ブルース誕生の地、ハイウェイ61を訪ねて: 訪れるべき観光スポット13選(写真・地図付き)

October 7, 2017


ブルース誕生の地、ハイウェイ61を訪ねて: 訪れるべき観光スポット13選(写真・地図付き)

そこは長きにわたり‘デルタのメイン・ストリート’と呼ばれてきた、その理由は一目瞭然だ。ハイウェイ61号線はニューオーリンズからルイジアナ、ワイオミング、ミネソタまでを貫く全長1,400マイル(約2,300km)の長い道である。今回の目的に則り、我々は‘ジャズのゆりかご’であるニューオーリンズからメンフィスまでのセクションに集中して注目することにした。しばしば‘ブルースのハイウェイ’の名で呼ばれ、広くはミシシッピ・デルタとして知られる地域である。

ザ・デルタは河口より300マイルほどのヴィクスバーグから始まり、250マイル北側のメンフィスまで広がっている。堆積土から成る巨大なアーモンド型の平原を生み出したのは、何千年もの間繰り返されてきた西の大河ミシシッピと東のもう少し小さなヤズー川の氾濫である。“鉄板のように平たい”この広大で肥沃な平原は、綿花の産地である。

1820年まで、ザ・デルタは硬材[訳注:カシ、カエデ、マホガニー等に代表される広葉樹]林ばかりの未開発地域だった。1835年頃になると、入植者たちが綿花を育てるためにザ・デルタに生い茂る木々の伐採を始める。独立戦争後、完全に拓けた土地となったザ・デルタには、隅から隅まで大規模農場のための開発が行なわれた。その情け容赦のない環境の必然の産物が他でもないブルースであり、ザ・デルタは大いなる触媒だったのである。

Robert-Johnson-Crossroad-Blues-Record-Label-web-350-300x3001936年11月27日、テキサス州サン・アントニオで、ロバート・ジョンソンは彼の伝説と、現在も続いているハイウェイ61号線に対する強い関心が生まれる端緒となった 「Crossroad Blues」のレコーディングを行なった。ロバート・ジョンソンが、恐らくハイウェイ61号線上の十字路で、悪魔に魂を売り渡したというエピソードは、この80年余り、ブルース及びロックン・ロールに携わるほぼ全ての人々が信じ込んでいる伝説のひとつである。

この伝説を真に受け、件の十字路はどこにあるのかと必死になって訊ね回るブルーズ巡礼の観光旅行客に出くわす度に、現在のザ・デルタの住人たちは信じられないという反応を返す。無論、事情通を自負する人々はいちいち訊ねたりはしない。彼らはまっすぐ61号線と49号線の交差点に向かい、そこで写真を撮ってもらうだけだ。ただ、恐らく観光客は知らないだろうが、現在の2つのハイウェイの交差点は実はロバート・ジョンソンが生きていた時代のそれからは少なくとも800メートルも離れているのである。いずれにせよ、ロバート・ジョンソンが歌っていたのはあくまで架空の場所であり、実際のところそんな十字路は存在しないのだ。

ボブ・ディランの1965年のアルバム『Highway 61 Revisited(邦題:追憶のハイウェイ61) 』はこのハイウェイの伝説の火に油を注いだが、ロバート・ジョンソンの不朽の名盤からボブ・ディランの再訪までの歳月には、ミシシッピ・フレッド・マクダウェルの「61 Highway」、ルーズヴェルト・サイクス、ジャック・ケリー&ヒズ・サウス・メンフィス・ジャグ・バンドやウィリー・バッツの「Highway 61 Blues」らの曲が、更に神話を揺るぎないものにしていた。

ブルースが世界にむけて自己紹介をしたのもメンフィスからだった。ミシシッピのハイウェイ16号線を北上してゆくと、かの有名な音楽の隠れ家であり、メンフィスとその周辺地域のアフリカ系アメリカ人たちのカルチャーの中心であったビール・ストリートに、そのルーツを辿ることができる。

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1920年代、コロンビア、オーケー(OKeh)、ヴィクター、ブルーバードといったレーベルはこぞってスカウトをメンフィスに送り、人前で披露するのにおあつらえ向きの曲を持っているなら、特定の期間内に自ら名乗り出るようにというお触れを出させた。この呼びかけに応じた中に、メンフィス・ジャグ・バンド、キャノンズ・ジャグ・ストンパーズ、フランク・ストークス、イシュマン・ブレイシー、トミー・ジョンソン、スリーピー・ジョン・エスティスらがいたのだ。そののち、1941年になると、アラン・ローマックスがクラークスデール近くのストヴォールのプランテーションに赴き、マディ・ウォーターズの初めてのレコーディング作業を手掛けた。

