ポール・ウェラー、1980年の初来日や83年英国でのインタビューなどを振り返って【今泉圭姫子連載】

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ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第37回。今回は7月にソロ15枚目のニュー・アルバム『On Sunset』を発売するポール・ウェラー(Paul Weller)について。彼の新作や、彼との思い出を振り返りながら執筆していただきました(これまでのコラム一覧はこちらから)

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ポール・ウェラーの新作アルバム『On Sunset』が7月に発売になります。彼にとって15枚目にあたるソロ名義の作品には、旧友ミック・タルボットが3曲参加し、今回もかわいい後輩ザ・ストライプスの(解散したから元ザ・ストライプスかな)ジョシュもギターを弾き、元スレイドのジム・リーもヴァイオリンで参加しています。

ピアノのイントロから始まるオープニング曲「Mirror Ball」を聴き、ポールはまた何か新しい音に目覚めたのかなと思わせる驚きの1曲と出会いました。映画のワン・シーンを想像させる、そんなサウンドと歌声で幕は開けられます。アルバム全体は、ポール・ウェラーの世界観でもあるソウルフルなスピリットをベースにしながらも、エレクトリックな要素、オーケストラなテイストを入れた、ハートフルな作品に仕上げられました。「More」ではお気に入りのフランスの女性シンガー、ジュリー・グロを迎えてムーディーな曲を、「Earth Beat」ではアメリカのティーンエイジャーCol3traneをフィーチャー。これまでにも女性シンガーを自分のサウンドに乗せるのがとても上手い彼らしいセンス溢れるデュエットが実現されています。

 

ポール・ウェラーに初めてインタビューしたのは、1980年にザ・ジャムとしての初来日の時でした(写真が残っていないのが残念)。その頃、トンガリまくっているアーティストにインタビューするのは、一つの挑戦であり、私をやる気満々にさせてくれたものです(今はビビります)。ジャムのインタビューもそんなアーティストの中の一組でした。リック・バックラーがかなり良い人キャラだったので、助けられたということもありますが、ポールは予想通りニコリともしない、突っ張った青年でした。

本国イギリスで大ブレイクを果たし、デビュー当時のモッズ・リバイバルを超えて、国民的バンドとなったザ・ジャム。その成功の要因のひとつは、ポール自身による音楽テイストによるものが大きかったと言えます。バンド結成前から影響を受けてきたモータウン・サウンドや、その後もファンク、ブラック・ミュージックへの関心を深め、ザ・ジャムのサウンドにそういったエッセンスを織り込んでいくことにより、「Going Underground」「Town Called Malice」「Beat Surrender」などのナンバー・ワン・ヒットが生まれました。結局、バンドは、方向性のズレにより解散へと向かって行ったのです。1982年12月、「Beat Surrender」がナンバーワンになり、その地位を音楽シーンに確立させたと思った矢先に、ジャムは8年間の活動を終わらせました。

 

ザ・ジャムが幕を閉じるという正式発表は、音楽誌がオフィシャルよりも先に発表したという事実があります。当時私は、レコード・ミラーの副編集長ロザリン・ラッセルから、ラジオ番組「全英トップ20」のために、毎週UKチャートを電話で伝えてもらっていました。ネットのない時代でしたが、それなりの情報は毎週の電話からキャッチすることができたのです。ザ・ジャム解散時のことはあまり覚えていないのですが(といつもの忘れちゃった事件)、当時のリスナーで、現在ラジオ番組などの構成作家でもある矢野純子さんに話を聞くと、番組でザ・ジャムの解散についての声明文が読まれ、ショックを隠しきれなかったと話してくれました(そんなことをしたのね!)。1980年の初来日から、1981年、1982年と3年連続でジャパン・ツアーが行われ、1982年の年末にビッグヒットが生まれ、また新たなページが開かれると誰もが思っていた時のことでした。

解散発表の翌年5月、私はロンドンでポール・ウェラーにインタビューをしました。ちょうど新しいグループ、スタイル・カウンシルとして活動を再開し、デビュー曲「Speak Like A Child」をリリースした時…だったと思います(自分の記憶ではリリース前だったと思っていたのですが、どう考えても後だなと判断)。場所は、ロンドンのソリッド・ボンド・スタジオ。ポールのレコーディング・スタジオです。事務所兼スタジオでした。当時の現地でのインタビューはかなりラフで、こんなことできたんだ〜、といったことがいっぱいありました。例えば、トム・ロビンソンのインタビューではロンドン西地区のトムのフラットでのインタビュー。柔道をやっていたトムの柔道着にリクエストされた漢字をマジックで書いた覚えがあります。ある時は、トーマス・ドルビーのお宅でのインタビュー。意外にも彼は日本の生活様式が好きだったようで、ベッドではなくFutonなんだと自慢してくれました。

ソリッド・ボンド・スタジオには、朝8時頃集合。早朝のインタビューなんて初めてだったので、いくら時差ぼけがあったとしてもぼーっとしてしまいます。ポールにとってはレコーディングを夜通しやって、さあこれから寝るよって感覚だったのかと思います。それにしてもレコーディング中だなんて、今では恐ろしくてインタビューなんて出来ません。スタジオに伺うと、入り口でポールのお父さんであり、マネージャーのジョン・ウェラーさんが迎えにきてくれました。愛想の良いジョンは、「今呼んでくるから待っててね」と言い、スタジオのキッチンに通されました。座って待っていると、ポールが現れ、イギリスの薄い食パンをトースターで焼いたもの10枚ぐらいが積み上げられたお皿をもって登場しました。「食べる?」と言われ、「1枚サンキュー!」と。そして紅茶も入れていただきました。

