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DMX『… And Then There Was X』解説:猛々しい等身大のブラックネス

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HIP HOPの輸入盤アナログ・レコードが音楽サイトuDiscovermusicの名前を冠したシリーズ「uDiscovermusic. VINYL HIP HOP」としてカラー・ヴァイナル、日本語半掛け帯付きとして2025年7月4日に数量限定で発売される(一部タイトルの発売日は除く)。

今回このシリーズで発売されるのは以下の全8タイトル。それぞれのアルバム解説を掲載。このページでは1999年に発売されたDMX『… And Then There Was X』についてライター/翻訳家の池城美菜子さんによる解説を掲載。

<タイトル一覧・クリックすると解説がご覧になれます>
パブリック・エネミー『It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back』
・ウォーレン G『Regulate… G Funk Era』
DMX『… And Then There Was X』
ジャ・ルール『RULE 3:36』
50セント『Get Rich or Die Tryin’』
2パック 『Best of 2Pac, Part 1: Thug』
・プッシャ・T『Daytona』
ケンドリック・ラマ―『Black Panther: The Album』


 

「…そして、Xが残った」。映画のラストシーンのキャプションみたいだが、ダークマン・XことDMXの3作目のタイトルだ。『… And Then There Was X』は、世界が終わると言われたY2K問題の真っ只中の1999年の暮れにリリースされた。その前年、1998年のブラック・ミュージックのビッグ・ニュースは、ローリン・ヒル『The Miseducation of Lauryn Hill』とDMXの登場だったと言っても過言ではない。

フージーズですでに知られていたローリン・ヒルはコンシャスな自然体で、DMXは猛々しさで等身大のブラックネスを体現していたのだ。

 

1998-1999年はラフ・ライダーズの年

DMXは1998年5月にデビュー作『It’s Dark and Hell is Hot』を、同年12月に『Flesh of My Flesh, Blood of My Blood』をリリース。ファーストが400万枚、セカンドが300万枚以上を売り上げたのだから、彼の勢いはわかるだろう。

「ここは暗いし地獄は熱い」、「俺の血肉」の次が「‥そして、Xが残った」。鮮烈なデビュー作でヒップホップ・ゲームの流れを変えた、DMXはつねにサバイバル・モードだったのだ。

ラジオやケーブルテレビでかかるように気を配るあまり、女性、金、ドラッグを強調しつつ、わかりやすいサウンドの「成り上がり系」のラップ・チューンがチャートを席巻していた時期。彼は文字通り犬のように吠えて「生き残り系」ともいえる、生き様をテーマにラップしていた。

ドラッグ・ディーラー上がりのジェイ・Zやナズは華やかな生活をラップし、ネイティヴ・タン一派で生活密着型と思われたバスタ・ライムスは終末論をテーマにしてもいた。東海岸の中心地、ニューヨークのシーンはたけなわで、ヒップホップ専門局のHot97でかかれば、そのまま全米、いや、全世界でヒットした。だが、東海岸でまとまっていたかといえば、そうでもなかった。

先に売れたラッパーが地元の仲間を売り出そうとして、さまざまなクルーがレーベルを起こし、派閥のように駆け引きしていたのだ。バスタのフリップ・モード・スクワッド、ジェイ・Zのロカフェラ・レコーズが筆頭。DMXが率いるラフ・ライダーズは、ニューヨーク州の北部、ヨンカースを中心に90年代を通して準備し、1998年のDMX人気が起爆剤となって一気にトップに踊り出た。

ラフ・ライダーズが強かったのは、スウィズ・ビーツがインハウス・プロデューサーだったこと。 ラフ・ライダーズ創設者の甥である彼は、シーンを刷新する音を続けて投下できる才能の持ち主。それもあり、1999年もラフ・ライダーズの勢いは衰えなかった。

4月27日にまずコンピレーションの『Ryde or Die Vol. 1』をドロップ。フィメール・ラッパーのイヴを世に送り出し、ドゥルー・ヒルのノキオとフィーチャーした「What Ya Want」と、ジェイ・Zの「ロカフェラ‥ラフ・ライダーズ‥」で始まる「Jigga My Nigga」が大ヒット、リリースして3週間でプラティナムに届いた。

Ruff Ryders – Jigga My Nigga feat. Jay-Z – Ryde Or Die Volume 1

『Ryde or Die Vol. 1』はリリース当時、「DMXがあまり参加していない!」という不満が出た記憶がある。DMXは7月に「ウッドストック1999」に出演。3日間で40万人を集めた大型フェスで、運営の不備による観客の暴徒化がニュースになってしまったが、初日のDMXのパフォーマンスの評価は高く、いまでも白人の若者がDMXに合わせて一緒にラップしている映像が残っている。

DMX – Ruff Ryders Anthem – 7/23/1999 – Woodstock 99 East Stage

 

「俺の名前は?」

その5ヶ月後、満を持して放たれたのが、サード・アルバムの『… And Then There Was X』だったのだ。DMXの全盛期はラフ・ライダーズの上層部と袂を分かつまでの6枚のアルバムだろう。なかでも、強烈な印象を残したデビュー作のつぎにファンの人気が高いのが本作である。

