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ダイナ・ワシントン:歌いたいように歌い、自分が望むように生きたポップ・スター

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ダイナ・ワシントン
Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

黒人女性は妥協して当たり前だと思われている世界で、ダイナ・ワシントン(Dinah Washington)は少数派であった。彼女は歌いたいように歌い、心のままに愛し、自分が望むように生きたのだ。

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長い間、“ジャンル分け”は黒人アーティストのミュージシャン・シップの多様性を否定して、軽んじるために使われてきた。ワシントンは、自分の声をシェイプ・シフター(注;様々な形に自身を変化させる妖怪)だと主張した。彼女の発声法は、音節ひとつひとつに表情を持たせて吹き込むことで知られ、そうしながらその感情を表現する的確な間をコントロールする能力は並外れていた。

1940年代から50年代にかけて、完璧なリズム感と目印でもあったヴィブラートなど、天性の才能だけで彼女はブルースとジャズ界両方を席巻し、絶対的な力を持っていた。「Evil Gal Blues」や「I’ve Got You Under My Skin」、息を呑むような「I Don’t Hurt Anymore」といった曲では、驚くほどの多彩な歌声が聴ける。その時期にレコーディングした曲は、くりかえしチャートに入った。最初は、レイス・レコードのチャートだった(その後、R&Bチャートと呼ばれるようになった)。

I Don't Hurt Anymore

だが、1959年の「What a Diff’rence a Day Makes」は、ホット100を駆け上がり、彼女に初めてのトップ10ヒットをもたらし、新たに「ポップ・スター」という肩書きが加わったのである。

ポップ・スターであること、とくに黒人女性でポップ・スターであることは、特有のジレンマももたらした。白人のアーティストにとってのポップは、音楽性とどのチャートに入るべきかを意味した。だが、黒人のアーティストとなると、ポップとはジャンルの定義を超越し、そして想定されるオーディエンスの人種構成も超えた場所に行き着いたことを意味する。そこは、解放的ではあるが、黒人アーティストにとっては、ポップ・スターと紹介される数少ない存在である以上、「本人の希望でそうなった!」と訝しがる以前からのファンと、業界を牛耳る商業的な尺度の両方から、気まぐれに叩かれる場所でもある。

事実、「What a Diff’rence a Day Makes」といった、オーケストラを多用したイージー・リスニング系の曲へダイナ・ワシントンが向かったのを、批評家たちは商業的過ぎる、メーンストリームを意識しすぎていると感じた。おそらく、至福感に満ちた弦楽器の音色の間で、彼女の黒人性を聴き取るのが難しかったのだろう。この曲が出るまでは、彼女の潜在能力への理解は、白人の業界エグゼクティブが想像できる範囲、ブラック・ミュージックのマーケティングの方法の範疇から出ていなかったのだ。この曲以降、どう定義するかは決めるのは彼女次第となった。彼女は、新しい音楽性を誠心誠意大切し、Hot 100とR&Bチャートの両方で主力となったである。

What A Diff'rence A Day Made

売り方やオーディエンスが変わっても、彼女の歌声に宿るブルースやジャズ(そしてゴスペル)は、そのままであった。当時の数え切れないヴォーカリストたち同様(そして、現在でも)、ワシントンが歌の経験を積んだのは教会だった。聖歌隊席で学んだレッスンの影響は、すべての曲に彼女が入り込んで歌う様子からも聴き取れる(ただし、彼女は断固として聖歌と世俗の音楽を分け隔てていたのだが)。

さらに有名になるにつれ、あれこれ取り沙汰されるようにもなった。率直に書くと、彼女の人生は激動、もしくは不安定とよく言われた。数え切れないほどの結婚歴は彼女に問題があるように伝えられたが、実際のところ、単に次の代わりが必要だったようにしか思えない。結婚歴について聞かれた時、彼女は「捨てられる前に夫を変えるの」という有名な言葉を残している。

音楽性や売り方についての狭い考え方のように、ワシントンの人生に関わった男性たちは、彼女を満足させられなかったのだ。彼女は欲しいものを要求し、取り囲むパートナーたちでもオーディエンスでも、それに従うことを望んだ。亡くなった際は、ジェッツ誌(注:有名な黒人向け雑誌)が当時書いたように、「本物の、ソウルフルで色彩豊かなブルースの大シンガー」として絶対的な存在であり、様々な意味で先駆者だったのだ。

「豪胆」というのは往々にして否定的な含みがあるが、ワシントンの場合は彼女の人生を輝かせた。その人生を支えた、畏れを知らない態度は彼女の音楽に滲み出て、難攻不落の自信をもってキャリアを築いたのだった。すべての偉大なポップ・スターは、おそらく明確なヴィジョンで自分だけがわかっている立ち位置というものがある。ダイナ・ワシントンは、どこにいても一番目立つことを自ら課した−その後の何十年間を含めても黒人女性としては革新的な態度である。そして、最期の瞬間までダイヤモンドと真珠のティアラをつけて、埋葬されたのである。

Written By Briana Younger

uDiscovermusicで連載している「ブラック・ミュージック・リフレイムド(ブラック・ミュージックの再編成)」は、黒人音楽をいままでとは違うレンズ、もっと広く新しいレンズ−−ジャンルやレーベルではなく、クリエイターからの目線で振り返ってみよう、という企画だ。売り上げやチャート、初出や希少性はもちろん大切だ。だが、その文化を形作るアーティストや音楽、大事な瞬間は、必ずしもベストセラーやチャートの1位、即席の大成功から生まれているとは限らない。このシリーズでは、いままで見過ごされたか正しい文脈で語られてこなかったブラック・ミュージックに、黒人の書き手が焦点を当てる。



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