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フランク・ザッパのドキュメンタリー『ZAPPA』の監督、アレックス・ウィンターのインタビュー

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Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

俳優/映画監督のアレックス・ウィンターが完成させたドキュメンタリー映画『ZAPPA』は、評論家から絶賛されている。この作品は、非常に多作なアーティスト、フランク・ザッパの人間的な側面にスポットライトを当てている。今回のインタビューでは、監督を務めたウィンターに大いに語ってもらった(映画の日本公開、配信は未定)。

『ZAPPA』の監督であるアレックス・ウィンターは、昔から音楽関連の仕事に関わってきた。たとえばサウンドトラックがすばらしい仕上がりになった映画 (『ロストボーイ』と『ビルとテッドの大冒険』の2作品) に出演しているし、インターネットでの音楽ファイル共有の問題を扱った傑作映画 (『Downloaded』) も監督している。それに加えて、彼はフランク・ザッパの大ファンでもあった。

ウィンターは、フランク・ザッパの未亡人でありビジネス・パートナーでもあった故ゲイル・ザッパに伝記映画の監督を任せてほしいと持ちかけた。その時点で、彼はザッパの生涯に関してできる限り多くの情報を既に集めていた。今回のインタビューで本人が語っている通り、彼はゲイルが前向きな返事をくれるとは期待していなかった。それゆえ彼は「神秘のベールを剥ぎ取って、人間としてのフランクを描く映画を作りたい」と提案した。意外なことにゲイルはその案にゴーサインを出した。そうしてできたこのドキュメンタリーは、既にザッパ・マニアのあいだで話題作となった。

ウィンターは、貴重なマスター・テープやライヴ映像が保管されているザッパ家の伝説的な地下倉庫に入ることを許された。また、ザッパのバンド・メンバーや家族、そしてゲイル本人からフランクの人間的な魅力について証言してもらうことができた。映画『ZAPPA』は、新しいもの好きで実験を繰り返していた10代のころに始まり、政治的な活動に積極的に関わるようになった1980年代以降に至るまで、彼の生涯を詳しく描き出していく。ザッパをここまで徹底的に掘り下げたドキュメンタリー作品はこれまで作られたことがなかった。まさに前代未聞の作品と言える。

映画『ZAPPA』は、2020年の感謝祭に合わせて「フランクスギヴィング」と銘打たれた週末にプレミア公開された。6年の歳月をかけて映画の公開にこぎつけたウィンターは、この作品をどのように作り上げたのだろうか。今回のインタビューで、彼はそうした制作の背景について語ってくれた。

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Zappa – Official Trailer

 

今までになかった映像資料

Q: ザッパは私生活を明かさないことで有名でした。その壁を、映画監督としてどうやって突破したんですか?

彼の生涯については、もともとこちらもかなりのことを知っていまいした。だからゲイルにドキュメンタリー映画の話を持ちかけた時は、音楽家としてのキャリアを詳しく辿る以上に、彼の内面的な部分も重視するような構成を提案したんです。ゲイルもそのアイデアをかなり気に入ってくれましたが、「正直なところ、そういう映画は世間に出回っている素材だけでは絶対に作れないはず」と言われました。

フランク・ザッパは、自分のブランドとアイデンティティーを守るためにものすごく注意を払っていた。だからゲイルでさえ、地下倉庫に何が眠っているのか知らなかったんです。そこで倉庫に入ってみると、彼の個人的な資料が信じられないほど豊富に見つかりました。本人のインタビューやナレーションがたくさんあって、そういう資料ではフランク自身が自分の生い立ちについて冗談を交えながら語っているんだ。それが僕らにとって、映画を作るうえでの道しるべになったんです。

 

Q: そうした資料を通じてフランクのことを調べていったわけですが、そこで最初に気づいた点は?

