移動する合間を縫って、ミック・ジャガーとギタリストのキース・リチャーズはある新曲を仕上げようとしていた。それは、ミック・ジャガーが思いがけず口にしたフレーズと、その響きの面白さに着想を得た1曲だった。

そのツアーは、12月5日のロサンゼルス公演をもって終結。しかしバンドは同地に留まり、サンセット大通りにあるRCAスタジオで3日間のレコーディング・セッションを行うことにした。そこは、同年中に彼らが「Satisfaction」や「Get Off Of My Cloud (一人ぼっちの世界)」をレコーディングしていたのと同じ場所だった。ベーシストのビル・ワイマンは、後年、自伝にこう綴っている。

「俺たちはあのスタジオが気に入っていた。窓のない特別な設計になっていたからだ。昼なのか夜なのかもわからなかったが、そもそも俺たちは気にもしなかった。ただただ、演奏し続けたんだ」

エンジニアのデイヴ・ハッシンジャーと、ストーンズのプロデューサー兼マネージャーであるアンドリュー・ルーグ・オールダムの助力もあり、その3日間では10曲がレコーディングされた。そして、そのほとんどは彼らの次のアルバム『Aftermath』に収録されることとなった。また、その中には彼らの次のシングルとなる楽曲も含まれていた。その1曲こそ、完成したばかりの「19th Nervous Breakdown (19回目の神経衰弱)」だったのである。

 

楽曲の歌詞

「19th Nervous Breakdown」の作曲を進める中で、ジャガーの関心は自身の精神的な問題よりも、甘やかされて育った社交界の若い女性が抱える神経症のほうに移っていった。そのインスピレーションの源となったのは、レセプション・パーティーや、当時ジャガーが接近しつつあった上流階級の集まりでメンバーたちが出会った地方の有力者たちだった。そしてジャガーは、一人の放埓な少女をこの楽曲の題材にした。

You were always spoiled with a thousand toys
But still you cried all night
お前は無数のおもちゃでいつも甘やかされていた
それでもお前は夜通し泣いていたんだ

このくだりにも明らかな通り、無関心な両親のもとに生まれたその少女は、物を買い与えられるだけで十分な愛を受けてこなかったのである。そして成長した今、彼女は常に満たされないまま、人生の辛い現実に対処できないでいたのである。

しかしながらジャガーは、そんな彼女の窮状に共感するどころか、突き放すように憤りをぶつけている。それが特に明確に表れているのは、避けがたい神経衰弱が目前に迫っていることを彼が告げる箇所だ。「Here it comes /さあ始まるぞ」と、彼はあざ笑うように繰り返すのである。

楽曲の後半では、彼がそんな風に憤っている理由が明らかになる。つまり、もともと楽観的な性格の彼は、少女の生来のナルシシズムに悪影響を及ぼされそうになったことがあったのだ。

On our first trip
I tried so hard to rearrange your mind
but after a while
I realized you were disarranging mine
初めて一緒に旅をしたとき
俺はなんとかお前の心を整理してやろうとした
だけどしばらくして気が付いたんだ

俺の心がお前に乱され始めているってことに

このくだりはドラッグの使用をさりげなく示唆しているが、シングルがリリースされた当時、世間でその点が取り沙汰されることはなかった。

ジャガーはボブ・ディランから影響を受け (この年の夏、見事なまでに痛烈な歌詞のディランのレコード「Like A Rolling Stone」は「Satisfaction」とチャート上で大接戦を繰り広げていた) 自身の周囲で目にした日常生活の闇を描き出した。それまで、特にポップ・ミュージックの分野ではほとんど語られることがなかった社会的な罪悪を、白日の下に晒したのである。後年、ジャガーがこう語っている。

「ごく普通の、ありふれたラヴ・ソング以外の歌詞を書くってことは普通じゃないと考えられていたし、実際、誰もやろうとしなかった。そんなものを作れば、世間にショックを与えることになる。実際、“19th Nervous Breakdown”みたいな曲に大衆はちょっとばかり不快感を示していた。だけどどうやらすぐに慣れたようだね」

 

レコーディング

同じフレーズを執拗に繰り返すキースのギターも、その強烈な歌詞とマッチしており、楽曲が始まった瞬間からリスナーを虜にする。彼はのちに次のように語っている。

「どんなときでもイントロは俺にとってすごく重要だ。リスナーの心を掴むものだからね。そして次の展開への期待を抱かせる。当時、俺たちはレコーディング中に“いい曲だね。じゃあ始まりの部分はどうしようか”なんて話したものだよ。確か、イントロ用のリフを考えたのは“19th Nervous Breakdown”が最初だった。そしてあれ以来、イントロのフレーズを考えるのは俺の仕事になった。俺のイントロが、その曲のテンポと雰囲気を決定づけるんだよ」

そのイントロに続き、バンド全体が演奏に加わってくる。ギタリストのブライアン・ジョーンズは、1963年にストーンズの面々がカヴァーしたボ・ディドリーの「Diddley Daddy」からそのまま流用したような演奏でクールなリズムを刻む (「あれはある種のトリビュートだったんだ」とキースは証言している) 。

