メンフィスそぞろ歩き:ロックン・ロール発祥の地の観光ガイド

April 1, 2018


メンフィスそぞろ歩き:ロックン・ロール発祥の地の観光ガイド

20世紀、メンフィスほどポピュラー・ミュージックの発展に寄与した都市は存在しない。確かに、音楽史上で最大の世界的インパクトを与えたバンドは、リヴァプール出身のザ・ビートルズだ。また、ニューヨークも真の国際的メガスターを擁してきたが、リズム&ブルース、ロックン・ロール、カントリー、ゴスペル、ソウル、ブルースなどのルーツを見てみれば、その物語はいつもテネシー州メンフィスに辿りつくのだ。

人々から愛される音楽の進化になぜメンフィスが関わってきたのか。この世にある大半のものと同様それにも理由がある。ネイティヴ・アメリカンが使っていた川沿いに位置するメンフィスは、西暦1世紀から人類が居住していたとされる。また、ヨーロッパ人がアメリカを占領した際には戦略的な要地となり、メンフィスに長く居住していたチカソー族といった種族を侵略する際に特に重要な場所となった。

ミシシッピ川の断崖の上にあるメンフィスは、 およそ200年前、意図的にその地に築かれた街だ。設立者の中には、後にアメリカ大統領となるアンドリュー・ジャクソンも含まれていた。南部デルタ地域の特徴でもある洪水を受ける心配もないメンフィスは、まもなく商業の中心地としての地位を確立し、奴隷と綿花が売買された。

メンフィスは常に人種のるつぼだった。南部で作られる商品を求めて、北部からは交易商人がやって来たことで、数世紀にわたりメンフィスではアメリカの他都市では見られないような形で、黒人と白人の文化が交わった。そして、メンフィスで取引されていた商品の中でも、音楽は同市にとって特に重要なものであり続けた。

ニューオーリンズのジャズは、400マイル(約644キロ)南で生まれ、カントリー・ミュージックの故郷であるナッシュヴィルは、ほんの数百マイル東にある。メンフィスからならば1日で観光が可能なミシシッピ・デルタでは、世界的な伝説となったブルース・ミュージシャンを数多く輩出している。

ロバート・ゴードンは著書『It Came From Memphis』でこう説明している。「メンフィスを訪れる人々は、カルチャーのぶつかり合いに気づくだろう。他の都市でも、メンフィス同様に黒人と白人の住民が交わったり離れたりしているかもしれないが、メンフィスではなぜかそれがよく目につく。歴史を知っているためなのか、見えない力に惹きつけられるのか、人種関係(またの名を音楽という)はメンフィスの生命線だ。ポップ、カントリー、リズム&ブルースのチャートで首位を獲得した最初の楽曲は、メンフィスから生まれた。カール・パーキンスの“Blue Suede Shoes”もそうだ。そういう意味において“メンフィス・ミュージック”といった時には、それはコンセプトであって、サウンドではないのだ」。

「Blue Suede Shoes」はメンフィスを一躍有名にし、50年代のロックン・ロール・サウンドを定義しただけでなく、エルヴィス・プレスリーからバディ・ホリー、エディ・コクランに至るまで、あらゆるアーティストにカヴァーされた曲だ。

ロバート・ゴードンが説明するように、スタイルとカルチャーの融合によって約100年前にメンフィス・ブルースが誕生した。ファーリー・ルイスやメンフィス・ミニーといったミュージシャンがギターの弾き語りをする一方で、メンフィス・ジャグ・バンドはカズーやウォッシュボード、ギターを演奏しながら、ジャグ(大きな瓶)の瓶口を吹いてベース音を出すスタイルを世に広めた。

こうした音楽は地元で熱狂的な人気を博したが、ブルースを広く世界に広めとしてその功績を認められているのは、W.C.ハンディだ。“ブルースの父”として知られる彼が1912年に発表した「Memphis Blues」は大きな変革をもたらした。W.C.ハンディ本人が認めたところによれば、昔ながらの南部のサウンドを出しながら、メジャー・スケールの3番目と7番目を半音下げることで、より洗練されたオーディエンスに向けた曲を目指したそうだ。そして、半音下げたこのスケールは‘ブルーノート’として知られるようになる。「今までとは明らかに違うことをやったが、結果的にはこれが功を奏した」とW.C.ハンディは記している。

