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ジョージ・ハリスンのソロ20曲

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われわれは、ジョージ・ハリスンのソロ・キャリアを20曲の中でまとめるという不可能なことに挑戦している。これは彼の音楽の自伝のようなもので、彼のソロ・キャリアを網羅する曲を選んだ。もちろんヒット曲も含まれているが、ヒット曲の他に隠れた名曲や、変わった選択と思われるかもしれない曲も入っている。あなたが入れたかった曲をぜひ知らせて欲しい。

ザ・ビートルズ時代のジョージは「The Quiet One:無口なメンバー」と呼ばれていた。ポールとジョンの多産なソングライティングのおかげで、彼の曲がファブ・フォーの作品に収録される機会は限られていたが、それらは、どれも珠玉の曲だった。

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1970年にザ・ビートルズが解散し、ジョージはザ・ビートルズ後のアルバムに収録できる曲を豊富に書き貯めていた。素晴らしいアルバムだ。『All Things Must Pass』はロック史上に残る名盤のひとつだ。エリック・クラプトンをはじめとし後にデレク・アンド・ザ・ドミノスとなるメンバー、バッド・フィンガー、そしてリンゴ・スターまで、優れたミュージシャン達をゲストに迎えたアルバム収録曲は、唯一無二の名曲ばかりであった。

もっとも知られている曲は、元ザ・ビートルズのメンバーとして初めて全英と全米でナンバー1を獲得し、1971年にイギリスで最も売れた曲となった「My Sweet Lord」。ジョージの作曲だが、この曲を最初にレコーディングしたのは彼ではなかったことをご存知だろうか。彼はこの曲をビリー・プレストンに与え、彼がプロデュースした1970年のプレストンのアルバム『Encouraging Words』に収録した。

『All Things Must Pass』のオープニング曲、「I’d Have You Anytime」はジョージとボブ・ディランが共作した曲だ。この曲の美しさは、2012年に『Early Takes』で発表された別バージョンで、より一層の輝きを見せている。このバージョンはフィル・スペクターのプロダクションではないが、曲の純粋さが透けて見えるのだ。この曲のブリッジ部分のディランによる歌詞(「僕が持っている全ては君のもの、君の見る全ては僕のもの、君をこの腕で抱きしめられて幸せだ、いつだって君といたい」)は、秀逸だ。

『All Things Must Pass』でもう一つ突出しているのが、思慮に富んだ楽曲「What Is Life」だ。「人生とは何か」というタイトルは、いかにもジョージが聞きそうな問いである。世界中で大ヒット曲となったが、なぜかイギリスではシングルとして発表されなかった。ジョージによる偉大なフックを持つ非常に高揚感のある曲だ。

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旧東パキスタンの戦争で無数の無罪の被害者が出ていることを憂いたジョージは、「Bangla Desh」という曲を書き、1971年7月にシングルとしてリリースした。8月1日、ジョージはラヴィ・シャンカール、リンゴ、エリック・クラプトンやレオン・ラッセルらを含む自身の友人を集め、バングラディッシュ難民救済コンサートを行った。それは、革新的で忘れることのできない事となった。

『Living In A Material World』から選んだ「Give Me Love (Give My Peace On Earth)」は、歌詞において、「Bangla Desh」のコーダ(締めくくり)のような意味合いを持つ曲だった。そして、彼にとって2曲目の全米ナンバー1シングルとなった。『All Things Must Pass』と『the Concert For Bangla Desh』の両方で、フィル・スペクターと共同でプロデュースを手がけた後、ジョージは一人でアルバム・プロデュースに取り組み、その作品で、スペクターによるプロデュースのベストな部分を維持しつつ、素晴らしい作品を作り上げた。

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そのアルバムが『Dark Horse』だ。ジョージの人生が私生活においても、仕事においても、激変したことを記録にとどめる作品だ。『ダークホース』つまり、“穴馬”というタイトルとは裏腹に、ジム・ケルトナー、ウィリー・ウィークス、トム・スコット、アンディ・ニューマーク等、1973/1974年のロサンゼルスの音楽シーンの縮図となるようなトップクラスのゲスト・ミュージシャン達が参加していた。

1975年4月、ジョージは次のアルバムの制作を開始した。その年の9月に発表された『Extra Texture (Read All About It)(邦題:ジョージ・ハリソン帝国)』は、ジョージの‘ソウル・レコード’だ。彼がその魂をむきだしにしたというだけでなく、音楽的にもソウルフルなアプローチを取っていた。

このアルバムの中で最も美しい曲は、フライアー・パークにあるジョージの家にインスパイアされた「The Answer’s At The End(邦題:答えは最後に)」である。オックスフォードシャー、ヘンリー・オン・テムズの13世紀から残る土地に立つビクトリアン・ゴシック調の屋敷は、ロンドンの弁護士で顕微鏡収集家のフランク・クリスプが1890年に建てた家だ。家の内装にも庭にも、クリスプの奇妙で奇抜な嗜好が反映されている。庭に入る入口の壁に、「顕微鏡で友人を調べないように。その人の欠点を知っているのだから、大目に見るように。友よ、人生は長い謎だ。だから、解き続けるんだ。答えは最後に見つかる」と刻まれているのをジョージは見つけた。

とてもインスパイアされる一節(ザ・ビートルズが解散して際の辛い経験をジョージは心にとめていたと思われる)を思いついたというだけでなく、素晴らしいメロディがこの曲にはある。「The Answer’s At The End」は、デヴィッド・フォスターの美しいストリングのアレンジを施されているが、その主たる魅力はジョージの見事なピアノにある。間違いなく、ジョージの曲の中で最高の、かつ見逃された曲のひとつである。

