Join us

Playlists

史上最高のトランペッターTOP50(試聴/動画あり)

Published on

トランペットとサックスはジャズの発展にとって不可欠であることは明らかであり、その二つの楽器の中でトランペットはより重要であることも間違いない。なぜならジャズのすべては一人の男の存在へと通じるからだ。彼の名前はルイ・アームストロング。史上最高のジャズ・トランペット奏者の一人であるだけではなく、ルイ・アームストロングは最高の即興演奏者であり、その革新は今存在するジャズへと進化していった。マイルス・デイヴィスは過去にこう話している。「モダン・トランペットはひとつ残らずすべて彼へつながっている」。

歴史を振り返るとルイ・アームストロングは最初に有名になったジャズ・トランペット奏者ではない。彼の前にはバディ・ボールデン、バンク・ジョンソン、そしてコルネット奏者のキング・オリヴァーなどがいた。しかしルイ・アームストロングが与えた影響の方が遥かに大きい。高度な技術と大衆性を融合させ、1920年代に発売された『Hot Five And Hot Seven』はジャズ・エイジという導火紙に火を灯した。

ルイ・アームストロングに続いてドク・チータム、マグシー・スパニア、そしてビックス・バイダーベックなどのトランペット奏者が現われ、その誰もがジャズ・トランペット奏者としての王冠をもらうに相応しいミュージシャンである。しかしディキシーランド・ジャズは1930年代のビッグバンド・スウィングの人気と勢いに押され、ホット・リップス・ペイジ、クーティ・ウィリアムス、そしてハリー”スウィーツ”エディソンに象徴される新種のトランペット奏者たちが生まれた。彼らは、カウント・ベイシー、アーティ・ショウ、そしてデューク・エリントンなど当時の卓越したバンド・リーダーたちと演奏しながら活躍した。

Charlie Parker & Dizzy Gillespie – Hot house

 

40年代半ばになりスウィングがビバップに道を譲ると、頬の膨らんだディジー・ガレスピーがジャズ・トランペットを改革した。バップ時代は他にも多種多様な素晴らしいトランペット奏者を生み出したが、その中で一人だけ他より抜きんでていた者がいた。彼の名はマイルス・デイヴィス。ディジー・ガレスピーほど技術的に熟達していなかったものの、マイルス・デイヴィスには詩的な色調があり、空間と明かりと影の使い方を熟知していた。70年代になるまでジャズの発展に影響を与え続けてきたマイルス・デイヴィスだったが、50年代ではすでに世界最高のジャズ・トランペット奏者の一人としての地位を獲得し、世界中のジャズ・ミュージシャンたちに絶大な影響を与えた。クリフォード・ブラウンも50年代初期に人々を魅了し、ジャズ・トランペット演奏の軌道を形作った。

60年代になると絶え間なくトランペット奏者たちが登場し、その中にはジャズの達人ドン・チェリーと微分音実験者ドン・エリスなどの革新者たちもいた。70年代にはジャズ・フュージョンとジャズ・ファンクが前面に出始め、再びマイルス・デイヴィスが先頭を切り、そのすぐ後にウディ・ショウとエディ・ヘンダーソンが活躍した。

世界最高のジャズ・トランペット奏者たちが過去30年間で数多く登場したが、その中で最も重要な存在となったのはウィントン・マルサリスである。最近ではロイ・ハーグローヴ、クリスチャン・スコット、そしてアンブローズ・アキンムシーレがスポットライトを浴び、才能あるホーン奏者が尽きることがないことを証明している。そしてその長い系統はすべてルイ・アームストロングの遺産へとつながる。

ホーンが大好き? それなら史上最高のジャズ・トランペッターTOP50をぜひお薦めしたい。

 

50:マーカス・ベルグレイヴ(1936年〜2015年)
生まれはペンシルベニアだが、マーカス・ベルグレイヴは50年代、60年代、そして70年代にデトロイトのジャズ・シーンで重要な存在として活躍した。50年代にクリフォード・ブラウンの下で学んでいたが、その後に数年間レイ・チャールズとR&Bを演奏し、60年代にはモータウンのセッションに参加した。ジャズ、R&B、そしてポップを演奏できる多才なトランペット演奏であるマーカス・ベルグレイヴはその他にも著名な教授として知られた。

Marcus Belgrave Quintet – Body and Soul – full version

 

49: エリック・トラファズ(1960年〜)
空間、そして少ないほど豊かであるというミニマリズムの美学は、スイス生まれのフランス人奏者であるエリック・トラファズの主な特徴であり、特にエレクトロニック・サウンド・エフェクトの独創的な使い方など、マイルス・デイヴィスの70年代のエレクトリック・ファンク作品に恩恵を受けている。その他にもヒップホップの特色とドラムンベースやアフリカ音楽の要素も、その興味深く非常にコンテンポラリーな一貫した作品に充満している。

Alcaline, le Mag : Camélia Jordana et Erik Truffaz – The Thrill Is Gone

 

