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【ドン・ウォズ独占インタビュー】ミュージシャンでプロデューサーだった彼がどうしてブルーノートの社長になったのか

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ブルーノートの現社長ドン・ウォズは、生まれて初めてブルーノートのレコードを耳にした時のことをはっきりと覚えていると言う。それは1966年のことで、その時の経験が、ジャズの持つ本能的な、そしてスピリチュアルな力を彼に知らしめ、目覚めさせるきっかけとなったのだ。ある意味当然のことながら、それは彼の人生を永遠に変えてしまった。彼はこう告白する。

「僕は14でね…当時は日曜になると母親が車であちこち出かけて行くのに付き合わされたんだ。彼女は僕を車の中に置いて出る時、いつもキーをそのままにしておいてくれたから、僕はラジオのチャンネルを回し続けて、最終的にジャズのステーションに落ち着いたんだ」

デトロイト生まれのドン・ウォズがこの時偶然出会った音楽は、後にテナー・サックス奏者ジョー・ヘンダーソンの「Mode For Joe」と判明した。ドン・ウォズにはそれが何とも不気味でこの世のものとは思えないように感じられたが、同時にひどく心惹かれた。次第に彼はその音楽の虜になり、夢中になっていった。

Mode For Joe (Remastered)

「この男の苦悶が手に取るように分かる」

ウォズは当時のことをそう振り返る。

「僕の耳に入ってきたのはサックス・ソロのド頭だった。彼があのむせび泣くような旋律をプレイし始めた時に思ったんだ、“なんてこった、メロディもサックスの演奏技術も関係なく、僕にはこの男の苦悶が手に取るように分かるぞ”ってね。とにかく圧倒的な説得力があって、パワフルだった。しかもそこにドラムが入ってくる。ドラマーはジョー・チェンバースだった。すると、ジョー・ヘンダーソンのトーンは苦悶からグルーヴへと変化していくわけだ。僕は彼のサックスから、“ドン、逆境に立たされた時にはグルーヴで乗り切らなきゃならないぜ”ってメッセージを受け取ったんだよ」

と、ドン・ウォズは思い出し笑いをしたが、彼の言葉は大いに的を射ている。ドラマーのアート・ブレイキーがかつて雄弁に語った通り、ジャズには「日常の埃を洗い流す力がある」のだ。「Mode For Joe」を聴いて惹き込まれたことを機に、ドン・ウォズはもっと深くジャズを探求したいという思いを抱いた。

「この音楽についてもっと知らなきゃと思ったんだ。それでポータブルのFMラジオを手に入れて、ジャズ専門局のWCHDを聴くようになった。学校から帰ってくる夕方の時間帯には、デトロイトのエド・ラヴっていうDJが担当する番組をやっていたんだけど、彼はいつも曲をかけた後にそのレコードのタイトルとアーティスト名をアナウンスしてくれた。おかげでその局を聴き始めてから数か月後には、自分が特に惹かれているのはニューヨークのブルーノート・レコードっていう小さなレーベルが出している音楽だってことをはっきり自覚できたんだ」

 

「そのレコードを見つけることが使命になった」

ドン・ウォズはモーター・シティ[訳注:デトロイトの別名]で何とかしてそのブルーノートのレコードを手に入れようと、同じようなレコード漁りを趣味に持つジャズ・ファンの友人たちと一緒に巡礼の旅に出かけた。「僕は仲間たちとバスに乗り込んで、45分かけて街のあちこちへ出かけて行った。たった1枚のLPを手にするためにね」とドン・ウォズは笑う。

「しかも、自腹で買う金なんて持ってやしない。とりあえず手に持って、眺めて、ライナーノーツを読むだけさ。ツイてる時には、店主がラップフィルムを破いて、僕たちのためにそのレコードをかけてくれたりするわけだ。そうするうちに、僕たちにとっては金を貯めることとレコードを探すことが使命になったんだ」

ジョー・ヘンダーソンのLPを収集をするかたわら、ドン・ウォズはピアニストのハービー・ハンコックのファンになった。「彼のレコードはどれも最高だったよ」と彼は熱っぽく語った。

