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『Please Hammer, Don’t Hurt ‘Em』から30年。今こそMCハマーの軌跡を振り返れ!【後編】大成功から破産まで【丸屋九兵衛連載】

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ヒップホップやR&Bなどのブラックミュージックを専門に扱う音楽情報サイト『bmr』を所有しながら音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベントなど幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第17回は、1990年2月12日に発売となり日本を含めて全世界大ヒットとなったMCハマーのアルバム『Please Hammer, Don’t Hurt ‘Em』の発売30周年を記念して、MCハマーとこのアルバムについて解説頂きました。その後編となります。前編はこちら

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キャピトル・レコーズ契約第一作『Let’s Get It Started』からの収益を使いツアーバス内にスタジオを設置、精力的なツアーの最中にもレコーディング可能な環境を手に入れたハマー。こうして作り上げたのが、1990年2月12日にリリースされた事実上のセカンド・アルバム『Please Hammer, Don’t Hurt ‘Em』だ。この妙に長いタイトルは、その時点までは「ビーフ上等」「ディス大好き」な攻撃的ラッパーでもあったMCハマーが、自身をユーモラスに表現したものと言える。

アルバムの制作費は1万ドルと聞く。日本円の価値が下落した今となってはアレだが、かつてのスタンダードである「1ドル=100円」で計算すると「1万ドル=100万円」となる。13曲入りだから、1曲当たり7万7千円くらいで仕上げてしまった、恐るべき低予算アルバムということだ!

その低予算作が、ヒップホップ史上初のダイヤモンド・ディスク(1000万枚超え)となるとは。米『ビルボード』誌のBillboard 200チャートでは21週1位を達成した同作は、現在までに1800万枚セールスを達成。今日に至っても「ヒップホップ史上最大のヒット・アルバム」であり続けている。

この超絶セールスの原動力となったのはもちろん、「U Can’t Touch This」だ。この曲、大ヒットしたわりには米『ビルボード』誌のシングル・チャートであるBillboard Hot 100では8位までしか上昇していないが、それは12インチ・シングルしか発売されなかったから。逆にいうと、それがアルバム購買意欲を刺激したのか。うまいな! 当初、自分の曲をサンプリングした「U Can’t Touch This」の存在を知ったリック・ジェイムズは怒り狂ったそうだが、そこからの収益を弁護士に聞かされた途端に納得した……と、のちにリック自身が語っている。

MC Hammer – U Can't Touch This (Official Music Video)

その「U Can’t Touch This」に続いて、シャイライツ同名曲の半ばカバーのような「Have You Seen Her」、プリンスの「When Doves Cry」をサンプリングした「Pray」もヒットした。

この人気を見たマテル社がMCハマー人形を発売、ペプシ・コーラのCMにも登場……と、従来のヒップホップのワクを超えた活躍を見せるようになったハマーに降りかかったのが、同業者たちからの批判である。

曰く、「ポップすぎる」「イメージがクリーンすぎる」「踊りすぎる」「サンプリングに頼りすぎる」……ええと、何がいけないのでしょうか。へイターの声、聞こえないです。

ここではアイスTの発言を引用しておこう。「My man, MCハマーに言っておきたい。あんたをディスしてる連中はたくさんいる。だが、奴らは妬んでるだけだ」。オリジナル・ギャングスタの名言である。ま、ハマー自身がビーフ大好きな人だったので身から出た錆、という気もしないでもないが。

 

翌1991年10月。MCハマーではなく、単なる「ハマー」となったハマーが世に問うたのが、アルバム『Too Legit to Quit』である。

「低予算で高成績を出したが、その次作では予算をたっぷり使い成績は低めに」というのは世の常。ここでは、タイトル曲「2 Legit 2 Quit」のビデオが金食い虫となった。ジェイムズ・ブラウンとの対話や、路上賭博に興じるイージーEとDJクイック、グラミー剥奪後のミリ・ヴァニリらが登場する、15分もの長編。つまり、マイケル・ジャクソン的な「ショートフィルム」の領域に突入してしまったのである。

MC Hammer – 2 Legit 2 Quit

言っておくが、このアルバム『Too Legit to Quit』だって売れたのだ。アメリカだけで300万枚も。しかし、あまりに特大ヒットした前作と比べるとショボく見えるのは致し方ないところ。

そしてハマーは、次作『The Funky Headhunter』まで、2年半のインターヴァルを置くことになる。

 

時代背景を考えてみよう。

先に言及したイージーEは、もちろんN.W.A.のリーダー。ドクター・ドレーに保釈金を出す代わりに彼の才能を搾取しようとした(のに自分もラップすることになってしまった)元ドラッグディーラーのギャングスタ、つまりこわい人だ。だが、彼が1988年に発表したソロ曲「We Want Eazy」のビデオを見ると、曲に合わせて激しく踊っている人がチラホラ映る。

