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追悼クリス・コーネル、その唯一無二の声と歌唱力を讃えて

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アクセス総数5億ページ超の大人気サイト「ABC振興会を運営しながら、多数のメディアで音楽やセレブに関する執筆やインタビューなどをこなす米国ハリウッド在住の「D姐」さんの連載コラム「D姐の洋楽コラム」第9回です。コラムの過去回はこちら


 

クリス・コーネルの突然の死から一年が経った。

ボン・ジョヴィニーナ・シモンダイアー・ストレイツら6組が新しく今年のロックンロール・ホール・オブ・フェイムに殿堂入りするセレモニーが4月14日に開催され、5月に米HBO局で放送されたが、脱退した元メンバーのリッチー・サンボラも登場し、めでたくリユニオンとなったボン・ジョヴィやニーナ・シモンに捧げたローリン・ヒルによるパフォーマンスと同じように話題になったのが、昨年5月に52歳で亡くなったクリス・コーネルのトリビュートだった。

ハートのアン・ウィルソン、アリス・イン・チェインズのギタリストであるジェリー・カントレルによるサウンドガーデンの代表曲で全米1位シングルとなった「Black Hole Sun」のパフォーマンスは、今も全盛期と変わらないパワフルなアンの女性ヴォーカルとメタル界でも引っ張りだこのジェリーによるエレキギターのデュエットというシンプルに徹したものだったが、クリスの突然の死を悼み惜しむだけではなく、彼のソングライターとして、ヴォーカリストとしての偉大さを改めて認識し、その類い希な才能を祝う荘厳なものだった。

ロックンロール・ホール・オブ・フェイムのセレモニーでの追悼パフォーマンスというものはさほど珍しいものではないが、殿堂入りをしていないミュージシャンの追悼パフォーマンスというのはまさに異例だろう。ファンだけではなく、クリスがミュージシャン仲間にも愛されレスペクトされた「別格」な存在であった証だ。(ちなみにハートがロックンロール・ホール・オブ・フェイムに殿堂入りした2013年のセレモニーでは、ジェリーとクリス、パール・ジャムのマイク・マクレディがハートとともに「Barracuda」をパフォーマンスした)

Heart – "Barracuda" Live 2013 Rock Hall of Fame Induction Concert HD

90年代初めに社会現象となったグランジ・ミュージックの雄「サウンドガーデン」、2001年に結成されたスーパーバンド「オーディオスレイヴ」、そしてソロ・アーティストとしても活躍したクリス・コーネル。2016年にはワンオフ的な伝説のバンド「テンプル・オブ・ザ・ドッグ」として初ツアーを行い、オーディオスレイヴも12年ぶりに再結成してフェスに参加(サプライズ出演による3曲のみのパフォーマンスとはいえ)、そして昨年2017年は2年ぶりにサウンドガーデンのツアーを始め、デトロイトでのサウンドガーデンのライヴ後に、クリスはホテルの部屋で自らの命を絶った。これまでにない勢力的なライヴ活動をしていた真っ只中だっただけに、本当に信じられなかった。

サード・アルバム『Badmotorfinger』(1991)でブレイク、「Spoonman」などを収録した4枚目のアルバム『Superunknown』が全米1位を獲得し全世界で900万枚を売り上げたサウンドガーデンについては、やはりシアトルとグランジ抜きには語れない。80年代、双子の赤字と呼ばれる財政・貿易赤字でどん底となったアメリカ経済のもと、鬱蒼とした空気や低迷する失業率のしわ寄せをもろに受けていたのは若者であり、そんな社会的、精神的な不安をシアトルの街角で音楽にぶつけていたのがグランジの始まりと言われている。

そもそもジミ・ヘンドリックスの故郷でもあるシアトル(ワシントン州)というのは西海岸の北に位置し、同じ西海岸のカリフォルニア州のような陽気でカラッとした能天気な気候とは真逆に降雨量が多いことで有名だ。今でこそシアトルにはアマゾンの本社があり、近郊にはマイクロソフト本社もあってアメリカを代表する最先端産業で栄えたビジネスタウンだが、当時はぶっちゃけて言えば陰鬱な雰囲気が漂い、そんな気候が当たり前の中でテンションを上げるためにコーヒーが愛飲されるようになりコーヒー文化が発展して、シアトルズ・コーヒーやタリーズ、そしてスターバックスが生まれたに至った土地柄だ。

