フランク・ザッパの20曲:完璧な狂気と熟練の技

12月 4, 2017


フランク・ザッパの20曲:完璧な狂気と熟練の技

フランク・ヴィンセント・ザッパは、この地球上で生きた52年の間に、信じられない数の偉大な曲を世に送り出した。彼は生存中に、100枚近くのアルバムを制作し、多数の優れたコンピレーション・アルバムと、数十のシングル曲(非常にレアな曲も含まれる)を発表しただけでなく、様々なアーティストのトリビュート・アルバムの主題となった。彼の残した遺産は多岐に渡る。ポール・マッカートニーは『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』は、ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションのデビュー・アルバム『Freak Out!』に、幾らかインスパイアされていると認めていた。フランク・ザッパの音楽は、アヴァンギャルドから、ミュージック・コンクレート、インダストリアル、ネオ・クラシカル、シアトリカル・ロックまで、幅広く網羅していた。

ロック、あるいはポスト・ロック界で、‘天才’の名に値する数少ないアーティストの一人であるフランク・ザッパは、様々な毒を持ちながら、権力とカウンターカルチャーの両方をからかうことで、そのキャリアを始めた人だったかもしれない。しかし、彼は言論の自由と個人の選択の擁護者であり、怖れずに北米の岩を覆し、その下にあるものを見ようとしながら、彼に対して発せられるどんな辛辣な意見も受け入れる覚悟をしていた。彼はプラハのビロード革命家達に敬意を表され、チェコスロヴァキアの劇作家/哲学者のヴァーツラフ・ハヴェルの友人にもなった。それから、より日常的なレヴェルの話をすると、フランク・ザッパはローリングストーン誌の‘史上最も偉大なギタリスト達’リストの上位に入った。

フリー・ジャズ(アルバート・アイラー式)や、イゴーリ・ストラヴィンスキー、エドガー・ヴァレーズ、アントン・ヴェーベルンといったクラシック音楽と並んで、メタル、ポップ、ロック、ブルースの全てが、フランク・ザッパの視野に入っていた。そして、彼自身の影響は、商業的な成功を遥かに超越する幅を持っている。実際、彼は音楽を大量に制作する上で、それほど苦労も我慢もしなかった。彼は大量のアイディアの持ち主で、1993年に若くして他界しなければ、今でもスタジオで曲作りを続けていたに違いないのだ。

何よりも、彼は偉大なミュージシャンであり、ソングライターとしても崇拝されていた。以下に、フランク・ザッパの最高の20曲のプレイリストを公開する。

最初から始めるのが最善であろう。フランク・ザッパのザ・マザーズ・オブ・インヴェンションの1966年のデビュー・アルバム『Freak Out!』のオープニング曲、「Hungry Freaks, Daddy」で、彼は偉大な社会(1965年にジョンソン大統領が提唱した社会福祉政策)に対するカウンターカルチャー的な視点を提唱している。当時のアメリカは、社会的に混迷しており、サイケデリックな対処が、フランク・ザッパのしばしば引用される皮肉な言葉だけでなく、深い分析と共に、社会の受け口になっていた。デヴィッド・ボウイの「Moonage Daydream」は、「Freak out, far out(自制を捨てて飛べ、遥か遠くへ)」というマントラを引用しているように思えるために、彼がこのアルバムを知っていたのだと考える者もいる。そして、デヴィッド・ボウイはその後に発表された曲「Wowie Zowie」から、彼の息子の名前を取ったのかもしれない。

Frank Zappa Who Are The Brain Police Single Label - 300

ロック界の陰謀について探求したいのなら、短い曲「Who Are The Brain Police?」を解明するといい。非常に不気味なジョージ・オーウェル風の酷評である。この曲は、作曲者自身を怖がらせ、彼はこの曲を生み出すことを懸念したと認めている。「朝5時に、誰かがこれを俺の頭の中で歌い続けていて、それを書かされたんだ」と、彼は振り返った。「それを最終的に大音量で演奏して、歌詞を歌った時、恐怖を感じたのは確かだ」。

