Join us

Columns

バグルス『ラジオ・スターの悲劇』当時のライナーノーツの振り返り

Published on

ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの新連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」。コラムの過去回はこちら

連載第2回は、1979年に発売されたバグルスの「Video Killed the Radio Star」(邦題:ラジオ・スターの悲劇)シングル盤に掲載されていた今泉圭姫子さんの当時のライナーノーツをそのまま掲載。そして2017年現在から当時を振り返った原稿も合わせて掲載します。


■1979年発売『Video Killed the Radio Star』シングル盤ライナーノーツ

パンク、ニューウェイブが定着し、ヘビー・メタル・ロックの人気が再び盛り上がっているというロンドン。そして、アメリカのチャートをにぎわしているイギリス出身のアーティスト達の活躍、どれをとってみても現在イギリスの音楽業界が活気に満ちていることがわかります。そんな中、今ホットな話題を集めているのが、エレクトロニック・ポップと呼ばれるもので、言い方を変えればテクノ・ポップなのです。以前のようなキーボード一辺倒で押しまくっていたテクノ・ポップと全く違い、コミカルにそして誰もがすぐに口づさめるというポップ・ソングが今のテクノ・ポップのサウンドなのです。
ここに紹介するニュー・グループ、バグルスの「ラジオ・スターの悲劇」もそんなテクノ・ポップ・サウンドの一つです。この曲は既に10/20付レコード・ミラー誌でヒット・チャートのナンバー・1に輝きました。

バグルスは最近では珍しいデュオ・グループで、トレバー・ホーンとジェフ・ドーンズの二人から成ります。グループ結成は今年ですが、3年前からお互い音楽活動をともにし、数々のロック・バンドを経て、今日に至っています。そしてデビュー・シングルの大ヒットで、80年代最も注目されるグループとなったのです。日本でイギリスのヒット曲がなかなか紹介されないのは残念ですが、今ロンドンは燃えています。ビートルズ以上のグループの出現を待ち望んでいる私達にとって、イギリスの音楽市場をあらためて聴き直してみる必要があるのではないでしょうか!

今泉恵子

 バグルス当時のシングル Buggles

*カナ表記などは当時掲載のものをそのまま掲載しています。


■2017年から当時を振り返って

バグルスの「Video Killed the Radio Star」(邦題:ラジオ・スターの悲劇)がリリースされたのは、1979年9月。そして発売1ヶ月後に、ポリスの「Message In A Bottle」から1位を奪い、UKシングル・チャートのトップに輝きました。一体このグループは何者なの? と正体不明のまま、曲のインパクトの強さに、あれよあれよと1位になり驚かされたものです。今のようにパッとネットで調べて、すべてが情報として入ってくる時代ではありませんから、声は加工されていて誰が歌っているかもわからないし、ましてやかなりデザイン化されたジャケットでは、グループのイメージもわかず、ただただ曲のメロディーと映像の時代が間もなくやってくることを示唆したタイトルが、より楽曲にインパクトを与え、新しい時代の幕開けを感じたのです。

この曲は1979年のリリースでしたが、80年代の音楽シーンを予知する楽曲なので、80年代を代表する名曲として紹介されてもおかしくはありません。当時シングル・ライナーを書かせていただいた時には、きっと何も資料はなかっただろうな、と思わせるほど内容のうす〜い文章でお恥ずかしい限りですが、私にとっては初のライナーのお仕事で、こんな名曲を書かせていただいた経験に感謝しています。(ぺこり)

80年代初期の音楽のカテゴリーに、デジタルという言葉はなく、シンセサイザーを使ったものは、テクノという呼ばれ方をされていましたが、「「Video Killed The Radio Star / ラジオ・スターの悲劇」」により、POP・ポップ、エレクトリック・ミュージックへと言葉の変化が起こった時代でした。バグルスの存在があってソフト・セルの「Tainted Love」が生まれ、初期のデペッシュ・モード、スクリッティ・ポリッティ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、ヴィサージ、ウルトラヴォックス、トーマス・ドルビーが築いたエレクトリック・ポップ時代がやってくるわけです。

