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海外の有名ライブ・ハウス:キャヴァーンやウィスキー・ア・ゴー・ゴーからクロコダイル・カフェまで

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特定のライヴハウスや劇場のようなライヴ会場には、簡単には再現できない独特の雰囲気がある。2015年の映画『グリーン・ルーム』に登場する架空のパンク・ロック・バンド“エイント・ライツ”は、映画中のインタビューの場面でこう語っている。「バンドがライヴハウスに出る。ステージが終わる。それでおしまい」この種の雰囲気は永遠には続かないのだ。

これは実在しないバンドの架空の発言かもしれない。とはいえ、一部のライヴハウスが素晴らしい演奏の場になっているのは、まさにそうした雰囲気のおかげなのだ。そのようなライヴハウスでは驚くべきライヴ・アルバムが録音され、歴史に残る写真も撮影されている。

その例としてすぐ頭に浮かぶのは、シアトルのクロコダイル・カフェで撮影されたニルヴァーナのライヴ映像だ(シアトルはニルヴァーナの出身地)。このライヴハウスには、これまでパール・ジャムビースティ・ボーイズ、スリーター・キニーを含め、みなさんが興奮するような数多くの名バンドが出演している。

クロコダイル・カフェは、他の大多数のライヴハウスとは一味違っている。ここにはフロアとステージしかない。ニルヴァーナが数百人足らずの観衆に向かって演奏しているところを想像してほしい。そんな場所であのようなバンドのライヴを観た観客は、自分がまさに伝説の生き証人だったと主張できることだろう。クロコダイル・カフェはまさにそうした場所だった。ロックフォーズ(グッドネスやパール・ジャムのメンバーが参加したグループ)は、2003年にここでライヴ・アルバムを録音した。また同じ年には、クーラ・シェイカー、ストーミー、スクリーミング・フィーメイルズもここのステージを踏んでいる。

グランジより前の時代にさかのぼると、ハリウッドのライヴハウスに目が行く。たとえばトルバドール。この店では、1970年9月4日にレッド・ツェッペリンとフェアポート・コンヴェンションが3時間のジャム・セッションを行っていた。ここは、若きトム・ウェイツがアマチュア・ナイトに出演してレコード契約を手にした場所としても知られている。また、フローレンス・アンド・ザ・マシーン、アラバマ・シェイクス、オッド・フューチャーが活動初期にロスでライヴをやった場所でもある。「新進アーティストの登竜門」というトルバドールの雰囲気は今も健在だ。

BBs @ The Whiskey 11:1970

1970年11月ウィスキー・ア・ゴー・ゴーでのビーチ・ボーイズ

トルバドールがある大通り、サンセット・ストリップを先に少し進むと、新旧のロック・ファンにお馴染みのウィスキー・ア・ゴー・ゴーがある。ここは今も人気のあるライヴ会場であり、最近もライヴの模様をストリーミング放送する独自のテレビ・チャンネルを設立したばかりだ。客席数は500席というこぢんまりした規模ではあるが、ここでは世界的なビッグ・アーティストのライヴも間近で観ることができる。たとえば、メタリカビーチ・ボーイズ(上写真)、ステッペンウルフ、ドアーズといった具合。ガンズ・アンド・ローゼズモトリー・クルーも、スタジアム・クラスの超大物にのし上がる前はここの常連出演者だった。

サンセット・ストリップにある3つ目の有名ライヴハウスはロキシー・シアターである。セックス・ピストルズ(1977年)も、ザ・クラッシュ(1980年)も、そしてもっとあとの世代のロック・バンド(インキュバスやキングス・オブ・レオン)もここに出演している。ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンはここでソロ・デビュー・アルバムをレコーディングしており、ピート・ヨーンも2001年にここでライヴ・アルバムを録音した。他の有名出演者としては、フランク・ザッパ、ジェネシスニューヨーク・ドールズ、そしてボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが挙げられる。ウェイラーズの2枚組アルバム『Live At The Roxy』もここで録音された。このアルバムを締めくくる「Get Up, Stand Up」「No More Trouble」「War」の流れはもはや伝説となっている。