僕のもともとの印象では、実際の彼は世間一般が抱いているイメージよりも温かくて親しみやすい人のような感じがしていました。彼のそういう側面は、調査を始めるとすぐに見つかりました。彼がウィットに富んでいたことはみなさんご承知の通りだけれど、それとは違う種類のユーモアもあった。親しみやすくて、温かくて、人を助けようとする性格の持ち主だったんです。もちろん、みなさんよくご存知のいかにもザッパらしい特徴というのもある。彼は頑固で、気難しくて、厳格。時には、冷淡なことさえあった。

けれど彼には、人間的で親しみやすい別の一面もあった。そういう部分はすぐに見つかりましたね。それから、今まで気づいていなかった部分も発見しました。たとえば仕事に取り組む姿勢とかね。また、政治や社会の問題に関心があったことはこちらも知っていたけど、その方面の活動にあれほど全身全霊を賭けて取り組んでいたとは知りませんでした。

 

Q: その点について言えば、今回の映画はザッパが20代前半で経験した刑務所生活にも焦点を当てていますね。彼は「男だけのパーティーで流す”エロ・テープ”」の制作を依頼されてインチキ・セックス・テープを作ったところ、それが罪に問われて服役しました。その経験が彼にとってかなり重要な意味を持っていた……というのがあなたの意見のようですが。

その通り。だからこそ、そのエピソードをすごく強調して取り上げたんです。彼の精神を激しく動揺させたように思える出来事はふたつあった。ひとつは今話した刑務所入り。そしてもうひとつは、ロンドンでコンサート中にステージから突き落とされて重傷を負ったこと。その事件のあと、フランクは1年間リハビリ生活を余儀なくされています。彼は個人的な自由、芸術的な自由、政治的な自由を大切にする人でした。だからそうした自由が妨げられたときは、自分のペースを乱されて苦労していたんです。

Bobby Brown Goes Down

 

ザッパとPMRC

Q: 同じような理由で、この映画は、ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター (PMRC) の問題も大きく取り上げていますね。ザッパはPMRCに槍玉に挙げられたわけでもないのに、あの団体の活動に対して真剣に戦いを挑んでいました。(参考記事:過激な歌詞と検閲:“Parental Advisory”が生まれる切っ掛け

その点では、本当に彼を尊敬しています。PMRCは「汚らわしい15曲/ Filthy 15」というリストを作って特定の曲やアーティストを槍玉に挙げていたけれど、ザッパはその中には含まれていなかった。とはいえ言うまでもなく、PMRCはそのリストにあげたアーティストだけを懸念していたわけではないし、彼らが導入しようとしていた検閲はすべてのアーティストに影響を与えるような仕組みでした。だからザッパは、その流れが進んでいけば、やがて自分にも影響があるということをはっきりと見抜いていた。

そうして、ほかのどのアーティストも積極的に動こうとしなかったのに、自分から進んでこの問題に取り組んだんです。ザッパよりも売れている大スターだって発言できたのに、そういう人たちはPMRC絡みの公聴会に足を運んだり意見を言ったりしなかった。本当ならそういうアーティストたちがやるべき戦いを、代わりにフランクがやっていた。当時の彼の行動は基本的にそういうものでした。

(PMRCとの公聴会の音源を使用して作った楽曲「Porn Wars」↓)

Porn Wars

 

Q: フランクは13歳まで真剣に音楽を聴いたことがなかったのに、いざ音楽を聴き始めると……どういうわけか、私達が知っているあの「フランク・ザッパ」になってしまいました。この事実は、私にとっては衝撃的でした。彼が「ザッパ」になった理由は、どこにあると思いますか? 彼が天才だったからでしょうか?

フランクは幼少期から創作意欲が旺盛で、情熱的な人間でした。幼少期の早い段階からずっとそうだったんです。芸術的な面で最初に興味を持ったのは映画でした。映画の撮影と編集は、すごく若いころから始めている。当然のことながら、彼はそういう作業を上手にこなしていて、非常に芸術的なアプローチを使っています。そんな創作活動の対象が、まもなく音楽に切り替わっていった。僕にはフランクを診断したり精神分析をすることはできないけれど……とにかく才能という点で言えば、いわゆる「天才的な芸術的才能」の持ち主だったことは確かです。

とはいえ、彼は本当に努力家でした。とても勤勉な独学の人だったけれど、単なる独学に止まらなかった。図書館に行ってひとりで勉強するだけでなく、いろんな教師の話にも耳を傾けていた。たとえば高校時代の音楽の先生からはとても影響を受けています。その高校時代にクラシックの楽譜を書き始め、やがてロックやドゥーワップなどのジャンルの音楽を発見していったんです。

 

Q: フランクのプライベートな面には、特に触れてはいけない部分があったように思えます。つまり妻ゲイルとの関係です。けれどこの映画は、ゲイル以外の女性との関係も取り上げています。そうした部分にどのようにして踏み込んだんでしょうか?

