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1988年に突如現れた“謎多き”スーパーグループ、トラヴェリング・ウィルベリーズを振り返る

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Photo: Alberto Tolot / Courtesy of Concord Records

ラッキー(Lucky Wilbury)、レフティ(Lefty Wilbury)、ネルソン(Nelson Wilbury)、オーティス(Otis Wilbury)、そしてチャーリー・T・Jr.(Charlie T. Wilbury, Jr.)は、“トラヴェリング・ウィルベリーズ(Traveling Wilburys)”と呼ばれていたが、彼らの正体は一体誰だったのか?

ある難解な伝説によれば、彼らは“かつての偉大な放浪ミュージシャン一族の唯一の生き残りであり、彼らの正確な出自は、周囲に広まった伝説や神話から切り離すことが極めて困難なほど遥か昔に遡る”という。

皮肉なことに、これは、トラヴェリング・ウィルベリーズを結成する以前から、ロックンロール界で噂の的となっていた個々のミュージシャンたちを取り巻く多くの神話のひとつに過ぎなかった。ボブ・ディラン、ジョージ・ハリスン、ロイ・オービソン、トム・ペティ、そしてジェフ・リンが1988年に招集される以前も、彼らは個々に多くの記事、場合によっては本の題材となり、それらはむしろ彼らにまつわる新たな疑問を提起していた。とはいえ、このグループが存在したという事実は、運命の導きのようにも思える。ウィルベリーズのメンバーは何十年もの間、互いの道を行き交っていたのだ。

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ジョージ・ハリスンのソロ20曲

The Traveling Wilburys – Handle With Care (Official Video)

 

結成への経緯

例えばロイ・オービソンは、ビートルマニアの全盛期にザ・ビートルズとツアーを行い、UKで大スターとしての地位を確立した。その直後、ボブ・ディランとジョージ・ハリスンは生涯の友となり、また仕事上のライバルにもなり、60年代、ディランはザ・ビートルズと共にロック・ミュージックをさらなる高みへと押し上げたのだ。さらにディランは70年代に入るとジョージ・ハリスン主催のチャリティ・コンサート“バングラデシュ難民救済コンサート”にゲストとして出演している。

クリエイティブな才能を惹きつけるジョージ・ハリスンは、1987年のソロ・アルバム『Cloud Nine』の共同プロデューサーにジェフ・リンを起用。同年、ボブ・ディランはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズをバックバンドに迎えてツアーを行っており、ジェフ・リンがトム・ペティのソロ・アルバム『Full Moon Fever』やロイ・オービソンのソロ・アルバム『Mystery Girl』のプロデュースを手掛けるようになるのにそう時間はかからなかった。

ラッキー(ボブ・ディラン)、レフティ(ロイ・オービソン)、ネルソン(ジョージ・ハリスン)、オーティス(ジェフ・リン)、そしてチャーリー・T・Jr.(トム・ペティ)にまつわる謎めいた自作自演の神話にもかかわらず、トラヴェリング・ウィルベリーズの誕生秘話は実はよく知られている。

ジョージ・ハリスンがアルバム『Cloud Nine』からのシングル「This Is Love」のB面曲を必要としていたところ、偶然にもディラン、オービソン、リンの3人が参加することになり、トム・ペティの家に預けてあったギターを取りに行ったついでに彼も仲間に引き入れたのだ。

こうして出来上がった「Handle With Care」は、B面曲にしておくには惜しいほどの出来になった。そして億万長者のロック・スターたちが、エゴもプレッシャーもなく、ただ楽しんで演奏しレコーディングするという音楽作りを楽しんでいるうちに、彼らはアルバム1枚を完成させようと考えたのだ。

The Traveling Wilburys – Inside Out (Official Video)

 

トラヴェリング・ウィルベリーズというバンド名は、元々エレクトリック・ライト・オーケストラの主要メンバーとして活躍したジェフ・リンが、ジョージ・ハリスンのアルバム『Cloud Nine』に共同プロデューサーとして参加した頃から、二人が不気味なことが起こるスタジオの機材を“ウィルベリーズ“と呼ぶようになったことに由来している。トム・ペティに言わせれば、「クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのような、弁護士集団のようなサウンドにはしたくなかった」からだった。スタジオでロックンロール、カントリー、ポップの歴史をまるごと取り込み、魔法をかけたトラヴェリング・ウィルベリーズは、アメリカーナの真髄を体現する完璧なスーパー・グループとなった。

ロイ・オービソンのサン・レコードの仲間であるエルヴィス・プレスリー、ジョニー・キャッシュ、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンスという、かの有名な“ミリオン・ダラー・カルテット”への敬意を込めて、トラヴェリング・ウィルベリーズは自ら“ビリオン・ダラー・クインテット”であると自信を持って主張できた。

本記事では、そんなトラヴェリング・ウィルベリーズのメンバーをご紹介しよう。

The Traveling Wilburys – End Of The Line (Official Video)

 

ボブ・ディラン (aka ラッキー・ウィルベリー)

