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キャット・スティーヴンス『Foreigner』解説:芸術的再出発に挑んだ野心作

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Cover: Courtesy of Island Records

70年代初頭、当時キャット・スティーヴンス(Cat Stevens)は、まさに向かうところ敵なしだった。結核を患った後に回復した彼は、1970年の『Mona Bone Jakon』と『Tea For The Tillerman』、1971年の『Teaser And The Firecat』、そして1972年の『Catch Bull At Four』というヒット・アルバムを立て続けに発表。

「Wild World」「Father And Son」「Moonshadow」「Peace Train」「Sitting」といった人々に愛される楽曲を世に送り出したこれらの作品は数百万枚を売り上げ、彼は地球上で最も成功したシンガーソングライターのひとりとしての地位を確立していった。

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大きな成功に伴う葛藤と新たな決断

『Catch Bull At Four』は、大規模な北米ツアーにも支えられ、全米アルバム・チャート(Billboard 200)で3週間にわたり首位を記録。しかし、成功が大きくなるにつれ、彼にのしかかるプレッシャーも増していった。1973年のCircus誌によるインタビューの中で、彼は当時を次のように振り返っている。

「毎晩ステージに立つことを、心から楽しめなくなっていた。すごく疑心暗鬼になって、自分は創造力が枯れてしまったんじゃないかと思い始めたんだ。“自分はどうしてしまったんだ? こんなことをするために始めたわけじゃなかったのに……”ってね。アメリカを離れたあと、自分が何をしてきたのかをじっくり考えてみたら、気づかないうちに、すべてがあまりにも予定調和な状態になっていたことに気づいた。だから“この流れは断ち切らなければならない。何か衝撃的な要素を取り入れなくては”と思ったんだ」

これは、シンガーソングライターとしての彼が、増え続けるファンの期待に応え、これまでと同じ路線を続けるという、無難で収益面でも魅力的な選択をすることもできた時期だった。しかし彼は、あえてその道を選ばず、自らの直感に従った。そして当時アメリカのラジオを席巻していたソウル・ミュージックに刺激を受け、新たな楽曲を書き始めた。彼は当時を振り返り、こう語っている。

「あの頃、僕が聴いていた音楽で一番素晴らしいと思っていたのは、ブラック・ミュージックだった。9月の全米ツアーの終盤、ロサンゼルスからニューヨークへ向かう移動中のことだ。特に夢中になったのが、スティーヴィー・ワンダーだった」

彼はまた、フィラデルフィアから生まれていた豊かでシンフォニックなソウルにも深く魅了された。後に、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツのアルバムを初めて聴いた時の感覚をこう振り返っている。

「それがすべて染み込み始めた。突然、自分の音楽的な成長のすべてが、ブラック・ミュージックと関わっていたことに気づいたんだ。イングランドで自分が育つ中で聴いてきた音楽だった。最初はブルースに夢中になっていて、いわば裏口からブラック・ミュージックに入っていったようなものだった。レッドベリーはずっとお気に入りのひとりだし、振り返ってみると、自分はずっと自然にブラック・ミュージックの影響を受けてきたんだと実感した」

この気づきをきっかけに、彼は自分がこれからどんな音楽を作りたいのか、そして音楽界における自らの立ち位置を改めて見つめ直した。そして、その思いは1973年発表の7作目のスタジオ・アルバム『Foreigner』へと結実する。彼はアルバム『Foreigner』のタイトルに込めた思いについて、次のように語っている。

「僕は、ジェイムス・テイラー、キャロル・キング、エルトン・ジョンのようなアコースティックな音楽へと押し進められていた。そうした“白人音楽”を見渡して、“自分もその一部なんだ”と思った。でも、どこか違和感があった。振り返ると、自分自身に対してよそ者になってしまっていたんだ。もうそれは本当の自分ではないように感じた。これまでどおりの、予測可能な自分を演じ続けたくはない。自分を演じるのではなく、本当の自分でありたかった。そして、その頃の僕はまさに変わろうとしていた。だから、ブラック・ミュージックの世界では自分は“よそ者(Foreigner)”だったこともあって、このアルバムを“Foreigner”と名付けたんだ」