これらハイウェイ61号線の間近で生まれ育った人々を並べてみれば、それはまさしくブルース界の名士録そのものだ。

ジャクソン市内とその周辺:ボ・カーター、エルモア・ジェイムス、イシュマン・ブレイシー、チャーリー・パットン
ヴィックスバーグ: ウィリー・ディクスン
フォレスト:アーサー・クラダップ
ヤズー・シティ: トミー・マクレナン
ベルゾーニ:オーティス・スパン
リーランド: ジミー・リード
インディアノーラ: B.B. キング、アルバート・キング
スコット: ビッグ・ビル・ブルーンジー
ティオック: ミシシッピ・ジョン・ハート
ルールヴィル: ジミー・ロジャース
グレンドーラ: サニー・ボーイ・ウィリアムソン
ヴァンス: サニーランド・スリム
クラークスデイル: ジョン・リー・フッカー、アイク・ターナー、リトル・ジュニア・パーカー、ウィリー・ブラウン
ストーヴァル: エディ・ボイド
リヴァートン: サン・ハウス
チュニカ: ジェイムズ・コットン
ハーナンド: ロバート・ウィルキンス
ホーン・レイク: ビッグ・ウォルター・ホートン

これらブルース界のレジェンドの多くは、手始めにピクニックやハウス・レント・パーティー(編注:家賃分の資金を集めるために催された)、ザ・デルタ全域で習慣となっていた土曜の夜の魚釣りピクニック(訳注:通常釣った魚をフライにして夕食に供したのでSaturday-night Fish Friesと呼ばれた)等の場で演奏するのが常だった。だが多少なりとも名声を追い求めるのであれば、ザ・デルタを後にして、メンフィス行きの汽車に乗り込むか、シカゴ、デトロイト、あるいはその他の北部にある大都市に向かう以外に道はなかった。

彼らの曲でよく語られるのは、過酷極まりない環境下での日常だ。彼らはブルース(憂鬱)を実感として知っている。何故なら彼らはそれとともに生きてきたからだ。戦前のブルースメンの歌にあった赤裸々な現実は、彼らがザ・デルタを離れてからは幾らか和らぐこともあったものの、昔から言われる通り、「ザ・デルタにいる人間を外に連れ出すことは出来ても、そいつの中にあるデルタを消し去ることは出来ない」のである。

ジョン・グリシャムは『Visualizing The Blues』の序文で 「苦しみがクリエイティヴィティに力を与えた」と書いている。ザ・デルタで育ち、ブルースをプレイするようになった彼ら(そして数は多くないが女性たちも)にとって、ブルースは金儲けの手段ではなく、現実からの逃避だった。あなたもチャンスがあったら、是非ザ・デルタを訪れ、ハイウェイ61号線を車で走ってみて欲しい。後悔はしないはずだ。きっとたちまちのうちにブルースはそれ以前より大きな意味を持つようになり、視覚的刺激はその後のあなたの中で、永遠に生き続けることだろう。

 

自動車旅行を計画中? ならばハイウェイ61号線周辺で、立ち寄るべき13のスポットはこちら:

リズム・ナイト・クラブ
5st キャスリーン・ストリート、ミシシッピ州ナッチェス
ナイト・クラブとしては既に廃業しているこの小さな歴史的建造物は、200人余りの犠牲者を出した1940年4月23日のナッチェス大火の追悼のために建てられた。世界中のブルース・ファンはこの悲劇を、ハウリン・ウルフの有名な1956年のレコード 「The Natchez Burning」で知っていることだろう。

キャットフィッシュ・ロウ・ミュージアム
ワシントン・ストリート913番地、ミシシッピ州ヴィックスバーグ
ミシシッピ河畔に築かれた街の歴史を今に留めるキャットフィッシュ・ロウ・ミュージアムは、訪れる人々に、この地域で生まれ育った音楽だけでなく、受け継がれてきた食べ物や宗教、ヴィジュアル・アートの豊かさについても垣間見させてくれる。

ハイウェイ61 ブルース・ミュージアム
ノース・ブロード・ストリート307番地、ミシシッピ州リーランド
規模は小さいが温かみのあるハイウェイ61ブルース・ミュージアムは、オールド・モンゴメリ-・ホテルの中にあり、デルタ・ブルースを忘れまいとするコミュニティ全体の努力の結晶だ。周辺地域で幾つも観られる壁画の制作も、リーランド・ブルース・プロジェクトの出資で実現したものである。

チャーリー・パットンの墓
ホリー・リッジ共同墓地、ホリー・リッジ・ロード、ミシシッピ州
その碑銘でも“The Voice Of The Delta(ザ・デルタの声)”というぴったりの形容で称えられたチャーリー・パットンの墓所は、ハイウェイ61号線沿いの主要な観光名所からは少し離れているが、全ての始まりを作った人物に敬意を表するために、訪れる価値は十分にある。

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B.B. キング・ミュージアム
セカンド・ストリート400番地, ミシシッピ州インディアノーラ
ライヴ・イヴェントと豊富な展示品により、伝説のブルース・マンの足跡を追うこの博物館へは、ライリー・B.キングとしてこの世に生を受けた男の功績を讃えるためにも必ず訪れて欲しいところだ。

