Join us

Stories

ボビー・フラーの短い人生と不可解な死:ザ・クラッシュもカバーしたヒット曲「I Fought The Law」

Published on

ボビー・フラーの「I Fought The Law」がどの時代においても間違いなく名作なロックン・ロールのレコードであっても、一度も説明がなされなかった彼の不可思議な死のほうが目立ってしまうのも否めない。

1942年10月22日にテキサス州ベイタウンで生まれ、のちに家族はテキサスのエル・パソへ移り住み、ボビー・フラーはその周辺ではよく知られるパフォーマーとなった。最初にレコーディングをしたのは1961年で、インディペンデントでリリースしたシングルの第一弾は「You’re In Love」だった。

バディ・ホリー&ザ・クリケッツから受けた強い影響は、ボビー・フラー中心の4人組グループのボビー・フラー・フォーがマスタング・レコードよりリリースし、1966年の全米チャート入りを果たした2曲を見ても一目瞭然だ。その2曲のうちの1曲の普遍的なヴァージョンであり、バディ・ホリーのコラボレーター(バディ・ホリーの死後はクリケッツのメンバー)だったソニー・カーティスが書いた「I Fought The Law」だ。オリジナルは1960年に発表されたアルバム『In Style With The Crickets』に収録されている。

Bobby Fuller Four – I Fought The Law(1966)

ボビー・フラーと弟のランデルを含むカルテットによって息を吹き返した「I Fought The Law」は全米9位を記録し、次に発表したのは、同じくソニー・カーティスとクリケッツが同時期にレコーディングし、アルバム『In Style With The Crickets』に収録されているバディ・ホリー作曲の「Love’s Made A Fool Of You」のリメイクで、これは26位を記録。クリケッツの曲も同じく26位をイギリスで記録していた。

「I Fought The Law」はイギリスでは33位しか記録しなかったものの、ロックン・ロールのファンたちには崇拝されていた。ザ・クラッシュが2枚目のアルバム『Give ‘Em Enough Rope』を制作していて、ジョー・ストラマーとミック・ジョーンズがサンフランシスコでオーヴァーダブを録音していた際、サンフランシスコのオートマット・スタジオのジュークボックスでこのシングルがよくかかっていたのを耳にしていた。そして、この曲「I Fought The Law」をザ・クラッシュとしてレコーディングをしようという気になった。彼らのヴァージョンは1979年のEP『The Cost Of Living』に収録され、今でもニューウェイヴ時代を代表する楽曲のひとつである。

シングルの成功を祝っていた当時、ボビー・フラーはまだ23歳という若さだった。さらにボビー・フラーとグループは銀幕にも登場し、1966年の春の映画『ヘブンリービキニ』で2曲演奏した。ボリス・カーロフ、ベイジル・ラスボーン、そして何週か前に「These Boots Are Made For Walkin」で全米No.1を記録したばかりのナンシー・シナトラと、ありそうもない初期の名作ホラー映画のスターの組み合わせとなった軽快な“ビーチ・パーティー”映画のシリーズ作だった。ナンシー・シナトラ自身もボビー・フラー・フォーのファンであり、彼らのコンサートでよく見かけられていた。

しかしボビー・フラーは、音楽でも映画でも成功を得たその数週間後に、不可解な死を遂げたのだ。1966年7月の最後のライヴから8日後、ボビー・フラーは深夜に謎の電話を受け、どうやら早朝のミーティングのために家族のオールズモビルに乗って出かけた。

7月18日の17時、ボビー・フラーは母親のロレーンによって、ハリウッドの自宅アパートの前に駐車している車内で亡くなっているを発見された。車はガソリンがたくさんあったものの、長い間そこにいたと思われる彼の体にはあざや傷もなかった。

7月22日にボビー・フラーは、ハリウッド・ヒルズのフォレスト・ローン墓地に埋葬された。死因は当初自殺とされた。しかし成功したばかりの彼には考えにくいという見識が広がり、のちに事故と断定された。 

ボビー・フラーの死の数日前に起きたロサンゼルス警察署長の急死によって混乱状態だったロス警察は、犯罪捜査を行わなかった。しかし、それ以来ボビー・フラーはマフィアに殺害されたのかもしれないという噂が立った。このような説をボビー・フラーの兄弟のランディが調査し、2014年に事件の検証本『I Fought The Law』をミリアム・リンナとともに執筆し発表した。

2015年にランディ・フラーは、謎が残るためにボビー・フラーの死を乗り越えられずにいるとNPRに話している。「常に気になって仕方がない。どうしてこうなったのか分かれば乗り越えられると思う。でも、常に謎は残っている」。ボビー・フラーの悲しい死は、彼が短期間で成し遂げたそのキャリアに影を落とすかもしれないが、彼のキャリアは今でも人々の記憶に温かく残っている。彼を代表するヒット曲だけではなく、「A New Shade Of Blue」は1999年の映画『ボーイズ・ドント・クライ』で使用され、「I Fought The Law」の前にシングル・リリースされたボビー・フラー・フォーのシングル「Let Her Dance」はロサンゼルスでヒットとなり、2009年の映画『ファンタスティック Mr.Fox』のエンディングに使用された。

ボビー・フラーが亡くなった直後にアメリカのロック雑誌KRLAビートが書いた言葉は、当時も今も心を打つものがある。

「彼はまだ23歳だった。テキサス出身の前途有望なシンガーで、友人たちは“彼は人の周りにいるのが好きだった”と言う。そんな彼が自宅前に止められた車の中で亡くなっているところを発見された。そして誰もその理由は知らない」。

Written by Paul Sexton



uDiscoverの60年代プレイリストをSpotifyで聴く

https://open.spotify.com/user/udiscover/playlist/4s7p3F08ccbPUKJMExJ

Share this story
Share
日本版uDiscoverSNSをフォローして最新情報をGET!!

uDiscover store

Click to comment

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Don't Miss