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日本のSOUL/R&B評論第一人者が見たダイアナ・ロスの来日公演と過去の想い出

2026年5月23日にKアリーナ横浜、5月25日に大阪城ホールにて11年ぶりの来日公演を行ったダイアナ・ロス(Diana Ross)。そんな彼女にインタビューした経験もあり、日本SOUL/R&B評論の第一人者である紺野 慧さんに今回の来日公演と過去にインタビューした当時の想い出などを寄稿いただきました。
また、来日公演のセットリストがプレイリストとしてこちらで公開されています。
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関係者入り口から招待者席に着いたのは開場直後だった。
横浜Kアリーナ。初めての場所である。案内には、キャパ2万人の世界でも有数の音楽専用施設とあった。広さ的には日本武道館の倍の収容数。しかも“音楽専用”を謳っているのだから、武道館とは比較にならない音響設備や技術が備わっているのだろう。自分が現役の音楽ライターとして、多いときには月に10本前後のコンサートに足を運んだ1970年代、1980年代の洋楽アーティストの会場といえば、新宿・厚生年金ホール、芝の郵便貯金ホール、中野サンプラザなど2,000人規模の箱がほとんどで、なかでも選りすぐりのスターだけが立てたのが日本武道館だった。
実際、ダイアナ・ロスの初来日公演は1973年の新宿・厚生年金ホールで、武道館公演は1978年の再来日時だった。因みに翌1979年、ひとりは晩春のボブ・マーリー。会場はサンプラザ。秋にマーヴィン・ゲイの初来日。会場は日本武道館。ふたりとも密着取材を許可してくれて、ボブ・マーリーの時は用意された招待席を離れ、ステージの袖から見つめ味わい尽くした。
秋のマーヴィン・ゲイ。成田の迎えから宿泊先のニューオータニ。公演前夜の和食懐石。武道館公演を終えて大阪へ。中之島のホテルに同宿し、コンサート入り。ステージを終え、戻ったホテルで深夜、マーヴィンの最側近フレディ・ゲイから電話が入り、「マーヴィンがBLTを欲しがっている」と云う。そんなものは館内電話でオーダーすれば済むのだから、言外に何かあると悟り部屋へ向かうと、案の定、扉の前に10数人の女性ファンが屯していた。
それが1979年秋。
ダイアナ・ロスのステージは間もなくになっていた。客席はほぼ埋まっている。手元には当日のセットリストも送られてきた。
そして、開演。
真正面にステージ。キーボード、パーカッション、ドラムスが置かれ、その前には5本のマイク・スタンド。灯りが消え、舞台奥の大型ビジョンに、幼子のダイアナ・ロス、デトロイトの生家近辺のコミュニティー、モータウンの社屋、そしてシュープリームス時代の映像。
そこでまず最初の驚き。音が、いい。音量、音質。共に圧倒された。
ふたつ目。満杯の観客が総立ちになっている。開演前、目をやった観客の多くが50代以上に見えた。それが総立ちで、ハンド・クラッピングしているのである。そのエネルギーというか、ダイアナ・ロスへの期待感、そして自分が彼女を知って好きになり、それぞれの日々を過ごしながら、ディスコで踊ったり、辛いことがあって涙を零しながら彼女の歌に癒されたり、家庭を持って子の成長に目を細めたり、いろいろあっての今日。この場にいる。辛さ、喜び、情けなさ、あるいは平坦、もしくは唇を噛みしめざるを得なかった怒りや我慢。たぶんだが、それぞれがそれぞれの人生にダイアナ・ロスを持っている。
そして本人、ダイアナ・ロス。
登場の前後にマーヴィン・ゲイとのツーショットが映り、ライオネル・リッチーとの絵も映った。ダイアナ・ロスが歌っている。サポートはキーボード、パーカッション、ドラムス、ベース、サックス、ギターの6人。コーラスが4人でダンサーが8人。
聴きながら、観ながら、自分は、半分舞台、半分記憶の糸に取り込まれていた。