48: アルヴェ・ヘンリクセン(1968年〜)
ノルウェーの最高のジャズ奏者の上位に立つ一人であるアルヴェ・ヘンリクセンは、従来のトランペットよりも日本の尺八と等しい独自のサウンドを確立している。 息の音の交じる甘美なサウンドは、穏やかな瞑想のような雰囲気を作り出す空気のようなエレクトロニクスで構築されている。

Arve Henriksen – Blue silk – Live

 

47: マグシー・スパニア(1901年〜1967年)
シカゴのフランシス”マグシー”スパニアは、キング・オリヴァーとルイ・アームストロングに影響を受けたコルネット奏者で、20年代にそのキャリアをスタートさせた。トランペットへ転向した30年代後半には、ディキシーランドのジャズ・リバイバルの指揮を執った。40年代後半にはシドニー・ベシェとボブ・クロスビーと演奏し、50年代にはアール・ハインズのバンドに加わった。ミュート(弱音器)付きのトランペットの名人であるスパニアは、生きる喜びが溢れ出すように鮮やかに演奏する。

Muggsy Spanier "At The Jazzband Ball"

 

46: ランディ・ブレッカー(1945年〜)
サックス奏者マイケル・ブレッカーの兄であるランディはペンシルベニア出身の偉大なトランペット演奏で、多才な”何でも吹ける”能力 が特徴である。60年代にクラーク・テリー、デューク・ピアソン、サド・ジョーンズ&メル・ルイス・オーケストラ、そしてアート・ブレイキーズ&ザ・ジャズ・メッセンジャーズと演奏し、その技術を身に付けた。1975年にランディ・ブレッカーと兄のマイクはファンキーなアンサブル、ブレッカー・ブラザーズを結成した。ランディ・ブレッカーの無数のサイドマンとしての経験(エアロスミスからルー・リードまで、様々なアーティストとレコーディングしてきた)により彼のソロ作品の影は薄いが、今でも生存する最高のジャズ奏者の一人であり続ける。

Randy Brecker & Niels Lan Doky – Blue Moon – LIVE HD

 

45: ドク・チータム(1905年〜1997年)
ナッシュヴィル出身のアドルファス”ドク”チータムは、プロのサックス奏者としてキャリアを始め(20年代に歌手のマ・レイニーと演奏)、トランペットへと変更し、30年代にはキャブ・キャロウェイのバンドの一員として長期間にわたり活躍した。しかし晩年を迎え大分経った70年代になりやっとキャリアが開花し、彼の名前で何枚ものアルバムが発売され、その内の一枚は1996年にグラミーを受賞した。

Doc Cheatham & Cab Calloway 1985 Cotton Club At Ritz – 3 items

 

44: ニコラス・ペイトン(1973年〜)
ジャズ発祥の地ニューオリンズ出身のニコラス・ペイトンは神童トランペット奏者だった(10歳の年齢でプロとして活躍し始めた)。20年代初期には伝説的ドラマーのエルヴィン・ジョーンズとハモンド奏者の英雄ジミー・スミスと演奏。ニコラス・ペイトンのソロ・アーティストとしてのキャリアは1994年に始まり、これまでに多才で幅広いサウンドを奏でることの出来るトランペット奏者であることを証明し、最近ではジャズとエレクトロニカ、ループしたビート、そしてネオ・ソウルを融合している。

Nicholas Payton with the Ray Brown Trio -Bag's Groove

 

43: クリスチャン・スコット・アトゥンデ・アジュアー(1983年〜)
デビュー・アルバムをリリースした時にはまだ19歳という若さだったニューオリンズ生まれのクリスチャン・スコットは、クレセント・シティのサックス奏者ドナルド・ハリソン・ジュニアの甥で、現代の最高の若きトランペット奏者の一人にまでなった。彼のサウンドは、本人が呼ぶように “ストレッチ・ミュージック”であり(2015年発売のアルバムから名付けられている)、ジャズ、ヒッポホップ、ロック、エレクトロニカ、そしてアンビエントなどの幅広い要素をひとつにまとめている。

Christian Scott Quintet – The Walk – 5/22/2017 – Paste Studios, New York, NY

 

42: ディジー・リース(1931年〜)
50年代にブルーノートからアルバムを発売した数少ないアメリカ人ではないアーティストの一人であるジャマイカ出身のアルフォンソ”ディジー”リースは、16歳になる頃にはすでにプロのミュージシャンとして活躍したが、ヨーロッパへ拠点を移すと一気にキャリアの階段を上がり、歴史に残る最高のジャズ・ミュージシャンたちの仲間入りを果たした 。彼を尊敬するミュージシャンとしてマイルス・デイヴィス、そして同時期に活躍しブルーノートから発売されたディジー・リースのデビュー作品『Blues In Trinity』にゲストとして参加したトランペット奏者ドナルド・バードがいる。ディジー・リースはその他にもハンク・モブレーやデクスター・ゴードンと演奏しているが、今でもカルト的存在であり続ける。