60年代初頭、ボブ・ディランはウディ・ガスリーを敬愛する驚くべき多作なフォーク・シンガーとして頭角を現し、「Blowin’ In The Wind(風に吹かれて)」などの曲で、一躍プロテスト・シンガーの先駆者としての地位を確立していった。

そのシーンを急速に凌駕したディランは、『Blonde On Blonde』に収録されているような“あの薄い野生の水銀の音(thin, wild mercury sound)”でロック・ミュージックの様相を一変させ、「Mr Tambourine Man」や「Like A Rolling Stone」のような画期的な楽曲で、作詞作曲を詩のレベルにまで高めていく。

「Tangled Up In Blue」は、70年代半ばに最初の妻サラとの別れの後に制作した『Blood On The Tracks(血の轍)』からの名曲のひとつであり、1976年の「Hurricane」では、彼が最初に名を馳せたプロテストのテーマに立ち返っている。

Bob Dylan – Tangled Up In Blue (Official HD Video)

 

ジョージ・ハリスン (aka ネルソン・ウィルベリー)

ザ・ビートルズのメンバーとして、ジョージ・ハリスンは同世代のギタリストの誰よりもポップ・ミュージックの道を切り開いた。西洋のロックやポップスの主流に東洋の音楽を取り入れたのは彼の功績にほかならないが、60年代に入ると、彼は非の打ちどころのない作曲技術を持つリード・ギタリストという、稀有な存在となった。

「Here Comes The Sun」「While My Guitar Gently Weeps」「Something」など、ザ・ビートルズの最も愛される楽曲を手掛けた彼は、バンド解散後もその飽くなき創作意欲を発揮し、「My Sweet Lord」や「Give Me Love (Give Me Peace On Earth)」などのソロ名義の名曲を次々と生み出し、ルディ・クラークが書いた「Got My Mind Set On You」のカヴァーでは全米1位、全英2位を記録した。

2001年、彼は癌に倒れたが、2002年にリリースされた遺作アルバム『Brainwashed』に収録されている「Stuck Inside A Cloud」は、彼の創造性が最後まで衰えていなかったことを証明している。

George Harrison – Stuck Inside A Cloud

 

ロイ・オービソン(aka レフティ・ウィルベリー)

サン・レコードと50年代のロックンロール誕生にルーツを持つロイ・オービソンは、トラヴェリング・ウィルベリーズに特別な重厚さをもたらした。

「In Dreams」や「Only The Lonely」といった曲で、ゾクゾクするほどエモーショナルなソングライティングの特許を取得した彼は、1987年にレコーディングを行い、彼の死後1992年にシングルとしてリリースされた「I Drove All Night」で25年ぶりに全米トップ10に返り咲き、時を経ても尚、彼の表現力豊かなヴォーカルがその力を失っていないことを証明した。

ロイ・オービソンはトラヴェリング・ウィルベリーズのセカンド・アルバムのレコーディング中となる1988年に心臓発作で亡くなったが、彼の精神は、以降もグループの作品に大いに浸透している。

Roy Orbison – I Drove All Night (Video)

 

トム・ペティ (aka チャーリー・T・Jr.・ウィルベリー)

ソロ・アーティストとして、またザ・ハートブレイカーズのリーダーとして、トム・ペティは他のどのアーティストよりもハートランド・ロックを体現してきた。

ザ・ハートブレイカーズはパンク全盛期に登場したかもしれないが、「American Girl」のような曲は、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズを生粋のルーツ・ロックのバンドとして確立し、彼らが政治的先鋭派の中で十分に自立できることを示した。また、ソロ・アーティストとしても「Free Fallin’」や「I Won’t Back Down」などでチャート上位を記録。

彼は2017年10月2日に亡くなるまで、ルーツ・ロックの擁護者としての役割に落ち着き、高い評価を得ているアルバム作品を自身のペースで発表する傍ら、サテライト・ラジオ“SiriusXM”で自身の番組“Buried Treasure”を持っていた。

American Girl

 

ジェフ・リン (aka オーティス・ウィルベリー)

ジェフ・リンは、“70年代のザ・ビートルズへのアンサー”としてエレクトリック・ライト・オーケストラを結成し、「Livin’ Thing」や「Mr.Blue Sky」といった70年代を決定づける野心的なポップ・ロックの傑作を作り上げた。

それゆえに、ELOの解散後、ジェフ・リンがジョージ・ハリスンの後期のソロ作品を共同プロデュースした他、90年代半ばザ・ビートルズの『Anthology』プロジェクトにおいて、ジョン・レノンの未完成デモから「Free As A Bird」と「Real Love」を完成させる手助けをするためにザ・ビートルズのメンバーと仕事をしたのはまさに適役だったと言える。

ソロ名義のアルバムはほとんど発表していないが、「Every Little Thing」と「She」などは、非常にバラエティに富んだ彼のソロ・シングルのハイライト曲である。

Electric Light Orchestra – Mr. Blue Sky (Official Video)

Written By Jason Draper




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