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間もなく来日するテディー・ライリー最新インタビュー:“ガイ2.0”と「No Diggity」秘話
2025年10月30日(木)、11月1日(土)、3日(月)に東京のBillboard Live Tokyoにて、Teddy Riley Presents New Jack Swing “The Experience” featuring GUY 2.0, Sounds of BlackStreet, Sounds of Michael Jackson and Moreとして来日公演が決定しているテディー・ライリー(Teddy Riley)。
この長い名前にある「GUY 2.0」や来日メンバー、そして彼が作り上げてニュー・ジャック・スウィングや名曲「No Diggity」を語る最新インタビューを掲載。インタビュアー&執筆はライター/翻訳家の池城美菜子さんです。
*来日公演チケット情報はこちら。
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ボビー・ブラウン「My Prerogative」、ロブ・ベース&DJ EZロック「It Takes Two」、ガイ「Let’s Chill」、少女時代「The Boys」、ブラックストリート「No Diggity」、そして、マイケル・ジャクソン「Dangerous」、「Remember the Time」。
テディー・ライリーの名前でピンと来ない人でも、これらの曲を聴いたことはあるはず。単に大物と息の長いヒット曲を作ったから、偉大なのではない。テディー・ライリーは、R&Bとヒップホップ、それらを引用したポップの大動脈となるドラム・パターン、リズムを編み出した天才なのだ。
たとえば、「It Takes Two」はくり返しサンプリングされ、音楽的なDNAとして多くの曲の中で生きているのだ。長くブラック・ミュージックを聴いている人にとっては、ニュー・ジャック・スウィングの立役者として重要なプロデューサー、そしてファレルの師匠でもある。
そのテディー・ライリーが、『New Jack Swing “The Experience” featuring GUY 2.0, Sounds of BlackStreet, Sounds of Michael Jackson and More.』という、タイトルを読んだだけでセットリストが浮かぶライブのために来日を果たす。
ブラックストリートとして2020年4月に来日するはずが、パンデミックのためキャンセルに。布陣を変え、5年ぶりのリベンジ公演となる来日直前の独占インタビューである。筆者のテディー・ライリー取材は、3回目。ただし、前の2回は1999年と2000年とじつに四半世紀ぶり。ZOOM越しのテディー師匠はあいかわらず美声で雄弁だった。
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『Verzuz』での対決
── 2020年4月に来日する予定が、コロナ禍で中止になってしまいました。代わりに同じ時期にオンラインのバトル・イベント、『Verzuz』でベイビーフェイスと歴史的な対決をしましたよね。『Verzuz』全体が多くのアーティストの再評価につながりましたが、ご自分はなにか変化がありましたか?
テディー:その前にブラックストリートのコンサートを家からやったんだけどね。『Verzuz』の対戦はカルチャー全体を盛り上げるために参加した。話が出たときは、断るつもりだったんだ。ベイビーフェイスが作った名曲は多すぎるから、(相手になるのは)無理だってね。そうしたら、アンドレ・ハレルやドクター・ドレーたちに口を揃えて「できるって、お前にも曲があるじゃないか」って説得された。
── アクセスが多すぎてインスタグラムのサーバーがクラッシュするなど、とても注目されました。いまだにあなたとベイビーフェイスのどちらが勝ったのか議論している人たちもいます。
テディー:ほんと、まだ話題になっているよね。俺としてはベイビーフェイスに敬礼して、彼の勝ちで構わないよ。ずっと尊敬している相手だし。アンドレは「俺もベイビーフェイスとも仕事をしているけれど、お前はアップタウン・レコードのクインシー・ジョーンズとも言える存在だから、君を応援する」って。ベイビーフェイス側には当然、L.A.リードがついていて、こちらがどの曲をかけるか探り始めていたし。ラフェイス・レコードvsアップタウン・レコードみたいな意味合いも帯びて、すごい闘いになったよね。あれで、もっと曲を作ろう、ってやる気が出たよ。家にいてこれだけできるのだから、外出できるようになったら、もっとすごいことがやれるはず、って思った。
── たしかに、多くのアーティストの再評価につながったイベントでしたよね。
テディー:だから、ニュー・エディションとレガシー・ツアーを行ったんだ。ただ、昔のようには声が出ないメンバーもいて、たとえばマイク・タイソンの試合と同じように「昔とはちがうよね」と言われてしまう可能性もあったけれど、うまくカバーする方法を見つけてやり遂げた。ニュー・エディションほどの大物とツアーができるなら、とガイ2.0を始めたんだ。
ガイ2.0(Guy 2.0)とは?