ブルースの人気は高まったが、第二次世界大戦後、状況は急変しはじめた。富と名声を求め、南部の極貧生活から逃れるミュージシャンが続出し、メンフィスのビール・ストリートはブルース・クラブやバーで溢れたのだ。こうしたクラブやバーでは、未来を夢見る若手ミュージシャンがギターを手に、より大音量で勢いのあるブルースを演奏していた。

今日でも、ビール・ストリートは観光の中心地だ。観光客は、ジャンバラヤや人気のバーベキュー、バーボンやラムといった飲食を求めて集まるが、同ストリートの一番の呼び物は、本物のメンフィス・ブルース・アクトだ。BBキングズ・ブルース・クラブやジェリー・リー・ルイス・カフェ・アンド・ホンキー・トンク(まさに「Whole Lotta Shakin’ Goin’ On」の様相を呈し、盛り上がっている)といった有名クラブのほかにも、ラム・ブギー・カフェのブルース・ホール・ジューク・ジョイント(ラム・ブギー・エスタブリッシュメントの傘下)といった地元クラブもある。なお、ブルース・ホール・ジューク・ジョイントは1985年にオープンし、現在はビール・ストリートの174番地から182番地を占有している。

しかし、ビール・ストリートの魅力は、ジューク・ジョイントにとどまらない。日中の観光は、サウス・メイン・ストリートとビール・ストリートの交差点からスタートする(ここにあるヴィンテージの路面電車は、交通機関というよりも展示物のように見える)。腰を振るエルヴィス・プレスリー像と写真撮影をしたら(これはマストだ)、ビール・ストリートのハードロックカフェと、そのすぐ近くにあるメンフィス音楽大殿堂博物館に立ち寄ろう。ここから、ネオンサインに向かって進むと、歩行者専用ゾーンに入る(「車両、自転車、スケート、スケートボード、ガラス容器、動物、爬虫類は立ち入り禁止」という注意書きがある)。ビール・ストリート建設当初から存在する唯一の店、A・シュワブにも入ってみよう。「A・シュワブで見つからないものは、おそらく持ってない方がマシなもの!」が同店のモットーだ。

Photo: Paul McGuinness

ビール・ストリートを進むと、340番地にある警察署の隣には、W.C.ハンディ・メンフィス・ホーム・アンド・ミュージアムがある。もう少し大きなものが見たいならば、引き返して左に曲がると、フェデックス・フォーラムの隣にメンフィス・ロックン・ソウル博物館がある。スミソニアン博物館のひとつで、メンフィス・ミュージックの全てを語る博物館だ。スタジオの機材や楽器、エルヴィス・プレスリーやジョニー・キャッシュのステージ衣装、南部の日常生活を再現した展示物などが並べられている。道の向かいにはギブソンの工場があり、アメリカの優れたギターの製造工程を見学することができる。

ビール・ストリートで仕事に励んでいたアーティストには、B.B.キング、ハウリン・ウルフ、ルーファス・トーマス、アイク・ターナー等がおり、彼らはみなサム・フィリップスによってブレイクを手にした。サム・フィリップスは、彼らを含む大勢のアーティストを自身のメンフィス・レコーディング・サーヴィスでレコーディングし、同スタジオは後に、サン・レコードとして世界的な名声を獲得した。無料のシャトルバス・サーヴィスが、メンフィスのロックン・ソウル博物館の外から同スタジオがあったユニオン・アヴェニュー706番地までを走っている。サン・スタジオは、かつてエルヴィス・プレスリーやカール・パーキンス、ロイ・オービソン、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュといった伝説的アーティストが名を成した場所だ。現在では、この場所は博物館となっており、ツアーやギフト・ショップがあるほか、レコーディング・スタジオとしても機能しているため、近年ではU2やジョン・メレンキャンプもレコーディングを行った。

サン・スタジオは1950年、フィリップスによって設立されると、アイク・ターナー率いるジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツの「Rocket 88」をレコーディングしたことで歴史にその名を残した。同曲は、多くの人々から初のロックンロール・レコーディングと考えられている。

