デレク・アンド・ザ・ドミノスを共同創設メンバー、ボビー・ウィットロック逝去。その功績を辿る

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Cover: Courtesy of Polydor Records

メンフィス出身のシンガー・ソングライター兼キーボーディストで、エリック・クラプトンと共にデレク・アンド・ザ・ドミノスを共同結成し、1960〜70年代に数々の名盤に名を連ねたボビー・ウィットロック(Bobby Whitlock)が77歳で逝去した。マネージャーのキャロル・ケイによると、彼は短い癌との闘病の末、現地時間8月10日未明にテキサスの自宅で静かに息を引き取ったという。

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ボビー・ウィットロックは、1970年代初頭にエリック・クラプトンやデュアン・オールマンらとともに活動したデレク・アンド・ザ・ドミノスのメンバーとして最もよく知られている。同バンド唯一のアルバム『Layla and Other Assorted Love Songs』(1970年)からは、7分に及ぶ壮大な「Layla」や、彼が作詞とヴォーカルを務めた「Bell Bottom Blues」など、今なお愛される楽曲が生まれた。しかし、彼の音楽的足跡はそれにとどまらない。

1960年代後半、メンフィスの音楽シーンで活動を始め、スタックス・レコードと契約した初の白人アーティストとなったボビー・ウィットロックは、サム&デイヴやブッカーT&ザ・MG’sといったR&B界の大御所たちと共演しながら腕を磨き、1969年にはデラニー&ボニーに加わり、ロサンゼルスを拠点とするオールスター・ロック&ソウル・グループ、デラニー&ボニー&フレンズのメンバーとしてアルバム『Home』と『Accept No Substitute』でキーボードとヴォーカルを担当した。

彼は、デラニー&ボニーでの活動を通じて、同グループに在籍していたエリック・クラプトンと出会い、これが後のデレク・アンド・ザ・ドミノスの結成へと繋がった。結成前には、他のメンバーとともにクラプトンの1970年のセルフタイトル・アルバムでバックバンドを務めている。さらに、この人脈を通じてジョージ・ハリスンとも繋がり、ザ・ビートルズ解散後のソロ・デビュー作『All Things Must Pass』(1970年、3枚組)のレコーディングにも参加している。

ボビー・ウィットロックは、その後もドクター・ジョン、ドリス・トロイ、ジョン・サイモン、マナサスなどのアルバムに参加し、ザ・ローリング・ストーンズの1972年の傑作『Exile on Main Street』にもクレジットなしで演奏を残している。デレク・アンド・ザ・ドミノス解散後、ソロ活動を開始した彼は、1972年に『Bobby Whitlock』『Raw Velvet』という2作のアルバムを立て続けに発表。さらに1975年に『One of a Kind』、1976年に『Rock Your Sox Off』をリリースしたが、その後は音楽業界から距離を置いた。

1980〜90年代の大半、ボビーはミシシッピ州の農場で暮らし、子育てのかたわら時折セッションに参加する程度の活動にとどまっていたが、1999年、意味深なタイトルの『It’s About Time』で復帰を果たし、音楽活動を再開。2003年には、後の2005年に結婚することになるココ・カーメルと共に『Other Assorted Love Songs, Live from Whitney Chapel』をリリースし、その後10年にわたりライヴやスタジオ作品を精力的に発表した。

Written By Sam Armstrong




デレク・アンド・ドミノス『Layla And Other Assorted Love Songs』
1970年11月9日発売
CDiTunes / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music


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