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2010年代世界の音楽シーン総まとめ:大きな変革の10年を9つの要素で振り返る

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疲れ切った友人たちに「最近の音楽が面白くなくなった」などと言わせることなかれ。2010年代を通して生み出された音楽を振り返ってみると、実際にはなかなか斬新な10年間だったのが分かる。顔ぶれが変わっただけではなく、音楽ジャンルのヒエラルキーが再編成され、人々の音楽入手方法が大きく変化した。ポップの風景は2009年に眺めていたものとは全く異なり、2010年代の音楽は、私たちの耳を楽しませるために、全く新しく前例のない方法を生み出した。

1. 帰って来たポップの神様

この10年間で新たなポップの特権階級が生まれた。その中で頂点に君臨するアーティストと言えば間違いなく、ポップ・スターから世界的マルチメディア・スーパースターへと上り詰めたレディー・ガガだろう。しかし彼女だけではなく、ビヨンセ、テイラー・スウィフトケイティ・ペリージャスティン・ビーバーと、2010年代を通してポップの風景を彩ってきたメガスター達は何人かいる。彼女たちはおそらく20年後にもスタジアムをソールド・アウトにしていることだろう。ちょうど現在マドンナやシェールがやっているように。世界的メガスターは10年前には絶滅危惧種のように思われていたが、状況は変わった。このようにポップの神様がはっきりと存在したのは、マイケル・ジャクソン、マドンナ、そしてプリンスがいた80年代全盛期以来のことだ。

Lady Gaga – Born This Way (GRAMMYs on CBS)

 

ひとつ大きく異なる点は、MTV時代が終わりを迎えていた為、こうしたアーティストの多くは、大ヒット・アルバムをレコーディングして派手なライヴ・ショウを行うというより伝統的な手段を通して活動を行うようになっていたことだった。もし2010年代のメガスターの誰かをコンサートで見たことがあったなら、それが回転するステージやおびただしい数の衣装によるマルチメディアな大仕掛けのショウを見せるビヨンセであれ、クロフト・ブラザーズ・スタイルのファンタジーランドを跳ね回るケイティ・ペリーであれ、あなたは創造性豊かで、エキセントリックでさえあるスタジアムの使われ方を目撃したことになる。

ジャスティン・ビーバーの前回のツアーは、自身のスターダムへの躊躇いが垣間見られる本格的サイコドラマだった。彼が籠の中に閉じ込められ、オーディエンスを見下ろした瞬間、ピンク・フロイドの『The Wall』の現代版を観ている気がしてならなかった。

レディー・ガガに関して言えば、2000年代の終わりに彼女に注目していた方なら、彼女が2010年代音楽シーンの先頭に立つことをきっと予測していたことだろう。2009年の“フェイム・ボール・ツアー”でお披露目パーティーを行なった彼女は、その年の終わりまでに「Just Dance」「Poker Face」そして「Bad Romance」と、世界的ヒット曲を3曲誕生させた。アルバム『The Fame』で世界的に注目を集めたレディー・ガガは、メインストリームをもてあそぶ方法を次々と考え出していった。あの生肉ドレスを覚えているだろうか?あれは2010年のMTVビデオ・アワードでの出来事だった。しかし彼女にとって最高の年といったら、間違いなく2017年になるだろう。グラミー賞授賞式でメタリカと共演し、スーパー・ボウルで開いた口が塞がらないほどのアクロバティックなパフォーマンスを披露し、大掛かりなショウを立て続けにやってのけた。そして、その後、バーブラ・ストライサンドを上回る完成度の『アリー/ スター誕生』を制作したのだ。

Lady Gaga, Bradley Cooper – Shallow (From A Star Is Born/Live From The Oscars)

 

レディー・ガガは前回のツアーで披露した衣装やダンスから離れ、ピアノの前に座りつつ、簡素で大部分がアンプラグドから成る長いセクションを設けた。それはまるで口パクとバッキング・トラックが当たりの時代に別れを告げるようなパフォーマンスだった。2010年代の終わり頃には、ラスベガスでレジデンシー公演をスタートさせ、現代的なポップ・ショウとザ・グレイト・アメリカン・ソングブックからの作品を披露するステージを交互に行なう一方で、2020年代を象徴する音楽的事件になるであろうニュー・アルバムにも着手した。

