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1967年5月29日週に発売された作品たち:サマー・オブ・ラヴの誕生

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今からちょうど50年前の1967年5月29日の週 、北半球では春から夏へと季節が替わろうとしていた...しかもそれはただの夏ではなかった。”サマー・オブ・ラヴ”と”フラワーパワー”が世界を征服しようとしていたのだ。

アメリカではモンタレー・インターナショナル・フェスティバルが始まろうとしており、ザ・ローリング・ストーンズのマネージャーを辞めようとしていたアンドリュー・ルーグ・オールダム、プロデューサーのルー・アドラー、そしてママス&パパスのジョン・フィリップスらが集まり、それまでで一番規模の大きいフェスティバルを開催する上での最終調整を行っていた。イギリスでは、(ザ・ビートルズの)8枚目となるスタジオ・アルバム『Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のプレスパーティーが5月19日にロンドン・ベルグレイヴィアにあるブライン・エプスタインの自宅で開かれ、そこにはザ・ビートルズのメンバーも出席していた。

This Week In 1967: Birth Of The Summer Of Love

それから2週間後、イギリスの音楽関係のマスコミはどれも6月1日の発売に向けてザ・ビートルズのアルバムレビューや各曲解説を掲載していた。「一度しか聴いていないので、彼らのベストとはまだ言えないが」とアレン・エヴァンズはニュー・ミュージカル・エクスプレス(NME)誌に記し、アルバムが5ヶ月をかけて4月に完成され、すべてが少しだけやり過ぎであったかのように書いている。

ザ・ビートルズがマネージャーの家でパーティーを楽しんでいる頃、『サウンド・オブ・ミュージック』のサウンドトラックがイギリスのアルバム・チャートの1位を飾っており、このアルバムはその位置を(断続的に)2年弱も保持していた。6月3日にNMEのチャートで『サウンド・オブ・ミュージック』に替わって『Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band』が1位となった、それは先行予約の注文数が多かったためである。同週のNME TOP30チャートで26位に、そして6月10日には21位にランクインされた。

This Week In 1967: Birth Of The Summer Of Love

他にもフォー・シーズンズの古いヒットのB面トラックをカヴァーしたザ・トレメローズの「Silence Is Golden」がシングル・チャートを独占。その他にプロコル・ハルムの「A Whiter Shade Of Pale」がチャートを上昇しながら3位にランクインし、次の週には1位を獲得した。UKベストセラー・リストではトラフィックのデビュー・シングル「Paper Sun」がトップ20入りを果たし、新しいサウンドが流行りつつあることを示していた。

This Week In 1967: Birth Of The Summer Of Love

しかし、世のレコード・ファンたちがビーズ付きのカフタンのようなサウンドを受け入れたわけではない。チャートにランキングされた他の大ヒット曲は、エンゲルベルト・フンパーディンク、ニュー・ヴォードヴィル・バンド、ザ・ダブリナーズ、ヴィンス・ヒル、トポル、ハーブ・アルパート、そしてフランク&ナンシー・シナトラなどのアーティストの曲だった。

その他にも時の流れを象徴していたのは、ジミ・ヘンドリックスの「The Wind Cries Mary」がトップ10にランキングされていたことだ。その4日前に彼はサヴィル・シアターにて「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の“ハイになった”ヴァージョンをカヴァーし、その観客の中にはポール・マッカートニージョージ・ハリソンがいた。ヘンドリックスは2週間後にはモンタレーにて観客たちを熱狂させ、アメリカで名声を確立することになる。

その他にも元ムーディー・ブルースで後のウィングスのメンバー、デニー・レインやニューヨークからロンドンへ越したばかりのプロデューサー、トニー・ヴィスコンティもその夜サヴィル・シアターにいた。「デニー・レインのためにストリングスのアレンジを5つ考え、それをデニーがサヴィル・シアターで演奏しました」とトニーは話している。「ジミ・ヘンドリックスも出演しましたが、舞台裏でデニー・コーデルに腕をつかまれて、“おいで、ヴィスコンティ、これは見ないと損だ”と言われたんです。ヘンドリックスがライターオイルをストラトキャスターにかけて火のついたマッチをその上に投げたんです。それで舞台のそでで消防隊が待機していて、一人は手に斧を、そしてもう一人は消火器を手にしていました、観客たちは興奮して騒ぎ出し、私も震え上がりました。私がストラトキャスターを手に入れようと思ったら何年もお金を貯めないと買えません」。

This Week In 1967: Birth Of The Summer Of Love

ロンドン中のクラブやパブにボールルーム、そして国中でライヴ・パフォーマンスが行われていた。『Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band』がリリースされた週のマーキーでは、トラフィックを結成するためにスティーヴ・ウィンウッドが脱退した“新しい” スペンサー・デイヴィス・グループ、そしてサヴォイ・ブラウン・ブルース・バンドが演奏。他の場所では、ジョージィ・フェイム、ホセ・フェリシアーノ、ザ・ジェフ・ベック・グループ(ロッド・スチュワートとベースにロニー・ウッドが在籍していた)、フェアポート・コンヴェンション、デル・シャノン、トニー・ベネットカウント・ベイシー、そしてロニー・スコットのジャズクラブで歌うブロッサム・ディアリーなど、様々なアーティスト達がステージに立った。この祝日の月曜日に、あなたがもしイギリス東海岸にあるリンカンシャーのスポルディングで過ごしていたなら、バーベキュー67フェスティバルで、ジミ・ヘンドリックス、ピンク・フロイド、クリーム、ザ・ムーヴ、ズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンド、そしてジーノ・ワシントンのステージをいっぺんに見ることができただろう。

This Week In 1967: Birth Of The Summer Of Love

我々はその革命的な時代の記念として、50年前の音楽界の1週間を物語として伝えるために画像を収集した。

本当にもうそんなに経ってしまったのか?

By Richard Havers


1967年の今週の作品

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Four-Top-Jefferson-Airplane
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Engelbert-Humperdinck
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