そして、受賞者たちは、、、

October 2, 2012


そして、受賞者たちは、、、

誰もが羨むブリットやグラミーを受賞することは、多くのアーティストにとって、間違いなくキャリアのハイライトだ。新しい年を迎えると、これらアワードはセレモニーを開き、前年、高く評価され、商業的にも成功を収めたアーティスト、プロデューサー、ソングライター、エンジニアたちの功績を称える。アワードはアーティストに名誉――そして、それに続くスーパースターの地位を授けるだけでなく、授賞式は壮大なショウであり、音楽業界においてその才能を見せつけるのに最適な場所ともなった。

アメリカでのグラミー、英国でのブリット・アワーズは、音楽が提供すべき華やかさ、ドラマ、祝典の象徴となった。グラミーは50年以上、ブリッツは35年以上開催されている。どのアーティストにとっても、成功の頂点となるのが最優秀アルバムの受賞だ。両アワードの最優秀アルバム受賞者の一覧をみると感嘆せざるをえない。まるでポピュラー・ミュージックの百科事典を読んでいるようだ。U2クインシー・ジョーンズハービー・ハンコックスティーヴィー・ワンダーライオネル・リッチーダイアー・ストレイツスティングアリソン・クラウスロバート・プラントといったスーパースターに、フローレンス・アンド・ザ・マシーンキーンエイミー・ワインハウスら新たな星が並んでいる。しかし、この栄誉を手にできた人達の数は僅かだ。何百万枚ものアルバムを売り上げ、そして、ここが重要なところだが、それぞれの音楽の分野において、特別で独自で明確な貢献をした人々に限られるのだ。

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グラミーは長年に渡り、類まれなアーティストによる格別に優れたパフォーマンスを称えてきた。そんなアーティストの一人が巨匠クインシー・ジョーンズだ。彼はグラミー史上最多の数、候補に挙がり、最も多数受賞したプロデューサーで、現時点でその数はなんと27回にも及ぶ。スターが勢ぞろいした、先見の明のあったジョーンズの自伝的なアルバム『Back On The Block』(1989年)は、1991年の第33回グラミー賞で6つのアワードを彼にもたらした。これは、長いリストの中の一部に過ぎない。クインシーの名が刻まれたプロジェクトは、1960年代初めにインパルスやマーキュリー・レコードで創り出したジャズ・アルバムの名作に始まり、70年代や80年代にはグラミーにノミネートされた『Body Heat』や『The Dude』などがある。さらにこの時期、彼の名がプロデューサーとしてクレジットされた作品は、ブラザーズ・ジョンソンからジョージ・ベンソン、サラ・ヴォーン、マイケル・ジャクソンまで多岐にわたる。『Back On The Block』には、数えきれないほど多くの有名人が参加した。しかし、興味深いのはその多様性だ。この中には、エラ・フィッツジェラルド、グランドマスター・フラッシュ、バリー・ホワイト、ハービー・ハンコック、ディジー・ガレスピー、アル・ジャロウらの名が見られる。

ジョーンズの功績に並ぶのがアリソン・クラウスだ。彼女はこれまでに、ソロ・アーティスト、ユニオン・ステーションのメンバー、プロデューサーとして27回受賞している。とくに印象深いのが、ロバート・プラントとコラボした『Raising Sand』だ。プラントはその6年前、レッド・ツェッペリンのシンガーとして特別功労賞生涯業績賞を受賞した。このアワードで、1970年の最優秀新人グループ部門でツェッペリンがクロスビー、スティルス&ナッシュに敗れたのは帳消しとなった。『Raising Sand』は2009年の第51回グラミー賞で、クラウスにとって初となるアルバム・オブ・ザ・イヤー、レコード・オブ・ザ・イヤー、最優秀ポップ・コラボレーション、最優秀カントリー・コラボレーション、最優秀コンテンポラリー・フォーク/アメリカーナ・アルバムの計5つのアワードを受賞した。アルバムの大半が、伝説のT・ボーン・バーネットのプロデュースのもとナッシュヴィルでレコーディングされた。バーネットはダイアナ・クラールのアルバム『Glad Rag Doll』(2012年)もプロデュースしている。

