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ダイアー・ストレイツ、なかなか成功しなかったデビューの頃

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“素晴らしいものたちは質素な出である”という格言が古い音楽業界にあったが、ダイアー・ストレイツの場合も見事に当たっていた。彼らの活動初期、バンドはただも同然で数多くの知名度の低いライヴハウスに出演、公共交通機関やバンであちこちのライヴ会場へと移動することに耐え抜かなければいけない時期があった。

ダイアー・ストレイツのセルフ・タイトル・デビュー・アルバム『Dire Straits(邦題: 悲しきサルタン)』は、プロデューサーのマフ・ウィンウッドと一緒に、1978 年2月からロンドンのベイジング・ストリート・スタジオにてレコーディングされた。トーキング・ヘッズやクライマックス・ブルース・バンド、ジェリー・ラファティーのUKツアーでオープニングを務めたり、自身のヘッドライン・ツアーを行いながら、批評家たちのお気に入りバンドとしてリリースされたアルバムだった。のちのヒットシングルとなった「Sultans Of Swing (邦題: 悲しきサルタン)」や「Southbound Again」、「Down To The Waterline」、そしてライヴ・スケジュールがビッシリと詰まったこの小さな4人組バンドの見本となる他の曲も収録された。

これらのシングルはすべて、結果的にアルバムのビッグ・ヒットに繋がっていったのだが、もちろん最初はそうではなかった。最初のシングル「Sultans Of Swing」が最初にリリースされた時はイギリスのチャート入りを逃している。翌年の夏にはアメリカでの成功を受け全英アルバムチャートは最高5位まで登りつめることになるが、最初は厳しい出だしだったのだ。

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ダイアー・ストレイツがイギリスのチャートに初登場した時代は、ディスコが牛耳る時代で、18週間連続トップの座を守った映画『サタデー・ナイト・フィーバー(原題:Saturday Night Fever)』のサウンドトラックが12位にいるような時だった。ザ・ローリング・ストーンズを始め、ムーディー・ブルースやジェネシス、そしてダイアー・ストレイツのレーベル・メイトだったシン・リジィなど、チャートにいる新旧のロック・スターは大物ばかりで、その年のイギリスの注目新人シンガー・ソングライターはケイト・ブッシュだった。

Dire Straits album

そうした環境の中で、どんなに大きな新レーベルの中で彼らの優先順位が高かったとしても、ヴィジュアル的な取り柄が特になく、唯一、彼らの歌とライヴの評価が頼りだったこのバンドは常に厳しい状況に置かれていた。
彼らのアルバムは、アイルランドのフルート奏者ジェームズ・ゴールウェイと、アメリカのヘビー級ロック・バンド、ヴァン・ヘイレンのリリースに挟まれながらもトップ75チャートの48位にチャートインした。その1週間後、40位まで登るものの、すぐに元の位置までチャートに後退してしまった。

アルバムはその年の残り、ずっとチャート内に出たり入ったりしながら、9月初旬には38位を記録している。しかし翌年1979年には、ヒット・シングルの勢いと新たなアメリカでの成功とともに、ダイアー・ストレイツは彼らの母国イギリスでもアルバムチャート5位を記録し、より大きな成功に一歩を踏み出す足がかりを掴むことになる。そして一度、登りつめた彼らは後戻りすることはなかった。


Dire Straits album

『Dire Straits(邦題: 悲しきサルタン)』

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