僕はゲイルをとても尊敬していましたし、彼女に関する話は何年も前から知っていました。非常に聡明で、抜け目がなく、非常にタフな人でしたね。自分と夫フランクが何十年もかけて築き上げてきたブランドを信じられないほど大事にして、守り抜こうとしていた。

ゲイルとの最初のミーティングは、基本的にこのドキュメンタリーの話を持ちかけるためのものでした。そのときこちらには、失うものなど何もなかった。なぜなら、向こうが最初からゴーサインを出すとはとても思えなかったので。だから、こちらからはこういう話をしました。

「ザッパを聖人君子のように崇め奉る映画とか、作品を表面的に紹介するドキュメンタリーなんかは作りたくありません。そういうのは不必要だと思います。そんな映画では、フランクという人の深みが全然伝わらないですから」

ドキュメンタリー映画の作り手として、僕は歴史に興味があるし、その人物と時代との関係に関心がある。フランクはセックス革命の先頭に立ったメジャーな音楽アーティストの最初期のひとりでしたし、同じころに活躍したミュージシャンの多くよりも年上でした。その点は僕もかなり意識しています。

その一方で、彼が家庭的な人間で、4人の子供を持ち、自宅スタジオで仕事をしているという二面性の持ち主であることにも気づいていました。そういう面にはとても興味をそそられるし、人間としてのフランクを知る上で大事なカギになると思ったんです。そういう話を、最初のミーティングからゲイルにしたんです。そういう側面を深く掘り下げたいと。ありがたいことに、ゲイルはその話題について語る心の準備ができていました。長々と話してもらうことは出来なかったけれど、それでもなかなか話しづらい点についてこちらに質問をさせてくれました。そのことには、とても感謝しています。

 

ザッパとバンド

Q: この映画にはさまざまなミュージシャンが登場しますが、その中でも特に際立つ存在だったのがルース・アンダーウッド (1970年代前半にザッパのバンドで活躍したパーカッション奏者) です。明らかに彼女はフランクに対して深い愛情を抱いていましたし、ある意味、情緒的な面ではこの映画の軸となる人物でした。

ゲイルが映画の制作を許可してくれたあとはザッパ邸に行く機会がたくさんあったんですが、そういうときにルースもザッパ邸に来ることが何度もありました。そのころゲイルは癌で体調が悪化していて、ルースは食べ物を持ってお見舞いに来たりしていました。だからルースとは何度か顔を合わせていたんです。

彼女には何も言わなかったんですが、僕はずっと前からルースの大ファンで、YouTubeにアップロードされている彼女のビデオをたくさん見ていました。そういうビデオでの彼女は、ザッパのバンドでの演奏や自分自身の音楽教育、ザッパならではの変拍子、そのほか音楽そのものに関する話を細かいところまで語っていました。僕の考えでは、ルースはザッパの作曲スタイルの複雑さをとてもはっきりとした言葉で語れるし、ほとんど研究者のような態度で理解できる人。同時に、とても寛大な心の持ち主でもあった。ルースへのインタビューは、この映画を作る上で重要なカギになると自分でもわかっていたんです。

 

Q: ザッパのバンドには長年にわたってたくさんのミュージシャンが出入りしましたが、今回の映画ではそうしたバンド・メンバーにインタビューをされています。それぞれ在籍した時代は違いますが、ザッパのバンドでの経験という点でどの人にも共通する点はあったのでしょうか?