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そして、“世界最高のバンド”のタイトルに相応しいのが U2だ。驚きではないが、彼らはグループとしてはグラミー史上最多となる22個のトロフィーを手にしている。彼らのビクトリーは、アルバム『The Joshua Tree』でアメリカを征したときに始まった。同作は1988年、アルバム・オブ・ザ・イヤー、最優秀ロック・パフォーマンス(デュオ/グループ)を受賞。以降、2006年に『How To Dismantle An Atomic Bomb(邦題:原子爆弾解体新書~ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム)』で再びベスト・アルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得するまでの間にリリースされた作品すべてが、グラミーの候補に挙がるか受賞している。彼らは、アルバム・オブ・ザ・イヤーを2回以上受賞している数少ないアーティストの1組だ。

功績が認められるのはポップとロックに限らず、クラシックからワールド・ミュージック、ゴスペルからレゲエ、フォークからジャズまで幅広いカテゴリーが設けられている。それを股に掛けるアーティストの一人が、ピアニストのハービー・ハンコックだ。彼は当然のこと、最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アワードを受賞したのに加え、ジョニ・ミッチェルの名曲を繊細でエモーショナルにカヴァーした『River: The Joni Letters』で、カニエ・ウェストエイミー・ワインハウスといった強豪を破り、アルバム・オブ・ザ・イヤーに輝いた。『River: The Joni Letters』は、ティナ・ターナーやノラ・ジョーンズ、コリーヌ・ベイリー・レイ、そしてジョニ本人らゲスト・アーティストの力を借り、ジョニ・ミッチェルの比類なきソングライティングの才能を称えた異例のアルバムだ。天才ジャズ・サックス奏者のウェイン・ショーターもフィーチャーしている。ショーターは、キャリア初期にはアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズでプレイし、ザ・ローリング・ストーンズの『Bridges To Babylon』にも参加した。

“史上最高のアルバム”ランキングに入るような作品も、当然、評価されている。ダイアー・ストレイツの『Brothers In Arms』は、1986年に最優秀エンジニアド・レコーディング(ノン・クラシカル)を、2006年にリイシューされたときには最優秀サラウンド・サウンド・アルバムを受賞した。これだけ素晴らしいクオリティのアルバムであれば、どんなアワードも簡単に受賞できそうが、おかしなことに、グラミーの最優秀アルバムには選ばれなかった。しかし、これはブリット・アワーズで挽回している。1985年5月にリリースされたバンドにとって5枚目のスタジオ・アルバムである同作は、全英アルバム・チャートで10週1位を獲得、アメリカではビルボード200で9週間1位に輝いた。全英チャート史上最も売れたアルバム10枚の1つで、アメリカでは9つのプラチナに認定された。世界的には3,000万枚以上のセールスを誇っている。また、スティングのヴォーカルが印象的な収録曲の1つ「Money For Nothing」は1986年、最優秀ロック・パフォーマンス(デュオ/グループ)を受賞した。

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ライオネル・リッチーは2枚目のソロ・アルバム『Can’t Slow Down』で、コモドアーズの影を振り払うことに成功し、1985年のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。1983年10月にリリースされたこのアルバムは、12月にビルボード・アルバム・チャートの1位に輝き、3週間その座をキープした後、59週連続でトップ10入りし続けた。1984年の全ての週でだ。「Hello」「All Night Long (All Night)」「Stuck On You」「Running With The Night」「Penny Lover」らヒット・シングルのおかげで、アルバムは世界で2,000万枚を売り上げた。これらのシングル全てが、ビルボード・ホット100のトップ10内にチャート・インした。