バグルスは、トレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズ、ブルース・ウーリィーの3人組として、1977年に結成されています。アーティストとして表に出るということよりも、CMの音を作ったり、映画音楽を手掛けたりといったクリエイティヴ集団です。今ではそういったチームは珍しくはありませんが、彼らはその最先端だったといえるでしょう。もともとこの曲は、ウーリィーとトーマス・ドルビーのグループ、ウーリィー&ザ・カメラ・クラブがレコーディングしたのですが、その後オリジナル作家の3人のバグルスとしてセルフ・レコーディングされています。

当時バグルスを担当されていたA&R角間裕之さん(現(株)電通ミュージック・アンド・エンタテインメント取締役)に当時のお話を伺いました。

「あの頃のISLANDは どちらかと言うとROCKやREGGAEの王道を行くアーティストが多く そんな中である日 「Video Killed The Radio Star」のシングル1曲のサンプル音源だけがロンドンから届きました、何のバイオグラフィーも写真も無く。その後、少しして英国盤シングルのジャケットのカラーサンプルが届いたのですが、御存じのようにデジタルチックに処理された二人の顔のイラストにクレジットのデーターも届きどうやらトレヴァー・ホーンとブルース・ウーリィー、ジェフ・ダウンズの3名がバグルスなんだってことが判明。そんな状況でライナーをお願いしたんですよね(笑) ただし当時はまだ、その後のYESのメンバー、ASIAのメンバーに大出世することなど判らず! とにかくシンセの印象的なイントロそれに続くコンピューター処理されたヴォーカルとPOPな女性コーラス、どこもきちんと計算されたシアトリカルな曲だったので、演劇や映画を思わせるようなタイトルにしようと思いました。時代はプロモーション・ヴィデオにアーティストもレコード会社も力を入れ始めたころで、英国ではラジオから映像メディアにヒット作りのポイントが広がってきていましたが、日本ではまだまだ洋楽はラジオがヒット作りの中心。近い将来に日本もそうなるんだろうなって思い、最初はラジオDJの悲劇とか考えましたが、英語タイトルと歌詞の聴こえ方から『ラジオ・スターの悲劇』と言うタイトルにしました」

おもしろいお話を伺えました。角間さん、ありがとうございました。

角間さんのお話にもあったように、トレヴァーとジェフはその後YES、ASIAへと流れるわけですが、当時はかなりの違和感がありました。なぜにトレヴァーがYES?と。でも、1983年「Owner of Lonely Heart」を世界的な大ヒットに導き、この楽曲がYESにとって新しい扉を開くきっかけとなったように、彼にとってもプロデューサーとしての才能を世界へ発信するエネルギーになったのは間違いありません。彼が歩いてきたキャリアの点と点がようやく線で結ばれた瞬間でもありました。とはいえ、トレヴァー・ホーンといえば、バグルスであり、ZTTレコーズを立ち上げ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドを全面プロデュースし、「Relax」の大ヒットを生んだ仕掛け人。80年代に名を残した偉業は、ここにあるかと思っています。

YES – Owner of a Lonely Heart (Official Music Video)

バグルスは「Video Killed The Radio Star / ラジオ・スターの悲劇」のヒットで終わってしまいましたが、一発屋としての印象を残さないのは、トレヴァー・ホーンが、次々と数多くのアーティストを輩出し、音楽シーンのなかで、敏腕クリエイターとして長く存在しているからでしょう。時代を切り開き、築き上げ、シーンを活性化させてきたのがトレヴァー・ホーンなのです。忘れてはいけませんが、t.A.T.uもそのなかのひと組でしたよね。

そんなトレヴァーが今年はサマーソニックに出演。そして単独としてはBillboard Liveでもコンサートを行います。過去にも来日公演は行っていますが、あらためて「Video Killed The Radio Star / ラジオ・スターの悲劇」がもつヒット曲としての魅力と、時代を予知した名曲を生で聴きたいと思います。

The Buggles – Video Killed The Radio Star (Official Music Video)

UICY-78321

バグルス ラジオ・スターの悲劇+9

btn_store download_jtunes spotify_logo

 


♪ コラム中に出てきた曲をチェック


■著者プロフィール

今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)

ラジオDJ、 音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。

HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」

Share this story
Share
日本版uDiscoverSNSをフォローして最新情報をGET!!

uDiscover store

Click to comment

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Don't Miss