41: ロイ・ハーグローヴ(1969年〜)
テキサス州ウェーコ出身のロイ・ハーグローヴは、早い段階からその才能を示し、これまでに2つ受賞したグラミー賞の内のひとつは20代の内に受賞した。ハード・バップをルーツに持つ最上級の即興演奏者であるロイ・ハーグローヴはソロ・キャリアと並行してジャズとファンクとネオ・ソウルを融合するRHファクターと呼ばれる彼自身が率いるバンドの一員としても活躍している。最近は作品を発売していないが、今でも演奏者として活躍している。

Roy Hargrove Quintet – Strasbourg St Denis

 

40: アルトゥーロ・サンドヴァル(1949年〜)
コンテンポラリー・ラテン・ジャズの主要人物でキューバ出身のアルトゥーロ・サンドヴァルは、少年の頃にビバップに夢中になり、彼にとってのヒーローであり後に良き指導者となったディジー・ガレスピーとレコーディングすることになる。アルトゥーロ・サンドヴァルはグラミー賞を受賞したキューバのバンド、イラケレのメンバーとして70年代と80年代に活躍した。ビバッブの影響を受けたその流れるようなメロディは、熱いラテン・リズムに支えられている。彼は同年代の最も技術的に熟達したトランペット奏者の一人である。

Arturo Sandoval 'There Will Never Be Another You' | Live Studio Session

 

39: ハリー・ジェイムス(1916年〜1983年)
スウィングの名人であるジョージア州出身のハリー・ジェイムスは、第二次世界大戦中に自分のバンドを結成する前に、30年代にベン・ポラックやベニー・グッドマンの人気が高かったビッグバンドのメンバーとして技術を身に付け、最高のジャズ・トランペット奏者の仲間入りを果たした。熟達した技術と堂々とした情熱で演奏し、その他にもハリー・ジェイムスのバンドは若きフランク・シナトラバディ・リッチなど有望なミュージシャンたちを世に紹介したことでも知られている。

Harry James Live in London "Opus One"

 

38: バッバー・マイリー(1903年〜1932年)
ジェームズ”バッバー”マイリーはサウスカロライナ州出身の非常に才能のあるトランペット奏者で、巧妙にミュート(弱音器)を使い(泣くようなワウワウ音を出すことができた)20年代にはデューク・エリントン・オーケストラのサウンドとスタイルを定義する手助けをした。1929年にデューク・エリントンのバンドを脱退したが(そして間もなく29歳の若さで結核によりこの世を去る)、精巧に生み出した革新はデューク・エリントンのバンドのサウンドに後々まで影響を与え続けた。

Bubber Miley and his Mileage Makers – I lost my girl from Memphis (1930)

 

37: デイヴ・ダグラス(1963年〜)
ニュージャージー州イースト・オレンジ出身の多作のバンド・リーダー/サイドマンであるダグラスは、ハード・バップの伝説的存在ホレス・シルヴァーとの演奏で功績が認められたが、新しいサウンドを探索することを恐れることは一度もなかった。トランペットを使用し、形を変え続けながらジャンルに従わない音楽は、フリー・ジャズ、東欧民族音楽とエレクトロニカの影響を反映している。

Dave Douglas – "Ham Fist" Live in Studio 1A

 

36: トーマス・スタンコ(1942年〜)
ポーランド出身のトランペット奏者トーマス・スタンコは、第二次世界大戦直後にアメリカのラジオ放送を通じて初めてジャズを耳にした。60年代初期にオーネット・コールマンの影響を受け、トーマス・スタンコはヨーロッパのフリー・ジャズ界での重要主導者となった。トーマス・スタンコの特徴的なサウンドは独特で、マイルス・デイヴィス調の華やかで胸を打つリリックと探索的で徹底的なフリー・ジャズのアプローチを融合している。

Tomasz Stanko Quartet – live 2005 – 3/4

 

35: テレンス・ブランチャード(1962年〜)
ニューオリンズ出身のブランチャードはグラミー賞を5回受賞しており、世界のトップ・トランペット奏者の一人としての地位を確保しているが、最初に注目されるようになったのは1982年にウィントン・マルサリスの替わりにアート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズに加わった時である。そして後にそのバンドのミュージカル・ディレクターとなった。90年代にテレンス・ブランチャードは、『モ’・ベター・ブルース(原題:Mo’ Better Blues)』を含むスパイク・リー監督の映画のサウンドトラックを手掛けたことにより、更に幅広い注目を浴びることになった。多才なミュージシャンであり、最近ではファンクやエレクトロニカ寄りの音楽に興味を抱くようになったが、その存在の基盤であるジャズでできた深い中核部は損なわれていない。

Terence Blanchard 'Magnetic' | Live Studio Session

 