アメリカの著述家ピーター・グラルニックは、サン・スタジオのユニークなアプローチについてこう説明している。「複数の観測筋によれば、ロックン・ロール・ミュージックは、テネシー州のメンフィスにあるサン・スタジオで始まったとされている。サンはサム・フィリップスによって設立された。フィリップスは、ハウリン・ウルフといった黒人リズム&ブルース・アーティストをレコーディングした最初の白人の1人だ。また、黒人の影響を受けた音楽をエルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンスといった南部の若い白人アーティストにレコーディングさせた初めての人物でもある」。

メンフィスがユニークな人種のるつぼとなった理由は、ミュージシャンやプロデューサー、エンジニアの中に、人種を気にする人がほとんどいなかったためだ。当時の南部は、黒人がリンチされ殺害まで至ることが生活の一部として残り続け、店やレストラン、公共スペースや交通機関は白人用と黒人用に法律で分けられていた。人種隔離が常識だった南部において、黒人と白人が仲良く働く業界は、控えめに言っても普通ではなかった。こうしてブルース、カントリー、ゴスペルが融合し、新たなサウンドが誕生した――ロックン・ロール、リズム&ブルース、ソウルである。

中でも最大の成功を収めたのは、エルヴィス・プレスリーだ。13歳でメンフィス州テューペロからメンフィスに引っ越してきたエルヴィス・プレスリーは、1954年にブレイクを果たした。サンで受付係をしていたマリオン・キースカーは、「サムは何度も『黒人のサウンドと雰囲気を持つ白人を見つけられたら、10億ドルは稼げる』と言っていた」と当時を回想している。エルヴィス・プレスリーがまさにその男だった。そして彼は、「That’s All Right」をサンでレコーディングすると、同レーベルに数々の楽曲を残した。

Photo: Paul McGuinness

現在のスタジオは、エルヴィス・プレスリーがセッションで使った現物とされるマイクと写真撮影をすることができるほか、記念品も数多く展示されている。

エルヴィス・プレスリーはほどなくするとサンを離れるが、その後も長い間メンフィスに住み続けた。彼が所有していたグレイスランドの邸宅は、アメリカでも特に人気の高い観光地だ。車で通りかかった人々がエルヴィス・プレスリーの邸宅に見惚れ、事故を起こしてしまうため、メンフィスでも特に事故の多い場所でもある。サン・スタジオからシャトルバスに乗り込めば、次の停留所はグレイスランドだ。

エルヴィス・プレスリーのことをほとんど知らないファンでも、ここを観光するなら数時間は必要となる。同邸宅のツアーは素晴らしいうえに、エルヴィス・プレスリーの飛行機、自動車、ステージ用のスーツ、銃、ゴールド・ディスクに軍服と結婚式の衣装も含む洋服も展示されており、見どころがいっぱいなのだ。熱心なファンであれば、ここで結婚式を挙げることもできる。

リビングルーム  Photo: Paul McGuinness

革新的なメンフィスのスタジオは、サンだけではない。市内随一の博物館は、スタックス・アメリカン・ソウル博物館だろう。スタックス設立時の建物は30年ほど前に取り壊されてしまったが、2003年にレプリカが建てられ博物館としてオープンした。スタックスにふさわしく、博物館の見学は教会からスタートし映画が上映される。南部におけるゴスペル・ミュージックの台頭を語るパワフルな映画で、いかにしてゴスペルがリズム&ブルースという世俗音楽となり、それがソウル・ミュージックとなり公民権運動(1968年、メンフィスでのキング牧師暗殺で終焉を迎える)で重要な一部となったかが描かれている。

サンと同様、スタックスも人種の垣根のない環境にあった。白人2人と黒人2人で構成されていた伝説的なハウスバンド、ブッカー・T & ザ・MGズが絶好の例だ。スタックスにはまた、オーティス・レディング、アイザック・ヘイズ、サム&デイヴ, ステイプル・シンガーズ、ジョニー・テイラーといったアーティストが所属しており、ソウル・ミュージックの発展に寄与しただけでなく、ブラック・アメリカン・ミュージックの歴史で最重要のレーベルとされている。