確かに共通点はありました。バンドの元メンバーの中には、ザッパといい関係をずっと保っていた人もいるし、かなりひどいかたちで付き合いが終わった人もいます。ザッパのバンドではそういうことが時々あったんです。メンバーをクビにして、それでおしまい。ザッパはそういうことを何度も何度も繰り返していて、それは誰もがよく知る話ですよね。

だから、インタビューの中でザッパに対して喧嘩腰になる人もいるだろうなとは思っていました。でもロックンロールをテーマにした映画なら、例え誰が題材でも、喧嘩腰の場面がつきもの。だから覚悟はしていました。でもありがたいことに、実際にインタビューしてみると、どの人もザッパのバンドに参加できたことを明らかに感謝していた。たとえ在籍時にストレスに満ちた経験をしていたとしても。

それはミュージシャンだけの話に限りません。[粘土アニメーション作家の]ブルース・ビックフォードも同じでした。すごく反感を抱いていたり、あるいは遠い昔の話として片付けていたりするという点で。けれどそういう表面的な部分の下には、アーティストとしてのザッパをものすごく尊敬する気持ち、自分から才能を引き出してくれたザッパにものすごく感謝する気持ちがありました。それはどの人にも共通していましたね。

Frank Zappa – Montana (A Token Of His Extreme)

 

ザッパとドラッグ

Q: ザッパに関する伝説的なエピソードのひとつとして、「ドラッグをやったことがない」というのがあります。これについては、今回の映画の中でも検証されていました。

ザッパはドラッグに対する反感がとても強かった。彼の代弁者になることはできないけれど、そういう反感を抱いた理由についてはふたつばかり思い当たることがあります。

まず、これは本人が明言していた理由ですが、ザッパの曲は演奏するのがとても難しい。それは彼自身もわかっていた。自分が求めるようなサウンドを実現できないことが多くて、不満は募るばかり。どんなに頑張っても、どれほど優れたバンド・メンバーを揃えても、頭の中で思い描いていたサウンドにならない。だから、これは当然の判断だと思いますが、もしバンド・メンバーがドラッグをやって精神状態がおかしくなったら、演奏がもっとひどくなるはずだと考えていた。だから、そういう事態は望んでいなかった。

それともうひとつ考えられる理由として、フランクが社会的なムーブメントをとても警戒していた点があると思います。1960年代のアメリカではさまざまなムーブメントが起こっていて、それが国のすべてを代表しているような感じでした。誰もが、そのどれかに参加しなきゃいけないような雰囲気だった。

たとえば共和党の大統領候補ゴールドウォーターの支持層、あるいはヒッピー、あるいは退役軍人、あるいはニューヨークの芸術家グループ、あるいはヘイト・アシュベリー……。

ザッパはそういったものをすべてはっきりと否定しています。ヒッピーを嫌っていたし、サンフランシスコのヘイト・アシュベリーのムーブメントに参加するつもりもなかった。ニューヨークで活動していたアンディ・ウォーホルのファクトリーやベルベット・アンダーグラウンドに対しても反感を持っていた。活動初期に彼が示していた反ドラッグの姿勢は、部分的にはドラッグ・カルチャーへの拒否反応でもあったと思うんです。だから「もしお前がああいうドラッグ漬けのヒッピーの抜け作になるのなら、うちのバンドからは出て行ってもらう」という態度でした。それがかなりの動機になっていたと思います。

 

Q: それにもかかわらず、ザッパはヒッピーっぽいユートピア的理想主義のようなものを持っていましたよね。それは、「Take Your Clothes Off When You Dance」のような曲からうかがえます。彼はただ、自分なりの独自のムーブメントをやりたがっていたようにも思えます。

そういう見方は100パーセント正しいですね。フランクにはそういう部分もあった。彼がウォーホルのファクトリーに近いことをやろうとしていたのは確かです。たとえばニューヨークのギャリック[・シアター]でやっていたハプニング満載のライヴは、エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブルみたいな当時のほかの動きとそれほど違わない。

ただしザッパは、ほかの誰かが作った集団の一員になりたくなかった。そういう姿勢だったから、ラジオでヒットするような曲を出すことにもまるで無関心だったんじゃないかなと思います。ムーブメントやヒット曲志向に何らかのかたちで屈服した場合、自分の作品や個性が嘘くさくなるんじゃないかと心配していたように思います。誰でもそうですが、ザッパも時には少し押し付けがましい態度をとったり、矛盾した言動をしたりしたかもしれない。彼だって人間ですからね。