34: ジョナ・ジョーンズ(1909年〜2000年)
ケンタッキー州ルイヴィル出身のロバート”ジョナ”ジョーンズは最初ミシシッピの川船で演奏しながら生活費を稼ぎ、後にスウィング時代を代表するベニー・カーター、フレッチャー・ヘンダーソン、そしてキャブ・キャロウェイのビッグバンドと活躍するようになった。50年代にジョナ・ジョーンズは、ルイ・アームストロングの確実な後継者と評されるようになり、ソロ・アーティストとしての大きな成功を手に入れ、その明るい音色、明快な表現法、そしてニューオリンズの影響を通じて主流で誇大な称賛を得た。

Cab Calloway & Jonah Jones – I Can't Give You Anything But Love

 

33: ウィントン・マルサリス(1961年〜)
70年代と80年代初期にアコースティック・ジャズが低迷し始めると、ニューオリンズ出身のウィントン・マルサリス(フュージョンやアヴァンギャルドなものについて辛辣に批評していた)は救世主となり、伝統的で正統なスタイルを蘇らせて成功を手に入れた。最近ではウィントン・マルサリスの音楽はより探索的になっており、今でも同世代のジャズ・トランペット奏者を代表する存在であり続ける。

Just a Gigolo – Wynton Marsalis Quintet featuring Cécile McLorin Salvant at Jazz in Marciac 2017

 

32: フレディ・ウェブスター(1916年〜1947年)
ファッツ・ナヴァロと同じく、オハイオ州クリーブランド出身のフレディ・ウェブスターは、その才能が成熟しより広い観客に知れ渡る前にこの世を去ってしまった。レコーディングした作品は数少ないが(しかも、ジミー・ランスフォードやサラ・ヴォーンなど、その殆どがサイドマンとして参加したもの)、フレディ・ウェブスターはマイルス・デイヴィスやディジー・ガレスピーなど他のホーン奏者たちにも多大なる影響を与えたことにより、今でも世界のトップ・ジャズ・トランペット奏者としての地位を守り続けている。60年代にディジー・ガレスピーはフレディ・ウェブスターについて、「彼の奏でるトランペット・サウンドは、恐らくトランペットが初めて作られてから最高のサウンドであり、それは生き生きとした活気に満ちたサウンドであった」と評している。

Sarah Vaughan with Tadd Dameron Orchestra – I Can Make You Love Me If You'll Let Me

 

31: ホット・リップス・ペイジ(1908年〜1954年)
本名はオラン・ペイジだが、その扇情的で華麗なトランペット演奏で”ホット・リップス”として親しまれるようになったテキサス州出身のスーパー・トランペット奏者は、20年代のまだティーンだった頃にキャリアをスタートさせ、30年代にはビッグバンド・スウィング時代に極めて重大な貢献者となり、ベニー・モーテン、カウント・ベイシー、そしてアーティ・ショウのバンドに参加した。ルイ・アームストロングと同様ホット・リップス・ペイジの才能はただトランペットを吹くだけに留まらなかった。彼は才能あるブルース・スタイル・シンガーであることも証明した。

https://www.youtube.com/watch?v=OC8WR4IlSjE

 

30: クーティ・ウィリアムス(1911年〜1985年)
アラバマ州モービルにてチャールズ・ウィリアムスとして生まれたクーティ・ウィリアムスは、20年代後半にストライド・ピアニストのジェームズ・P・ジョンソンと演奏し、その後(バッバー・マイリーの後任として)デューク・エリントンのバンドに加わり、そこで11年間活躍した。クーティ・ウィリアムスはそのプランジャー・ミュートを巧みに使い、デューク・エリントンのエキゾチックな曲ではワイルドな”ジャングル”調のトランペット・サウンドを奏でたことなどでその評判を築いた。

Cootie Williams in Duke Ellington Sacred Concert 2 1969

 

29: キャット・アンダーソン(1916年〜1981年)
ウィリアム”キャット”アンダーソンほどトランペットで高く幅広い音を奏でられる奏者は数少ない。自分の名前で発売した作品はほんの一握りしかないサウスカロライナ州出身のキャット・アンダーソンは、トランペットを使って5オクターブもの音を出すことができた。ラッキー・ミリンダーやライオネル・ハンプトン率いるバンドと経験を積んでから、デューク・エリントン・オーケストラの首席トランペット奏者の座を手に入れた。1944年と1971年の間にキャット・アンダーソンはデューク・エリントンと3度の長期にわたるコラボレーションを楽しみ、その類まれな高音演奏で有名になった。

Cat Anderson's trumpet cadenza on "Jam With Sam"

 

28: クラーク・テリー(1920年〜2015年)
最初はバルブ・ロンボーンから始めたミズーリ州セントルイス出身のクラーク・テリーは、トランペットへと転向し、40年代と50年代にジャズ界の貴族デューク・エリントンやカウント・ベイシーのオーケストラに加わり名前が売れるようになった。プロとしての自信を持ちながらスウィングとビバップの両方を演奏できたクラーク・テリーは、若きマイルス・デイヴィスを指導し、サイドマンとして参加したものから自身の名前で発売したものまで多数の作品をレコーディングした。当時のトップ・ジャズ・トランペット奏者の一人であったクラーク・テリーは同時にメロウで豊かなサウンドのフリューゲルホーンの達人でもあった。