Diddley Daddy

また、ビル・ワイマンのベースは低音域を支えながら、鋭い音色で絡み合う2本のギターにしっかりと付いて行っている。さらにチャーリー・ワッツもダブル・タイムで猛烈にライド・シンバルを叩き、楽曲全体のサウンドを ―― 苦悩する主人公と同じほど ―― 狂騒的なものに仕上げている。

同曲の最後の30秒間で、ワイマンは転がり落ちるようなベース・ラインを演奏している。そのサウンドは、少女の精神の崩壊と破滅を表現しているといえるだろう。ワイマンはこのように回想している。

「アンドリュー (・オールダム) が“最後のほうに何か、ヴォーカルとバンドの間を埋めるようなフレーズを弾いたらどうだろう”という風なことを提案してきた。だから俺は指先を使ってピックアップの上で弦を弾ませて、左手の指を弦に沿って滑らせてみた。そうやって、“急降下爆撃”と呼べるようなサウンドが出来上がったんだ」

The Rolling Stones – 19th Nervous Breakdown (Official Lyric Video)

 

シングルの発表とその影響

「19th Nervous Breakdown」は1966年2月4日に、まずUKでリリースされ、アメリカでは、The Ed Sullivan Showでこの曲を披露した翌日の 2月12日にリリースされた。その辛辣で批判的な歌詞の内容が同曲のヒットの妨げることはほぼなかったと言ってよく、全英シングル・チャートでは首位、アメリカでは最高位2位を記録した。

The Rolling Stones – 19th Nervous Breakdown – Live

大胆で妥協のない1曲である「19th Nervous Breakdown」には、ストーンズのアメリカ文化に対する深い造詣や理解が如実に表れていた。それは、同国で長い時間を過ごす中で、彼らが着実に培っていったものだった。マネージャーのアンドリュー・オールダムがこう記している。

「ストーンズはその歌詞と姿勢によって、アメリカが抱える病を体現した唯一の英国出身アーティストだ。俺たちは銃の代わりにギターを構えて、アメリカの因習にその矛先を向けた。ストーンズは何事にも動じなかった。彼らはアメリカの内側からアメリカを打ちのめしたんだ。ザ・ビートルズは外側から征服したが、ストーンズはアメリカの一部だったというわけだ」

ところでUKでは、ある一人のリスナーが、この楽曲に備わる不屈の力から特に強い衝撃を受けていた。ザ・フーのピート・タウンゼントが当時をこう振り返る。

「アンドリューが“19th Nervous Breakdown”を聴かせてくれたんだ。素晴らしいサウンドだった。大いに刺激を受けたことを覚えているよ。俺は早速家に帰って、その曲と同じ精神がこもった自作の曲を録音したんだ。そのとき生まれたのが“Substitute”だよ」

The Who – Substitute

このように、同曲はストーンズのファンや同業者から確固たる支持を得ている。意外なことに、しかし、この曲を生み出した当の本人たちは、これをさほど高く評価してはいない。2003年、ジャガーは自らの意見をこう述べている。

「実際のところ、“19th Nervous Breakdown”はそれほど出来がいいってほどじゃない」

この曲がバンドのステージでほとんど取り上げられてこなかったことも、そんな彼の評価を裏付けている。実際、1967年以降にストーンズがステージでこの曲を披露したのはわずか44回で、しかもそのうちの半数は1997年のライヴで取り上げられた回数である。

とはいえ、ほかの誰かにこの楽曲を褒められると、ジャガーも否定的な気持ちを抑え、素直に称賛を受け入れている。2012年にSaturday Night Liveでフー・ファイターズの面々とともに同曲を披露したのも、その点を裏付けていよう。このとき彼は、フー・ファイターズのフロントマン、デイヴ・グロールと見事なデュエットを披露している。

シングル「19th Nervous Breakdown」はアルバム『Aftermath』 (1966年4月のリリース) に先んじて発表されている。『Aftermath』は収録されなかったものの、この曲は、以降のストーンズ作品の方向性を示唆する挑戦的な作品だった。

『Aftermath』は、ザ・ローリング・ストーンズのアルバムとしては初めて、全楽曲をジャガーとリチャーズによるオリジナル・ナンバーで固めた作品だった。そして面々のルーツであるブルースを自在に発展させた同作で、彼らは先駆的なカウンターカルチャーの象徴と認められるまでになり、ひいてはザ・ビートルズと並ぶ、1960年代で最も影響力のあるバンドとしての地位を確立したのだった。

Written By Simon Harper


最新アルバム

ザ・ローリング・ストーンズ『Hackney Diamonds』

2023年10月20日発売
デジパック仕様CD
ジュエルケース仕様CD
CD+Blu-ray Audio ボックス・セット
直輸入仕様LP
iTunes Store / Apple Music / Amazon Music


シングル

ザ・ローリング・ストーンズ「Angry」
配信:2023年9月6日発売
日本盤シングル:2023年10月13日発売
日本盤シングル / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



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