Photo: Paul McGuinness

スタックスの博物館は観光名所としてだけでなく、地域再生のための施設としても設計された。博物館がオープンする前、メンフィスのこの地域は不況にあえいでいた。スタックスと近隣のロイヤル・スタジオ(後年に設立された)で作られた素晴らしい音楽に敬意を表し、‘ソウルズヴィル’と呼ばれた地域再生プロジェクトは、博物館であがった収益を地元のプロジェクトに再投資するものだ。中でも特筆すべくは博物館の隣にあるスタックス・ミュージック・アカデミーで、見事な機材を揃えた同アカデミーはメンフィスの素晴らしいミュージシャンが教えるソウル・ミュージックの演奏方法など、地元住民(大半は、経済的に恵まれない黒人の子どもたち)に夢のような音楽教育を提供している。

メンフィスでのレコード制作は、サンとスタックスという2つのスタジオを中心に回っていたと考えるのは容易だが、現実は決して単純ではない。地元の観光業に大きな貢献をしている2つのスタジオは、決定的なメンフィス・サウンドをいくつか生み出したことは確かだが、サンとスタックスはあくまで氷山の一角にすぎないのだ。

アーデント・スタジオ外の著者(左)とビッグスタードラマー、ジョディ・スティーブンス。 Photo: Paul McGuinness

ジョン・フライは、50年代後半から両親のガレージでワイヤーや部品をいじくりまわしていたが、仲間とともに電子機器に対する愛情と音楽に対する情熱を組み合わせると、事が起こり始めた。高校の友人たちは他の道に進んだが(なお、最初にジョン・フライが手を組んだパートナー、フレッド・スミスは、自身の飛行機好きを利用すると、もうひとつのメンフィスを代表する企業を設立した――これがFedExである)、ジョン・フライはガレージで録音していたサウンドをリリースすべく、自身のレコード・レーベル、アーデントを設立した。「僕は音楽と電子機器の両方に興味を持っていた……機材を手に入れ始めると『この機材で何ができるだろう?』って思った。そうだ、音楽を録音できる。『その音楽でどうする?』そうだ、売ってみればいいなって思ったんだ」。近くのスタックス・レーベルが大きくなるにつれ、需要に対応しようと他のスタジオに外注されるレコーディングが増えていった。こうして、ジョン・フライのアーデンド・スタジオは、スタックスからリリースされるレコードの20%をレコーディングを請け負うようになった。スタックスのスターの中で、アーデントを使わなかったのはオーティス・レディングだけだ。そして、アイザック・ヘイズの画期的なアルバム『Hot Buttered Soul』といったスタックスの重要作の多くが、ジョン・フライのスタジオでレコーディングされた。

数回のアップグレードを経て、アーデント・スタジオは1971年、現在の所在地となるマディソン・アヴェニューに落ち着いた。規模は大きいが素朴な雰囲気のスタジオは、ボブ・ディランジェイムス・テイラーからR.E.M.やホワイト・ストライプスに至るまで、音楽業界に名だたる大物アーティストを惹きつけてきた。スタジオは、プロフェッショナリズムとサウンドへのこだわりを持ちながらも、自由に羽を伸ばしたいというミュージシャンのニーズも理解している。ジョン・フライは自由奔放さでレッド・ツェッペリンと肩を並べたのは、プライマル・スクリームだけだったと回想している。

メンフィスで特に大きな成功を収めたロック・バンドは、アーデント・スタジオと密接に結びついている。1971年に結成されたビッグ・スターは、アレックス・チルトンの卓越したヴォーカルをフィーチャーしていた。アレックス・チルトンは16歳の頃、メンフィスの別グループ、ボックス・トップスのメンバーとして「The Letter」のナンバーワン・ヒットを放っていた。ビッグ・スターのプロデュースを務めたのはジム・ディッキンソンで、彼も地元メンフィスの有名人だった。最初の解散から40年以上が経った現在、ビッグ・スターは音楽史で、特に影響力の大きなカルト・バンドとして、伝説的な地位を手にしている。ティーンエイジ・ファンクラブからKISSに至るまで、あらゆるアーティストが影響を受けたバンドとして、ビッグ・スターの名前を挙げたのだ。メンバーの中で唯一存命しているドラマーのジョディ・ステファンズは、長年の間アーデントのCEOを務めていた。