実際、自分にとって真実だと感じられる音楽を作るためには、大胆な変化が必要だった。彼は、70年代初頭の彼の快進撃を支えたプロデューサー、ポール・サムウェル=スミスと袂を分かち、『Foreigner』を自らプロデュースする決断をした。

また、『Mona Bone Jakon』以来彼のサウンドの重要な役割を担っていたウェールズ人ギタリスト、アラン・デイヴィスや、彼の代表曲の多くで豊かなストリングス・パートを手がけたアレンジャー、デル・ニューマンも起用しないことを決めた。

その代わりに彼は、ベーシストのハービー・フラワーズ(デヴィッド・ボウイ、エルトン・ジョン、ルー・リード)、ドラマーのバーナード・パーディ(ニーナ・シモン、マイルス・デイヴィス、スティーリー・ダン)、ギタリストのフィル・アップチャーチ(マディ・ウォーターズ、カーティス・メイフィールド、ディジー・ガレスピー)、そして凄腕ホーン・セクションのタワー・オブ・パワー(ミーターズ、グレイトフル・デッド、リトル・フィート)といったセッション・プレイヤーのドリーム・チームを集結させた。

 

ジャマイカでのレコーディング

また、新たな環境へ身を置く時期でもあった。『Foreigner』の録音はジャマイカで行われた。1973年3月、彼はキングストンのダイナミック・サウンズ・スタジオで3週間のセッションを開始。このスタジオには、ボブ・マーリー、ジミー・クリフ、ピーター・トッシュなど、レゲエ界の大物たちも足を踏み入れていた。彼は1973年のRolling Stone誌のインタビューで、ジャマイカを選んだ理由について、「日差しが欲しかったから。イギリスではそれが得られなかったし、アメリカへ行きたいとも思わなかった」と語っている。

しかし実際には、現地で彼とレコーディング・エンジニアのジョン・ミドルトンは1日14時間にも及ぶ作業を続け、友人たちに無理やり休暇を取らされて泳ぎや釣りを楽しんだ1日を除けば、ほとんど休みなく制作に打ち込んでいた。彼は、NME誌に対し、ジャマイカでの制作環境について次のように語っている。

「ここには気が散るものが何ひとつない。電話も鳴らないし、“明日はこれ、その次はあれ”と会う約束を求めてくる人もいない。この場所では、すべてが純粋にその日の仕事を中心に回っているんだ。気分よくスタジオに入れば、いいテイクが録れる。逆にそういう気分でなければ、いい演奏は録れない。ここに2、3日いれば分かるよ。この場所には本当に生命力に満ちた空気が流れていて、その雰囲気がいつの間にか自分にも染み込んでくるんだ」

彼のソングライティングは、そんな決断と同じくらい大胆だった。アルバムは複数の楽曲をひとつに織り上げた約18分に及ぶ組曲「Foreigner Suite」で幕を開ける。その壮大な構成は、卓越した音楽性を示す圧巻の作品となっている。楽曲は、リスナーに直接語りかける短いパートから始まるという、当時としては斬新で実験的な手法を採用している。

“There are no words I can use
Because the meaning still leaves for you to choose.”

私に使える言葉はない
なぜなら、その意味をどう受け取るかは君自身が選ぶことだから

Foreigner Suite (Full Version)

彼はCircus誌のインタビューで、その意図を次のように説明している。

「何百万人もの人が耳にする歌詞を書いているんだと思ったとき、この曲にはきっといろいろな解釈が生まれるだろうと気づいた。だから、冒頭に“講義”のようなパートを入れたんだ」

やがて、ラグタイム風の軽快なピアノのリフが次のパートへと導き、もともと「Sunny Side Of The Road」というタイトルだった、親しみやすく前向きなメロディが姿を現す。彼はこの楽曲について、こう語っている。

