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フランク・ザッパの意外なエピソード10選:ドキュメンタリー映画『ZAPPA』が教えてくれること

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Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

6年の歳月をかけて制作された『ZAPPA』は、フランク・ザッパ(Frank Zappa)を取り上げた新作ドキュメンタリー映画である(日本の公開・配信は未定)。この作品は、音楽の裏側に秘められたザッパの本当の姿とその驚くべき人生を明らかにしようとしている。

キアヌ・リーブスとともに映画『ビルとテッドの大冒険』に主演したことでも知られる俳優、そして映画作家のアレックス・ウィンターが監督を務めたこのドキュメンタリーでは、ザッパの未亡人である故ゲイル・ザッパや、彼のバンドにかつて参加していた有名ミュージシャンたちがインタビューで思い出を語っている。

そうした出演者の中には、マザーズ・オブ・インヴェンションのオリジナル・メンバーだったバンク・ガードナーやイアン・アンダーウッド、さらにはルース・アンダーウッド、レイ・ホワイト、人気スターになったスティーヴ・ヴァイやマイク・ケネリーなどが含まれている。

この映画では、ザッパのバンドの貴重な演奏映像や、ジョン・レノンとオノ・ヨーコがゲストとして招かれた、フィルモア・イーストにおける伝説的な共演コンサートの模様を垣間見ることができる。しかしそれだけではない。ザッパの私生活を初めて本格的に探究し、彼を突き動かした行動原理の謎にここまで迫ったドキュメンタリー映画は、これまで一度として制作されたことがなかったのだ。今回、このコラムでは、このドキュメンタリー映画『ZAPPA』が教えてくれるフランク・ザッパに纏わる意外なエピソードを10の項目に分けて紹介していこう。

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Zappa – Official Trailer

1. ザッパが手に取った最初の”機材”は、父親が所有していた8mmカメラだった

フランク・ザッパはギターを弾くずっと前から、彼の父親が所有する8mmカメラを借りてホーム・ムービーを制作することに熱中していた。ザッパはとりわけ編集の作業に夢中になり、そうした編集作業はのちの音楽活動全体で彼のトレードマークになった。この映画には、若き日のザッパと彼の弟妹がホラー映画を真似て撮影した貴重な映像が含まれている。ザッパが次に情熱を傾けた対象は爆発物だった。ただし、自分が通っていた高校を爆破しようとした試みは、悲しいかな失敗に終わっている。

 

2. 少年時代のザッパが憧れていた音楽家はエドガー・ヴァレーズだった

ザッパはロックンロールを聴いて育ったわけではない。両親がさほど音楽好きではなかったため、幼いころの彼はロックに夢中になることはなかった。やがて10代前半になったころ、レコード店のオーナーであるサム・グッディのインタビューをたまたま目にした。そのインタビューでグッディが「最高に醜い音楽」として挙げていたのが、「エレクトロニック・ミュージックの父」と呼ばれるフランス出身の作曲家エドガー・ヴァレーズのアルバムだった。興味を持ったザッパはそのヴァレーズのアルバムを探し出し、それが生涯にわたるインスピレーションの源となった。

 

3. ザッパはインチキ・セックス・テープを作って刑務所に入ったことがある

ザッパは早くから金を稼ぐためにさまざまな仕事に手を出していた。その中には、コピーライターとしてグリーティングカードのキャッチコピーを書いたり、デザイナーとしてイラストを描いたりといった仕事も含まれていた。

そんなあるとき、ザッパは「独身男だけのパーティー (stag party) 」に使用する卑猥なテープの制作を100ドルの報酬で引き受けた。もともとの注文は「映画を作ってほしい」というものだったが、この予算で作れるのはせいぜい音声テープ程度だった。ザッパが一日で作り上げたそのテープは、実際の性行為の音ではなく、単にそうした行為を連想させる声や物音を吹き込んだだけのものだった。

しかし受け渡し当日にやってきたサンバナディーノ警察署の警官たちは本物だった。彼のスタジオは家宅捜索され、彼は懲役6ヶ月 (実際の服役期間は10日) と3年間の保護観察処分を受けた。後年、ザッパは、この事件をきっかけにして官憲に対する自分の見方が形作られたと語っている。

 

4. ザッパはPMRCの問題に真剣に取り組んでいた

今回のドキュメンタリーで指摘されているように、ザッパはPMRC (Parents Music Resource Center / ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター) が槍玉にあげたアーティストのリストには含まれていなかった。しかし、ティッパー・ゴアを中心としたPMRCが音楽の検閲を進めようとしたとき、個人的に憤りを感じ、検閲反対の論陣を張る代表格のひとりとなった。今回の映画に登場するインタビュー映像では、彼がどれほどの怒りを感じていたのかが語られている。アメリカ上院議会の公聴会という場に合わせて、ザッパは髪を綺麗に短く整え、普段よりも穏当な服装に身を包んだ。それほど真剣だったのである。

Frank Zappa at PMRC Senate Hearing on Rock Lyrics

 

5. ザッパはドラッグにはまったく興味がなかった

ザッパは1960年代のドラッグ・カルチャーに浸ることがなかった。それどころか、ドラッグにのめり込む者たちに対して、批判的でさえあった。

1967年に自らのバンド、マザーズ・オブ・インヴェンションを引き連れてロサンゼルスからニューヨークに移り住んだとき、ザッパはヒッピー・ブームに苛立ちを感じていたことをインタビューで明かし、ドラッグに縁がないがために、自分自身が拒絶されられているようにさえ感じているとも語っている。