しかし、フランク・ザッパはヒッピーの言論の枠の中に留まることに満足しなかった。1967年のアルバム『Absolutely Free(邦題:マザーズ・オブ・インヴェンションの自由な世界)』収録の「Brown Shoes Don't Make It」のブルージーな始まりは、バロック、サーフ、そしてロック・オペラなどの様々な音楽スタイルに道を譲っている。歌詞はブラック・ユーモアであり、新しい社会風刺であった。そしてこの曲は、アンダーグラウンドについて7分強の曲で語るという、フランク・ザッパの革命的な試みの青写真として残っている

ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションの3作目、『We're Only In It For The Money(邦題:マザーズ・オブ・インヴェンションのおかしな世界)』は、明らかに物質主義者のロック文化をからかっており、『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』にも突っ込んでいる。おそらく、このアルバム中で最も奇妙な曲は、短い「Concentration Moon」だ。この曲では、人々—反体制の人々や、少数派の人々など—が、バスに乗せられて連れ去られ、投獄される。複雑な曲ではないが、このヘヴィな短い曲は、今なお強い共感を呼ぶ。

ここで息抜きをしよう。「Stuff Up Cracks」である。1968年後半に発表されたアルバム『Cruising With Ruben & The Jets』には、少々実験的なドゥーワップの曲でくつろぐ機会が豊富に含まれている。ドゥーワップはフランク・ザッパが若い頃に好きだった音楽であり、それは彼自身のイタリア系アメリカ人のルーツに端を発している。クールなレイ・コリンズのヴォーカルと、魅力的なホーンと、フランク・ザッパの素晴らしいギター・ソロの恩恵を受けたこの曲は、ロイ・エストラーダのタイトなリズムと、ジミー・カール・ブラックと、アーサー・ダイアー・トリップ3世のドラムに支えられた、マザーズ・オブ・インヴェンションの名曲である。それは典型的なフランク・ザッパではないとあなたは言うかもしれないが、そうだとしたら、典型的なフランク・ザッパとは何であろう?

Frank Zappa Crusing With Reuben And The Jets Album Cover - 300

『Hot Rats』(1969年)には、優れた曲が詰まっているが、永遠のライヴ定番曲となったインストゥルメンタル曲の「Peaches En Regalia」(シングルとしても発表された)は、今なお名曲である。フランク・ザッパが息子ドゥイージルの誕生を喜んでいたソロ活動の初期のこの曲は、スタジオでのハーフスピードのマスタリングと、前衛的なフュージョンの要素が特徴だ。スティーリー・ダンとウェザー・リポートの突飛な組み合わせの曲を、想像してみて欲しい。そして、シュギー・オーティスがベースをかき鳴らし、風格のあるイアン・アンダーウッドが重要なホーン部分を演奏している。この曲は、聴く度に新しい音を発見するだろう。

『Burnt Weeny Sandwich』への強い思い入れを飛ばして、『Weasels Ripped My Flesh(邦題;いたち野郎)』と、ローウェル・ジョージ(後にリトル・フィートとして有名になる)をフィーチャーして拡大されたマザーズを紹介しよう。ライヴ録音とスタジオ録音の両方を収録した素晴らしいマザーズが堪能出来るこのアルバムは、初期のネオン・パークのクラシックなアートワークで、「My Guitar Wants To Kill Your Mama」が収録されている。この曲は完璧で、驚くほどフォーキーなアコースティック・ギター・ソロと、スティーヴ・ミラー・バンドのアルバムでも聞けるようなブルースのリズムを伴った素晴らしいワープ・ロックである。

Frank Zappa My Guitar Single Sleeve - 300

カリフォルニア大学ロサンゼルス校でレコーディングされた1972年の『Just Another Band From LA(邦題:LAからやってきたバンド)』は、ザ・タートルズのハワード・ケイランとマーク・ヴォルマン(別名フロー&エディ)が参加した、見逃してはならない作品だ。アルバム代以上の価値を得たければ、横たわって、完全に衝動的な「Billy The Mountain」に浸るといい。クロスビー、スティルス&ナッシュの「Suite: Judy Blue Eyes」への密かな隠喩に次いで、『オズの魔法使い(原題:The Wizard Of Oz)』 を非難するロック・オペラ・パロディである。この変わった曲の実験的な性質を考えると、この曲の大半はスタジオで数回通して演奏した後、その場で即興で作られたのだと予想される。しかし、そのおかげでこの曲には、ユーモア溢れる緊張感が加わっている。

