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60年代のフランク・ザッパ:サイケ風の皮肉屋が残した作品たち

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Freak Out - Frank Zappa In The 60s uByte Art with logo


フランク・ザッパはLSDを摂取したことは一度もなかったし、そもそもドラッグを使うことに対して非常に否定的だった(まあ、時おりビールをたしなむことくらいはあったかもしれないが)。そんな人物ではあったけれど、ザッパはサイケデリック・ブームの最前線に立っていた。しかし彼は、アングラ・シーンの正式メンバーというより、サイケ風の皮肉屋として考えたほうがいいのかもしれない。

Frank Zappa Freak Out Album Cover - 300

ザッパは実に奇妙なキャラクターではあったけれど、薬物に溺れない真面目な人間だったようだ。そうした性格は、イタリア系の家庭で育ち、病気がちな少年期を送ったことで育まれたのかもしれない。それでも彼は、60年代中期にロサンゼルス周辺で進んでいた社会の変化に敏感に反応した。ザッパと彼が率いるバンド、マザーズ・オブ・インヴェンションは有名プロデューサーのトム・ウィルソンの目に留まり、ヴァーヴ・レーベルと契約する(ザッパはLSDに耽溺することはなかったが、マザーズの他のメンバーはリーダーとはまるで正反対の態度だった)。彼らは1966年にシングル「Trouble Comin’ Every Day」を発表しているが、この曲はロスのワッツ地区で起こった暴動をいち早く採り上げていた。これは、マザーズのデビュー・アルバム『Freak Out!』から出た第2弾シングルだった。アルバム『Freak Out!』は二枚組で、ボブ・ディランの『Blonde On Blonde』のすぐあとに発表された。このアルバムに収められた実にサイケデリックなサウンドの曲では、当時最新鋭の電気的なエフェクトが使われている。そうした曲の例としては、「Hungry Freaks, Daddy」「Who Are The Brain Police?」、そして三部構成の組曲「Help, I’m A Rock」などが挙げられる。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『The Velvet Underground & Nico』(やはりウィルソンのプロデュースでMGM/ヴァーヴから発売された)と同じように、『Freak Out!』も発表当時は知る人ぞ知るレコードだったものの、のちに重要な作品として有名になっていった。この記念碑的アルバムは、イギリスやヨーロッパ各国では輸入盤で広く出回っていた。ポール・マッカートニーはこのアルバムに影響を受けたことを認めており、ビートルズのメンバーにも聴くように勧めた。ジョン・レノンもやはり興味を持ち、やがて『Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band』の制作を開始したビートルズはザッパの大胆なサウンドを一部で取り入れることになった。

プロデューサーのウィルソンは、マザーズをエレクトリック・ブルース・バンドだと考えていた。しかし当時頭角を現しつつあった若手バンドの主流派(たとえばグレイトフル・デッド、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、バーズ、ラヴ、ドアーズ、スティーヴ・ミラー・バンド、ジェファーソン・エアプレインなど)と比べると、マザーズはかなり傍流に位置していた。それでも彼らは、西海岸のあちこちでそうした有名バンドと同じステージに上がっている。ザッパは、自分が設立しようとしていたレーベルでドアーズと契約することさえ考えていた(ザッパにドアーズのことを教えたのは、キャプテン・ビーフハートだった)。

マザーズの耳障りな不協和音を巧みにレコード化したウィルソンの功績は見過ごすことができない。ザッパはのちにこう語っている。「トム・ウィルソンはすごい人だった。彼にはヴィジョンがあったんだ。俺たちの味方になってくれたんだよ」。マザーズがウィルソンと共に最初に録音した2曲は「Any Way The Wind Blows」と「Who Are The Brain Police?」。レコーディング・ブースの中にいたザッパは、防音ガラス越しにウィルソンの反応を見つめていた。「”Brain Police”を聴いた途端、彼はニューヨークの本社に電話をかけて、”私にもよくわからないですが……”って感じで喋ってた。たぶん、困った事態になったことを穏便に伝えようとしてたんじゃないかな」それでもウィルソンは、最終的にはマザーズのために危ない橋を渡る決意をした。ザッパはこう語った「彼は、自分のクビを賭けてあのアルバムをプロデュースしたんだ」。

Frank Zappa Absolutely Free Album Cover - 300

ウィルソンはLSDの愛好者でもあり、『Freak Out!』のレコーディング・セッション中には頻繁にLSDを摂取していた。その後マザーズはメンバーを増やし(新たに加わったのは、ジム・フィールダー、バンク・ガードナー、ドン・プレストン、セカンド・ドラマーのビリー・マンディという顔ぶれ)、1967年のセカンド・アルバム『Absolutely Free』ではさらに前人未踏の先鋭的なサウンドに挑んでいく。ここでは「America Drinks」や「America Drinks & Goes Home」といった曲で、フリー・フォームの実験的な音作りが取り入れられた。

