10代のジャネット・ジャクソン、初来日時のインタビューを思い返して

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Photo: Michael Putland/Getty Images

ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第62回。

今回は2022年8月24日に発売となる日本限定のベスト・アルバム『JANET JACKSON Japanese Singles Collection』の発売を記念して、10代の頃のジャネットとのインタビューの想い出を振り返っていただきました。

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8月24日、ジャネット・ジャクソン『ジャパニーズ・シングル・コレクションーグレイテスト・ヒッツ』が発売になります。今年はファースト・アルバム『Janet Jackson』発売から40年ということで、このジャパン・ベストには、デビュー曲「Young Love」から、数々のヒット曲を網羅した全38曲、MV全44曲が収録される豪華盤です。

アルバムのリリースに先駆けて、先日ヒストリー・チャンネルで初公開されたジャネット・ジャクソンのドキュメンタリー『ジャネット・ジャクソン〜私の全て』はご覧になりましたか? とても見応えのある内容で、何度もリピートして見てしまいました。

 

ジャネットのドキュメンタリー

ジャクソン・ファミリーがインディアナ州ゲーリーに住んでいた頃の貴重な映像があれほど残っているとは…。ジャクソン5として兄たちがデビューした姿をジャネット目線で語る真実や、ジャネットがシンガー・デビューを望まなかった事実、そこから見つけた自分自身のあるべき姿、そして私生活の真実、スーパーボウル・ハーフタイムショーのことなど、ジャネットの言葉で綴られ、これぞドキュメンタリーと言える内容でした。

特に、ザ・タイムのジミー・ジャム、テリー・ルイスをプロデューサーに迎え、ついに彼女が望んだサウンドでトップの座についたアルバム『Control』で成功を得る前の時代は、とても興味深い内容でした。彼女にとってはミュージシャンとして不遇の時代だったかもしれません。そこには、ジャクソン家の“Baby Sister”の苦悩などが綴られ、ゴシップに対することも、ジャネットは言葉を丁寧に選びながら真実を話しています。

私がジャネットにインタビューをしたのは、まさにその時代でした。ジャネットがシャイ・ガールであることは、よく知られていることですが、私の彼女に対する印象も、ハニカミ屋な女の子。映像の中では、そんなシャイな面を持つ彼女と、実は大胆な面をも持ち、子供の頃からその二つが共存していることがわかります。

お父さんの厳しい指導のもと、毎日練習する兄たちの姿をスタジオの隅で見ていた女の子にとって、エンターテイメントの世界は、生活の中に自然と入り込んでいました。だからこそ、ジャクソン5のラスベガス公演に呼ばれ、ステージ・デビューを飾ったその姿は、堂々としたもので、茶目っ気溢れる可愛らしい女の子は、すぐに公演のマスコットガールになったのです。

その後、TVドラマシリーズ「Good Times」に出演し、女優としての才能も開花。誰よりも、父親の大きな期待を背負った彼女は、ついにソロ・シンガーとしてデビューします。

その時の彼女は、大学生活を夢見る子。エンターテイメントの世界が身近なものだった彼女にとって、普通の女の子としての生活は憧れであったのかもしれません。父親に背くことができず、流れのままにデビュー。のちに、彼女が独立という道に進むために結婚を選んだことは衝撃的な事実でした。

デビュー・アルバム『Janet Jackson』、セカンド・アルバム『Dream Street』は、ジャネットのかわいらしさを押し出したポップ・アルバムとして仕上げられました。完全な父親のプロデュースでした。

初来日でのインタビュー

この時期に、ジャネットはプロモーションで初来日したのです。お披露目パーティーも開催された記憶があります。このドキュメンタリーを見て、私が会った頃のジャネットは、父親の言われた通りの道を進み、でも独立したくて、ジェームズ・デバージと極秘結婚することを選ぼうとしていた頃だったんだな〜と。その後大人気ドラマシリーズ『フェーム 青春の旅立ち』のシーズン4も父親の勧めで渋々出演。つまり、自分の方向性が見えない時期だったのです。

来日インタビューでは、アルバムの内容についての質問が制限されていたのをふと思い出しました。それは彼女が答えられる言葉がなかったからなんだ、と今ようやくわかりました。でも、音楽以外の大好きな動物の話、ペットの犬の話になると、あの可愛らしい笑顔をいっぱい見せてくれて、当時私の家で飼っていた老犬の狆の写真を見せると、珍しい日本種の犬に興味津々で、老犬は心配が尽きないというジャネットの体験談を教えてくれました。

当時から、か細い声で、ゆっくりと優しい口調で話すジャネット。ドキュメンタリーでも、その口調は変わりません。でも映像から知る事実は、結局父親のマネージメントを離れ、自分の音楽を追求していたく姿が描かれ、ジャクソン家の中で誰よりも、タフで、強い存在だったとわかります。

『Control』で大ブレイクしたのは1986年、あの可愛らしいデビューで迷いを生じてから、たった4年で大変貌を遂げたのです。ドキュメンタリーは、その後に襲うさまざまな出来事も大胆に語られていきます。そして、マイケル亡き後、Baby Sisterがジャクソン・ファミリーの絆を強固にしていく存在であることがわかります。

最近では、さまざまなドキュメンタリーが公開されていますが、この『ジャネット・ジャクソン〜私の全て』は、素晴らしい作品であることは間違いありません。多くの人に見て欲しい作品です。ジャネットの、ジャクソン・ファミリーの全てを知ることができ、70年代、80年代の音楽シーンが、ファミリーの音楽を通じて体験できる、そんな内容になっています。

Written By 今泉圭姫子



ジャネット・ジャクソン『JANET JACKSON Japanese Singles Collection
2022年8月24日発売
CD購入
2SHM-CD+1DVD(CD全38曲/DVD全44曲収録)



今泉圭姫子のThrow Back to the Future』 バックナンバー


今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)

ラジオDJ、音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。

HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」

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