それから数年後、ザッパが出演したテレビのコメディ・ショー「Saturday Night Live」 (同番組に出演した際の模様は『ZAPPA』にも使用されており、その一部を楽しむことができる) には、まさにこのテーマについてのコントが含まれていた。その中でジョン・ベルーシは、ザッパがドラッグなしであれほど奇抜なレコードを作ったことに驚きを示していた。ザッパ本人は、「”Saturday Night Live”のドラッグ好きのレギュラー出演陣はあのコントを面白がっていたが、俺としてはそれほど楽しめなかった」と語っている。

 

6. ザッパの夫婦関係はロックの世界ではめずらしいほど長続きした

ドキュメンタリー『ZAPPA』では、ザッパがかなり性的に奔放な人間であり、妻となるゲイルと出会ってすぐに結ばれたことを赤裸々に映し出している。この映画であかされる別のエピソードによれば、フランクはロック・ミュージシャンに群がるグルーピーと気ままな関係を楽しんでいた。それが高じて性病をゲイルにも伝染させてしまい、夫婦揃って治療用の抗生物質を飲むことさえあった。それにもかかわらず、ゲイルはザッパの真のソウルメイトとなっていたように思われる。そして年を追うごとに、彼女はフランクのビジネスに欠かせない協力者となっていったのである。

 

7. ザッパは人と付き合うのが好きではなかった

誰の話を聞いても、ザッパが近づきづらい存在だったことだけは確かである。実際、ザッパ本人も、「妻と4人の子供以外には友人がいない」とインタビューで主張していた。さらに彼の子供たちも、時には父フランクに近づくのが難しかったと証言している。

ザッパが純粋に好んでいたのは、コラボレーション相手となったほかのアーティストたちだった。その中には高校時代に知り合ったドン・ヴァン・ヴリート (キャプテン・ビーフハート) 、あるいは粘土アニメーション作家のブルース・ビックフォードなどが含まれる。ザッパのバンドに参加していた忠実なるメンバーでさえ、リーダーとのあいだには壁があったと語っている。

とはいえそうしたメンバーの中のひとりは、その壁を打ち破ることができた。パーカッション奏者のルース・アンダーウッド (今回の映画の中でもきわめて強い存在感を放っている) は、ザッパが癌で闘病していたころ、思い切って感謝の気持ちを伝えたことがあった。それにザッパはハグで応えた。元メンバーの中でザッパからそうした反応を引き出せたのは、ひょっとしたら彼女だけだったのかもしれない。

Frank Zappa – Approximate (1974)

 

8. ザッパの最大のヒット曲はまったくの偶然から生まれた

「Valley Girl」は、ザッパが出した曲の中でシングル・チャートのトップ40圏内に入った唯一の曲である。この曲は、自宅スタジオにこもりきりのフランクの気を引こうとして、娘のムーンがスタジオのドアの下からメモをそっと差し入れたことがきっかけで生まれた。そのメモで、ムーンは「女子高校生のへんてこなおしゃべりの物真似」をぜひ聴いて欲しいと父親に頼んだのである。

1982年に発表されたこの曲は、ロサンゼルスのラジオ局KROQにムーンがサンプル盤を持って行ったところ、大人気の曲になった。ザッパは当時ヨーロッパ・ツアー中で、後になってこのレコードがヒットしていることを知った。彼はそれに続けてヒット曲を出すことに興味が無かった。それどころか、ヒットの収益をロンドン交響楽団と組んだオーケストラ・アルバムのレコーディングに注ぎ込んでいる。

Valley Girl

 

9. ザッパはチェコスロバキアの革命に影響を与えた

ザッパは1980年代に入ると政治への関心を強めた。一方、1989年のチェコスロバキアの「ビロード革命」を担った人たちは、ザッパの音楽に深く影響を受けていた。革命後のチェコスロバキアを訪問したザッパは熱烈な歓迎を受け、新大統領のヴァーツラフ・ハヴェルから新政府の要職を任された。

今回の映画は、この逸話に加えて、もうひとつの史実を明らかにしている。当時のアメリカ国務長官ジェームズ・ベイカーが、ザッパの起用を止めるようにハヴェルに働きかけていたのである。その理由は、ベイカーの妻があの悪名高いPMRCの一員としてザッパと対立していたことにあった。

 

10. ザッパは文字通り音楽を作るために生きていた

フランク・ザッパは単なる仕事中毒を超えた存在だった。つまり、自分が何をするためにこの地球に生まれてきたのか正確に知っているアーティストだったのである。彼はあるインタビューでこう語っている。

「人生の中で絶対に達成できない目標がひとつある。それは、自分が作ったすべての曲を完璧なかたちで録音することだ」

スティーブ・ヴァイのような超絶技巧を誇るギタリストでさえ、ザッパからのとても人間技ではこなせないような要求にたじろいでいたようだ。しかし今回の映画の終盤には、若手演奏家集団アンサンブル・モデルンによるオーケストラ・コンサート「The Yellow Shark」のシーンがある。その当時のザッパは末期の前立腺癌で闘病中だったが、彼らの見事な演奏を見て喜びの表情を浮かべていた。これは感動的な瞬間である。

Written By Brett Milano




『ZAPPA (Original Motion Picture Soundtrack)』
2020年11月27日発売
LP/ iTunes / Apple Music / Amazon Music


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