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今泉圭姫子連載第18回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」解説

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ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第18回。今回は11月9日に公開されたクイーンを描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」について。映画についてはもちろん1985年のフレディのインタビューなど想い出とともに執筆していただきました(これまでのコラム一覧はこちらから)


《ネタバレありです。ぜひ映画を観てから読んでくださいね。》

 

 

 

ついに「ボヘミアン・ラプソディ」が公開になりました。クイーンの物語ではありますが、フレディ・マーキュリーの物語でもありました。ブライアンとロジャーがどのような思いで、ひとつひとつのシーンを回想しながら監修していったのだろうかと思いを募らせていました。二人は音楽総監督ですが、実際の会話はリアルなものに違いないと。

1984年『The Works』から「Radio Ga Ga」がビッグ・ヒットとなり、その後彼らは沈黙します。パーティー三昧のフレディに対する3人の不信感、ファミリーであるクイーンから抜け出そうとするフレディ。クイーンとしての存続が深刻な状態であったことを知るシーン。あら、これはドキュメンタリー?それとも映画としての脚本によるもの?と、鑑賞しながらも、頭の中がグルグル。それだけではありませんでした。フレディは多額の契約金でソロ契約を果たしました。その背景にマネージャーのポール・プレンターの策略があったとは…。思い出しました。ロジャーとジョンがラジオ日本のスタジオに来てくれた時、突然私の質問に対して難癖をつけた奴を! メンバーをスタジオに連れてきてくれた宇都宮カズさんに涙で訴えた私は、まだ若かった。「すぬーぴーをおちょくっただけだよ」とはカズさん弁。映画に出てくるポールを見ながら、再び悔しさがこみ上げ、フレディを裏切ったシーンに中指立てていた私でした。たぶんあの難癖をつけてきた奴がポール。ポールはフレディ付きだったから違う可能性もあり。でもそうだったような気もする。かなり入り込んでいるぞ〜自分!

クイーン崩壊状態はあのような事実があったのかとあらためて知るのですが、実際私がフレディに初めてインタビューしたのは、そんな頃でした。ソロ・アルバムのプロモーションとしてフレディは何本かの取材に応じました。しかし振り返れば、あれはクイーンとしての来日公演の時でした。フレディがソロをリリースするということで、彼はこれまでそんなにプロモーションを受けてはいなかったのですが、積極的にプロモ活動をしたのです。1985年春、ライヴエイド前のこと。映画はクイーンとしての活動が停止状態だったというくだり。それは実際の話とは異なるのですが、メンバー間の心がバラバラになっていたのは確かだったはずです。当時そんなことを知るすべもなく、インタビューできた喜びで舞い上がっていた自分が少し恥ずかしくなりました。でもその時のフレディはとても穏やかでした。

今、『Mr Bad Guy』を聴きながら原稿を書いています。フレディは何がやりたくてこのソロを制作したかったのだろうかと。マイケルとの共演を突然辞めてしまったのかなど。確かにエレクトリックな音で、フレディのヴォーカルだけどクイーンとはかけ離れたバックトラック。映画から想像すると、フレディはソロを出したかったというよりも、心の空虚感を埋めたかったのかもしれません。「Made In Heaven」「I Was Born To Love You」などはクイーンとしてのレコーディングを終えていた曲のソロ・ヴァージョン。のちにアルバム『Made In Heaven』でクイーン・ヴァージョンは復活します。両ヴァージョンを聴くと、趣が異なっているので比べるべきではありませんが、フレディはクイーンであって、クイーンは4人であって、ということをリアルに突きつけてくれる1曲かもしれません。まあ、映画を見ながら、よくぞあれやこれやと頭の中が稼働してたものかと、自分で自分にびっくりですが…。

Freddie Mercury – I Was Born To Love You (Official Video)

 

そして何よりも、フレディとメアリーさんの関係、そしてジム・ハットンさんとのことが、とても美しく切なく描かれていました。ポールのフレディに対する露骨な愛情表現にイラっとしたので、やはり本物の愛は美しく描かれていてよかった!! フレディが隣のフラットに住むメアリーさんにスタンドのスイッチオン・オフでお互いを確認し合うシーン。実際のフレディのことは知りませんが、私の心の中にいる私のフレディを前提とすると、フレディらしい愛情表現というか、自分の空虚感を埋める合図だったんだな、と思うのです。人によっては幼稚に感じるかもしれないけれど、ああいう表現が好きな私は、ほっこりするのです。ジムとは1984年からの交際と言われています。フレディは自分がエイズであることが分かった時に自分との交際をやめるべきだとジムに伝えたけれど、ジムは、最期までフレディのそばにいました。「フレディ・マーキュリーと私」と題された著書には、最期の瞬間も書かれていました。そんなジムも2010年に肺がんで亡くなっていますが、彼も20年間エイズで苦しんでいたという話です。

映画のラストは、フレディには家族がいて、クイーンがいて、メアリー&ジムがいて、彼を取り巻く人間関係が、彼自身の手の中で正常に戻り、幸せを感じながらライヴ・エイドで復活した、という結末になっています。エイズであることを知ったのが、これまでは1987年と言われていましたが、ライヴ・エイドの前にメンバーに告白したというストーリーは、映画のためのものだったかと思います。他にも、ライヴ・エイドのために、しばらくコンサートから遠ざかっていた4人が集結。そして、ショウまでたった1週間しかなかったという下りも映画ならではのストーリー展開でしょう。たった1週間でクイーンは4人のクイーンとしてライヴに立つためのパフォーマンスを復活させ、何かに取り憑かれたように、自分たちの使命をもってステージに上がる!ラストの「ライヴ・エイド」のシーンはそのようにして作られていきました。

その後については、テロップでの説明になっていましたが、1991年にフレディが亡くなるまで、マジック・ツアーでコンサートの幕を下ろしながらも制作活動を続け、フレディはオペラ歌手のモンセラ・カバリエとのジョイント・アルバムを制作。前回のソロとは違い、本当にやりたかったオペラのアルバムを作り、「La Japonese」という曲で日本の美しさを歌い、日本のファンに贈り物を届けてくれたました。モンセラさんは映画を見ることができたのでしょうか?映画が話題になっていた10月6日(日本時間)、彼女が亡くなったというニュースが入ってきました。今頃天国でフレディと何を話しているのでしょうか?ご冥福をお祈りします。

『Innuendo』までの6年間、フレディにはさらに過酷な人生が待っていたけれど、映画の中で何度も登場した家族という存在に支えられ、静かに天国に召されたのだと思います。

Written By 今泉圭姫子

Queen – These Are The Days Of Our Lives (Official Video)

クイーン『Bohemian Rhapsody (The Original Soundtrack)』
2018年10月19日世界同時発売
CD購入はこちら

映画『ボヘミアン・ラプソディ』
2018年11月9日日本全国ロードショー
配給:20世紀フォックス映画
© 2018 Twentieth Century Fox
映画公式サイト


連載『今泉圭姫子のThrow Back to the Future』 バックナンバー


今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)

ラジオDJ、音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。

HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」

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