アイリッシュ・ミュージシャンによる素晴らしい楽曲ベスト11曲

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Photo: Lex van Rossen/MAI/Redferns

フォークロアに包まれた、誇り高き情熱的な国アイルランドは、動乱の歴史を生き、しばしば激しい弾圧に耐えてきた。それでもこの国は聖者や学者の土地として広く知られている為、アイルランド人が優れた曲を世に送り出す力に秀でていたのは、決して驚くべきことではない。

さあセント・パトリックス・デー(3月17日)を祝うに当たり、アイリッシュ・ロックから誕生した最も心に響く曲11選を楽しみながら、この抑えがたい炎のようなケルティック・スピリットに乾杯しよう。

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1. ヴァン・モリソン「Cyprus Avenue」(1968年『Astral Weeks』より)

ヴァン・モリソンの2枚目ソロ・アルバム『Astral Weeks』の中核を成す「Cyprus Avenue」は、ヴァン・モリソンのホームタウンのベルファストに実在する道に関しての激しい7分に渡るブルース、ジャズ、フォークが融合された楽曲。

この曲を生んだアルバムは、後にさまざまなアーティストに影響を与え、ブルース・スプリングスティーンやエルヴィス・コステロ等が多様性の基準となる作品として挙げている。

2. ロリー・ギャラガー「Tattoo’d Lady」(1974年『Irish Tour ‘74』より)

紛争に引き裂かれた70年代の北アイルランドを避けていた多くのミュージシャンとは異なり、ベルファスト生まれコーク育ちのブルース・ロックの先駆者、ロリー・ギャラガーは、ツアーのたび北アイルランドで必ずプレイした。その彼の様子を最も良く捕らえているのは間違いなく、非常に魅力的な「Tattoo’d Lady」が呼び物の見事な2枚組ライヴ・アルバム『Irish Tour ’74』だ。

 

3. シン・リジィ「The Boys Are Back In Town」(1976年『Jailbreak(脱獄)』より)

カリスマ的人物フィル・ライノット率いるダブリンの重鎮シン・リジィは、トラディショナル・アイリッシュ・バラード「Whiskey In The Jar」のファンキーなカヴァーが1973年にイギリス・トップ10入りを果たし、世界的存在になる勢いを見せた。

最終的にアメリカ・トップ20入りしたのは、彼等の名高いヒット曲「The Boys Are Back In Town」だった。フィル・ライノットらしい威勢の良さと、リード・ギターの2人スコット・ゴーハム&ブライアン・ロバートソンのスリリングな相互作用に溢れた永遠のハードロック・アンセムだ。

 

4. アンダートーンズ「Teenage Kicks」(1979年『The Undertones』より)

アンダートーンズと言えばジョン・ピール、と思われ続けてきた、なぜならば、彼らのファースト・シングル「Teenage Kicks」を1978年9月に初めて聴いたこのBBCラジオ1のDJだったジョン・ピールは、嬉し涙を流したと伝えられていからだ。

パンクのニヒリズムからは外れているものの、この愉快で、恋に悩む者のパンク・ポップ・アンセムは、デリー出身の5人組をシーモア・スタインのサイアー・レコードとの契約に漕ぎつけさせた。その後も「Jimmy Jimmy」や「My Perfect Cousin」等の名シングルを発表し続けた。

 

5. ブームタウン・ラッツ「Banana Republic」(1981年『Mondo Bongo』より)

ブームタウン・ラッツの代表的ヒット作は今でも1978年11月イギリス・チャートのトップを飾った「Rat Trap」だが、ダン・レアリー出身のニュー・ウェイヴァー達の最も知られていない楽曲は、歯に衣着せぬフロントマンのボブ・ゲルドフがアイルランドの政治腐敗に対し痛烈な非難を放った、感染し易いレゲエ・スカ風味の「Banana Republic」だ。

曲はその内容にも拘らず、イギリスで自己最高位となる3位を記録し、シルバー・ディスクを獲得した。

 

6. クラナド「Theme From Harry’s Game」(1983年『Magical Ring』より)

人里離れた美しいドニゴール州グウィードア出身のクラナドの長いキャリアは50年にも渡り、そのとらえどころのない女神は、トラディショナル・フォーク、ジャズ、ポップ、アンビエント・ミュージック等の要素を吸収している。

今でもその代表曲と言えば極めて優美な「Theme From Harry’s Game」だ。元々ヨークシャーのTVシリーズ『Harry’s Game』で使用されたこの曲は、現在もなお全編アイルランド語で歌唱されイギリス・トップ10を果たした唯一の楽曲だ。

 

7. U2「With Or Without You」(1987年『The Joshua Tree』より)

ローリング・ストーン誌が簡潔に伝えている通り、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワがプロデュースした5枚目のアルバム『The Joshua Tree』で、ダブリン出身の4人組U2は“ヒーローからスーパースター”になった。

この記念碑的レコードからリリースされた美しくも心痛むようなファースト・シングルは、全米シングル・チャートで3週1位に輝き、『The Joshua Tree』の2500万枚を超える世界セールスに貢献した。

 

8. アスラン「This Is」(1988年『Feel No Shame』より)

何年経っても色褪せない「This Is」等気骨のあるアンセム満載のアスラン・デビュー作『Feel No Shame』は、アイルランドでゴールド・ディスクを獲得し、ダブリンの同胞U2の後に続く用意が出来ているように見えた。

悲しいかな、個人的な問題に見舞われた彼等だが、アスランは生き延び国内外で熱狂的なファン層を維持し続けた。U2自身もその中のひとりで、グループに敬意を表し「This Is」の印象的なカヴァーをレコーディングした。

 

9. マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン「Feed Me With Your Kiss」(1988年『Isn’t Anything』より)

音楽のテロリスト集団ジーザス&メリー・チェインに近い、元祖シューゲイザーのダブリン出身4人組マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは、美味しいポップ・メロディーと光彩放つホワイト・ノイズを見事に結合させた。80年代後半最も画期的なグループのひとつである彼等の二度のピークは、今もなおデビュー作『Isn’t Anything』と1991年の衝撃的な『Loveless』だ。

当時から見守ってきた者なら『Isn’t Anything』が突出しており、中でも「Feed Me With Your Kiss」はいつもライヴで圧倒的に素晴らしかったと断言するだろう。

 

10. クランベリーズ「Zombie」(1994年『No Need To Argue』より)

リムリック出身の4人組クランベリーズのセカンド・アルバム『No Need To Argue』は、画期的デビュー作『Everybody’s Doing It, So Why Can’t We?』に比べ遥かに暗い雰囲気の作品だが、それでも世界中で1,700万という物凄い枚数を売り上げた。

その中で最も感動的な瞬間は、今でも間違いなく「Zombie」だろう。ドロレス・オリオーダンの哀しげなで苦悩に満ちたヴォーカルに突き動かされる、難解で、内容の濃い、IRA関連のプロテスト・ソングだ。

 

11. セラピー?「Nowhere」(1994年『Troublegum』より)

セラピー?をメインストリームへと押し上げた4枚目のアルバム『Troublegum』は、勤勉な北アイルランド出身のバンドに誉れ高いマーキュリー・ミュージック・プライズをもたらした。

メタルと苦悩に満ちたオルタナティヴ・ロック、そして燃えるようなパンク・ポップを巧みに行き来する同アルバムは、最終的に100万枚以上を売り上げ、威勢の良い「Nowhere」等、イギリス・トップ30ヒットを3枚生んだ。

Written By Tim Peacock


U2『Songs Of Surrender』
2023年3月17日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music


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