大西洋の反対側に目を向けると、ロンドンのソーホーにあったマーキーは有名アーティストにとっても無名アーティストにとってもホット・スポットとなっていた(ただし1958年にオープンした当時は今とは別の場所にあった)。このライヴハウスでは、何組ものアーティストがスターの座へと駆け上っていった。ローリング・ストーンズも、ジェスロ・タルも、ピンク・フロイドもここのステージに立っている。またステイタス・クォーはここで「Paper Plane」のビデオを撮影しているし、ガンズ・アンド・ローゼズはイギリスでの初ライヴの場所としてここを選んでいる。

Paper Plane – Status Quo

Paper Plane - Status Quo

 

警察の介入で閉店を余儀なくされ、設立者のジョン・ホプキンスは逮捕されたUFOクラブの後釜となったのが、ミドル・アースである。ここも、やはり趣味の良いサイケデリック・バンドを育むことになった。土曜の晩にはジョン・ピールがDJを担当。そしてこのライヴハウスのステージには、ピンク・フロイドやザ・フーが度々出演していた。この店はコベント・ガーデンのキングズ・ストリート43番地にあったが、当時ここは煤けた暗い街並みで、変人のロック・クラブにはぴったりの場所だった。

そこからさほど遠くないオックスフォード・ストリートは、ソーホーに移転する前のマーキーが最初に開店した場所だった。ここにはロンドンの悪名高いライヴハウスがもう1軒ある。それは100クラブである。70年代パンクの爆発的ブームのあいだ、ダムドやストラングラーズがここに出演し、セックス・ピストルズがここでライヴ・アルバムを録音した。この100クラブは今も営業中。2010年にはあわや閉店という事態に追い込まれたが、ポール・マッカートニーを含むミュージシャンたちが営業継続を訴えるキャンペーンを行った結果、店の存続が決まった。

ザ・ビートルズの活動が始まった場所として有名なリヴァプールのキャヴァーン・クラブは、もともとはジャズやスキッフルのクラブだったが、やがてロックン・ロール精神の信奉者となった。ここは、二代目ビートルズになりたいと思うバンドにとってひとつの目標となったが、二代目を襲名できるようなバンドはいまだ登場していない。キャヴァーンは以前の店舗から少し離れた場所に移転したが、今も世界中のビートルズ・ファンが訪れる店となっている。

ラモーンズの本拠地、ニューヨークのCBGB’sはもともとブルース・クラブとして出発したが、やがてパンクとニュー・ウェーヴに席巻された。ここには、テレヴィジョン、パティ・スミス、トーキング・ヘッズ、ブロンディといった大きな影響力を持つグループが出演している。また1980年代からは、ここでハードコア・パンク・バンドが続々と頭角を現すようになり当時のカリフォルニア・パンクの東海岸版といった様相を呈した。

1980年代、グリーン・デイは、バークリーの伝説的なライヴハウス、924ギルマン・ストリートの常連出演者だった。ただし、大手のリプリーズ・レーベルと契約して1994年に『Dookie』を発表した結果、924ギルマン・ストリートからは追放されている。世界中でスタジアムを満員にする人気バンドになる前、グリーン・デイはAFIと同時期にここで活躍していた(AFIはやがてゴシック・パンクの代表格となり、評論家から高く評価されるようになった)。924ギルマン・ストリートは、さまざまな年齢の人間がボランティアで運営している。このライヴハウスでは人種差別、性差別、同性愛嫌悪は許されない。ここはサンフランシスコ・ベイエリアでは特に人気の高い会場のひとつだ。

もし、このような伝説的なライヴハウスに行く機会があれば、そこでかつて活躍していた先輩たちのことをどうか思い返してほしい。

Written By Giles Bidder


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