ザッパは、”寄らば大樹の陰”的な体制順応主義を毛嫌いしていた(彼は、社会の除け者であるフリークスの側ですら、社会本流と同じくらい体制順応的だと考えていた)。そうした嫌悪感は、このアルバムに収められた「Plastic People」や奇妙な曲「Call Any Vegetable」で露わになっている。後者の歌詞は、ビーチ・ボーイズの「Vegetable」に影響を与えたに違いない。このアルバムの広告では、「なんてことだ……君はお母さん(マザーズ)を信用しないのか」というスローガンがうたわれている。また宣伝ポスターでは、マザーズの面々が折り重なって人の山を作り、その前でザッパがギターを構えていた。その姿は、見る者をまるで性的なライフルで打ち抜くかのようだ。

もしサイケデリック・ロックと前衛音楽に何らかのつながりがあるとすれば、それはこのマザーズのセカンド・アルバムにハッキリと表れていた。ここでザッパは、イーゴリ・ストラビンスキーやグスターヴ・ホルストのクラシック作品を何のためらいもなく引用していたのである。一方イギリスのプログレ/サイケ/フュージョン・シーンでは、ザッパの評判は高まる一方だった。

1969年になると、彼はベルギーで開かれたアムージー・フェスティヴァルでピンク・フロイドのステージにゲスト参加し、「Interstellar Overdrive」を演奏することになる。このフェスティヴァルでザッパはMCを務め、友人のキャプテン・ビーフハートと共に会場のあちこちに姿を見せていた。当時ビーフハートはザッパのレーベルの所属アーティストになっていた。

Frank Zappa Lumpy Gravy Album Cover - 300

話を1967年に戻そう。ザッパはこの年2枚目のアルバムとなる『Lumpy Gravy』を制作する。このミュジーク・コンクレート作品で、彼は演奏ではなくアブニュシールズ・エムーカ・エレクトリック・シンフォニー&コーラスの指揮をするほうを選んだ。このアルバムは、20世紀の現代音楽とサーフ・ミュージックとノイズの断片を融合させていた(ゲスト参加者の中にはエリック・クラプトンも含まれている)。これは、人間の想像力を限界まで駆使した徹底的なサイケデリック作品と言っていい。このアルバムでニック・ヴェネットがプロデューサーに選ばれたのは、実に冴えた選択だった。彼はビーチ・ボーイズ、ロード・バックリー、ペギー・リーといったアーティスト/グループと付き合いがあり、ザッパのような型破りな人物からも尊敬される立場にあった。またイタリア系の家庭で育ったザッパは、ギリシア系のヴェネットに自分と似たところがあると考えていた。ヴェネットは自分の所属していたキャピトル・レーベルからこのアルバムを出そうとしたが、それが引き金となり、ザッパとMGMのあいだで法廷闘争が始まった。結局『Lumpy Gravy』はMGMからも別のかたちで発売された。

Frank Zappa We're Only In It For The Money Album Cover - 300

神聖不可侵なものなど何ひとつなし。ザッパの1968年のアルバム『We’re Only In It For The Money』[訳注: 「俺たちは金のためにやってるんだ」という意味]は、パロディ芸術の歴史に残る作品だった。なぜなら、このアルバムのジャケットと収録曲の大半は、ヒッピー文化とビートルズの傑作『Sgt Pepper’s』をあからさまに茶化していたのである。しかし、サイケデリック・ブームを叩いていたからといって、ザッパがあの手の世界に疎かったわけではない。時代を先取りした「Flower Punk」(ジミヘン「Hey Joe」の痛烈なパロディ)を注意深く聴くと、皮肉なスピーチが含まれていることがわかる。ザッパは、あの時代の若者っぽい一人称のお喋りを、ステレオの左右からそれぞれ披露していた。

[左チャンネルのザッパ]「これは僕の人生に起こった中でも飛びきりエキサイティングな出来事。なんていうか、ロックンロール業界に入ることができてほんとラッキーだと思うし、そう思うたびに本当にエキサイティングな気分になる。なんていうか、初めてロックンロール業界に入ったとき、僕はこの曲のコードを、ギターで弾くのもやっとっていう状態だった。でも今じゃ、ずいぶん上達してる。僕はギターを弾けるし、リズミカルにジャカジャカ弾くことができるし、ジャカジャカ弾きながら一緒に歌うことができる。ジャカジャカ弾いて、歌って、踊ることができる。ステージの至るところで楽しくやることができる。それで、なんというか、本当に素晴らしくて……若者のために何かできるって思うのは素晴らしいね。というのも若者の世界も若者の音楽も今一番盛り上がってるから。今のアメリカの若者はほんと素晴らしいよ……。この大規模な社会現象の一部になることができて、誇らしい気分になる。僕がクルクル回るところがあの女の子にも見えてるといいんだけど……。僕が踊ってクルクル回るところをあの子にも見てほしいな。声もかけよう。「やあ、カワイコちゃん!」って。「この曲、もう終わり?」