Eazy-E – We Want Eazy

そう、N.W.A.によるギャングスタ・ラップの隆盛期は、いま考えると不思議なことにニュー・ジャック・スウィングの時代でもあったのだ。このダンス・ブームの数年、その前半のヒーローは間違いなくボビー・ブラウンだったが、後半の立役者となったのがMCハマーである。

だが1993年、R・ケリー『12 Play』のリリースは、狂乱のダンス時代に引導を渡すことになった。だからハマーがしばし沈黙に入ったのも無理からぬところ。それでも、大ヒット作『Don’t Be Cruel』から次の『Bobby』まで丸4年かかったボビー・ブラウンに比べると、だいぶ素早いのだが。

そんなハマーの1994年作『The Funky Headhunter』はGファンク・ブームに対応したギャングスタ寄りのアルバムだった。だが、続く1995年に「MCハマー」に戻ってリリースした『Inside Out V』は、「サウンドはポップ、リリックはゴスペル寄り」のアプローチ。「もともとゴスペル・ラッパーだしな」と納得できる方向性ではある。しかも、世を去ったばかりのイージーEに捧ぐ曲まで入っていた……のに、その直後には——かつてイージーを脅した極道社長シュグ・ナイトが経営する——デス・ロウ・レコーズと契約。結局はデス・ロウを離れ、1997年にはTV伝道師としての活動を開始……と「一貫性を欠いている」という印象が拭えない、90年代半ばからのMCハマーではある。

 

その後、つまり2000年以降のMCハマーの活動は散発的で、なんというか、割と静かなものだ。

PSYが「カンナムスタイルのヒットは事故のようなもの。あんな事故がしょっちゅう起こっていたら人類は滅びてしまいます」と語ったのと同じで、あれくらいの偉業を達成してしまうと、その後の人生が「余生」のように見えてしまうのは仕方ない。実際には、2000年以降のハマーも数枚のアルバムを出しているのだが。

 

ハマーを語るとき、ミドルネームのようについて回るトピックが「破産」だ。黒人コメディアン一家、ウェイアンズ兄弟による映画『最凶女装計画』では「MCハマー級の破産」という形容まで出てくるほどに。

だが、90年代後半に彼の屋敷を訪ねた人が「庭には人工の滝があった」と証言した例もあり、アメリカにおける破産というものがどのような経済状態を意味するのか、わたしは知らない。税制上の有利さを狙って自ら宣言する例(50セントもそう?)もあるようだし。

実際、2002年にはこんなこともあった。

その頃、台湾系アメリカ人のジャスティン・リン監督が撮影中だったのが、アジア系アメリカ人の秀才青年たちの気だるくも犯罪に満ちた日常を描く『Better Luck Tomorrow』というインディ映画。だが、資金難で制作自体が頓挫しかけていた。たまたまMCハマーの連絡先を知っていたリン監督は、わずかな希望に賭けてハマーに電話し、資金援助を懇願すると……驚いたことにハマーは快諾! おかげで完成した『Better Luck Tomorrow』はカルト・ヒットとなり、ジャスティン・リン監督のみならず、主演陣の俳優たち——特にジョン・チョウとサン・カン——の飛躍をも助けることになる。

そのサン・カンとリン監督が再び組んだのが『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』であり、以降のリン監督は『ワイルド・スピード』シリーズ育ての親のような存在となる。が、それもこれも、ハマーの資金提供あってこそ起こったことだ。『TOKYO DRIFT』で描かれる東京の街でハマーのポスターが目立ち、劇中にMCハマー10枚目のアルバム『Look Look Look』収録曲「I Got It From The Town」が使われているのは、リン監督による感謝表明である。

最新作『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』こと『F9: The Fast Saga』でリン監督の復帰とともにサン・カン演じるキャラクター「ハン」の生存が確認された、この2020年。「同胞を助けてくれた恩人ハマーには足を向けて寝られん!」と思うわたしであった。

Written by 丸屋九兵衛


MCハマー『Please Hammer, Don’t Hurt ‘Em』
1990年2月12日発売
iTunes / Apple Music / Spotify


丸屋九兵衛トークライブ


連載『丸屋九兵衛は常に借りを返す』 バックナンバー


■著者プロフィール

maruya

丸屋九兵衛(まるや きゅうべえ)

音楽情報サイト『bmr』の所有者/音楽評論家/編集者/ラジオDJ/どこでもトーカー。2020年現在、トークライブ【Q-B-CONTINUED】シリーズを展開。他トークイベントに【Soul Food Assassins】や【HOUSE OF BEEF】等。

bmr :http://bmr.jp
Twitter :https://twitter.com/qb_maruya
手作りサイト :https://www.qbmaruya.com/

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