今泉圭姫子連載第3回:ジャパン『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)

August 4, 2017


今泉圭姫子連載第3回:ジャパン『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)

ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第3回です。コラムの過去回はこちら


1981年にリリースになった『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)は、ジャパンにとってのラスト・オリジナル・アルバムです。本国イギリスでアーティスティックな彼らの音楽性が認められ始め、「Ghosts」が初のTOP5ヒットとなり、その後「I Second That Emotion」もTOP10ヒット。これからという時の解散でした『Tin Drum』は、UKアルバム・チャート最高位12位でしたが、「Visions of China」を始め「Canton」など、個性的なジャパンの創造性とアートの世界がうまく絡み合った作品で、デビュー・アルバム『Adolescent Sex』(邦題:果てしなき反抗)とともに、80年代のブリティッシュ・ミュージックを語る上で欠かせない作品として、私のスペシャルCD棚に保管されています。

1978年9月、ジャパンという名のUKバンドが日本デビューを果たし、本国ではまったく無名だった彼らは、憧れの地をバンド名にしたその日本で大ブレイク。日本武道館でライヴを行うほどの人気グループとなりました。私は、デビュー直前の7月、イギリスで彼らに初インタビューをしました。デビューを控えていたジャパンは、すでに多くの日本のロック少女たちのアイドル的存在となっていて、美しいルックスの写真が掲載されている音楽雑誌を大切に胸に抱く、といった現象が起こっていました。私もその一人でしたね。夏季留学でロンドンに1ヶ月滞在していた時に、ラジオ関東(現ラジオ日本)「全米TOP40」のアシスタントとして、ロンドン・レポートを届けるために、初の海外取材に挑戦しました。Rakレコードで行ったスージー・クワトロが初インタビュー。今振り返るとかなり無謀な初挑戦でした。そして大好きなジャパンに会うためアリオラ・ハンザ(註:ドイツのアリオラがイギリスで作ったレーベル)のロンドンオフィスを訪れました。

Japan

1978年7月。当時デヴィッド・シルヴィアンは20歳。

インタビュー・ルームの扉を開けると、5人全員がすでに揃っていました。最初の印象は、デヴィッド・シルヴィアンが男らしい!でした。中性的なイメージかなと思ったのですが、しゃかしゃかと仕切っていました。そして私はミック・カーンの優しい微笑みにドキドキしていたわけです。ハイ!(初来日の時にまゆげがなかったのが妙に記憶に残っています)写真はその時のもの。この写真を知り合いに見せると、わーと喜んでくれますが、ミニスカートの私はスルーされます。ライヴ写真は、インタビューの日の夜にカムデンタウンのミュージック・マシーンでライヴがあり見に行きました。ジャパンという名前でステージに上がる彼らをなぜか誇らしい目で見ていた自分がいました。

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1978年7月のライブの様子。撮影:今泉圭姫子

当時は、日本のカルチャーにどっぷりはまってとか、日本大好きだからといったことでジャパンとしたわけではなく、アーティスティックな響きとミステリアスなイメージでつけたというようなことを言っていたと記憶しています。日本ではアイドルとしての人気が高かったのですが、彼らの音楽に対する姿勢は、どんどんコアなアートの世界に入り込み、彼らの憧れでもある坂本龍一さんをはじめ、多くの日本人アーティストからも注目のグループへと成長していきました。とはいえ、初来日時は日本の文化とメンバーを絡ませた取材が多かったように思います。彼らも日本に来て初めて日本を知ったのでしょう。

1974年に結成され、78年にデビュー、そして82年に解散発表。世の中に出たのはたった4年でした。その後、ライヴ・アルバム『Oil On Canvas』を発売し、余韻に浸った時間はあったものの、彼らは一気に音楽シーンを駆け抜けたバンドでした。解散の原因は『Tin Drum』により、音楽面での方向性の相違が明らかになったとも言われているし、仲間割れという話もあります。短命なバンドであっただけに、伝説にもなっているという皮肉な現象もありますが、短くも深く、ジャパンはアーティスト集団として素晴らしい作品を残してくれました。最近、シンコーミュージックから『JAPAN 1974-1984 光と影のバンド全史』という立派な本が出版されました。短い彼らのキャリアが写真とともに綴られていて、ぜひ音楽ファンには見ていただきたいです。デヴィッド・シルヴィアンの世界観が独特なものであったことを感じることができるはずです。

解散後は、ミックには何度か会いました。バウハウスのピーター・マーフィーとのバンド、ダリズ・カー時代にロンドンでインタビューもしました。驚くのはミックは、初めて会ったときとまったく変わらない人でした。彼が亡くなってしまったことは今でも現実のこととして受け止められないでいますが、ミックの日本のエージェントだった小島真由美さんからこんなメッセージをいただきました。

「ジャパン解散後も、ミックはスティーヴやリチャードと共に創作活動を続けたのをみてもわかるように、ジャパンが彼らに残したものは公私に渡っての”絆”という、永遠に切れないものだった様な気がします。特にスティーヴとミックは、”本当の兄弟以上に兄弟だよ”といつも笑いながら話していましたしね。2011年、ミックの葬儀でお見送りする時に流れてきたのが『Tin Drum』に収録されている”Sons of Pioneers”でした。これはスティーヴが選んだそうです。ミックのソロ曲ではなくてジャパンの曲を選んだところに、計り知れない愛情を感じました」

小島さん、ありがとうございました。このサイトに思い出を掲載するにあたり、ミックの奥さん、スティーヴ自身が快諾してくださったということです。「Sons of Pioneers」を改めて聴くと、切ない気持ちと、『Tin Drum』がもつエネルギーを再確認しました。


連載『今泉圭姫子のThrow Back to the Future』 バックナンバー


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『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)

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■著者プロフィール

今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)
ラジオDJ、 音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。

HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」

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