2. ストリーミングの登場

2010年代の音楽を確実に変えた要素のひとつとして挙げられるのが、ファンの音楽の購入方法の変化だ。2010年にはまだiTunesから音楽を取り込んだ後に、CDを捨てるかどうかを論じていたことだろう。2011年にはSpotifyがストリーミング・プラットフォームとして地味にスタートし、やがて2017年には、米ではストリーミングの収益がフィジカルによる売上を上回った。現時点、アメリカでは、有料ストリーミング・サービス(Spotify、Apple Music等々)が、音楽産業の総収益の80%を占めている。

この意味合いは非常に大きい。もしあなたがストリーミング・サービスを使用する平均的なリスナーなら、きっとこれまでにないほど様々なタイプの新しい音楽を聴いていて、ラジオ局から自分の好きなアーティストの楽曲が流れるのをひたすら待ったり、限られたお金でどのCDを購入するかで悩んでいた日々に戻りたいとは思っていないだろう。

利用できるのが基本的にiTunesだけだったひと昔前のデジタル世界とは異なり、ストリーミングの世界ではメジャーなプロバイダーは複数存在する。Apple MusicがSpotifyと共にグローバル・プレイヤーとして参戦する一方で、ビデオに重点を置くYouTubeもまた定額制音楽配信サービスYouTube Musicを開始した。

非常にバラエティーに富んだ素材を提供するYouTubeは、インターネット中で最も情報量の多いサイトのひとつとなった。プロモーション手段として、ラジオとMTVが消えて久しい現在、YouTubeは新しい才能を発掘するプラットフォームとなり、同サイトから大ブレイクしたアーティストたち(ザ・ウィークエンド、ジャスティン・ビーバー、カーリー・レイ・ジェプセン等)は現在も増え続けている。

Justin Bieber – Baby ft. Ludacris (Official Music Video)

 

3. 民主的になった才能発掘

それでも予算がなければ、YouTubeからも大ブレイクを果たすのは難しい。少なくとも、優れたビデオ・カメラと編集技術を手に入れるだけの予算は必要なのだ。そんな中、2010年代に音楽制作過程を民主化したのは、音源だけをアップするサービスのサウンドクラウドだった。これによって安価なレコーディング装置だけを持つ者でも、世界中のオーディエンスを相手にすることが可能になった。それどころか、サウンドクラウドのローテクな性質は、“サウンドクラウド・ラップ”として知られる、この文化貢献のひとつであるサブジャンルに見事にはまった。

多くのヒップホップとは異なり、サウンドクラウド・ラップのプロダクションは、音響効果やオート・チューン、そしてその奇異さで、歌詞を意図的に曖昧なものにしていた。このジャンルはスモークパープ、ポスト・マローン、今は亡きリル・ピープやXXXテンタシオンらのお陰で急速に普及し、その結果“マンブル・ラップ”などと揶揄されるウィズ・ カリファなどのスターが誕生した。とにかくR.E.M.の全盛期以来、最も成功を収めた音楽マンブリングといえる。

Post Malone – White Iverson

 

4. ヒップホップの支配

ヒップホップの誕生から40年近くが経つ2010年代は、ラップがロック・ミュージックの売上を越えた10年として知られる。しかし本当に衝撃的なのは、そうなるまでにこれだけ時間が掛かってしまったことだ。ヒップホップがロックの売上を追い越したのは、誰もがN.W.A.のアルバム『Straight Outta Compton』やパブリック・エネミーの『Fear Of A Black Planet』を買いに走った1990年前後でもなければ、ジェイ・Zナズ、そしてエミネムがラップ界の王者になった2000年代前半でもなかったのだ。

ニールセンの年末報告によると、大激変が実際に起きたのは、ヒップホップが年間TOP10アーティスト中8人を占めた2017年のことだった(残りの2人は、ヒップホップの影響も受けているポップ・アーティストのテイラー・スウィフトとエド・シーラン。ロック・アーティストのエントリーはなかった)。同年、グラミー賞年間最優秀アルバム賞にノミネートされた5作品中4作品と、年間最優秀レコード賞にノミネートされた全5作品が、ヒップホップ作品だった。

ここで補足説明を加えよう。R&Bとヒップホップの境界線は微妙であり、ニールセンのリストに名を連ねていたブルーノ・マーズとザ・ウィークエンドは、このどちら側にも入ることが出来る。また、ニールセンのチャートのトップを飾る2人のアーティストであるドレイクとケンドリック・ラマ―の重要性は、誰もが認めるところだろう。ドレイクは最もカリスマ性のある現役パフォーマーのひとりであり、ケンドリック・ラマーは2015年の『To Pimp A Butterfly』で興業的成功を収め、瞬く間に批評家達のお気に入りになって以来、今も絶好調だ。そしてヒップホップが2017年の終わりに際立っていたことは疑う余地はない一方で、カーディB、フューチャーやミーゴスもまたメジャー・ヒットを放った。

