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リトル・リチャードのスタジオ・デビューとビリー・ライトへの憧れ

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Little Richard - Photo: Specialty Records Archives

リトル・リチャードの幼少・青春時代を語る時には多くの要素を詰め込まなくてはいけない。1932年生まれ、ジョージア州メイコン出身の若者は、教会で歌い、家から逃げるようにメディスン・ショーに加わり、ミンストレル・ショーで歌い、白人一家に養子に出された。時は流れて、1951年10月16日、アトランタで初めてレコーディングを行った。(*ミンストレル・ショーは通常白人が顔を黒塗りにした劇や歌のショー。人種差別的であり50年代には衰退していった)

レコーディングを行うきっかけは、リチャードがブルーズ・シンガーのビリー・ライトとの出会いがきっかけだった。ビリー・ライトは、ばっちりメイクしてジェルで髪を整えた姿で歌い、その姿を見た19歳のリトル・リチャードは大きな影響を受けビリー・ライトを慕うことになる。ビリーもこの少年を気に入り、国有のラジオ局WGSTでR&Bを牛耳っていたDJのゼナス・シアーズにリトル・リチャードを紹介してレコーディングをすることになった。

レコーディング・セッションは、ラジオ局で行われた。ビリー・ライトのバック・バンドがリトル・リチャードのバックを務めた。チャールズ・ホワイトの本『The Life and Times of Little Richard』によると、若く希望にあふれた当時のリチャードは、彼のアイドルだったビリー・ライトの歌い方を模倣しようとしていたが、うまくいかなかった。その最初のレコーディングでは現代の我々が良く知っている自信にあふれたフロントマンとしての姿を見ることはほとんどできなかったそうだ。

このときにレコーディングされた曲と、後に行われたセッションで演奏された曲は、1952年にリリースされている。RCAカムデンで録音されたブルース・バラードの「Every Hour」を含む8曲は、シアーズなどの小売店で草の根的にプロモーションされ、アトランタや彼のホームタウンであるメイコンなどで一部の地域では成功は収めた。これらの曲は後にアルバムに収録され、初期ロックン・ロールの歴史にリトル・リチャードの名前を刻むことになった。

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「Every Hour」の成功は一部地域限定ではあったが、リトル・リチャードと彼の家族を興奮させるには十分だった。チャールズ・ホワイトの本の中で、このように回想されている「レコードが地元のラジオ局でかかり始めて、街の人がリチャードのことを知るようになっていった。彼の人生の中で、彼の両親がリチャードを誇りに思ったのは初めてのことだった。リチャードは、ウッドリフ通りの彼のクラブ、チップ・イン・インのジュークボックスでも、できる限り‘Every Hour’をかけるようにしてもらい、時には、自分で硬貨を入れたりもしていた」。

Written by Paul Sexton



リトル・リチャード『Here’s Little Richard』

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