『Maiden Voyage』がリリースされた当時、リアルタイムで手に入れたんだ。だけど僕が一番好きだったのは、そして僕の人生に最大の衝撃を与えたアルバムはウェイン・ショーターの『Speak No Evil』だ。彼がブルーノートから出したレコードはどれも鳥肌ものだったけど、あのアルバムはとりわけ僕に向かって語りかけてきてくれたし、初めて聴いて以来ずっと、この上ない至福の時間を与えてくれているんだ。そう、いまもね」

Speak No Evil

成長したドン・ウォズはプロのミュージシャンとなったが、そのジャンルはジャズではなかった。彼はベースを弾き、デトロイトのグループ、ワズ(ノット・ウォズ)のオリジナルメンバーとなったのである。ポップにソウルとファンクを融合させた彼らは80年代に幾つかヒットを飛ばした(最大のヒットは1989年の「Walk The Dinosaur」)。

また、バンド以外のところで、レコード・プロデューサーとして活躍していたドン・ウォズは、2012年にブルーノートの社長就任というチャンスが巡って来た頃には、ボニー・レイットやカーリー・サイモン、イギー・ポップ、ブライアン・ウィルソン、ボブ・ディラン、ライアン・アダムス、ザ・ローリング・ストーンズら数え切れないほどのアーティストたちの作品でクレジットされ、3度のグラミー賞受賞をはじめ、数々の栄誉に輝く、世界的に有名なレコード・プロデューサーになっていた。

現在65歳、本名ドナルド・フェイゲンソンのドン・ウォズいわく、彼が社長業をオファーされたのは、ブルーノートの親会社であるキャピトル・レコードの重役に、彼が少し前にクラブでライヴを観たばかりのグレゴリー・ポーターという当時新進気鋭のジャズ・シンガーを契約するよう勧めた時だったそうだ。その時彼は、実はブルーノートの当時の社長だったブルース・ランドヴァルは健康上の問題で勇退することを決めており、結果的に会社がその後任を探していたことを初めて知らされた。

Gregory Porter – Liquid Spirit (Official Music Video)

 

「引き受ける決意を固めた」

「ブルーノートの美学である経営理念を維持しながらいかに前進して行くかが大事だだ、当時は誰ひとりとしてヴィジョンを持っていない状態だった」とドン・ウォズは振り返るが、グレゴリー・ポーターとの契約という彼の提案により、彼自身にブルーノートの社長オファーが転がり込んだのだった。

「僕はレコード会社ってものを基本的にもの凄い疑いの目で見ていた人間だから、正直自分がレコード会社のために仕事をするっていうのは気が進まなかった。でも何と言ってもブルーノートだったわけで、抗えなかったね。僕にとっては夢にまで見た仕事だったから。話をもらって1時間もしないうちに“イエス”って応えたんだ。引き受けるには自分の全神経系統を再調整して、一大決心が必要だった…でも、決断して良かったと思うよ」

1939年にニューヨークでブルーノートを起ち上げた、創始者であるドイツ系ユダヤ人移民、アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフの唱えた先進的なリーダーシップに倣い、その理想を実現するためには、相当な努力が必要であることをドン・ウォズは身に染みて分かっていた。1960年代末まで会社を指揮した彼ら2人の尽力により、独自のスタイルを持つサウンドやイメージを確立したブルーノートは、モダン・ジャズのスタンダードを担う存在となった。

 

「偉大なレーベルはみんなそうなんだよ、モータウンやスタックスみたいにさ」

ブルーノートのサウンドの影には敏腕レコーディング・エンジニアとして名高い故ルディ・ヴァン・ゲルダーの存在があった。

「彼は間違いなくレーベルのサウンドに不可欠だった。彼がいなければ、あれだけ偉大な作品たちも決して世に出ることはなかっただろう。1965年にリリースされたブルーノートのレコードを掛ければ、アーティストも曲名も分からなくたって、それがブルーノートのレコードだって分かるっていうのは素晴らしいと思う。いわゆる特徴的なシグネチャー・サウンドを持っているんだ。偉大なレーベルはみんなそうなんだよ、モータウンやスタックスみたいにさ」