またこの10年の終盤には、ポスト・マローンが連続ヒット作を生み出していたが、何よりも爽快だったのは、初めてチャートのトップを飾ったボディ・ポジティブ(プラスサイズの体をありのままに愛そうというムーブメントに根ざした)でLGBTに優しいフェミニスト(そしてスリーター・キニーの元初代オープニング・アクト)のリゾの台頭である。

Kendrick Lamar – Alright

 

ヒップホップへのシフトは、聴く習慣が変わったことによるところも大きい。2017年はストリーミングが音楽消費の好ましい形態になり、オンライン・プラットフォームがヒップホップを支持した(もしくは、ヒップホップのオーディエンスがオンライン・プラットフォームを支持した)年でもある。『USAトゥデイ』によると、店頭で売れたアルバムの大半はロック作品だった。そしてアルバムを購入する人は減っている。実際、この年に売上が100万枚を超えたのは、エド・シーランの『÷ (Divide)』とテイラー・スウィフトの『Reputation』のたった2枚だけで、後者は200万枚を少し上回った。これは確かに大きな数字だが、ルイス・フォンシダディー・ヤンキーの「Despacito」のようなスマッシュ・シングルがはじき出した、13億回というストリーミング数ほどは大きくはない。

5. ポップのグローバル化

YouTubeの再生回数が65億を超える「Despacito」は2010年代を代表するビッグ・ヒットのひとつであり、ラテン・ミュージックのメインストリーム参入、という新たなトレンドを体現した。言うまでもなく、ラテン・ミュージックといっても、ここ数十年間ピアノ、トランペット、コンガが必ずしも入っていたわけではない。スペイン語によるポップといったら、今現在ではレゲトン&トラップであり、最も斬新なクロスオーヴァーは、そうしたサウンドをメインストリーム・ヒットに活用してきたラテン系プロデューサーが生み出している。

Luis Fonsi – Despacito ft. Daddy Yankee

 

流れを一気に変えたのは、バッド・バニーが2018年にアーティスト兼プロデューサーとして制作した3曲のヒット作、ファルーコとラシアンの「Krippy Kush」、カーディ・BとJ. バルヴィンの「I Like It」、そしてニオ・ガルシア、ダレル&キャスパー・マジコの「Te Bote」のリミックス・ヴァージョンだ。後者は2018年で最も視聴されたYouTubeビデオになった(現時点で20億再生)。そして、この年の『フォーブス』誌に掲載された記事によると、この曲によって情勢が変わり、ラテン・ミュージックがアメリカで5番目に人気のあるジャンルとなった(ヒップホップ、ポップ、ロック、そしてR&Bに続き。この後にはカントリー、EDM、そしてその他のジャンルが続く)。また2017年は、全米シングル・チャート入りしたスペイン語による曲の数が、史上最多を記録した年でもあった(厳密には17曲)。このトレンドは今後も続いていく。

6. 目覚ましい変貌を遂げたナッシュヴィル

カントリーとヒップホップ・ミュージックもまた、思いも寄らないパートナーとなった。カントリーは過去10年間で変化を遂げているが、これはそんな動きの中のひとつだ。2010年代初頭は、優雅なナッシュヴィル・カントリーの一人勝ちだったが、これがあまりにも普及していた為、ふたりのベテラン・カントリー・スターのジョージ・ストレイトとアラン・ジャクソンが、画期的なプロテスト・ソング「Murder On Music Row」でそのことを歌ったほどだった。もし彼等がカントリーを方向性を変えたいと思っていたなら、その願いは見事叶えられたことになる。

2019年で最も人気を博したカントリー・ソングは、リル・ナズXの「Old Town Road」(2019年、間違いなく最も耳にした曲)と、その続編に近いようなブランコ・ブラウンの「The Git Up」であり、どちらもヒップホップの影響を受けた曲である。この他話題になったのが、レディ・アンテベラムの「Ocean」(トゥワングよりもオート・チューンを多く使ったポップ・ソング)、そしてブレイク・シェルトンの最新ヒット曲「God’s Country」と「Hell Right」(これは昔のレナード・スキナードと言っても十分通用するだろう)だ。