ソリッド・ボンド・スタジオにて!ジョン・ウェラーに撮っていただきました

ザ・ジャム時代に日本で会った時の印象は、ピリピリ感でいっぱいでしたが、この日のポールは、解散後であったにもかかわらず、そして次なるプロジェクトのレコーディング中でもあったのに、ものすごくリラックスしていて、その雰囲気から、今日はなんでも聞けそう、と確信させてくれました。髪型が変わっていたことには驚きでしたが…。この頃の現地取材は、かなり自由だったなと思うのです。

まずはジャム解散のきっかけについて聞いてみました。ポールはトーストを食べながら、「ジャムとしてやれるべきことはすべてやったよ。もうやり尽くした。あとは新しい興味に向かって進んでいきたい。これが理由だよ」と嫌な顔もせず、素直に答えてくれました。そして大好きなブラック・ミュージックのことなどを熱く語ってくれました。

ジャムの本に気軽にサインしていただきました

そして「Speak Like A Child」でフィーチャーされた女性シンガー、トレイシーも紹介していただき、その場でインタビューをすることにもなり、彼女は憧れの人ポールからのお誘いがとても嬉しかったと話していました。スタイル・カウンシルは、ポールとミック・タルボットのグループですが、以前モッズ・リバイバルの時にロンドンでマートン・パーカスにインタビューしたことがありました。そのミックがマートン・パーカスのメンバーであったことをあとで思い出し、写真を探しまくって出てきたのがこれです。それ以来大切に保管しています。

マートン・パーカス

その後スタイル・カウンシルは、おしゃれムーヴメント、カフェ・ブームに乗って数々のヒットを飛ばしました。今ではザ・ジャムは通っていなくても、スタカンでポール・ウェラーの音楽が好きになったという人たちにも出会えるぐらいです。『Café Bleu』(1984年、全英アルバム2位)、1985年に全英ナンバーワンに輝いた『Our Favourite Shop』や『The Cost of Loving』(1987年、全英アルバム2位)とアルバムは連続して大ヒット!

この時代は、多くのイギリスのグループがMTVの影響からブリティッシュ・インヴェージョンとして、アメリカで成功を収めましたが、スタカンのアメリカでのチャートアクションは、「My Ever Changing Moods」が29位、「You’re The Best Thing」が76位どまりでした。ザ・ジャムに終止符を打つことを父親に告げた時に、マネージャーでもあるジョンは、マジソン・スクエア・ガーデンに立つまでのバンドにしたいという思いがあったようですが、息子の音楽的な独り立ちを応援する側にまわったという話をオフィシャルブックで読んだことがあります。きっとポールにとっては、ブームに乗ったアメリカでの成功よりも、どんな音楽に夢中になって、それを自分の音としてどう表現していくかが、何よりも興味あることだったのでしょう。

スタカン 1987年来日公演時

振り返れば、ポール・ウェラーというアーティストは、常に挑戦の人なのだと言えます。その場の安定を求めず、音楽面でのチャレンジが彼の欲を掻き立てていく。そんな人です。2006年にはBritアワードの功労賞に輝き、Qマガジンが選出した歴史上もっとも偉大なシンガー100人にも選ばれています。そしてポールが作った大きな記録のひとつに、ザ・ジャムとして、スタイル・カウンシルとして、そしてソロとして、3つの名義でアルバムがUKの1位に輝いたアーティスト、というすごい快挙も成し遂げました。ポールがブリティッシュ・ミュージック・シーンの中で、常にチャレンジしてきた姿勢が実を結んだ結果だといえます。その挑戦が続く限り、これからも多くの人たちの心を動かす音楽を、ポール・ウェラーは作品として残していくことでしょう。

2008年にサマーソニックで来日した時に、久しぶりにお会いしました。暑い中、環境が悪いホスピタリティエリアでの取材は、彼にとってはあまりない経験だったのか、ちょっと笑顔は消えていましたが、ソロとしても成功したUKが誇るアーティストとの再会は、暑さを超える熱い思いにあふれました。

サマソニにて

その後、縁あって、息子のナット・ウェラーと仕事をする機会がありました。彼の母親は、シンガーのD.C.Leeです。日本語がベラベラなナット。実は子どもの頃お父さんと一緒に来日した時に、ファンからもらったポケモンに夢中になり、日本のアニメ文化に触れ、その後短期で語学留学も果たし、美しい日本語を話す青年になったのです。デビュー・アルバム『It Begins』の中のシングル「Burning In The Light」には、ポールのギターがフィーチャーされています。これがポールのギターだって、すぐにわかります。ポップな音に乗るポールのギターは今まであまり聴いたことがなかったので新鮮です。息子のことが気になるのでしょうね。そんなナットにお父さんのことを聞くと「タバコを吸い過ぎるから、心配なんだよね」と。ナットはモデルでもあるので体についてはストイックで、しっかり管理をしている人。それだけに心配なのでしょう。お互いをさりげなく思いやる良い関係です。ポールは今では息子の思いを受けて、タバコはやめているのでしょうか?

ナット・ウェラーと

Written By 今泉圭姫子



ポール・ウェラー『On Sunset』
2020年7月3日 発売
CD / iTunes / Apple Music




今泉圭姫子のThrow Back to the Future』 バックナンバー


今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)

ラジオDJ、音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。

HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」

 

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