コンクリートの壁を下敷に、祈るかのように下を向くDMXのポートレート、手書きの歌詞を焼き取ったようなXの文字がレイヤーされているアートワーク。ファースト・シングルの「What’s My Name?」は、ファンファーレのような華やかな管楽器の音色が印象的だった。トラックを作ったのはデフ・ジャム・レコーズのA&Rでもあったアーヴ・ゴッティ。ジャ・ルールと組んでマーダー・インクを作る直前だった。DMXの個性がよく出ている印象的なラインを訳出しよう。

What’s my name?
DMX and I be the best, you see the rest?
They lookin’ like they need a rest 
俺の名前は?
DMXだ 俺が最強 他のやつらを見たか?
休んだほうがよさそうな有様だろ

How many times do I have to tell you rap niggas?
I have no friends
You still actin’ up
何回お前らラッパーたちに言わないと言えばいいんだよ?
俺には友達なんかいない
まだその振りをしてんのかよ

自分がどれくらい優れているかを誇る王道の内容。「友達なんかいない」というラインは有名だが、闘犬場を模したMVには、ラフ・ライダーズのドラッグ・オンやスウィズ・ビーツら身内のみならず、ザ・ロックスやジャ・ルール、ジェイ・Zまでカメオ出演している。当時のデフ・ジャムの勢いを誇示する映像だ。

DMX – What's My Name?

 

 

Party Upの爆発力

本作にはもっとも人気がある代表曲も入っている。スウィズが作ったクラブバンガー「Party Up (Up in here)」は、DMXをよく知らなくてもクラブで聴いたことがある人は多いのでは。銀行強盗にまちがえられるも、結局はパーティーにしてしまうMVもおもしろかった。ここで、彼は演技力の片鱗を見せる。

Y’all gon’ make me lose my mind
Up in here, up in here
Y’all gon’ make me go all out
Up in here, up in here
Y’all gon’ make me act a fool
Up in here, up in here
Y’all gon’ make me lose my cool
Up in here, up in here
お前らみんなのせいで頭がおかしくなりそうだよ
上のあたりで この辺りでさ
お前らのせいで全力を出す気になるんだ
上のあたりで この辺りでさ
お前らのせいでバカをしそうになる
上のあたりで この辺りでさ
お前らみんなのせいで冷静さを失いそうだ

DMX – Party Up (Up In Here) (Enhanced Video, Edited)

ライバルのラッパーたちを挑発しているとも、熱心なファンの応援にたいする返答とも取れるおもしろいフックだ。話題になったのが次のライン。

And I don’t know who the fuck you think you talkin’ to
But I’m not him, aight, Slim? So watch what you do
Or you gon’ find yourself buried next to someone else
お前が誰に向かって吹っかけているのか知らないけど
俺は奴じゃないから わかったか スリム? 
気をつけて行動しろよ
さもなくばお前を見つけて誰かの隣に埋めてやる

「スリム」は、同年の2月に『The Slim Shady LP』をリリースして世界中を席巻していたエミネムではなく、相手はスヌープの弟分グループ、ドッグ・パウンドのクラプトだ。クラプトの婚約者、フォクシー・ブラウンとDMXとで噂が立ったときにディスられたため、やり返しただけである。

実際、この年のソース・アワードでエミネムはプレゼンターとして登場してDMXに賛辞を送っている。このときの映像を見ると2歳しか変わらないにもかかわらず、どこか少年っぽさを残しているエミネムにたいしてDMXが貫禄があり、もっと年齢差があるように見える。また、2003年には『ブラック・ダイアモンド』のサウンドトラックで、オビー・トライスの「Go To Sleep」でDMXとエミネム両方が参加した。

Go To Sleep

 

R&B要素は抑えめ

3作目でDMXはデフ・ジャムのレーベルメイトのR&Bグループ、ドゥルー・ヒルのシスコを迎えて女性をテーマにした曲も作っている。2作目で同郷のメアリー・J・ブライジを迎えて「Coming From」もそうだったが、サード・シングルの「What These Bitxx Want」でもシスコはかなり声を抑えている。アジア・テイストが得意だったドゥルー・ヒルのノキオが作ったらしいトラックで甘さはだいぶ控えめだ。

You thinkin’ life,
I’m thinkin more like, “What’s up tonight?”
Come on, ma, you know I got a wife
And even though that pussy tight
I’m not gon’ jeopardize my life (Aight?)
So what is it you want from a ni**a? 
君は俺との人生を考えているけど
俺はどちらかといえば「今夜どう?」って感じ
いいかい 俺にはかみさんがいるんだ
君の体もいいけど
俺の自分を人生を賭けたりしない(わかる?)
俺に何を求めてるんだよ?

What These Bitches Want

女性蔑視だと指摘もできるが、黒人女性にありがちな名前をずらりと並べるセカンドヴァースはおもしろいし、実際にモテたんだろうな、という感想になってしまう。

『… And Then There Was X』にはほかにドラッグオンやザ・ロックスが参加した「D-X-L」や、DMXがコーラスを歌っているキャッチーな「Don’t You Ever」、レジェンドのレジーナ・ベルを招いた「Angel」など全体に粒揃いで飽きさせない。抜群の存在感と天性の演技力で俳優業も順調だったが、ドラッグとの闘いに蝕まれて、2010年代以降、DMXはシーンから遠ざかっていく。

Written by 池城美菜子  (noteはこちら)


 

DMX『… And Then There Was X』
オリジナル: 1999年12月21日発売
再発LP: 2025年7月11日発売
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