スタックスからほんの数ブロック先のロイヤル・スタジオは、同スタジオの創設者にちなんだ街路名を持つウィリー・ミッチェル・ブルヴァードにある。スタックスと同様に、ロイヤルは劇場を改修したスタジオだ。この劇場はヒットを作れるサウンドを持っている、とウィリー・ミッチェルは確信した。「あの床に何かあった。スロープをおりるにつれて、音楽はより大きくなり、映画や演劇から独立したんだ」。今日もスタジオはウィリー・ミッチェルの親族が運営しており、ぞんざいな装飾やインテリアからは想像もできないほど多くのヒットを生み出してきた。ハイ・レコードの本拠地として、ロイヤル・スタジオは70年代、アル・グリーン、アン・ピーブルズ、O.V.ライト、そしてもちろんウィリー・ミッチェル自身を含む多数のスターのレコーディングを担ってきた。キース・リチャーズも同スタジオでくつろぎながら、そのサウンドに夢中になった。また、ソロモン・バーク、チャック・ベリートム・ジョーンズ、ステイプル・シンガーズ、デ・ラ・ソウル、ウェット・ウェット・ウェット(1985年にアルバム『The Memphis Sessions』をレコーディング)といったアーティストもこのスタジオでレコーディングを行っている。

メンフィス観光の際には、メテオ・レコードの跡地や、旧アメリカン・サウンド・スタジオの前も通るだろう。前者はルーファス・トーマスやエルモア・ジェイムスのレコードをリリースしたレーベルだが、短命に終わった。後者はエルヴィス・プレスリーにとって最後のナンバーワン・ヒットとなった「Suspicious Minds」、ニール・ダイアモンドの「Sweet Caroline」、B・J・トーマスの「Raindrops Keep Falling On My Head(邦題:雨に濡れても)」や、よりソウルフルな楽曲としてはダスティ・スプリングフィールドの名盤『Dusty In Memphis』がレコーディングされたスタジオだ。メンフィスにおいて、素晴らしいレコードが作られた場所は、枚挙に暇がない。

メンフィスでは、いたる所に音楽史が存在しているように思える。アレサ・フランクリンやジャスティン・ティンバーレイクはメンフィス生まれだ。また、シンガー/ソングライター、ジェフ・バックリーが溺死したのは、メンフィスのミシシッピ川だった。

あまり知られていない場所を訪れたいならば、昔の気分に浸って観光ができるガイドのタッド・ピアーソンのアメリカン・ドリーム・サファリを予約するのもいいだろう。タッド・ピアーソンはメンフィスの音楽史を知り尽くしており、55年型のキャディラックでガイド・ツアーを行っている。キャディラックに乗って街のはずれのジューク・ジョイントに行くと、そこではブルースやソウルのミュージシャンが演奏に精を出しており、セット中にはドル札を入れるジャグ(大きな瓶)が回ってくる。タイミングが良ければ、ライトニン・マルコムのセンセーショナルなギターと、セドリック・バーンサイド(伝説的ミュージシャン、R.L.バーンサイドの孫)のドラムを見られるかもしれない。しかし、ひとつ注意がある――2人の力強くキャッチーなエレクトリック・ブルースを聴くと、いつもより多くのジャグに入れるドル札をつい弾んでしまうかもしれない。

サンスタジオ外のタッド・ピアーソンの1955年のキャデラック。 Photo: タッド・ピアーソン

タッド・ピアーソンのキャディラックは、地元の知識がなければ発見できない伝説的な場所にも連れていってくれる。例えば、タッド・ピアーソンと酒をひっかけにバーに入ったとしよう。タッド・ピアーソンは「ザ・ローリング・ストーンズの‘Honky Tonk Women’の歌詞に『メンフィスでジンで酔ったバーの女王に出会った/いいことしようと俺を2階に連れてこうとしたんだ』って出てくるだろ? その女王はそこの階段で彼を2階に連れていこうとしたのさ」と言うだろう。実はこのバー、元は売春宿でツアー中のミュージシャンに人気の場所だったのだ。ザ・ローリング・ストーンズはメンフィス公演の後に遊びに来て、同曲はその経験をもとに書かれたのだった。少なくとも、そう伝えられている。