Clark Terry on the Tonight Show

 

27: キング・オリヴァー(1881年〜1938年)
初期のクラシック・ジャズ・トラック「Dippermouth Blues」や「Doctor Jazz」などの生みの親であるジョセフ”キング”オリヴァーは、ニューオリンズ・サウンドを作り上げた重要な人物の一人であり、「Canal Street Blues」などで共にサイドマンとして参加した若きルイ・アームストロングを指導した経験があり、それだけをとっても歴史上のジャズ・トランペット奏者を代表する一人であることが証明されている。ミュート付きトランペット演奏の殆どがキング・オリヴァーの影響を受けており、若かった頃の彼はバディ・ボールデンからインスピレーションを受けていた。キング・オリヴァーは20年代後半まではコルネットを吹き、それからトランペットへ転向した。

26: ファッツ・ナヴァロ(1923年〜1950年)
残念なことに、ヘロインと結核という致死的な組み合わせによりフロリダ州出身のファッツ・ナヴァロはその素質を十分に発揮することなく、26歳という若さでこの世を去ってしまった。ビバップ・ムーヴメントを代表する者たち(チャーリー・パーカーディジー・ガレスピーバド・パウエル、そしてケニー・クラーク)と共に演奏し、希望の星だったファッツ・ナヴァロの名演奏家スタイルはクリフォード・ブラウンのスタイルに消すことのできない影響を与えた。

25: ルイ・スミス(1931年〜2016年)
ブッカー・リトルの従兄弟であるメンフィス生まれのルイ・スミスは、ミシガンへと引っ越し、そこでマイルス・デイヴィス、ディジー・ガレスピー、そしてサド・ジョーンズと演奏をする機会を得て、後に軍隊を経てからソロ・キャリアに乗り出した。ファッツ・ナヴァロやクリフォード・ブラウンの影響を受けたスミスの鮮やかなサウンド、そしてスウィングとバラードの両方を説得力込めて演奏できる才能により、1958年にブルーノートと契約を結ぶことになった。そのすぐ後にジャズ界から姿を消し、20年後に再び戻ってきた。

24: ブッカー・リトル(1938年〜1961年)
メンフィス出身のブッカー・リトルが23歳の若さでこの世を去り、歴史上最高のジャズ・トランペット奏者の一人として大きな成果を挙げる運命にあったセンセーショナルな奏者を我々は失ってしまった。ハード・バップが彼の音楽DNAに生まれつき備わっていたブッカー・リトルは、ジョン・コルトレーンとフリー・ジャズ主導者のエリック・ドルフィー(60年代初期にエリック・ドルフィーと共同バンド・リーダーを務めた)とのコラボレーションで、名演奏家ブッカー・リトルがジャズの限界ギリギリを探検していたことが分かる。

Max Roach Quintet with Booker Little, beat poetry reading

 

23: ヒュー・マセケラ(1939年〜)
全世界が南アフリカ出身のトランペットとフリューゲルホーン奏者に初めて注目したのは、彼が1968年にやみつきになるインストゥルメンタル・トラック「Grazin’ In The Grass」を発売しアメリカでヒットとなった時だ。最初1959年にレコーディング・メンバーとしてアフリカのジャズ・バンド、ザ・ジャズ・エピストレスに加わりキャリアを開始させた。南アフリカでアパルトヘイトによりジャズが禁止されると、ヒュー・マセケラはヨーロッパへ、それからアメリカへ逃げ、ジャズと南アフリカの黒人居住区で生まれたリズムを融合させ輝かしいソロ・キャリアを築き上げた。彼は新しい表現の形を探し続け、最近では南アフリカのミ・カサのシンガー、Jサムシングとのコラボレーションを行った。

Hugh Masekela – Heaven In You ft. J'Something

 

22: エディ・ヘンダーソン(1940年〜)
歴史上最高のジャズ奏者の一人であることだけでは満足できず、エディ・ヘンダーソンは医師の免許も持っている。彼はハービー・ハンコックの限界に挑む”エムワンディシ”バンドと70年代初期に演奏したことにより大きなチャンスを掴み、その後ソロ・キャリアをスタートさせた。マイルス・デイヴィスの信奉者であるエディ・ヘンダーソンは、磨き上げられた色調と空間を利用することを好み、晩年にストレートなジャズを演奏し始める前はフュージョンを演奏していた。

Eddie Henderson plays Cantaloupe Island

 

