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マーク・ノップラーの音楽半生:自身が語るダイアー・ストレイツやソロ作品

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Photo: Henrik Hansen

マーク・ノップラーはいつも、自分の人生をかけてイギリスのタインからアメリカのデルタまで音楽の旅をしてきたと話す。これほどまでの確信と貪欲な気持ちを持って、イギリスとアメリカのルーツにつながりをもたせることができる人物は他にはいない。

家族と一緒にいる大切な時間以外は、そのほとんどを曲作り、レコーディング、リハーサル、ツアー、または今まで100回以上やってきたように他のアーティストの作品への参加に費やしている。マーク・ノップラーがいつも言っているように、すべてを楽しんでいるラッキーな男なのだ。

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1949年8月12日、ハンガリー人の父親のもと、グラスゴーで生まれた。9歳の時に家族は母親の故郷であるイングランド北東部ニューカッスル・アポン・タインに移る。幼少期の頃の音楽を教えてくれたキー・パーソンは叔父のキングスリーで、ブギウギのピアノやハーモニカを弾いて聴かせており、それを幼いマーク・ノップラーは喜んでいた。

1960年の夏、ザ・シャドウズが「Apache」で全英チャートのトップの座に就いた。当時11歳のマーク・ノップラーはこの魅力的な曲を聴き、そして全てが変わった。ハンク・マーヴィンが『The ‘Chirping’ Crickets』のアルバム・カヴァーで、バディ・ホリーが持っているストラトキャスターに惹かれてギターを買ったように、マーク・ノップラーも、ハンク・マーヴィンのストラトキャスターのサウンドとかっこ良さにほとんど催眠術にかかったかのようになった。「フェンダーのカタログの匂いも覚えている、紙の質までね」とのちにマーク・ノップラーは語った。「本当にどうしてもあれが欲しかったんだ」と。

そして50年後の今もギターへの愛は変わらず情熱的だ。著者との数え切れない会話の中で、ギターの話をする時や、自身のアルバムを制作する際にレコーディングする西ロンドンのスタジオ「ブリティッシュ・グローヴ」にあるヴィンテージの機材と最先端の機材の組み合わせの話をしている時ほど、彼が生き生きとしている時はない。

ブリティッシュ・グローヴは自ら宣伝したり、クライアントに営業したりすることなく、アーティスト仲間に常に人気のスタジオだ。ザ・ローリング・ストーンズも、ブルースのルーツを再訪した2016年の『Blue & Lonesome』をここでレコーディングしている。 

 

決して裕福ではないノップラー家でマーク・ノップラーが初めて手に入れたギターは、質素なダブル・ピックアップのヘフナーのSuper Solidだった。色は赤だった。「父親に買ってもらうことができたんだ、本当に感謝している」と語った。「50ポンドもして、それは父にとっては高価なものだった。その当時アンプまでお願いすることはできなかったから、友達のアコースティック・ギターを借りたんだ。今思えば結構ひどいものだったけど、でもそれで弾けるようになった」。

エレキはフラット・ピックで、アコギはフィンガー・ピッキングで練習し、その‘2つの教育’が功を奏し、初期のフォークやルーツ中心のバンド、そしてダイアー・ストレイツで信じられないほどの成功をおさめ、ソロのキャリアを通してそのスキルを活用した。 

彼は、ティーンエイジャーの頃、ニューカッスル・シティ・ホールで数え切れないほどのコンサートを見て、今でもその会場を自身のツアー日程に組み込むように努めている。世界中でアリーナを売り切ることもできるが、マーク・ノップラーは親密感のある小さいホールを好み、最近では、友人のエリック・クラプトンとロイヤル・アルバート・ホールの公演数で競い合っている。 

18歳の時にハーロウ・テクニカル・カレッジでジャーナリズムを学び、そこで同じくギター馬鹿のスティーヴ・フィリップスに出会う。マーク・ノップラーはその後リーズ大学で英文学の学位を取得し、空き時間にスティーヴ・フィリップスと一緒にデュオリアン・ストリング・ピッカーズ名義で演奏していた。そして南に旅をし、ダイアー・ストレイツを結成、1970年代後半の安定した進出が始まるのだ。

「ニューカッスルからロンドンに行くのは南に行くってことなんだ」とマーク・ノップラーは説明する。「そしてアメリカで南に行くのは神話のような感じがする。そこにはいつか行かなければならないと思っていたんだ。自分自身の音楽に地理を当てはめていくことにも興味があって、それは(ダイアー・ストレイツの)ファースト・アルバムに収録された”Southbound Again”や、”The Ragpicker’s Dream”の”Fare Thee Well Northumberland”も同じなんだ」。

Southbound Again

この頃、マーク・ノップラーはナショナルのスティール・ギターを愛用しており、それは1985年、ダイアー・ストレイツを世界の第一人者にのし上げたアルバム『Brother In Arms』のアルバム・カヴァーにも登場した。しかし、常にメディアに追われ、その大成功を裏付けるために組まれた2年間のツアーで疲労困憊し、ギタリスト、ソングライターそしてバンドのフロントマンだったマーク・ノップラーは、自分にはロック・スターの生活は合っていないと確信したのだ。

その数百万枚も売れたアルバムへの直接的なリアクションとして、マーク・ノップラーはスティーヴ・フィリップスや他の友人に声をかけ、一度きりの現実逃避するためのバンド、ノッティング・ヒルビリーズを結成した。唯一のアルバムを1991年にリリースした。そのタイトル『Missing…Presumed Having A Good Time』が全てを物語っていた。

「250かそこらのツアーをこなしていた頃は、ただただ走り続けていたんだと思う」とマーク・ノップラーは言う。「でもどこかで自分自身を見つめて、どうすればもっとバランスのとれた生活をできるか考えなければならない。自分が若くて嫌な奴、今よりもっと嫌な奴だった時、夜遅くまで働いていたんだ。なんでかって? 多分理由のひとつは、家に帰りたくないからっていうのがあったと思う」。「でも今は家に帰るのが好きだがら、遅くまで働きたいとは思わない。もちろん打ち込んでしまう時もあるけどね。音楽を作って生きていけるなんて、本当に楽しいよ。もうお察しだとは思うけど」。

『ローカル・ヒーロー』や『プリンセス・ブライド・ストーリー』などの映画の印象的なサウンドトラックを書き下ろし、マーク・ノップラーがソロのレコーディングを始めたのは1996年の『Golden Heart』だった。しかしそれ以来、彼の半分の年齢のミュージシャン達が恥ずかしくなるほどのすごいペースでアルバムを作り続けている。最近では2015年の『Tracker』が19年間で8枚目の作品だが他の関連作品も含めて考えれば、並外れた作品の数になる。そして次作は、2018年前半にリリース予定になっている。「年をとればとるほど、作業が早くなるみたいなんだ」と述べる。「でも早いのはこれだけだね。他のことは結構遅いよ」

マーク・ノップラーが作曲家としてやることはすべて曲のためであり、曲に誠実でいようという責任感が源となっている。プレイヤーとしては、今や楽器のマスターであるが、それでも子供の頃、初めてヘフナーを手に入れた時に言われたシンプルなアドバイスに常に忠実でいるようにしている。ギターを片手に喜んでお店から帰る時、店員がこう言ったのだ「辛抱強く続けるんだぞ」と。彼はその通りに今でも弾き続け、その成果を何百万人ものファンが今でも楽しみ続けているのだ。

Written by Paul Sexton



マーク・ノップラーの楽曲を聴く

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