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“無名だった”1955年のマイルス・デイヴィスと、2回のセッションを収録した傑作『Relaxin’ With The Miles Davis Quintet』

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30歳のマイルス・デイヴィスはその独特のハスキーな声でプロデューサーのボブ・ワインストックにこう言った「とりあえず先に演奏してから。曲名は後で言うぞ」。そして指を鳴らしながらバンドに向かってテンポを伝え、バンドは1950年のミュージカル『ガイズ&ドールズ』の為に書かれたフランク・レッサー作の「If I Were A Bell」を演奏し始めた。この曲はマイルスの最も愛されるアルバムのひとつ『Relaxin’ With The Miles Davis Quintet』のオープニングの曲となった。しかしアルバムはレコーディングから2年経った1958年3月までリリースされることはなかった。

話の全体を把握するには、1955年の夏まで遡る必要がある。マイルス・デイヴィスと1951年以降マイルスの数枚の作品を発売していたボブ・ワインストックのインディーレーベル、プレスティッジは、ジャズプロモーターのジョージ・ウェインが立ち上げたニューポート・ジャズ・フェスティヴァルの第2回目に出演するためにセロニアス・モンクとジェリー・マリガンとオールスター・バンドを結成した。当時アメリカのモダン・ジャズ・シーンの重要人物だったマイルスだったが、まだその頃は現在我々が知る崇拝される伝説的人物ではなかった。自伝『マイルス・デイビス自叙伝』で本人はこう書いている。「当時のクラブでの俺の知名度はまだまだ低くて、評論家たちの多くは俺のことを、“麻薬をやってるジャンキー”だと思ってたようだ。当時は全くの無名だったが、1955年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演してからそれは変わった」。

確かにそうだった。ミュート(弱音器)を使用したバラードで観客を魅了したニューポートでのセンセーショナルなパフォーマンスは、真のジャズ・スター、そして誰もが知る有名人の誕生でもあった。コロムビアのプロデューサー、ジョージ・アバキャンはマイルスのパフォーマンスを見てすぐに彼と契約を結ぶことを望んだ。しかしそこには問題がひとつあった。それはマイルスがプレスティッジと契約を結んでおり、まだ1年の期間が残っていたことだ。アバキャンはマイルスの契約権利を買い取ることをワインストックと交渉し、マイルスはコロムビアと契約することになったが、プレスティッジとの契約期間が終了するまでは作品を発売しないという条件が結ばれた。餞別としてマイルスはワインストックにアルバム4枚分の楽曲を残した。

Miles Davis – George Wein discusses Miles Davis and the Newport Festival (Digital Video)

 

その頃までに、アバキャンとワインストックに促されて、マイルスは初めての正式なバンドを結成した。クインテットのメンバーには、当時比較的まだ無名だったフィラデルフィア出身のテナー・サックス奏者ジョン・コルトレーン、ピアニストのレッド・ガーランド、ベーシストのポール・チェンバース、そしてドラマーのフィリー・ジョー・ジョーンズが迎えられた。ニューヨークに新しくオープンしたばかりのカフェ・ボヘミアにてレギュラーで演奏することが決まり、自分たちの楽曲に磨きをかけていった。プレスティッジのためにレコーディング・エンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーが所有する評判の高いニュージャージー州のスタジオにて、1956年の5月と10月に2回のスタジオ・セッションが行われ、マイルスが餞別としてプレスティッジに残した4枚のアルバム『Workin’』『Steamin’』『Relaxin’』そして『Cookin’』のレコーディングが終了した。

その中で2番目に発売された『Relaxin’』は、5月と10月のレコーディング・セッションからの曲が収録された間違いなく最良のアルバムである。最初は控えめに始まり、レッド・ガーランドの繊細なピアノが奏でられ、少しだけスウィンギーな「If I Were A Bell」が始まる。マイルスはミュートを使い、その音色は軽くて空気のようであるが、その下には、ポール・チェンバースの快活なベースとフィリー・ジョー・ジョーンズの推進力のあるドラムに助長され、グルーヴが上手く存在する。コルトレーンのサックスが入ることによって曲に熱と激しさが増し、ソロ演奏を通じて素晴らしい新しい才能が誕生したことが記録されている。

次に続くバラード「You’re My Everything」はレッド・ガーランドの趣味の良いブロック・コードで始まり、マイルスは再びミュートを使用することによって辛辣さを少しだけ加えて音色というリリックを奏でる。

プレステージオフィスの外にいるマイルス・デイヴィス。Photo: Esmond Edwards

ボクシングの世界チャンプ、シュガー・レイ・ロビンソンとリングに立ったことのある元ボクサーでテキサス州出身のピアニスト、レッド・ガーランドは、非常に繊細なタッチでロジャース&ハート作のスウィンギーな「I Could Write A Book」のイントロを弾く。それと対比して、コルトレーンのタフなソロは、安定していて力強く、ソニー・ロリンズ作のアップテンポの「Oleo」を明るく仕上げている。「Oleo」はハード・バップのファンから人気の高い楽曲で、マイルスとコルトレーンはイントロでユニゾンを披露し、それから勢い良く即興演奏が始まる。

エネルギッシュな「Oleo」の後にはクールな雰囲気へと変わり、ジミー・ヴァン・ヒューゼンとジョニー・バーク作の穏やかな「It Could Happen To You」でもマイルスはミュートを使用している。彼のソロはシンプルだが鮮やかで、コルトレーンは静かに音色を奏でるが、後に音が雪崩のように流れ出す。全く異なるスタイルで演奏する2人のミュージシャンのこの曲での対比は印象的で、反対のもの同士は引き合うという古い格言を証明している。

アルバムの最終トラックは、ディジー・ガレスピー作の傑作ビバップ・トラック「Woody’n You」で、再びアルバムのペースを上げていく。いつものようにマイルスが先にソロを披露し、続いてコルトレーンの順の後に、少しだけ再びマイルスが演奏すると、ジョーンズのドラム・ソロ、そしてラテン・スタイルのコーダへと続いて曲は終わる。

それは素晴らしい作品に相応しい印象的な終わり方だ。最初に発売されてから60年が経った今『Relaxin’ With The Miles Davis Quintet』を聴くと、なぜマイルスのバンドが当時“ファースト・グレイト・クインテット”と呼ばれたのが理解できる。集合でも個々でも、彼らは熱かった。そしてリーダーと団結していた。しかし『Relaxin’ With The Miles Davis Quintet』が1958年3月に店頭に並ぶ頃にはマイルスは移籍してコロムビアのアーティストになっていた。

マイルスはノスタルジックな人ではなかったので、過去を振り返ることは殆どなかった。しかし、プレスティッジから発売された最後の作品群は明らかに愛情を込めて「あの2回のセッションで作った音楽は素晴らしかった。今でも誇りに思っている」と、この世を去る3年前の1989年に書いている。

Written By Charles Waring


『Relaxin’ With The Miles Davis Quintet』



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