ロバート・ジョンソンの墓石
リトル・ザイオン・ミッショナリー・バプティスト教会。マニー・ロード。ミシシッピ州グリーンウッド。
世界最古のブルーズ・レジェンドの最期の安住の場所は、グリーンウッド市内の3か所の墓地で、各々三様の墓石を戴いている。1991年、ソニー・レコードがザイオン山にオベリスク様式の墓を建てたが、ZZトップはそれとは別に、ペイン・チャペルの墓地に自腹で墓碑を造った。興味深いのは3つめのリトル・ザイオン・ミッショナリー・バプティスト教会の墓所で、これは2000年に当時85歳だったロージー・エスクリッジにより、1938年8月に彼女の夫であるトム・“ピーター・ラビット”エスクリッジがこの墓地の奥にロバート・ジョンソンの遺体を埋めたという申し立てに基づいて作られたものである。

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いずれもロバート・ジョンソンが眠っているとされる場に置かれた墓石。左:ソニーが建立したザイオン山の墓碑。上:ペイン・チャペルにあるZZトップの出資で設けられた墓所。下:リトル・ザイオン・ミッショナリー・バプティスト教会の墓。

ドッケリー・ファーム
229 MS-8, ミシシッピ州クリーヴランド
103㎢という広大な綿花のプランテーションと製材所を擁するドッケリー・ファームは、クリーヴランドとルールヴィルの間、ハイウェイ8号線沿いのサンフラワー川畔に位置している。近年はミシシッピ州の歴史的建造物に認定されたこの場所は、一般にブルース生誕の地とみなされている。ウィル・ドッケリーの下で働いていた小作人たちは、皆賄い付きの共同宿舎で寝起きをし、 そこで奏でられた音楽がブルースへと形を変えていったのだ。“デルタ・ブルースの創始者”チャーリー・パットンは、ドッケリーに移住した最古参の1人で、一方ロバート・ジョンソン、ハウリン・ウルフ、ポップス・ステイプルズらがこの地にいたのはごく短期間だったものの、その影響を一気に吸収し、それぞれ独自のスタイルを形成していった。この場所は現在ドッケリー・ファーム基金が管理所有して観光客を受け容れており、事前予約をすれば個人向けガイド・ツアーの実施もある。

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ミシシッピ州グラミー博物館
ウェスト・サンフラワー・ロード800番地、ミシシッピ州クリーヴランド
ミシシッピ州グラミー博物館は幅広い展示を網羅しており、この州から生まれた音楽のみならず、ザ・ビートルズに関する考察やエレクトリック・ギターの歴史、テキサス出身のブルース・マンであるスティーヴィー・レイ・ヴォーンの半生等も追っているが、やはり一番の見どころはブルース(ジャズやロックン・ロール、ヒップホップへの影響も含め)に関する深い造詣だろう。

悪魔の十字路
ノース・ステイト・ストリート599番地、ミシシッピ州クラークスデイル
ロバート・ジョンソンの歌を生み出すきっかけを作り、伝説の端緒となった当時の謎めいた十字路は歴史の中に消えてしまったが、ハイウェイ61号線と49号線の間にある交差点は、現在も格好の写真スポットとなっている。

デルタ・ブルース・ミュージアム
ブルーズ・アレイ1番地、ミシシッピ州クラークスデイル
1979年に創設されたデルタ・ブルース・ミュージアムは現在、1918年から運用が始まったクラークスデイルの貨物駅内に位置している。オリジナルの78回転盤レコードのコレクションに加え、テーマに沿った映画の夜間上映会や充実した企画展示のタイムテーブルが組まれたこのミュージアムは、‘ブルース生誕の地’を訪れる上で最重要な立ち寄り先と言っても過言ではない。

リヴァーサイド・ホテル
サンフラワー・アヴェニュー615番地、ミシシッピ州クラークスデイル
1944年以降、ザ・リヴァーサイドはサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡ世やアイク・ターナーら、ツアー・ミュージシャンたちの定宿となった。実はそれ以前、ここにあったGTトーマス病院は、1937年9月26日、自動車事故で大怪我をした“ブルースの女帝”ベッシー・スミスが息を引き取った場所として別の意味で有名だった。

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ベッシー・スミスが亡くなったGTトーマス病院の部屋は、現在リヴァーサイド・ホテル内で客室として使用されている。

ストーヴォール・ファーム
オークハースト・ストーヴォール・ロード4146番地、ミシシッピ州クラークスデイル
クラークスデイル郊外に位置するストーヴォール・ファームは、マディ・ウォーターズがその幼少期を過ごした場所である。そして何より重要なのは、彼が1941年から42年の間アラン・ローマックスとレコーディングを行なった場所であるということだ。実際に彼が暮らしていた建物は、現在デルタ・ブルース・ミュージアムとして維持管理されている。

B.B. キングズ・ブルース・クラブ
ビール・ストリート143番地、テネシー州メンフィス
アメリカ国内にはBBキング・ブルース・クラブの看板を掲げた店は幾つもあるが、1991年、メンフィス市内のライヴ・ミュージックの中心地にオープンしたビール・ストリートの店は、その中の第1号店である。

By Richard Havers


 



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