[右チャンネルのザッパ]「ああ、ほんとにエキサイティングだよ。ロックンロールのレコード作りは。待ちきれないね。僕らのレコードが出ると、それを若者が買い始めるんだ。これで金持ちの有名人になれる! 印税の小切手を手に入れたら、マスタングを1台買おう。いや、買うのは……買うのはコルベットにしよう。いや、買うのはハーレー・ダビッドソンにしよう。いや、車とかオートバイを買うのはやめにしよう。何かやるなら、ボートを買うことにしよう。いや、それもやめにしよう。ええと、不動産を買うことにしよう。したいことと言えば……ラ・シェネガ大通りを買いたい。いや、あの通りを買っても何の役にも立たない。ああ、あの子たちには見えてるのかな。僕がここに立って、タンバリンをクルクル回して踊ってるのが……。たぶん、ライヴのあと、タンバリンをクルクル回して踊ってる僕の姿を見た女の子のひとりが、僕のことを好きになってくれるだろう。そうして僕のところにやってくるから、僕も……僕もその子に近づいて、笑顔を見せれば、向こうも感激するはず。そうしてこう言うんだ。やあ、君みたいなステキな子がこんなところで何やってるの? 僕はロックンロール・バンドをやってるんだ。どうかな、これから一緒に……。「この曲、もう終わり?」

それでも、ユーモア・センスのある人には、「Let’s Make The Water Turn Black」「Take Your Clothes Off When You Dance」「Are You Hung Up?」「Who Needs The Peace Corps?」といったイタズラっぽい曲の面白みが伝わったはずだ。こうした曲には、親世代の堅苦しい価値観を揺さぶる強烈な不道徳さが含まれていた。

同じ年に発売されたドゥーワップ・アルバム『Cruising With Ruben & The Jets』は、ザッパが高校時代に大好きだったグリースたっぷりのロックンロールに捧げた挑発的なトリビュート作。これは以前のアルバムのようなサイケデリック路線からは外れた作品だが、ここには優れたポップ・ソングがズラリと並んでいる。

Frank Zappa Uncle Meat Album Cover - 300

1969年のアルバム『Uncle Meat』は、未完成に終わったSF映画のサウンドトラックとなる予定だった。ただしアルバム・タイトルは、ツアー中のロック・バンドの悪ふざけに由来するものになっている。収録曲の中には2年前の音源も含まれており、たとえば「Louie, Louie」のライヴ音源もそのひとつ。

これはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われた悪名高きコンサートでの演奏だった。このアルバムは全体がモンタージュのようにつなぎ合わされており、その結果、アーヴィン・バーリン風の曲から映画『キング・コング』にちなんだ曲へ……といったようにめまぐるしく曲調が移り変わっていく。またこのアルバムでは、マルチ・インストゥルメンタル奏者のイアン・アンダーウッドが才能を開花させており、彼が活躍する’68年のマイアミ・ポップ・フェスティヴァルでのライヴ音源も収められている。このマイアミ・ポップ・フェスティヴァルの出演陣は、マザーズの他にジミ・ヘンドリクス、ブルー・チアー、チャック・ベリー、ジョン・リー・フッカーという顔ぶれ。さらにこのフェスには、マザーズの心の友とでも言うべきイギリス人バンド、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンも登場していた。

『Uncle Meat』の発表後、今度はフランク・ザッパのソロ・アルバムとして発表された『Hot Rats』は、彼の’60年代の活動を締めくくる作品となった。注目すべきことにこのアルバムのレコーディングでは、ハリウッドのTTGスタジオに設置された画期的な16トラック・レコーダーが使用された。TTGは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ドアーズ、ヘンドリクス、エリック・バードンが好んで使っていたスタジオで、どのアーティストもここに導入された最新鋭の機材をフル活用していた。こうして生まれた『Hot Rats』は、ここまでザッパが出してきたアルバムの中でも最高に素晴らしいサウンドに仕上がっていた。

Frank Zappa Hot Rats Album Cover - 300

のちにザッパは「電気仕掛けのドン・キホーテ」と呼ばれるようになったが、このアルバムの時点でプログレッシヴな志向性をグッと強めていた。そうした音楽性は、華麗なサウンドの「Peaches En Regalia」、キャプテン・ビーフハートをヴォーカルで起用した「Willie The Pimp」、ジャズ・ファンクの大作「The Gumbo Variations」などにハッキリと表れている。この「The Gumbo Variations」では、ヴァイオリン奏者のドン・”シュガーケイン”・ハリスや偉大なR&Bドラマー、ポール・”クール・エイド”・ハンフリーが大活躍していた。ビートルズの『Abbey Road』の2週間後に発売された『Hot Rats』は、現在では’60年代を代表するコズミック・ロックの傑作として評価されている。このアルバムの発表当時、サイケデリック・ブームは終わりを迎えようとしていた。しかしフランク・ザッパのトゲトゲしくも刺激的なキャリアはようやく始まったばかりだった……。

フランク・ザッパの独創的で天才的な音作りをどうかご堪能ください。

Written By Max Bell


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