ハンク・ウィリアムズがやらなかったことは確かだが、それでも、ネオトラディショナル・カントリーもまた再び人気上昇中だ。スタージル・シンプソンをこのジャンルに入れるには、あまりにも特異過ぎるアーティストだと思う人もいるかも知れないが、これに気を揉むこともなかったマール・ハガードは晩年、スタージル・シンプソンと意気投合した。

一方で、現代のカントリー・クイーンと言ったら間違いなくケイシー・マスグレイヴスになるだろう。大御所からも影響を受けている彼女は、ドリー・パートンとリー・アン・ウォーマックへの愛を隠すことなく、そこに現代的なプロダクションと社会的な姿勢が加えられている。これ全てをひとつにした結果、カントリー・ミュージックは自由参加型の音楽へと変化したのだ。カントリー界はいまだ難解かも知れないが、決して退屈なものではない。

Kacey Musgraves – Rainbow (Official Music Video)

 

7. 新たなるブリティッシュ・インヴェイジョン

2010年代はイギリス帝国の逆襲の10年でもあった。ブリティッシュ・インヴェイジョンが勢いを失ったことは一度もなく、90年代のレディオヘッドやオアシス、2000年代のエイミー・ワインハウス、コールドプレイ、アデル、そして引き続きのレディオヘッドと、1964年以来、イギリスのアーティストが国際舞台の最前線に登場しなかった時期はなかった。イギリスは着実に新鮮な補強部隊を10年ごとに送り込んでおり、2010年代の音楽への貢献度も例外ではなかった。

華やかなイギリス音楽も、少なくともザ・ストラッツが元気でいる限りは、決して死んではいない。一方で、もし現在のイギリスのスター達に共通するトレンドを挙げるとしたら、それは甘くエモーショナルな音色を持つ精巧に作られたポップなのではないだろうか。「Your Song」をあれほど心のこもった素朴なサウンドに仕上げられるのは、エルトン・ジョン以外にはいないと思うだろう。しかしエリー・ゴールディングがこれをやってのけ、エルトン同様に、同曲で世界的ブレイクを果たした。

イギリスの新星は更に2人いる。サム・スミスエミリー・サンデーは、音楽性は異なるかも知れない。サム・スミスは魅力的なモダンR&B/ポップ一色である一方で、サンデーはジャズとゴスペルに没頭している。しかし彼等にはひとつの共通点がある。どちらのアーティストも、傷ついた心を入り口にしていることだ。サム・スミスのデビュー・アルバム『In The Lonely Hour』とエミリー・サンデーの『Our Version Of Events』は、どちらも恋愛についての悩みを率直に語った作品だった。恐らく今では幾分気持ちが軽くなっているであろう2人には、今後より大きなものが期待できそうだ。エミリー・サンデーをアメリカへ連れて行き、彼女と現代版『Dusty In Memphis』を制作してくれるような経験豊かなプロデューサーを待ち望む。

Sam Smith – Stay With Me (Official Video)

 

しかし世界で頭角を現わしたエド・シーランを前に、全てが霞んでしまう。ある意味2010年代の全音楽トレンドを象徴する彼は、ヒップホップの影響を受けたポップ・アーティストであり、ストリーミング・サイトで成功を収めた人物であり、ボーイ・バンドの一員としても通用するほど若くてキュートなのだ。彼のデビュー・アルバム『+』は、20歳の誕生日の数ヶ月後にリリースされたが、エド・シーランはどの時代にも属さないように思えてならない。大成功を収めたシングル「The A Team」は、現代的なプロダクションに包まれたアコースティック・バラードで、70年代にイーグルスやジャクソン・ブラウンを世に送り出したデイヴィッド・ゲフィンのアサイラム・レーベルの再始動のきっかけを作った。実際に、もし「The A Team」のプロダクションを、例えばベースを下げてアコースティック・ギターを上げたりと、ほんの少し微調整するだけで、70年代でもヒットを記録していたかも知れない。

ソングライティング以外で、エド・シーランに関して最も印象的なことと言えば、彼がロック・スターダムのルールを書き換えたことかも知れない。彼は近所で一番カッコいい男の子ではなく、みんなと仲良くやっていける最高に良いヤツになりたいのだ。だからこそ最新アルバム『No.6 Collaborations Project』では、ずっとタフなイメージを持つアーティストたち(50セント、エミネム)とも、そこから音楽的に天と地ほども懸け離れているように思われるアーティストたち(クリス・ステイプルトン、チャンス・ザ・ラッパー)ともデュエットを果たしている。