ブルーノートの全盛期においてもうひとつ重要な構成要素は、フランシス・ウルフが撮影した煽情的なモノクロームの写真と、リード・マイルズのデザインによる、目を奪われるようなジャケットの力強く鮮烈な視覚的個性であった。ドン・ウォズに言わせれば、ブルーノートのアルバムは多次元の経験をもたらすものだった。

「デトロイトで生まれ育ったティーンエイジャーとして、最初に惹きつけられたのは音楽だったけど、やがて僕の中でそれは単に音楽を好きだってことだけでは収まらなくなっていった。リード・マイルズが描き出すアートワークに象徴されるライフスタイルそのもの、そして何よりフランシス・ウルフの写真が、僕に自分の人生を音楽に賭けてみたいという気持ちにさせてくれたんだ。彼の写真を眺めていると、暗い部屋の中に座っている男たちが見える。四方の壁はタバコの煙でかすんで全然見えないけれど、サックスとカッコいいスーツでキメてるんだ。14歳の僕は、この連中がどこにいるのか見当もつかなかったけど、僕もこの場所に行きたいって、そう思ったんだよ」

ハービー・ハンコック

ドン・ウォズはもうひとつ、ブルーノートの持つ唯一無二のクオリティこそが他のレコード・レーベルとの差別化に繋がり、アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフが掲げたヴィジョンの基盤となっていたことを挙げる。彼らが最優先としたゴールは利益ではなく、アーティストたちの自由な表現を可能にすることだった。

「アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフは、レーベルを設立した時にマニフェストを書いて、本物の音楽を追求し、アーティストたちに妥協知らずのアーティスティックな自由を与えることに全身全霊を捧げた」

と彼は言う。ドン・ウォズにとってはそれこそが、ブルーノートの音楽が息長く評価され続けることへの鍵だった。

「僕が思うに、突き詰めてみれば、その経営哲学がアーティストたちに純粋な自己表現の形としての音楽を生み出すことを可能にしてくれたんだと思う。嘘のないところから生まれた音楽だからこそ、何十年とその効力を失わずにいられるんだよ」

 

「素晴らしい音楽は大いなるリスクを冒して生み出されてきた」

ブルーノートはまた、経済的にも審美的な意味でもリスクを冒すことを恐れなかった。彼らがセロニアス・モンクと契約を結んだのは1947年、彼が世界一前衛的なミュージシャンとみなされていた頃のこと、ブルーノート以外には誰も彼にチャンスを与えようとはしなかった。

「それこそが長年のブルーノート哲学の真骨頂だと思う。今のこの時代においても、リスクという言葉はまるで忌み嫌われているのような扱いを受ける。でも実のところ、時代を超えて聴き継がれている素晴らしい音楽は、どれも誰かがとてつもないリスクを冒して生み出したものばかりだ。ブルーノートのアルフレッド・ライオンがセロニアス・モンクに対して、アイランド・レコードのクリス・ブラックウェルがボブ・マーリーに対してそうであったようにね」

ドン・ウォズも出演している、ソフィ・フーバー監督によるブルーノートを題材にしたドキュメンタリー映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』の中に、ハービー・ハンコックのインタビューが収められているが、ハービーはその中で、アルフレッド・ライオンもフランシス・ウルフも彼に対して、彼自身でいること以外にどんなプレッシャーも与えられたことはなかったと語っている。 ドン・ウォズはその哲学こそがブルーノートの成功における最大の理由であると信じて止まない。

「アーティストのクリエイティヴな拠り所を規制しないこと、敬愛し信頼できるミュージシャンたちと契約を交わすこと、そして彼らにそれぞれの最も得意なことをやらせることが、あれほどまでに豊かな音楽のカタログを築き上げられた一番の鍵だと思う」

「だから僕もそれと同じことをやろうとしている。僕は自分自身ミュージシャンで、何をどうしてくれと指図することもできるけど、みんなの鼻つまみ者にはなりたくない。偉大なアーティストたちに何をどうすべきだなんて言う役目は負いたくないんだ。僕がやるべきことは、彼らに彼ららしくいてもらえる自由を与えて、各々のヴィジョンを追求したレコードを作ってもらうこと。それがいま現在、我々が所属アーティストたちを採用している時の哲学だよ」

ドン・ウォズはまた、自分のプロダクション・スタイルや音楽を作る時のアプローチが、多分にアルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフがブルーノートで示した手本から影響を受けている部分があると言う。