22回も受賞し、1996年に特別功労賞生涯業績賞が贈られたスティーヴィー・ワンダーは、この先ずっとグラミーと共に語られていくアーティストだろう。70年代、彼以外の候補者を発表する意味はないように見えた。画期的なことに10年間毎年アルバムをリリースしてきたスティーヴィーが、1976年にそれを中断したとき、最優秀アルバムに選ばれたポール・サイモンは、それまで2年連続(『Innervisions』『Fulfillingness’ First Finale』)で同アワードを受賞していたスティーヴィーへ向け、冗談で、その年アルバムを出さないでくれてありがとうと感謝した。スティーヴィーは翌年(1977年)、『Songs In The Key Of Life』で再びアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。これは、「Village Ghetto Land」「As」「Sir Duke」「Isn’t She Lovely」などを収録する素晴らしいダブル・アルバムだ。

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2008年はいろいろな意味で、エイミー・ワインハウスの年だった。彼女は『Back To Black』で5部門を受賞した。最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバムに、シングル「Rehab」でレコード・オブ・ザ・イヤーとシングル・オブ・ザ・イヤー、最優秀女性ヴォーカル・パフォーマンスを、そして最も重要なことに、新人賞のトロフィーを受け取った。エイミーは亡くなった後の2012年、彼女のコンピレーション・アルバム『Lioness』に収録されたトニー・ベネットとのデュエット「Body And Soul」で最優秀ポップ・パフォーマンス(デュオ/グループ)も受賞した。

英国では、音楽誌‘New Musical Express’が1952~1972年まで毎年開催していた伝説のPoll-Winnerコンサートが、一般的にはブリッツの前身と考えられている。これは、ロンドンにあるエンパイア・プール、ウェンブリー、ロイヤル・アルバート・ホールなどの会場で開かれ、ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズダスティ・スプリングフィールドらが常連だった。

ブリット・アワーズ自体は、British Phonographic Industry(BPI)の監修のもと1977年にスタート。1982年から毎年開かれるようになった。第1回目のセレモニーは、録音の歴史100周年と英国のレコード・ビジネスの成長を祝い、開催された。最優秀アルバムの受賞者第一号が、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』を成功させたザ・ビートルズだったのは、意外でもなんでもないだろう。

1回目のアワーズはセールスに基づいていた。その後、グラミー賞と同じように業界の専門家たちから成る審査委員会が投票する形式となった。ブリッツでは、BPIのメンバー、DJ、音楽メディア、TV司会者、音楽関連企業やプロモーターの代表者、NUSエンターテインメント・オフィサーまで加わる1,000以上の人々が投票し、幅広いテイストを持つよう心掛けている。回を重ね、専門家とファンの意見両方を反映するため、オーディエンスの投票システムも様々な形で導入されるようになった。“ブリティッシュ”を縮め“ブリット・アワーズ”というタイトルが初めて使われたのは、1989年だった。これはその後、British Record Industry Trust(ブリティッシュ・レコード・インダストリー・トラスト)アワーズを略していることにもなった。

ライヴであろうとテレビ(何百万人もの視聴者を魅了している)からであろうと、ブリッツを見ていてワクワクするのは、あのエキサイティングな雰囲気、それに見事なまでに予想不可能なところがあるからだろう。ドラマチックなステージ・セットでのパフォーマンスであれ、シンプルでダイレクトなパフォーマンスであれ、ヴォーカルや曲のクォリティーを直に実証することとなり、アーティストにとっては彼らのキャリアにおいて重要なパフォーマンスとなる。授賞式は長い間アールズ・コートで開かれていたが、2010年、O2アリーナへ移った。ロンドン南東部にある、かつてミレニアム・ドームと呼ばれていたこの場所は、UKの音楽カレンダーで最も大切なイベントの1つを開催するのに相応しい、壮大で革新的な会場だ。

