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ライター兼ジャーナリスト、リチャード・ハーヴァーズを追悼して

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ライター兼ジャーナリスト、そしてブロードキャスターでもありながらuDiscoverの編集長を務めていたリチャード・ハーヴァーズが大晦日の日に亡くなったニュースを受けて、uDiscoverチーム、そして音楽業界とそれをはるかに超えた数え切れないほど多くの彼の友人は大きな喪失感に包まれている。サマセットにあるマインヘッド・コミュニティ病院で66歳で亡くなった彼は暫く癌を患っていた。 

2017年夏、ロンドンにて。リチャード・ハーヴァーズと彼の長年の友人トニー・ヴィスコンティ

自身の情熱に従い、1990年上旬にフリーランスライターになることを決意して以来、リチャード・ハーヴァーズの驚異的な成果を正当に評価してまとめようとするのはそれ自体が大変な挑戦である。30年以上もの付き合いがある友人、そして同僚として、彼が快く引き受けてきた山のような仕事について意見交換したことや、それぞれの締め切りについて、そしてフリーランス・ジャーナリストと人生全般に絡んださまざまなことなど数え切れないほどの会話の数々は懐かしい思い出である。目下の差し迫った問題から、素晴らしきビーチ・ボーイズのB面に関する詳細な議論へと繋がり、クリームの栄光の日々、クリフォード・T・ワードかクリス・レインボウかどうかはともかく、我々がキャリア初期から結び付きがあったにも関わらず正当に評価されなかったアーティストたちの話から始まる会話は何時間も続くであろうことは分かっていたので、なんらかの計画を要するようになった。 

リチャード・ハーヴァーズは彼の包括的な知識だけでなく、そういった知識を与えた音楽に対して全く抑え切れない情熱も含めて業界全体から尊敬されていた。実に多作なライターであった彼は、ザ・ローリング・ストーンズのBBCレコーディング・セッションについて公式に発表した『Rolling Stones On Air In The Sixties』を書き上げ、ポリドールから現在発売中の『On Air』アルバム名曲集とタイアップされたこの本をほんの数ヶ月前である去年の8月にバージン・ブックスからリリースするなど、膨大な文献を残していった。

これは彼の多くの本やレコード・プロジェクトでも最新のもので、中でもロン・ウッドと元ザ・ローリング・ストーンズのビル・ワイマンなど、彼が親密な絆を築いてきたバンドと共に作った本である。2002年にビル・ワイマンが自ら監修した『Blues Odyssey』にリチャード・ハーヴァーズも共同作者として名を連ね、ブルース・ファンデーションにて文学賞(Award For Literature)を受賞。また、リチャード・ハーヴァーズはビル・ワイマンによる2003年の本『Rolling With The Stones』、2006年のカートゥーンブック『The Stones: A History In Cartoons』でもビル・ワイマンと共同制作を行った。

同年、リチャード・ハーバーズは『The Rolling Stones: In The Beginning』を執筆、そして2012年にはバンドの公式記念本『Rolling Stones 50』を編集。また、2016年の『Blue & Lonesome』アルバムのライナーノーツも担当した。彼はそのほかにも、決定的な本『Verve: The Sound of America』や、ブルーノート75周年を記念した『Uncompromising Expression』などを執筆し、ザ・ビートルズが設立したアップル・コアの組織では信頼できる情報源であり、ジャズやブルースの分野において権威のある人間でもあった。

ユニバーサル・ミュージックのジャズ・コンサルタントとして、リチャード・ハーヴァーズはルイ・アームストロングエラ・フィッツジェラルドナット・キング・コールといった導き手や個人的に熱狂するアーティストたちの決定的なマルチディスク・コンピレーションアルバムを作った。もうひとつあった彼の大きな音楽的情熱は、2004年に大絶賛された本『Sinatra』へと結びついた。

音楽やさらに遠く離れた場所における多くの名高い関係者の友人として、彼はゲイリー・バーロウ、トニー・ヴィスコンティ、TV出演者のレン・グッドマン、そして映画、ステージ監督のピーター・グレンビルの自伝も共著を担当した。彼が詳細に調査した他の多種多様な題材の中には第二次世界大戦中のBBC、フットボール、タイタニック、そして彼が元々在籍していた航空業界があった。

ロンドン近郊サリー州のカーショールトンに生まれたリチャード・ハーヴァーズはライギット・グラマー・スクールにて学び、18歳の時にロンドン・ガトウィック空港に本社があるブリティッシュ・カレドニアン航空に入社した。彼はそこで延々と続く広告のCMソングを書き、プロデュースを担当。その16年後、コンチネンタル航空へと転職した。彼はマーケティング・エグゼクティブとしてリチャード・ハーヴァーズの人生の中で初めてライター業と出会った。コンチネンタル航空は、筆者がプロデュースし、のちに司会を務め世界的放送番組となった週1回のイギリスの音楽ショー、ロック・オーバー・ロンドンの公式スポンサーとなった。彼の影響もあり、ルート88やロンドンでのカントリー・フェスティバルなど航空会社が音楽イベントのスポンサーとして名乗り出たのだ。

1989年にコンチネンタル航空を退社後、リチャード・ハーヴァーズはデイリー・テレグラフ新聞やタイムズ紙、レコード・コレクター誌といった媒体に執筆しながらライター、ジャーナリストとして彼の新しい評価を磨き始めた。とりわけ印象的なコラボレーションが実現したのが2011年だ。ルイ・アームストロングの遺産との彼の関わりが、BBCラジオ2のドキュメンタリー『Satchmo By Satchmo』を作るきっかけを筆者に与えてくれ、ジャズ界のレジェンドによる未公開の個人的なオーディオ・ダイアリーを使用することが出来た。

リチャード・ハーヴァーズと彼の妻クリスティーン

uDiscoverの共同設立者として、リチャード・ハーヴァーズはuDiscoverを音楽に関する世界の情報源として確立することを支える原動力だった。ジャンルや世代を超えながら、彼が音楽自体を見てきた同じやり方でアピールするように考案してきた。彼はたびたび夜遅くまで記事を投稿し、彼のトレードマークでもある熱意を奮い立たせていた。

リチャード・ハーヴァーズと共に働く機会に恵まれた私たちは、ここ最近、彼の病に立ち向かう挑戦的な積極性を見てきた。私たちの人生への彼の貢献と、このサイト中に、そしてあらゆる他の場所に彼が残してくれた仕事は、彼を亡くしたことに対する反応からよくわかるだろう。そして彼の忘れられない署名記事として残るだろう。

Written by Paul Sexton


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