21: メイナード・ファーガソン(1928年〜2006年)
長年にわたり、ファーガソンが吹く高音は高すぎて犬にしか聞こえない、という冗談を言われ続けてきた。元々カナダ出身のメイナード・ファーガソンは、スタン・ケントンのバンド・メンバーとして修行してから自分のバンドを組むようになった。派手なショーマンであり、ホルンの名演奏家でもあるメイナード・ファーガソンは70年代にその注目すべき高音で観客たちを魅了し、ロックとポップのスタイルを取り入れることにより、主流での成功を収めた。

Maynard Ferguson – Birdland

 

20: アート・ファーマー(1928年〜1999年)
多作のレコーディング・アーティストであるホーンの巨匠アート・ファーマーは50年代初期に熟達したハード・バップ奏者として出現し、そのスタイルはフレディ・ウェブスターとマイルス・デイヴィスに対して深い恩義がある。メロウなフリューゲルホーンを好んだアート・ファーマーはマイルス・デイヴィス同様に詩人としての素質を持っており、必要に応じてハードで速いスウィングを奏でることもできたが、感情的な抑制を表現する達人でもあった。

19: ドン・エリス(1934年〜1978年)
ドン・エリスが主流で成功を収めるきっかけとなったのは、1971年の都市犯罪スリラー『フレンチ・コネクション(原題:The French Connection)』のサントラを手掛けたことが大きかったが、ロサンゼルス生まれのドン・エリスはジャズの革新者でもあり、熟達したソロ奏者と作曲者/アレンジャーであり、感覚の鋭い実験者でもあった。独自の拍子で演奏と作曲をし、インスピレーションとして東洋の音楽を取り入れ、アンプを使用したホーンで様々なエレクトロニック・エフェクトを試した。

Don Ellis – Indian Lady – Tanglewood (Full)

 

18: ハリー”スウィーツ”エディソン(1915年〜1999年)
女性からの人気で付けられたニックネームで知られるオハイオ州コロンバス出身のハリー・エディソンは、1937年から1950年の間にカウント・ベイシーのバンドの確固たるメンバーとして活躍した。その後はアメリカ西海岸へ移り、自分の名前で多数の作品を発表し、すぐに最高のトランペット奏者たちと並んで一流スタジオ・ミュージシャンとして活躍した。ミュート付きとオープン・ホーン両方の名人であるハリー”スウィーツ”エディソンは、バラードを演奏している時には激しい感受性を披露したが、アップテンポの曲では激しくスウィングすることもできた。

Harry Sweets Edison – There is no Greater Love 1983

 

17: ビックス・バイダーベック(1903年~1931)
そのピュアな音色、リラックスしたアプローチ、そして装飾音で、アイオワ州出身の独学コルネット奏者ビックス・バイダーベックは、20年代初期に初めてウルバリン・オーケストラとレコーディングし、20年代後半にはジーン・ゴールドケット、フランキー・トランバウアー、そしてポール・ホワイトマンのビッグ・アンサンブルに消えることのない足跡を残した。その他にも自分の名前で作品をレコーディングし、ジャズの歴史上最も素晴らしい初期の即興演奏者としての名を確立した。

16: バディ・ボールデン(1877年~1931年)
20世紀のはじめの10年間、ニューオリンズ生まれのバディ・ボールデン(その生い立ちには様々な作り話も存在する)は、初期ジャズ界のスター・ホーン奏者として活躍した。彼のレコーディングは残っていないが、作曲した作品はある。そしてそれらの楽曲は、彼にまつわる大きな伝説と共に、彼を‘史上最高のジャズ・トランペッター TOP50’のランキングでの位置を高めた。トランペットの近い親戚であるコンパクトな形をした小さなコルネットを吹くことを好んだバディ・ボールデンは、初期のビッグ・イージー調のジャズ・サウンドを形作ることに貢献し、はっきりとしたマーチング・バンド・リズムではなく、即興バンドにとってより効果的なシンコペーションのドラム・ビート(”ビッグ・フォー”と呼ばれている)を世に紹介した。

Buddy Bolden

 

15: ドン・チェリー(1936年~1995年)
1958年から1961年の間にフリー・ジャズの魔術師オーネット・コールマンと活躍したオクラホマ州出身のドン・チェリーはアヴァンギャルド・ジャズの第一人者となり、お気に入りのホーンは小さなポケット・トランペットだった。オーネット・コールマンのバンドから離れていた時は、ジョン・コルトレーンとレコーディングを行い、自分の名前で多くの限界に挑むアルバムを制作し、晩年には他の文化の音楽を受け入れるようになった。彼が奏でるサウンドの特徴は、次々とスピード良く吹かれる音符と不気味な音のベンディングだった。