サウス・メイン・ストリートの向こうには、アーケイド・レストランがある。1919年にオープンのメンフィス最古のカフェだ。『ミステリー・トレイン』や『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』といった映画を見た人ならば、このカフェの入り口にある年代物のネオンサインに見覚えがあるだろう。同店の歴史は、メンフィスの音楽シーンと密接に絡みあっている。エルヴィス・プレスリーお気に入りのダイナーとして有名な同店には、入り口から一番奥にエルヴィス・プレスリーのブースがある。店側の事前の取り計らいにより、ファンが入ってくるのを鏡で確認すると、エルヴィス・プレスリーはキッチンのドアからすぐに逃げ出していたそうだ。

歴史はメンフィスのいたるところに存在する。サウス・メイン・ストリートを少し戻ると、公民権運動博物館があり、ここロレイン・モーテルのバルコニーがある。1968年4月4日、キング牧師が暗殺された場所だ。

タッド・ピアーソンのキャディラックに戻り、観光を続けよう。タッド・ピアーソンはメンフィス・ミニーといったミュージシャンが住んでいた家にも連れて行ってくれる。特筆すべきはピアノ奏者メンフィス・スリムが育った家だ。古い掘立小屋は、メンフィス・スリム・コラボラトリーへと改築され、現在はリハーサル/レコーディング・スタジオと教室を兼ねている。この施設は、メンフィスは過去を見ているだけでなく、未来をも見据えていることを示すさらなる証拠である。創立200周年が近づく現在でも、メンフィスは時代遅れには程遠い街なのだ。

メンフィス・スリム育った家、2006年の写真。2014年に、メンフィス・スリム・コラボラトリーに改築。Photo: Paul McGuinness

ロバート・ゴードンは『It Came From Memphis』の中でこう説明している。「メンフィス・ミュージックとは、地理によって定義され、ブルースマンに威厳を与えられた生き方である。ここは農地に囲まれた大きな街で、経済的に不自由のないビジネスマンが農業従事者を労働させ、二者の間の格差をさらに広げ不安定な状況だ。黒人と白人、農村と都市、貧乏人と金持ちなど、メンフィスは常に文化が融合し、衝突する場所だった。メンフィスの音楽は、こうした衝突のサウンドトラック以上のものである。衝突の記録なのだ」。

ロックン・ロール発祥の地、メンフィスを観光するなら、以下の場所にはぜひ行ってほしい。

■BB King’s Blues Club(BBキングズ・ブルース・クラブ)
143 Beale Street; www.bbkings.com/memphis

■Jerry Lee Lewis’ Café & Honky Tonk(ジェリー・リー・ルイス・カフェ&ホンキー・トンク)
310 Beale Street

■Rum Boogie Café(ラム・ブギー・カフェ)
182 Beale Street, Memphis; www.rumboogie.com

■Memphis Music Hall Of Fame Museum(メンフィス・ミュージック・ホール・オブ・フェイム・ミュージアム)
126 South Second Street; www.memphismusichalloffame.com

■WC Handy Memphis Home And Museum(WCハンディ・メンフィス・ホーム・アンド・ミュージアム)
352 Beale Street; www.wchandymemphis.org

■Memphis Rock’n’Soul Museum(メンフィス・ロックン・ソウル・ミュージアム)
191 Beale Street; www.memphisrocknsoul.org

■Gibson Factory(ギブソン・ファクトリー)
145 Lt George W Lee Ave; www.gibson.com/Gibson/Gibson-Tours.aspx

■Sun Studio(サン・スタジオ)
706 Union Avenue; www.sunstudio.com

■Graceland(グレイスランド)
Elvis Presley Boulevard; www.graceland.com

■Stax Museum Of American Soul Music(スタックス・アメリカン・ソウル博物館)
926 East McLemore Avenue; www.staxmuseum.com

■Ardent Studios(アーデント・スタジオ)
2000 Madison Avenue; www.ardentstudios.com

■Royal Studios(ロイヤル・スタジオ)
1320 Willie Mitchell Boulevard; www.royalstudios.com

■The Arcade Restaurant(アーケイド・レストラン)
540 South Main Street; www.arcaderestaurant.com

■Memphis Slim Collaboratory(メンフィス・スリム・コラボラトリー)
1130 College Street; www.memphisslimhouse.com

By Paul McGuinness



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