常に多産なフランク・ザッパと彼のマザーズ・オブ・インヴェンションは、1973年の『Over-Nite Sensation(邦題:興奮の一夜)』でも絶好調であった。これまで以上に性的な風刺を含んだコミカルなロックの狂想アルバムだ。当時は嘲笑されていたが、「Camarillo」、「I'm The Slime」、「Dinah-Moe Humm」、「Dirty Love」などの名曲のおかげで、今聴いても非常に素晴らしい。だが、聞いていただきたいのは、ティナ・ターナー&ジ・アイケッツと、風変わりなシンガー・ソングライター、キン・ヴァッシーをフィーチャーした「Montana」である。もの凄く複雑でファンキーなこの曲では、アンサンブルが炸裂しており、それ以上にフランク・ザッパの長いソロが強力である。

フランク・ザッパはこの時期と、1974年発表の、アメリカで最も成功を収めることになったアルバム『Apostrophe(')』の間の復興を満喫した。「Don't Eat the Yellow Snow」はエスキモーと毛皮の捕獲者を懸念する一節で始まるが、最後は、フランク・ザッパの最もふざけた不敬な曲のひとつとして終わる。それによって、興味を失わないでいただきたい。奔放なリズムとパーカッションが満載で、レーベルのディスクリートは、この曲をシングルとしても発表し、そのおかげもあって、アルバムは全米チャートのトップ10入りを果たした。歌詞の内容を考慮すると、驚くべき結果である。

Frank Zappa Don't Eat The Yellow Snow Single Label - 300

この曲と比べ、比較的左寄りではない曲として、「Cheepnis」も聞いてみて欲しい。ライヴ録音とオーバーダブのアルバム『Roxy & Elesewhere(邦題:10年目のマザーズ)』収録の美味な曲だ。ナポレオン・マーフィー・ブロックと、元祖ファンクスターのジョージ・デュークを迎えて新体制になったマザーズ・オブ・インヴェンションの、聴き逃すことのできない実験的な曲で、B級映画の効果音が響き渡っている。

マザーズ・オブ・インヴェンションというコンセプトは、前衛的な「Inca Roads」で幕を開けるものの、一連の代表的なサウンドと、有名なフランク・ザッパのギター・ソロのおかげで全体的に素晴らしい作品となった『One Size Fits All(邦題:万物同サイズの法則)』で、終わりを迎える。このアルバムは、彼自身が発明したゼノクノニー(Xenochrony)というスタイルを例示しており、そのスタイルでは、ある曲の一部を繋ぎ合わせて完全に新しい曲を作り出していた。人の心を揺るがすスタイルである。

新たな多産の年に、フランク・ザッパは彼のレーベル・メイトで、友人で、同類の変わり者であるキャプテン・ビーフハート(別名ドン・ヴァン・“グレン”・ヴリート)と、正式にチームを組んだ。しかしながら、その結果は人々の予想よりもアヴァンギャルドではなかった。1975年のアルバム『Bongo Fury(邦題:狂気のボンゴ)』は、全曲満足させられる出来であったが、我々は魅力的な「Advance Romance」をリストに入れた。ラヴ・ソングが作曲され、提供されることに関して、パロディ的だが愛情に溢れた洞察がなされている曲だからだ。70年代中盤の、ソウルフルなブルース曲である。

Frank Zappa Bongo Fury Album Cover - 300

よりミニマリストとしてのアプローチが取られた『Zoot Allures(邦題:虚飾の魅惑)』は、昔の要素、特にドゥーワップとブルース・ロックが取り入れられた。歌詞ではディスコとドイツの文化と、性的なステレオタイプが一緒に語られていた。しかし、「Wind Up Workin In A Gas Staion」にはダークな社会論評が込められており、労働観を嘲笑的に破壊することが、どうにかブラックな笑いとなっていた。