Don Cherry & Janusz Muniak Quartet 1980 – 5/7

14: ケニー・ドーハム(1924年~1972年)
50年代のハード・バップ時代を代表する演奏者の一人であったにもかかわらず、多くの作品が無名のままであるテキサス州生まれのケニー・ドーハム(実名はマッキンレー・ドーハム)は、ザ・ジャズ・メッセンジャーズの最初の生まれ変わりである。50歳の誕生日を迎えることはなかったが、ケニー・ドーハムはソロ作品を含む豊かな遺産と、「Blue Bossa」等の名曲を我々に残してくれた。技術的に完成されたケニー・ドーハムの躊躇うことのない実験的なサウンド(アフロ・キューバ音楽とブラジリアン・ボサノヴァ・グルーヴに手を出している)により、世界を代表するジャズ・トランペット奏者の一人としての座を堂々と勝ち取った。

13: ナット・アダレイ(1931年〜2000年)
トランペットのその近い親戚であるコルネットの名演奏家であるタンパ出身のナット・アダレイは、1955年から1975年の長期にわたり兄のキャノンボール・アダレイのバンドで活躍し、ゴスペル・ブルース調のソウル・ジャズ・スタイルを生み出すことに貢献した(多くの人にカヴァーされ、そのジャンルを代表する永遠の曲「Work Song」を作曲)。兄のバンドとは別に多数のソロ・アルバムを制作しており、どれも彼のブルース調のホーン演奏によって際立った作品となっている。

Nat Adderley  "Work Song"

 

12: ブルー・ミッチェル(1930年〜1979年)
マイアミで生まれたトランペット奏者リチャード”ブルー”ミッチェルはまだ高校生だった頃にアール・ボスティックと演奏し、1958年にはフロリダ出身のサックス奏者キャノンボール・アダレイにスカウトされてリヴァーサイド・レコードで一緒に活躍した。ブルー・ミッチェルが脚光を浴びるようになったのは、1960年から69年までの間にホレス・シルヴァーと演奏するようになってからだった。ハード・バップのスタイルで、澄んだソウルフルな音色で、ブルーノートを含む様々なレーベルにて19年間ソロ・アーティストとして成功し活躍した。

Horace Silver – Señor Blues (Horace Silver, Blue Mitchell & Junior Cook)

 

11: サド・ジョーンズ(1923年〜1986年)
ドラマーのエルヴィン・ジョーンズとピアニストのハンク・ジョーンズを兄弟に持ち、独学でホーンを覚えたミシガン州ポンティアック出身のサド・ジョーンズは、カウント・ベイシーのバンドにとっての重要メンバーとして(アレンジャーとソロイストの両方を務めた)50年代後半と60年代初期に活躍し、同時にソロ・キャリアも築き上げ、ブルーノートやプレスティッジ・レーベルから作品を発売し、世界最高のジャズ・トランペット奏者の一人としての地位を確立した。60年代半ばにはドラマーのメル・ルイスと組み、サド・ジョーンズ&メル・ルイス・オーケストラを結成した。

10: ウディ・ショウ(1944年〜1989年)
もともとはノースカロライナ州出身でニュージャージー州で育ったウディ・ショウは60年代に活躍した最も優れた高度な技術を持ったホーン奏者であったが(キーボード奏者のホレス・シルヴァーとラリー・ヤングと経験を積んだ)、70年代にソロ・アーティストとして多くの作品を制作するようになってから成功を収めた。幅広い音程と多調のハーモニー、そして多文化から取り入れた音楽的要素を使ったショウは天才トランペット奏者であり、‘史上最高のトランペッター TOP50’には欠かせない存在である。

Woody Shaw 5tet – Time is Right

 

9: ドナルド・バード(1932年〜2013年)
華麗なトランペット・テクニック、素晴らしい即興演奏の才能、そして感情的な鋭さを融合させ、デトロイト生まれのドナルド・バードは50年代後半と60年代前半にハード・バップ・シーンを先導したが、70年代にフュージョンとファンクへと転向すると厳しいジャズ・ファンたちから非難を受けた。皮肉なことに、ドナルド・バードの最も売れたアルバムでゴールド・ディスクを獲得した1972年の『Black Byrd』には即興演奏が殆どなかったが、彼の名前を多くの観客に知らせる手助けをした。

Donald Byrd performs 'Blackbyrd' at the Montreux Jazz Festival 1973

 

8: ロイ・エルドリッジ(1911年〜1989年)
身長は低かったものの(だからリトル・ジャズの愛称で呼ばれていた)、ピッツバーグ出身のロイ・エルドリッジはトランペット奏者の中ではビッグな存在だった。ソロ演奏の構成はルイ・アームストロングの影響を受けているが、サウンドとスタイルに関してはロイ・エルドリッジは独自の音を生み出し、複雑なメロディ、調和したリズムのある伝え方を通じて演奏し、それはビバップを予測していた(ディジー・ガレスピーはロイ・エルドリッジの大ファンだった)。

The Great Jam Session 1958: Cozy Cole – Coleman Hawkins – Roy Eldridge

 

7: チェット・ベイカー(1929年〜1988年)
二枚目俳優のような美貌でオクラホマ州生まれのチェスニー・ヘンリー・ベイカーは50年代に西海岸のクール・ジャズの看板男として有名になった。うっとりするような歌声は女性ファンを夢中にしたが、その飾りのない詩的で非常に情け深いトランペット演奏こそが彼の持つ最も大きな音楽的特質と言えるだろう。