── それが次の質問でした。ガイ2.0はどのようなコンセプトなのでしょうか?
テディー:シンガーのオールスターを集めたグループだよ。(オリジナルの)ガイをアップデートしたから、2.0なんだ。オリジナル以上にガイらしく歌えるからそう呼んでいる。みんなもガイの曲が聴きたそうだったし。メンバーの(アール・)ラベンダーはデイヴ・ホリスターとR.ケリーを足したようなタイプ。ハワード(・ハウエル)はアーロン・ホール、チャーリー・ウィルソン、スティーヴィー・ワンダーに近い歌声の持ち主で、 Ljay(フレッド・ロビンソン)はプロファイルというグループにいた人だ。
── 社長がキダー・マッセンバーグ時代のモータウンにいたグループですよね。
テディー:そうそう、彼らの曲も俺が作ったんだ。Ljayは俺と一緒にリードーシンガーを務める。デヴィッド・ラフィンとデイヴ・ホリスターに近い歌声ですばらしいよ。それから、前回の来日にも同行したジェイスタイルズ(シャーマン・セルドア)はマイケル・ジャクソンのパートを歌う。ロドニー・ポーはベイビーフェイスとエル・デバージを足したようなシンガーだ。それから、まだ23歳のブランドン(・コンウェイ)。彼との「Remember The Time」はバイラル・ヒットになって、大勢の人が見てくれた。当然、マイケル・ジャクソンの歌を歌う。何人かは初来日だよ。
── 全員で何人のヴォーカルがいるのでしょう?
テディー:ガイ2.0は俺を含めて6人で、そこにブランドンが加わる形だね。
── 今回は『New Jack Swing “The Experience” featuring GUY 2.0, Sounds of BlackStreet, Sounds of Michael Jackson and More.』という長いタイトルがついたライブです。どのような趣旨でこのショーを企画したのでしょう?
テディー:踊ったり、笑ったり、感情を揺さぶられるようなコンサートになるはずだ。ローラーコースター並みに心が動く内容になると思う。みんながずっと(ライブで)聴きたかった曲が聴ける、新しいチーム。俺がガイとブラックストリートの音を作ったのだから、それを届けたい。俺が歌うガイの曲や、日本で人気の「Her」もセットリストに加えているよ。そのあとに、テディー・ライリー・シンフォニー・オブ・ニュー・ジャック・スウィングをまとめるつもりだ。
── あなたが作った曲をオーケストラに演奏してもらう、ということですか?
テディー:その通り。プロジェクトを推進するために、すでに4人も作曲家を雇った。20曲以上をオーケストラ用に仕立てている。コレクター・アイテムになるはずだよ。
パイオニアが語るニュー・ジャック・スウィング
── ニュー・ジャック・スウィングはムーブメントそのものは短命だったにもかかわらず、大きなインパクトを残しました。いまでもアメリカのみならず、世界のポップミュージックとダンスミュージックに影響を与え続けています。テディー・ライリーが考えるニュー・ジャック・スウィングの定義、魅力を教えてください。
テディー:ハハハ。マイケル・ジャクソンに「フィニッシャー(まとめ役)」と呼ばれたのは興味深いよね。『Dangerous』や『Invincible』、『History』といったアルバムを仕上げる役割だったから。スヌープの『Ego Trip』もそうだ。一緒にツアーもしたしね。アルバムが成功したから、そう呼ばれるのは構わなかった。アップタウン・レコードのアル. B. シュア!の作品もそうだ。
── あなたこそ、ニュー・ジャック・スウィングということでしょうか?