授賞式での勝利は様々な意味を持つ。スティングが1988年ロイヤル・アルバート・ホールで開催された授賞式で、意欲的なダブル・アルバムだった『. . . Nothing Like The Sun』により最優秀ブリティッシュ・アルバムを受賞したのは、彼がとうとうポリス(1982年に最優秀グループを受賞)を過去のものとし、繊細で幅広いジャンルを演奏できるソロ・パフォーマーとして認められたことを意味した。CD・ダウンロードの時代では忘れられがちだが、『Nothing Like The Sun』は元々、ダブルLPで誕生した。アメリカでトップ10に入った「We’ll Be Together」、15位をマークした「Be Still My Beating Heart」らが収録されている。中でも突出しているのが、美しい「Fragile」と、エキセントリックな異邦人クエンティン・クリスプについて歌った「Englishman In New York」だ。「They Dance Alone」ではエリック・クラプトンとダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーをフィーチャーし、ジミ・ヘンドリックスのカヴァー「Little Wing」では、ジャズ界の名アレンジャー、ギル・エヴァンスと彼のオーケストラがフィーチャーされている。スティングは2002年に功労賞も受け取った。

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ブリッツでは、未来を祝うことも同じように大切にされている。2008年に(この先の活躍が期待される新人へ贈られる)クリティックス・チョイス・アワードが導入され、フローレンス・アンド・ザ・マシーン、エリー・ゴールディング、ジェシー・J、エミリー・サンデーといったアーティストの可能性を広げた。彼女たちみんなが、その後、素晴らしい成功を収めている。フローレンス・アンド・ザ・マシーンは2010年に『Lungs』で最優秀ブリティッシュ・アルバムを受賞し、フローレンスはディジー・ラスカルと「You Got The Love」をアレンジした「You Got The Dirtee Love」をパフォーマンスして話題になった。キーンが2005年、デビュー作『Hopes And Fears』で最優秀ブリティッシュ・アルバムを受賞した際は、「Everybody’s Changing」の素晴らしいパフォーマンスを披露し、彼らの成功を大きく裏付けた。デビュー作だっただけに、輝かしい功績となった。最近では、エミリー・サンデーとフローレンス・アンド・ザ・マシーンもデビュー作で受賞し、キーンの成功に並んだ。『Hope And Fears』はチャートのトップを飾り、2004年のベストセラー第2位となった。

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この夜のパフォーマーのラインナップは、功労賞を受賞するような崇拝されるアーティスト(過去にはポール・マッカートニーザ・フー、ステイタス・クォー、ポール・ウェラーらが受賞している)から、この規模のステージに出演するのは初めてというアーティスト(2009年のダフィの「Warwick Avenue」やマムフォード・アンド・サンズの2011年の「Timeshel」は特筆すべきものだった)まで多岐にわたる。ひとつ保証されているのは、ショウはいつも話題となり、音楽業界における最高のデモンストレーションとなる。

長く輝かしい歴史を持つグラミーとブリッツは、その年のベストでエキサイティングなミュージック・モーメントを捉えている。アワーズが物議をかもすのはいつものことだ。一時の流行が支持され、名作やアーティストが見過ごされた例は何百とある。でもある意味、だからこそ、祝典にすべきなのだ。

ポピュラー・ミュージックには、現れてはすぐ消える愛と情熱、忠誠心の変化といった瞬間的なものが永遠についてまわる。しかし、どんな選択がなされたのであれ、その核にあるのは、興奮、よく創られた音楽への感動、衝撃的なパフォーマンス、聴く者を魅了する歌声だ。スティーヴィー・ワンダーの輝きやクインシー・ジョーンズの威光からフローレンス・アンド・ザ・マシーンの強烈な個性まで、人々を魅了した音楽を知ろうとするとき、グラミーとブリッツは、その年のポピュラー・ミュージックの最高の瞬間を捉えた素晴らしいスナップ写真を提供してくれる。


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