『Studio Tan』と 『Sleep Dirt 』(両方とも良作である)を非難せずに、ロンドンのハマースミス・オデオンとニューヨークのザ・パレディアムで録音された、記念碑的な2枚組の『Sheik Yerbouti』に注目してみよう。国内のラジオであまりプレイされなかった曲のひとつが、スカトロジー的な「Bobby Brown」だ。この曲では、嗜好の境界を無視することのフランク・ザッパの喜びが、頂点に達している。北欧で非常に人気になり、ゴールドを獲得(ドイツだけで25万枚)したシングル曲で、彼の最大の商業的成功と言えるかもしれない。そして、ライヴでも大人気の曲となった。

Frank Zappa Bobby Brown Single Sleeve - 300

1979年、フランク・ザッパはゼノクロニーとプログレッシヴなギター・ソロに一層夢中になったが、それと同時に北米のFMラジオで大量にオンエアされるという時期を楽しんだ。『Joe's Garage Act I(邦題:ジョーのガレージ第1集)』収録の「Joe's Garage」は、皮肉たっぷりのガレージ・パンクへの酷評に基づいている曲だが、神の顕現の主唱者達を利用して、堂々と厭世的でありつつ、企業の検閲に逆らうパンクのクラシック曲として仕上がっている。

同アルバム収録の「Watermelon In Easter Hay」は、フランク・ザッパのお気に入りの楽曲としてしばしば紹介されている。このアルバムの他のどの曲よりもずっと明るい曲で、流麗なギター・ソロが、所々でピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアを彷彿とさせ、それだけでも聞く価値があるし、彼の作曲能力を証明する曲でもある。(オリジナルのタイトルは「Trying To Play A Solo With These Guys Is Like Trying To Grow A Watermelon In Easter Hay」だったが、多分、長過ぎたのであろう。)

ギターの編さんの芸術(と暴露)に打ち込んだ一連のアルバムの後、フランク・ザッパは「Valley Girl」で後年のヒットを手にした。この曲で彼は、ファンにサンフェルナンドの女学生“Valspeak”のカルチャーを紹介した。彼はしばしば新奇なアーティストと見なされていたために、その結果は、諸刃の刃であったが、この曲のジョークは伝わった。このシングルは、当時14歳の彼の娘で、この曲のインスピレーション(かつヴォーカリスト)のムーン・ユニット・ザッパを、スターにのし上げた。さらに、アルバム『Ship Arriving Too Late To Save A Drowning Witch(邦題;辿り着くのが遅すぎて溺れる魔女を救えなかった船)』はチャートのトップ30入りを果たし、シングルは最高位12位を達成した。

Frank Zappa Valley Girl Single Sleeve - 300

80年代のフランク・ザッパは、ロックに背を向けてはいなかったが、それ以外の彼が好きな音楽——主にボウルズ、ストラヴィンスキー、エリック・ドルフィー、そしてポストバップ・フリー・ジャズ——に、はるかに興味を示していた。このジャーニーを終えるために、彼の生存中の最後のアルバムとなった、1993年の『The Yellow Shark』収録の「Uncle Meat」を聞いて欲しい。モダン・アンサンブルをフィーチャーしたこのアルバムは、莫大な功績のキャリアを締めくくっている。トム・ウェイツ(駆け出しのアーティストとして、一度フランク・ザッパのツアーの前座を努めた)が、この作品を最も的確に評している。

Frank Zappa The Yellow Shark Album Cover - 300

「アンサンブルに、畏敬の念を覚える。この作品は、多彩で豪華で盛大な見せ物である。彼の完璧な狂気と熟練の技が、はっきりと表れている。フランクは左にエルモア・ジェームズを、右にストラヴィンスキーを備えて支配する。彼は、最高に奇妙な道具を使って、支配し、君臨するのだ」

フランク・ザッパの最後のパフォーマンスのひとつが、アルバムの最後を飾る大作「G-Spot Tornado」だ。この曲で彼は病気に打ち勝ち、フランクフルトのステージ上を行進し、アンサンブルを指揮して、人生最大の拍手喝采を浴びた。彼のようなアーティストは、二度と現れることはない。

Written By Max Bell


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♪ プレイリスト『フランク・ザッパの20曲』 spotify_logo_link

 

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