「これは、ただ僕自身のポジティブな生き方を表したものなんだ。どこにいても、どんな状況でも、必ず何かしら良いことはある。多くの人は物事を悪い方向に考えがちだけれど、もしみんなが悪いことではなく良いことに目を向けるようになれば、世の中はもっと良くなると思う」

ホーンとシンセサイザーが鮮やかに鳴り響き、切れ目なく次のパートへ移ると、プレイヤーたちの卓越した演奏力を際立たせる緻密なジャズ・ファンクのインストゥルメンタルが展開される。続いて、流れるようなピアノと穏やかなゴスペル・コーラスに導かれ、「Freedom Calling」とも呼べるパートへと移行する。物質主義の弊害を力強く訴えるこのセクションは、途中でレゲエの要素を取り入れた中間部へと発展し、さらにはプログレッシブ・ロックを思わせるアプローチものぞかせる。その後、楽曲は劇的に静まり返り、内省的なパートへと入る。

“Won’t you give me your word that you won’t laugh
’Cos you’ve been a saving grace to me”

笑わないと約束してくれないか
君は僕を救ってくれた存在なのだから

困難な時代の中で恋人へ語りかけるようなこの場面は、組曲全体の感情的な核を担っているそうした祈りにも似たテーマは、その後のパートにも受け継がれる。

“Oh love, sweet blue love
No man can ever get enough”

ああ、愛よ、美しい青い愛よ
どんな人も、その愛を求め尽くすことはできない

このセクションは、サム・クックの不朽の名曲「Bring It On Home To Me」を思わせる、美しくソウルフルなバラードとして響く。そして最後は、トロピカリアのエッセンスをほのかに感じさせる軽快なピアノ主体のパートへとつながり、壮大な組曲は見事な余韻を残しながら締めくくられる。

「Foreigner Suite」はアナログ盤のA面すべてを占める大作であり、その圧倒的なスケールと完成度ゆえに、『Foreigner』に収録された残り4曲の存在は、やや影に隠れがちだった。しかし、B面には見過ごすには惜しい“隠れた名曲”が並んでいる。

全米トップ40ヒットとなった「The Hurt」は、人生を本当に味わうためには痛みを経験することも必要だというメッセージを、しなやかなグルーヴに乗せて歌い上げたナンバーだ。

The Hurt

「How Many Times」は、人生の疲れや諦観をにじませたソウルフルなバラードで、Dan PennとChips Momanによる「The Dark End Of The Street」や、Bob Dylanの「I Shall Be Released」と同じ系譜に連なる作品といえる。アルバムは、情熱的でシンフォニックなファンク・ナンバー「Later」、そしてグルーヴ感あふれるフォーク・ソング「100 I Dream」で幕を閉じる。

Yusuf / Cat Stevens – 100 I Dream (Visualiser)

『Foreigner』は、商業的な成功を狙って書かれたりレコーディングされたりした作品ではなかった。それでも世界各国のチャートでトップ10入りを果たし、全米・全英アルバム・チャートではともに最高3位を記録した。18分にも及ぶ楽曲で幕を開けるアルバムとしては、これは桁外れの快挙だった。

だが、それ以上に重要だったのは、この作品が彼自身にとって「どうしても作る必要があったアルバム」だったということだ。『Foreigner』は、彼が自身のキャリアの主導権を取り戻すためのリセットであると同時に、音楽的な視野をさらに広げる転機ともなった。そして『Foreigner』の中心にあるメッセージは、時を重ねるごとにますます今日的な意味を帯びるようになっている。

1995年以降、ユスフ・イスラムの名で活動しているキャット・スティーヴンスは、2024年リマスター盤のプレスリリースで次のように語っている。

「僕たちは皆、 “外国人”なんだ。アメリカ人やヨーロッパ人に“あなたは外国人だ”と言えば、“いや、外国人なのはあなたのほうだ”と答えるだろう。でも、もっと大きな意味で考えれば、僕たちは皆この世界では外国人であり、誰もが自由を求め、人類という共同体の中で自分の居場所を探し続けているんだ」

Written By Jamie Atkins


キャット・スティーヴンス『Foreigner』
1973年7月25日発売
CD / LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



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