テディー:俺はニュー・ジャック・スウィングのパイオニアのひとりだよ。ダグ・E・フレッシュとの「The Show」も、ニュー・ジャック・スウィングとラップを組み合わせた最初だし。キース・スウェットとの曲がR&Bの(ニュー・ジャック・スウィングの)スタート地点だ。
── ヒップホップ・ソウルとの決定的な違いはなんでしょう?
テディー:ヒップホップ・ソウルは、ニュー・ジャック・スウィングから生まれたものだ。ヒップホップはちがうけどね。ソウルとR&Bはニュー・ジャック・スウィング以前からあって、俺がヒップホップと組み合わせてニュー・ジャック・スウィングになった。ラップやゴスペルとも組み合わせた。現在でも、ニュー・ジャック・スウィングから生まれたテクノロジーは生きている。
── あなたはトークボックス(トーキング・モジュレーター)を使う手法でも知られています。あれは楽器の音をいじる機械ですが、人間の声を加工するプラグイン、オートチューンが長いことポップとR&Bで使われていますよね。プロデューサーとして、オートチューンについてどう考えていらっしゃいますか?
テディー:オートチューンを最初に使い始めたのも俺だよ。(ブラックストリートのオリジナル・メンバーの)チャウンシーといった歌声が平坦なシンガーに使うと効果を発揮するプラグインだからね。もともといいシンガーでも、もっと聴こえがよくなるだけの話だ。T-ペインは使わなくてもすばらしいシンガーだけど、オートチューンを使ってあの独特のサウンドができた。
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スウィズ・ビーツとティンバランドが始めたオンライン企画、 『Verzuz』の話から始めたせいか話がどんどん濃い方向に行ってしまった。「ニュー・ジャック・スウィングの定義」をテディー本人に尋ねる、という大胆な質問に出たら、交わされてしまった。そうだった、テディー・ライリーは非常に頭が回る人だった。オートチューンについては、アメリカ国内で多用する是非がずっと議論されているのもあり、やはり慎重な答え。
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「No Diggity」の歴史と秘密
── ブラックストリート「No Diggity」はR&Bの転換点となった重要な曲です。ドクター・ドレーの参加も話題になりましたが、その経緯と実際にスタジオに入ったのかなど、彼とのやりとりを教えてください。
テディー:OK、「No Diggity」のすべての歴史を教えよう。あの曲は15歳からの友人、ウィル・スチュワートが原型を作ったんだ。俺はハーレムのプロジェクト(低所得者向け団地)に住んでいて、彼のガールフレンドが住んでいたから、わざわざブルックリンから来ていたんだよね。彼はとてもいいシンガーで、プロジェクトの廊下でよく歌っていてね。俺は俺で、部屋で音楽を作っていたから、その漏れてくる音を聞きつけて、彼の仲間が勇気を出してうちのドアをノックしてくれたのが始まりだ。
時が経って、1994年、彼らがヴァージニアの俺のスタジオまで来てくれた。俺もウィルもMP3をうまく扱えたから別室で作業をして、曲は書かなかったんだけど、彼が(ビル・ウィザーズの)「Grandma’s Hand」のサンプリングをいじり始めた。あのドラムを声で表現しようとしたんだね。俺は聞きつけてすぐに頼んでフロッピーで受け取った。
それをS3000(Akai S3000XL)で演奏して、上手くシンクロさせるためにムーチョ・スコットが引き伸ばすやり方を教えてくれて、俺はそのサンプルを4つに区切った。それで、ドラムにぴったりハマったんだ。そこまで出来たとき、7〜80年代のコメディ番組のオチのときに鳴る音みたいなドラムを入れたらいいな、と思った。(そのドラムは)同時に(マイケルの)『Dangerous』にも取りかかっていたから、「Jam」でも使っているよ。