Chet Baker – Arborway – Live in Tokyo 1987

 

6: リー・モーガン(1938年〜1972年)
華やかな音色と素晴らしいテクニックで、フィラデルフィア出身の世間を沸かしたホーン奏者リー・モーガンは、ジョン・コルトレーンの1957年の傑作『Blue Train』で演奏した時はまだティーンネイジャーだった。実際にはリー・モーガンのソロ・キャリアはその1年前にブルーノートで始まり、若き天才トランペット奏者として1958年から1961年までザ・ジャズ・メッセンジャーズのメンバーとして活躍するまで続いた。ハード・バップの支持者であったリー・モーガンが1964年にリリースした『The Sidewinder』はヒットとなったが、その短いキャリアの後半は探索的なジャズを好んだ。

Lee Morgan Trumpet Solos Volume 2

 

5: クリフォード・ブラウン(1930年〜1956年)
友人たちからは親しみを込めて”ブラウニー”と呼ばれていたペンシルベニア出身のクリフォード・ブラウンは不幸にも最盛期の25歳という若さで(交通事故により)亡くなってしまったが、その短い人生の中で音楽を通じて非常に大きな影響を残し、今でもそれを感じとることや聴くことができる。ハード・バップ誕生のキーパーソンだったクリフォード・ブラウンの温かみのあるトランペットの音には感受性と名演奏家の熱が込められていた。

Clifford Brown – Oh, lady be good – Memories of you

 

4: フレディ・ハバード(1938年〜2008年)
華やかでカリスマ性のあるインディアナポリス出身のトランペット奏者フレディ・ハバードは、60年代初期にアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズと演奏しそのキャリアの基盤を築き、その後には非常に成功したソロ・キャリアに乗り出した。息を呑むほどに素晴らしい技術でトランペットを演奏するフレディ・ハバードの即興は人が呼吸をするように自然に行われた。最初ハードボップの支持者だったフレディ・ハバードは、ソウル・ジャズの領域へと冒険し、それから70年代半ばにはより商業的な道を歩み始めた。彼は正真正銘のトランペット巨匠である。

Freddie Hubbard – Red clay (Ancona Jazz '85)

 

3: マイルス・デイヴィス(1926年〜1991年)
その才能と技術は、華やかなルイ・アームストロングやビバップの大御所ディジー・ガレスピーと同等ではなかったが、しっかりしているが洗練されたソロ演奏に気だるい孤独感を注ぐマイルス・デイヴィスほどに美しくバラードを演奏できる人は他にいない。マイルス・デイヴィスにとって沈黙と空間をクリエイティヴに使うことは、ムードや雰囲気を伝える手助けとして音符を吹くことと同様に大切だと思っていた。トランペット演奏とは別に、マイルス・デイヴィスは間違いなくジャズ界の最高のバンド・リーダーでもあり、ジャズの方向性を決める助けをした50年代以降の幾つもの画期的なアンサンブルのリーダーを務めている。

Miles Davis – So What (Official Video)

 

2: ディジー・ガレスピー(1917年〜1933年)
ぷっくりと膨らむ頬と特注の”曲がった”ホルンが有名だったディジー・ガレスピー(本名はジョン・バークス・ガレスピー)は、ビバップの生みの親、そしてモダン・ジャズの先駆者であり、驚くような素晴らしい技術と非常に先進的なハーモニーで、40年代以降のホルン演奏の基準を設けた。サウスカロライナ州で生まれ、ロイ・エルドリッジの弟子だったディジー・ガレスピーは、ラテン・ジャズの誕生にも欠かせない人物でもあり、彼のビッグバンドがアフロ・キューバンのフュージョン・サウンドを演奏したことでも知られている。

Dizzy Gillespie – A Night In Tunisia Live 81

 

1: ルイ・アームストロング(1901年〜1971年)
‘史上最高のトランペッター TOP50’の頂点に立つのはニューオリンズが生んだ最も有名な人物の一人である。20年代初期にキング・オリヴァーのシカゴを拠点としたバンドに加わり有名になったガラガラ声の”サッチモ”が現れる前のジャズは、個々の即興演奏よりも集合体として定義されていたが、ルイ・アームストロングのメロディを潤色する比類なき才能は、初期のジャズと呼ばれていたジャンルを、即興でソロ演奏を行う手段へと改革した。ジャズの歴史に巨大な影響を与えたルイ・アームストロングがいなければ、ポピュラー・ミュージックは全く違ったものになっていただろう。

Louis Armstrong – Basin Street Blues – 1964

 

Written By Charles Waring

♪ プレイリスト『Jazz Giants


Share this story
Share
日本版uDiscoverSNSをフォローして最新情報をGET!!

uDiscover store

Click to comment

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Don't Miss