Take Your Clothes Off When You Dance

 

ザッパと”ヒット”曲

Q: 「Valley Girl」がヒットしたあと、それに続くヒットを出すことにザッパは興味がないのだろうと誰もが思いました。しかしこの映画では、彼が積極的にヒットを避けていたのではないかという見方をしていますね。

「Valley Girl」のあと、ザッパは口直しをしていたんだと思うんです。彼があの曲を非常に誇らしく感じていたのは間違いない。僕の中では、その点は疑う余地はありません。僕らが発掘したどのインタビューでも、彼はそういう気持ちを隠していなかった。それに、娘のムーンと組んであの曲を作ったことも非常に誇らしく感じていた。その話題になると、フランクの目は輝いていたんです。

とはいえ、ただの「Valley Girl」の人、つまりあの手の曲を作る人になってしまうのが嫌だったんだと思います。そういうレッテル張りにはキャリアを通して抵抗していたし、アルバム作りでも抵抗していましたからね。

表面的には風刺っぽい曲やポップ・カルチャーっぽい曲を作ることもあれば、そういうものとは違う不協和音に満ちた曲を作ることもあった。だから、ああいうレッテル張りに抵抗するのは昔からのことだった。けれど「Valley Girl」のときは、以前よりも危険を感じていたかもしれません。なぜならあのころはもう1980年代でMTVの時代になっていましたからね。突然「参ったなあ、このままだとコミック・ソングを歌うだけの変な奴になりかねない」と思った。それで不協和音に満ちた自作のオーケストラ作品の初演を聴くために、UCLAのコンサート・ホールに行ったりしていたわけです。

Valley Girl

 

映画のクライマックス

Q: 今回の映画は、終盤の「イエロー・シャーク」のセッションでクライマックスを迎えます。あの場面は、フランクが昔からずっと目指してきた完璧な演奏がついに実現した瞬間のように感じられました。

僕もそう思いますし、フランク自身もそう言っていました。だから、故人の気持ちを勝手に憶測で代弁していることにはならないと思います。この映画の中で、スティーヴ・ヴァイもはっきりと明言しています。あれは、それまでの流れが結実した瞬間だったとね。

フランクは、自分の曲をオーケストラに演奏してもらう方法を完成させようと努力して、曲そのものを完璧なものに仕上げていました。同時に彼は、現代文化の中で伝説的な存在になっていた。だから新しい世代の音楽家から、彼の音楽を愛し、彼の音楽を演奏したいと思うような人たちがどんどん出てきました。そういったことがアンサンブル・モデルンに集約された結果、極めて有能で、かつザッパのスタイルにとても馴染んだ音楽家集団がフランクと共演することになったんです。

僕たちが発掘したリハーサルのビデオを観ると、フランクは本当に喜びとしか言いようのない表情を浮かべています。まるで天国にいるような雰囲気なんです。あのころは死期が迫っていて、ひどい痛みに苦しんでいたのに。あの時点で、フランクは癌との戦いを何年も続けていて、映画はここで終わる。

もちろん、この作品は、彼の全人生がこの瞬間に繋がっていた……みたいな陳腐なことを主張しようとしているわけではありません。なぜなら、フランクは14歳のときから既にすばらしい作品を作り始めていましたからね。でも、あれは美しくて感動的な瞬間でした。

Outrage At Valdez

 

Q: もしフランクが今も生きていたら、この映画についてどういう感想を抱くでしょうね。

もし僕たちが自分のやるべきことをちゃんとやって、何かすばらしいものを作り上げ、それがいつまでも見続けられるような名作になり、フランクという人物の実像が伝わるものになっているとしたら、きっと本人はすごく嫌がるでしょうね。本人にすごく嫌がられることしか期待できません(笑)。

Written By Brett Milano




『ZAPPA (Original Motion Picture Soundtrack)』
2020年11月27日発売
LP/ iTunes Store / Apple Music / Amazon Music


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