さらに発展させたのがあのイントロで、ドクター・ドレーがラップをかぶせている部分だ。トラックが出来上がったとき、まだリリックがなかったからウィルに電話口でハミングをして聴かせながら「何か書いて」と伝えたらハミングも残して仕上がった。マイケルにもその小節の譜割を使っている。ブラックストリートのメンバーは斬新すぎて良さがわかっていなかった。それで、誰も歌い出しの役割を引き受けたがらなかった。みんなで押しつけ合うから、しかたなく俺が歌うことになった。
デモが出来上がってから、(インタースコープ・レコードのトップ)ジミー・アイオヴィンのところに持って行って、アルバム『Another Level』を聴かせた。この曲では反応がなかったけれど、(ビートルズのサンプリングをした)「(Money Can’t) Buy Me Love」で頭をふり始めた。彼はポール・マッカートニーとすごく仲よしだからね。ジミーは(「No Diggity」には)ピンと来ていなかったのに、ドクター・ドレーがこの曲でMVを作るなら俺も参加したい、って言い出したら態度が変わった。俺はドレーに「ただ参加するのはダメだよ。16小節分のラップをしてくれないと」と言って、それで彼がラップしてくれることになった。
── ドレーは自分の作った曲以外ではラップしない、と言っていたので例外を作ったんですね。
テディー:そうだね、あの曲は例外だったんだ。
時代を先取りするテディー・ライリー
── ファレルの自伝映画『ファレル・ウィリアムス:ピース・バイ・ピース』に登場していましたね。レゴのなかでもとくに本人に似ている気がしたのですが、あの映画はどうご覧になりましたか?
テディー:似ていたかな?(爆笑) あの映画はとても楽しめたよ。スタジオを宇宙船に見立てるシーンでは涙が浮かんだ。すばらしいアイディアだよ。だって、音楽は未来に連れていくものだから。彼は自伝を作りながら、同業者たちにも光を当ててくれた。
── 2020年代に入ってアメリカでもK-POPが人気を博しています。あなたはひと足早く、2011-12年にガールズ・グループ、RaNiaを共同制作したり、少女時代に「The Boys」を提供したりしています。ご自身が時代の先を行き過ぎている、と感じることはありますか?
テディー:自分で自分に追いついた、という気はしている。長いこと自分自身(のアイディア)を追い続けてきて、俺が最初に始めたことがいま、広く行われているからね。さまざまなテクノロジーを使うのも早かったし。(2010年代頭に)SMエンターテイメントと仕事をしていたときは、2年間もソウルに住んで、就労ビザの更新のたびに東京に行ったんだよ。
日本ではHEROとEXILEの曲を作ったしね。俺はつねに未来を作っている感覚があるから、自分のスタジオも「フューチャー」と名づけた。(ブラックストリートの)アルバムも「次のレベル(Another Level)」だったし。俺にとって限界はない。最近は自分自身にやっと追いついて、新しい音楽を披露できる。今回、日本に行けるのもうれしいよ。長く続けられたからこそ、当時よりいまのほうが感慨深いかもしれないね。
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マイケル・ジャクソンのレコーディングの話も聞きたかったのだが、「No Diggity」全史を詳細に語ったおかげで時間が足りなくなってしまった。少し専門的になったが、時代のサウンドを変えるようなトラック、ビートが出来上がるまで、さまざまな偶然と出会い、研磨が必要であることが伝われば本望だ。ヴォーカル7人とバンドという強力な布陣の3Daysと、テディー・ライリーの新しいプロジェクトがとても楽しみだ。
Interviewed & Written By 池城美菜子 (noteはこちら)
テディー・ライリー来日公演情報
東京・Billboard Live Tokyo
2025年10月30日(木)、11月1日(土)、3日(月)
チケット情報はこちら
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