そして、いういった集団の中でも、エド・シーランの控え目な魅力は伝わってくる。「Remember The Name」でエミネム&50セントと成功について豪語し合うエド・シーランは、ヨークシャー訛りを決して捨てることはない。一方で、彼はエルトン・ジョン(事実を受け入れよう、エルトンは今でも至るところに出没中)や、エド・シーランのおじいちゃんに間違えられるというジョークを飛ばすピーター・アッシャーら、大御所たちにも称賛されている。

8. ボーイズグループ/ガールズグループの再来

2010年代音楽の現象として、決して消えることがなかったのは、ボーイ・グループ/ガール・グループの台頭だ。元祖ともいえるグループ(ハンソン、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、バックストリート・ボーイズ)がいまだベテランとして健闘している一方で、典型的なモデル系ボーイ・バンドらもまた、2010年代に入ってからも活躍している。

新しい10年がスタートした頃、ジョナス・ブラザーズはまだ初期の成功を味わっていたが、その彼らもまた、2019年には再結成したベテランとして現在も活躍している。ジョナス・ブラザーズがデビューを果たした頃、イギリスはワン・ダイレクションを世に送り出した。史上最も成功したボーイ・バンドのひとつであるワン・ダイレクションは、時にはザ・ビートルズに勝るチャート史を誇る(彼等はデビュー・アルバムでイギリス・チャート初登場1位を記録したが、これはビートルズが成し遂げられなかったこと)。

One Direction – What Makes You Beautiful (Official Video)

 

しかし、2010年代音楽を本格的に決定づける要素は、アメリカやイギリスから来たものではなかった。K-POPの台頭により、ボーイ・バンドは真にグローバルな存在となり、最もビッグなグループは(現在これに当たるのはBTS)、世界中を踊りに夢中にさせた。K-POPがアメリカ・チャートに初登場したのは2009年のことで、BoAとワンダー・ガールズによって成し遂げられたが、彼らの侵略が本格的に始まったのはその3年後、PSYの「Gangnam Style」で現象を巻き起こした時だった(このクリエイターは30歳を超え、本来のK-POPのファン層からは完全に外れてはいたが…)。

PSY – GANGNAM STYLE(강남스타일) M/V

 

9. 世界制覇を成し遂げたK-POP

しかし「Gangnam Style」は、若いK-POPアーティスト達が世界制覇を成し遂げるための扉を開き、BTSに関して言えば、一致団結して努力をした結果、アメリカでのブレイクを実現させた。彼らは2014年にロサンゼルスで単独公演を重ねながら、徐々に評判を獲得。今から2年前に、入念に演出されたテレビ番組の出演や、ザ・チェインスモーカーズやニッキー・ミナージュをはじめ、アメリカのヒップホップ、EDMアーティストたちとのコラボレーションため再びアメリカに戻ったのだ。

BTS (방탄소년단) 'IDOL (Feat. Nicki Minaj)' Official MV

 

彼らの女性版に最も近い存在といったら、同時期に世界で大成功を収め始めたRed Velvetだろう。K-POP界ではユニークな存在のRed Velvetは、若くポップな“レッド”な一面と、洗練された“ヴェルヴェット”のような二つの個性を誇る。後者にK-POP界の社会意識の新境地を開く意図も含まれていた。最近フロントウーマンのアイリーンは、韓国の家父長制社会を非難し、メディアに大きく取り上げられている。この行動により彼女は故郷でトラブルに巻き込まれたが、世界中のファンの間では頼もしい手本となる地位を築いた。

しかしこの10年で最も成功したクロスオーヴァーと言えば、世界を熱狂させている新人グループのブラックピンクだろう。わずか3年で、この4人組は2019年のコーチェラ・フェスティバルへの出場枠を手にし、「Kill This Love」のYouTube再生回数は10億回を突破し、全米シングル・チャートではK-POPのガール・グループの史上最高位を獲得し、不可能だと思われていた世界侵略を果たしているのだ。印象的な偉業を成し遂げた彼女達の人気は、留まるところを知らない。

BLACKPINK – 'Kill This Love' M/V

 

こうして振り返ってみると、2010年代の音楽は音楽的大改革と驚きに満ちていた。そして2029年にこれを再びこの記事を書くことになった場合、おそらくこの状況はより一層大きな変化を遂げていることだろう。

Written By Brett Milano



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