穴の空いたデニム、着古したチェックのネルシャツ、一週間ぐらいシャンプーしてなさそうなロン毛、といった当時大流行したグランジ・ファッションも、流行らせようとして狙った服装ではなく、社会や家庭で抑圧を感じていた不況の“普段着”だった。

そしてシアトル発祥のグランジ・バンドとして全国的に有名になって音楽の世界を変えたのが、いうまでもなくニルヴァーナ、パール・ジャム、アリス・イン・チェインズ、そしてサウンドガーデンだ。サウンドガーデンは中でも最も結成が早く84年だったが、これは当時、カート・コバーンはまだ高校生だったし、87年結成のアリス・イン・チェインズはジェリーが加入する前は「Sleze」「Alice N’ Chains」というグラムロックバンドだったり、90年結成のパール・ジャムは「グリーンリバー」「マザー・ラブ・ボーン」といった前身バンドであったりしたという背景もある。

しかしこの4バンドにサンディエゴ出身のストーン・テンプル・パイロッツを加えれば、90年代グランジ全盛期の最強の布陣であると言えるが、現在この5バンドのオリジナル・ヴォーカルはパール・ジャムのエディ・ヴェダーを除いて全て他界してしまっているというのは真の悲劇であるとしか思えない。

とはいうものの、パール・ジャムの前身であった「マザー・ラブ・ボーン」のヴォーカルのアンドリュー・ウッドも1990年3月に24歳の若さで、しかもメジャー・デビュー・アルバム『Apple』のリリース予定数日前にオーバードーズでなくなっている。そしてこのアンドリューと親友で、一時期同居もしていたのがクリス・コーネルだった。マザー・ラブ・ボーンはアンドリューの死で解散となり、元マザー・ラブ・ボーンのストーン・ゴッサード、ジェフ・アメン、さらにストーンの幼馴染のマイク・マクレディは新バンドを結成することになり、並行してクリスとサウンドガーデンのマット・キャメロンが、アンドリューのトリビュート・バンドを作った。それが「テンプル・オブ・ザ・ドッグ」である。

さらに当時レッチリのドラマーだったジャック・アイアンの紹介で新バンドのヴォーカル・オーディションのために南カリフォルニアからシアトルにやってきたのがエディ・ヴェダー。91年4月に『Temple of the Dog』がリリースされ全米4位でプラチナ・セールスを記録した。そして8月に新バンド=パール・ジャムのアルバム『Ten』がリリースされるが、1月に先行シングルとしてリリースされたテンプル・オブ・ザ・ドッグの「Hunger Strike」は、クリスが作詞作曲をし、レコーディング・スタジオに居合わせたエディとの壮大なツインヴォーカルで大ヒット、グランジ・ブームの幕開けとなった。

Temple Of The Dog – Hunger Strike

という経緯があってテンプル・オブ・ザ・ドッグはアルバム・リリース前にいくつかのライヴをしたものの、それ以降はパール・ジャムのライヴにクリスがサプライズ登場することで(サウンドガーデンのマットは90年代後半にパール・ジャムのドラマーを兼任するようになっていた)何曲かライヴをするにとどまっていたが、25周年を記念して2016年に初の全米ツアーを敢行するとのニュースに、ファンでさえ驚き、すべての8公演が全てがプレミアムチケットになった。

今やLAで最も格式高い人気アリーナとなったザ・フォーラムで2万人以上を集めたロサンゼルス公演は、セルフタイトルアルバムからの楽曲の他に、マザー・ラブ・ボーン、そしてアンコールではレッド・ツェッペリンの「Achilles Last Stand」やブラック・サバスの「War Pig」と、こんな名曲が円熟を極めたクリス&パール・ジャムのカヴァーで聴けるなんてなんて贅沢なんだろう、と最初から最後まで鳥肌が止まらなかった。薬物依存と精神病でピンク・フロイドをクビになった不遇の天才ミュージシャン、シド・バレットの「Baby Lemonade」のカヴァーは、デビュー寸前で世に認められることなく他界したアンドリューと同時にシドへの鎮魂歌として捧げられ心打たれた。

サウンドガーデンやレイジ・アゲインスト・マシーンからザック・デ・ラ・ロッチャが脱退し、クリスが加入して結成されたオーディオスレイヴというバカテクバンドのライヴとは全く違ったアトモスフィアに包まれたコンサートに、クリス自身が楽しんでいた様子だったのも何より印象的だった。