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それだけではない。Apple Recordsでのジョージの最後のアルバムとなった『Extra Texture(邦題:ジョージ・ハリソン帝国)』には、美しい「This Guitar (Can’t Keep From Crying)(邦題:ギターは泣いている)」が収録されている。このアルバムは時とともに味わいをまし、長く人の記憶にとどまっており、ジョージのキャリア中期の作品群で最も優れたアルバムとされている。

その翌年の1976年11月に発表された7枚目のソロ・アルバムは、引き続き彼のソウルフルな面、特にスモーキー・ロビンソンの音楽への愛を取り入れて制作された。彼が新しく創設したDark Horse Recordsより発表された『Thirty Three & 1/3(邦題:331/3)』は、制作中にジョージが肝炎を患ってしまったにもかかわらず、名曲を満載した息の長いアルバムとなった。

Billboard誌はアルバム・レビューで「最高に楽しい明るいジョークとラブ・ソングの詰まった、爽やかで陽気なアルバムで、彼のソロ・キャリアの中においておそらく最も野心的ではなく、最高にハッピーで、最高にコマーシャルな1枚だ」と記している。これに反論はできない。特に、ジョージの2回の美しいギター・ソロを含む隠れた名曲、繊細で優美なモータウン・レジェンドへのトリビュート「Pure Smokey」を聞くと納得である。

2年半後の、セルフ・タイトル・アルバム『George Harrison(邦題:慈愛の輝き)』は、Dark Horseからの2枚目のリリースである。ジョージがオリヴィアと結婚した後にレコーディングされ、2人の愛が投影された作品である。心温まるオープニング曲の「Love Comes To Everyone(邦題:愛はすべての人に)」から、妻について歌った「Dark Sweet Lady」などが収録。

Somewhere in England

1981年、ジョージはジョン・レノンが他界して以来初の、2年ぶりのアルバム『Somewhere In England(邦題:想いは果てなく~母なるイングランド)』を発表した。彼の最大のヒット曲のひとつで、リンゴ・スターをドラムに、ポールとリンダ・マッカートニー、デニー・レインをバック・ヴォーカルに迎えたレノンへのトリビュート「All Those Years Ago(邦題:過ぎ去りし日々)」が収録されている。リリカルで哲学的な、もうひとつの隠れた名曲「Writing’s On The Wall(邦題:神のらくがき)」をこのアルバムから選んだ。

それから1年と少しが経過して、ジョージの10枚目のスタジオ・アルバムで、ワーナーでの最後の作品『Gone Troppo』が発表された。このアルバムは、80年代初期の音楽シーンを覆っていたムードと、レコードレーベルの口出しに悩まされた作品となった。しかし「Unknown Delight」は、レーベルが偉大なアーティストを押さえつけることはできないということの証明のひとつだ。

それからジョージが新しいソロ・アルバムを発表するまでに5年を擁したが、ジョージは『Cloud Nine』で本格的に復帰した。このアルバムの「Got My Mind Set On You(邦題:セット・オン・ユー)」はジョージの作曲ではなく、オリジナルは1963年にジェームス・レイによって発表されているが、彼は彼自身のものに仕立て上げ、3度目のナンバー1を獲得した。アルバムはELOのジェフ・リンと共同プロデューサーに迎え制作。リンは、もうひとつのヒット・シングルとなった、ザ・ビートルズ時代を偲ぶ「When We Was Fab(邦題:FAB)」を含む3曲を、共同で制作している。

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1991年、ジョージはエリック・クラプトン、アンディ・フェアウェザー・ロウ、ネイザン・イースト、グレッグ・フィリンゲインズ、チャック・リーヴェルらのバンドを率いてツアーに出た。その結果誕生したダブル・ライブ・アルバム『Live In Japan』は、ジョージのザ・ビートルズとソロのキャリアを辿る旅となっている。ジョージ・ハリスンが昔もこれからも偉大なソングライターであることを思い出させてくれる。われわれはザ・ビートルズのクラシック曲の数々から、「Something」と、エリックの名ソロが入った「While My Guitar Gently Weeps」の2曲を選曲した。

ジョージの12枚目にして最後のスタジオ・アルバムは、2002年に発表された。そして1年後、彼は他界した。「Marwa Blues」を選んだ理由は、ジョージの類い稀なるギタープレイの絶好の例であるからだ。亡くなる直前、彼はビル・ワイマンによるケティ・レスターの「Love Letters」のカヴァー(アルバム『Rhythm Kings』収録)に、ギター・ソロを提供した。ローリング・ストーンズの元メンバーに彼のソロを送り返したとき、彼は冗談のように言った、「僕の単調なソロです」。しかし、「Marwa Blues」で聴けるように、誰よりも美しいソロをジョージは披露していた。

締めの曲は何にしようか? ジョージのソロ・キャリアをスタートさせた「My Sweet Lord」。これは、2001年1月に再発された『All Things Must Pass』収録の新バージョンだ。彼はこのバージョンを「My Sweet Lord (2000)」として収録した。ここでジョージは、彼の友人ジョー・ブラウンの娘、サム・ブラウンとデュエットし、彼の息子のダニがアコースティック・ギターを演奏している。そして、ジョージのボトルネック・ソロは秀逸だ。

ジョージ・ハリソンの20曲。このプレイリストは、今なおわれわれがその死を毎日悼みながら、彼の人生と偉大な音楽的遺産を祝福する素晴らしいソングライター兼ミュージシャンへの、トリビュートである。


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