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レッド・ホット・チリ・ペッパーズ『Mother’s Milk』: ファンクとラップが融合した先駆的作品

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レッド・ホット・チリ・ペッパーズは、ファンクとラップが融合した先駆的アルバム『Mother Milk (母乳)』で、挫折から立ち直り、彼ら自身とそのサウンドを立て直した。


80年代後半頃のレッド・ホット・チリ・ペッパーズは、まだ今のような影響力のあるファンク・ロック・バンドでなかったことは、つい忘れがちである。そんな彼らのキャリアを大きく変えていたかもしれないような分岐点1989年にあった。ところでこの時にはすでに彼らは地元ロサンゼルスで少しばかり人気があって、特に大学生の界隈においては、荒々しいファンクやロックのサウンドと、あの裸に靴下を股間につけたコスチュームに至るような、やり過ぎなライブ・パフォーマンスも相まって、人々の好奇心の的となっていた。

アルバム『Mother Milk』の制作に取り掛かろうとする頃、バンドを悲劇が襲った。1988年、結成メンバーであり、このバンドの生みの親のような存在であったギタリスト、ヒレル・スロヴァクがヘロインのオーバー・ドーズで亡くなり、それが原因でドラマーのジャック・アイアンズもバンドを脱退してしまった。代わりのメンバーはなかなか見つからなかったが、最終的には当時10代の天才ギタリスト、ジョン・フルシアンテと、ドラマーにチャド・スミスを加え、フロントマンのアンソニー・キーディスは彼自身のドラッグ常習癖を克服して、レッド・ホット・チリ・ペッパーズは新たに生まれ変わった。

 

衛兵の交代

メンバーが一新されて、バンドの方向性をはっきりとさせたところで、彼らは『Mother Milk』のレコーディングのためスタジオに向かった。活動が始まったのがあまりにも早かったにも関わらず(スミスがバンドに加入してから2~3ヶ月しか経っていない)、プロデューサーのマイケル・バインホーンとバンドはその状況下で最大限の力を発揮した。その両者は緊張関係にあり、アンソニーは彼の自伝『スカー・ティッシュ―アンソニー・キーディス自伝』の中で、プロデューサーとバンドの間に、サウンドについての対立があったと書いている。

「バインホーンは、俺たちが昔から好んで使っていたギター・サウンド、つまりアシッド・ロックみたいな音や、しなやかでセクシーなファンク・ギターに反して、ジョンにメタルみたいなでかいクランチ・サウンドを出させようとしたんだ」

サウンドスタイルに関して両者が対立を繰り返すうちに、個性が破壊されて、最終的にアンソニーのボーカル能力とフルシアンテのギターのプレイが最大限に引き出されたといってもよい。

1989年8月16日にリリースされた『Mother Milk』は、レッド・ホット・チリ・ペッパーズがメインストリームでの大躍進を果たした最初のアルバムだといえる。バンドの爆発的なサウンドは、プロデューサーのバインホーンによってうまく引き出されたが、これは一朝一夕で成し得たものではなかった。カレッジ・ロック時代の彼らは、ギャラを払ってファンク界の王であるジョージ・クリントンに彼らのセカンド・アルバム『Freaky Styley』のプロデュースを頼んでいたこともあった(下記曲「The Brothers Cup」はパーラメントによる「Give Up the Funk」のオマージュとされている)。

The Brothers Cup (Remastered)

 

誰もがぶち当たる壁の突破

『Mother Milk』の成功によって、レッド・ホット・チリ・ペッパーズはついに誰もがぶち当たる壁を突き抜けた。バンドの中に新たに流れたエネルギーと叙情的なメッセージは、たとえば「Knock Me Down」に見受けられる。ジャリジャリと鳴るリフとヘヴィーなドラムに合わせて、アンソニー・キーディスがセックスやドラッグといったロックンロールな生活に潜む落とし穴について歌っている。このバンドがセックスや、楽しく過ごすことから一歩進んだ問題に明白に取り組んだのはこの時が初めてだった。新たなメンバーでリリースされたこの『Mother Milk』に、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの未来の成功の最初の兆しが見られることは間違いない。

Knock Me Down (Remastered)

負けじとばかりに、ファンキーな1曲「Nobody Weird Like Me」ではフリーが動力源となって、彼らの初期を思い出させるような、エキセントリックで、若々しいスタイルに立ち返っている。この激しいアルバムの1曲目、「Good Time Boys」は、アルバム内の他の楽曲に比べてメタル感が強い。しかしこのバンドが様々なジャンルの音楽を巧みに混ぜ合わせて、1つのものに出来ることを証明している。マシンガンのような速さにアレンジしたジミ・ヘンドリックスのレパートリーのカヴァー「Fire」でも同じようなことが言える。ちなみにこのカヴァーは、亡きギタリスト、ヒレル・スロヴァクに捧げたもので、アンソニーが歌詞を元の「動け、ローバー、そしてジミに代われ」から、「動け、ローバー、そしてハックルベリーに代われ」と、彼のニックネームに変えている。

Fire (Remastered)

 

さらなる高みへの到達

レイカーズの伝説的なポイント・ガードに捧げられた曲「Magic Johnson」のような、このバンドに期待されていたパンク・ロック風のサウンドと同じくらいに、彼らは「Knock Me Down」のような比較的繊細なサウンドも得意としていた。しかしスティーヴィー・ワンダーのカヴァー「Higher Ground」によって、彼らはもっと別の高みへも上っていった。レッド・ホット・チリ・ペッパーズは1973年のオリジナル版のような比較的落ち着いたグルーヴ感に、彼ら特有の狂ったような混乱を加えた。

「Higher Ground」は、凄まじい速さのテンポではないこと以外、「Nobody Weird Like Me」によく似た、聴き手を打ちのめすような曲に仕上がっている。この曲のエネルギーは、同じくらい混沌としたミュージック・ビデオを生み出し、MTVでの放映によってレッド・ホット・チリ・ペッパーズの知名度を上げた。これで彼らのスターダムに上る準備は整った。

Higher Ground (Remastered)

 

彼らの商業的な成功は、リック・ルービンがプロデュースした次のアルバム『Blood Sugar Sex Magik』のリリースまで叶わなかった。しかし、『Mother Milk』は、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのまだ無秩序だった頃が残されていることと、またこのアルバムで試みたファンクとヒップ・ホップとハード・ロックの融合は、その後10年間に世に出るレコードのために道を開いたといえることで、価値あるものだ。

『Mother Milk』はリリースしてから1年以内にゴールド・ディスクに認定され、後にプラチナ・ディスクを受賞している。バンドになって短い期間しか経っていないにもかかわわらず、フルシアンテとスミスの加入は、レッド・ホット・チリ・ペッパーズに必要な最後の要素だったということが証明され、この時、世界的な成功への進路が彼らに示された。

Written by Wyoming Reynolds



レッド・ホット・チリ・ペッパーズ『Mother’s Milk』
CD / iTunes / Apple Music / Spotify



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