「僕はこれまで約40年間レコード・プロデュース業をやっているけど、関わってきたレコード全てを振り返って見てみれば、アーティストたちと一緒に仕事をする時の僕の哲学が、彼らを何かの型にハメたり、元々持っているヴィジョンを歪めたりは決してしないようにしていることが分かってもらえると思うんだ。それよりも、彼らのヴィジョンを理解するように努め、それを具現化するための手助けに徹しているってね。そういう意味では、僕は物心ついてからミュージシャンとして、あるいはプロデューサー的な視点から聴いてきた作品を通して、ブルーノート・レーベルでずっと大切にされてきた美意識や価値観から大いに影響を受けているんだと思う。ちょうど昔のザ・ビートルズやボブ・ディランのレコードを聴いていたのと同じくらい、僕にとってはとても重要な要素なんだ」

 

「革命を起こしたいという情熱を持ったミュージシャンたちをラインナップしたい」

自らのヒーロー、ウェイン・ショーターを2012年に再びブルーノートに復帰させたドン・ウォズは、彼の存在がレーベルに継続感をもたらし、過去と現在を繋いでくれるものになっていると請け合う。

「ウェインがすぐそこにいるという環境は、レーベルで働いている人々にとっても他の所属ミュージシャンたちにとっても、それはもう凄い刺激になるんだ。言葉で言い表すのは難しいけど、彼という人物を直接知ること、一緒に仕事をすること、ただ近くで接するだけでも、誰もが大変な名誉だと感じているのが分かるんだよ。彼はとにかくポジティヴで、パワフルなエナジーの塊みたいな人だから、そばにいるだけで色んな刺激をもらえる。彼をうちのレーベルで抱えられる意義は、みんなにとってとても大きいんだ。しかも彼は80才台にして、まだまだ誰にも負けない革新的な考え方の持ち主だからね」

古参組のチャールス・ロイドやドクター・ロニー・スミスらも健在だが、それに加えて現在のブルーノートにはロバート・グラスパーアンブローズ・アキンムシーレ、ジェイムズ・フランシーズにマーカス・ストリックランドといった、卓越した先見の明を持つジャズ界の若手が揃っており、ブルーノート・オールスターズのメンバーでもある彼らを擁してレーベルの未来はいかにも明るい。

「僕は昔からこのレーベルがそうしていたように、常に限界に挑戦し、革命を起こしたいっていう情熱を多少なりとも持ったミュージシャンたちをラインナップしていたいと思っている。彼らはもう既にシーンに対して凄いインパクトを与えてきている。僕に言わせればロバート・グラスパーは、60年代や70年代のマイルス・デイヴィス並みの存在だよ。今のロバートは先導役であり、煽動役であり、お馴染みの素材を使って全く新しい味を作り上げる凄腕シェフなんだ」

Blue Note All-Stars – Cycling Through Reality

では、創立80周年をこえた圧倒的でパワフルな過去を持つこのレーベルを、彼はこれからどんな未来へ率いて行こうと考えているのだろうか? ドン・ウォズは、アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフがかつて掲げたレーベル創立時のアーティスティックなヴィジョンからは決して離れることはないと明言する。

「そもそも最初にこの会社を偉大な存在にしてくれた原理原則を忠実に守り続けていれば、間違いなんて起こるはずがないんだ。あとは偉大な先見の明を持つアーティストたちと共にレコードを作り続け、彼らのこの上なく野心的なヴィジョンを追求する自由を保証すること、そして彼らの邪魔をしないようにすることだね。それは決して難しい話じゃない。面倒なことになるときはいつだって、僕たちがアインシュタイン気取りであれやこれや先読みしたり、後知恵で文句をつけたり、ゴールド・ハンターみたいにヒット狙いになる時だけだ。つまり僕の信念は、みんなに最高の仕事をしてもらおう、そして彼らに偉大なアーティストとなる自由を与えようっていうことだけさ」

これはきっと賢明な決断に違いない。そしてそれこそが、過去80年にわたってレーベルを導く光であり続けた、そして、現代のブルーノートがこれからも守り続けて行くための拠り所となる哲学なのだ。

Written By Charles Waring




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