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フランク・シナトラ、ラスベガスでのシーザーズ・パレス定期公演唯一のオフィシャル音源

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サンズ・ホテルでの13年間に及ぶ公演を1967年に終えたあと、フランク・シナトラがラスベガスで希望した会場はローマをテーマにした壮大な建築物シーザーズ・パレスだった。

それ以降、数え切れないほどの公演が完売し、その会場はフランク・シナトラに多くの最高記録をもたらした。1979年、ショービジネスでの40年間の活躍を高く評価されたフランク・シナトラは同ホテルにて、名誉あるグラミー賞特別功労賞理事会賞を授与された。その2年後には、シーザー・エンターテイメントの副会長に就任。週に2万ドルの利益を彼にもたらすとされるオフィシャルの発表があった。しかし良い時ことばかりではなかった。不幸にも、シナトラの母のドリーが1977年1月の飛行機墜落事故で亡くなったという訃報を受け取ったとき、フランク・シナトラはシーザーズ・パレスで公演中だったのだ。

フランク・シナトラが長い年月シーザーズ・パレスで公演を行ってきたにもかかわらず、今まで、彼の公演を収めた音源はたった一枚、2006年に発売された『Sinatra: Vegas』とタイトルが付けられた4CD+DVDのボックス・セットの中のディスク3のみがオフィシャルにリリースされただけだった。それは2週間に及ぶレジデンシー公演の2週目、1982年3月上旬、67歳だったシンガーを会場でとらえたものだった。シーザーズ・パレス・オーケストラと、ギタリストのトニー・モトラとドラマーのアーヴィング・コトラーが参加するピアニスト/指揮者のヴィンセント・ファルコンヌ率いるジャズ五重奏団との間をフランク・シナトラは行ったり来たりしながら数曲披露した。

魅力的で、圧倒的で、チャーミングで、多弁で、遊び心に満ちていて、抱腹絶倒するほど面白いフランク・シナトラは、初めから終わりまで機知に富んだ人だった。曲と曲の間にジャック・ダニエルと炭酸水を一口ずつ飲みながら、彼は観客にこう伝える。「僕は素晴らしいひとときを過ごしている」。

フランク・シナトラは以前、「The Lady Is A Tramp」や「Night And Day」、「I Get A Kick Out Of You」といった曲を何百回と歌ってきたが、シーザーズ・パレスでも、全力を尽くして情熱的に歌い上げている。ビッグ・バンドと共に彼は演奏を楽しんでいると言えるだろうし、人生を謳歌している感じが見て取れる。「弦楽器じゃないビッグ・バンドの音はお好みじゃないかい?」と彼は観客に問いかける。「僕は好きだよ。こんな風に後ろから放たれる活力と共に歌えるなんて喜ばしいことだ。本当に奇跡的だよ」。

ディーン・マーティンは観客席にいた。彼はフランク・シナトラと早くからふざけた冗談の言い合いを交わし、騒々しくバーに向かった。しかしそれは冗談や場違いな陽気さではない。沈思の時間もあった。ある時、フランク・シナトラは自分が絶滅しかけている種族の最後の人間の一人であることを認めた。「ラウンジのシンガーは僕の生業だ」と彼は言った。「似たような人種はもうあまり残されていないんだ。こんな曲を歌うのは自分とミスター・トニー・ベネットぐらいだ…。そして僕らはこれからもそれを続け、死ぬことはない。アメリカのミュージック・カタログには必要なものなんだ」。

ステージ上で、フランク・シナトラは常に彼の曲を作った作曲家に対して感謝を忘れず、シーザー・パレス公演の時も彼は感謝の念を示していた。彼の性格のこういった面は、彼がどれほど作曲家を尊敬していたかを反映していた。

フランク・シナトラは多くの人に愛されている代表曲だけでなく、1941年にまで遡り、もとはトミー・ドーシーのバンドと共に歌ったサイ・オリバーの「Without A Song」を再び取り上げた。さらにバンドリーダーのハリー・ジェイムスと共に歌った初期の曲「All Or Nothing At All」もまたネルソン・リドルによる新アレンジで12曲のセット・リストの中に収録された。しかしノスタルジアに浸る彼の想いは、アルバム『She Shot Me Down』からの心に訴えるバラード曲「Hey Look, No Crying」の収録によって抑えられることになる。

彼の娘ナンシー・シナトラは、アンセム的な「Theme From New York, New York」のフィナーレに先立って、彼らの1967年のヒット曲「Somethin’ Stupid」を楽しく、賑やかで、カオティックと言っても過言ではないヴァージョンを披露するためにフランク・シナトラのステージに参加した。

「My Way」に次いで2番目の、おそらく、フランク・シナトラがステージを閉める最後の曲として、ニューヨークのアンセム「Theme From New York, New York」は、あらかじめバンドに「これが君にとってのビッグ・チャンスだ。みんな、大きくかきならせ!」と伝えているようだ。しかし大音量の管楽器のコードのあと、曲は唐突に止まり、勢いを失う。迫力に欠け、失敗と思われた曲の出だしは、ショーに組まれた演出の一部であり、「悪くないな… とはいえ、多分何か壊れたんだろう」とフランク・シナトラは混乱した観客の笑い声に冗談を飛ばす。最終的に、「Chicago」と「(I Left My Heart In) San Francisco」からの引用をシナトラが加える前に、曲は飛び立っていく。

象徴的なライヴ・アルバム『Sinatra At The Sands』を作るまでに至ったカウント・ベイシーとザ・サンズで行った彼の伝説的な1966年のコンサートほど知られてはいないものの、フランク・シナトラの1982年3月、シーザーズ・パレスでの公演は大きな影響を与えた。なぜなら、キャリアの終わりを迎えていたフランク・シナトラがパフォーマンスへかける情熱を赤々と燃え続けさせ、生き生きとしたステージ上の姿を提供したからだ。67歳にしても「Ol’ Blue Eyes」はまだ、紛れもなくアーティストとしての、そして会場を管理するシーザー・エンターテイメントの副会長としての役目を果たしていた。

Written by Charles Waring



フランク・シナトラ『Sinatra: Vegas』

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