ソロ・アーティストとしてのクリスのライヴもまた圧巻だった。アメリカのレコーディング・スタジオは雑音や返し音の防止のために床にペルシャ・ラグが敷いてあるのだけど、彼のソロ・ライヴも広いステージの中央に真っ赤なペルシャ・ラグが敷かれ、それを取り囲むようにして数本のアコースティック・ギターとアンプなどの機材が配置されているという独特のもので、まさにクリスの個人レコーディング・スタジオのセッションを見守っているような雰囲気になる。

時には機材の一つとして置かれたターン・テーブルのアナログをクリス自らがかけて、そのピアノ伴奏に合わせて歌唱する、といった手法も取られたアットホームな雰囲気の中、プリンスやマイケル・ジャクソンのカヴァーまで披露する。U2の「One」にメタリカの「One」の歌詞をマッシュアップするなんていうお茶目な神業も見せてくれる。いい意味でこじんまりとしたセットの中で、どんな曲でも縦横無尽に放たれる彼の唯一無二の声と歌唱力に圧倒されない者はいない。

私が最初に見たソロ・ライヴは一般的なコンサート・ベニューだったが、2015年のライヴではLAで最高レベルの音響を誇り、通常はクラシックやオペラのコンサートが行われるウォルト・ディズニー・コンサート・ホールで行われたが、頂点を極めたベニューのクオリティにふさわしいクリスの歌声が会場に響き渡った。

ライヴではないが、クリスの「素」の姿をたまたま見かけたこともある。ウェスト・ハリウッド・パークはテニスコート、図書館、プールやカフェテリアなどを併設し、LAプライドの時はメイン会場になるような施設でもあり近隣住民の憩いの場所。私も息抜きに図書館と公園の境のベンチでぶらぶらすることが多かったが、ウェスト・ハリウッドという土地柄のため、セレブやミュージシャンが訪れていることも多い。

ある時はブランコに乗っている幼稚園生くらいの女の子が歌い出して、これがめちゃくちゃうまい。びっくりしていたら、その子の背中を押している母親が即興でハモりだして、これがまたハンパではないハイ・レベルのマジ歌セッション。タダ者ではないと思ってよく見たら、母親はスパイス・ガールズのジェリ・ハウエルで、この母にしてこの子あり、ジェリさんってリアルで歌がうまい人だったんだ、と感心したことがあった。

そんな感じなのでセレブの親子が公園で遊んでいても、セレブがベンチで腰掛けてアイスクリームを食べていても、大して気にはかけないが、おそらく8年くらい前にあまりにも可愛い金髪の男の子がいたので思わず目をやると、その男の子が駆け寄った先にいたお父さんが、クリス・コーネルだったことがあった。気晴らしにきているはずの公園でこんなに心臓がバクバクしてしまうとは、と思ったほど興奮して、腰が抜ける思いだった。

クリスには2番目の妻との間に、私が見かけたであろう息子と、その姉で今年14歳になるトニちゃんがいる。彼女はクリスのソロコンサートで歌声を披露したこともあったが、クリスの急死後、昨年8月にNBC「TODAY」に出演し、「ハレルヤ」を熱唱して話題になった。これは当初ライヴ出演予定だったリンキン・パークがチェスター・ベニントンの死去で急遽ワンリパブリックが出演することになり、ワンリパブリックとともにトニちゃんが父クリスとチェスターに捧げる追悼としてパフォーマンスしたもので、「ハレルヤ」はクリスの親友でもあったチェスターがクリスの葬儀で歌った曲だった。

来年の今頃も、またこの季節がやってきたと思うのだろう。



■著者プロフィール / ABC振興会D姐(Dane/あね/ねえ)

米国ハリウッド在住。セレブやエンターテイメント業界のニュースを独自の切り口で紹介する、アクセス総数5億ページ超の大人気サイト「ABC振興会」を運営。多数のメディアで音楽やセレブに関する執筆、現地ロサンゼルスでのテレビやラジオ、雑誌用のセレブやアーティストのインタビューやレッドカーペット等の取材をこなす。

ABC振興会:http://abcdane.net
Twitter:https://twitter.com/Dane_ABC

*毎週金曜日FM OH!17:00〜鈴木しょう治さんの「MUSIC+ FRIDAY」のコーナー「ハリウッド・ニュース from LA」に出演中

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