実はだが、1978年、ダイアナ・ロスをインタビューしている。通訳を介したオフィシャルなもので、他のインタビュアーには出来ない自分だけのもの。それを抱え、臨んだ席で切り出したのが、マーヴィン・ゲイの『I Want You Tour 1976』の密着取材での話だった。
日本人ジャーナリスト初、そしてその後も自分以外に誰もいないという取材だった。場所はNYからインディアナポリス、ピッツバーグ、クリーブランド、そしてLA。公演3カ所、移動のホテル、会場への車、楽屋を含めどこでもフリーパスの許可をマーヴィン・ゲイ自身が出してくれた。移動も含めトータル6日。移動の間に彼と出くわすことも多かった。
そんなときの彼の表情、ちょっとくぐもった声が記憶に残っていて、ダイアナ・ロスについてマーヴィンが語ったことを、彼女に話した。その時のダイアナ・ロスの反応。
「ホントに? ミスター・ゲイと一緒に?」
そう。彼女はマーヴィンにミスターをつけていた。で、マーヴィン・ゲイとの会話である。
当時、若い世代が時代を席巻していた。自分事になるが、1972年にR&B/SOULと横田や横須賀の米軍基地を取材し、“ジャズじゃねえー、R&B/SOULだ”との思いで書いた本でメジャー・デビューが23才。正直、憧れ、好きなアーティストはみんなひと世代上でした。
そんな中で唯一、一緒なのがスティーヴランド(スティービー・ワンダー)。とはいっても“12才の天才”。キャリアはダイアナ・ロスと変わりません。
マーヴィンとの会話によく出たのが“シンガー・イン・シンガー”。マーヴィンは自分もそう呼ばれたいと云いながら、サム・クックの名とデヴィッド・ラフィンの名を挙げた。女性では? と訊いたら、アレサ、パティ・ラベル。このふたりかな、と応え、歌は熱量だけじゃない、音域が全てじゃないし、醸す力かな。だから、自分の中でタミー・テレルもそこにいる。
そんなこと。いまダイアナ・ロスを目の前にし、半分は昔の記憶に浸っている。
閃いた。そして、撃たれた。
76才の自分が過ごした40数年、同じ時間を過ごしたダイアナ・ロスが、どれほどの思い、あるいはプライドを自分の暮らしに招き入れたのか。
立ち姿がいい。背が伸びていた。歩幅も大丈夫。
“シンガー・イン・シンガー”。たぶん、ダイアナ・ロスはアレサ・フランクリンを凌げるとは思っていないだろう。ただ、かつて、スティーヴランドが云っていたダイアナ・ロスの魅力。歌は、歌のシャウトだけじゃない。凄いだけじゃアレサが一番。だから“シンガー・イン・シンガー”はアレサで決まり。だけどディーバとなると、また違う。例えばミニー・リパートンと並ぶには、5オクターブを超える音域を持たなきゃいけない。だが、彼女には5オクターブという意識はなかった。その時の感性、声の領域が歌う当人の思いに導かれて、あの曲は生まれた。
ダイアナ・ロスのステージは終わりに近づいていた。
Yoshikiがスペシャル・ゲストに登場し、会場は一層の盛り上がり。
だが、自分は過去に浸っていた。1978年。武道館後の赤坂・ラテンクォーター。一席、最低料金10万円。そこに自分はいた。勝新太郎さんと縁の濃いオーナーの計らいだった。
1978年6月。
そう、自分は40数年の時を置いてKアリーナにいたのだった。
「Ain’t No Mountain High Enough」。シュープリームスからのソロ・デビューでBillboard Hot 100、R&B共に1位を勝ち取った記念曲。オリジナル・ヒットはマーヴィン・ゲイ&タミー・テレル。
この曲には思い入れが、たっぷりあった。
また、あれこれの浮遊のなかで、歌と回顧に浸っているうちに、場内が明るくなった。いつもなら、それで帰るのだが、腰が立たなかった。
凄い。歌声ではなく、立ち姿、足運び、モータウンらしい無駄のないステージング。全てをひっくるめてダイアナ・ロスという存在を背負っている。
教えられてしまった。この50年以上、“シンガー・イン・シンガー”、その女性版がディーバ。そう思ってきたが、違うぞと思わせてくれた一日になった。
どっちが上じゃない。ただ、どちらにしろ存在価値を持ってその場に居続けるのは半端じゃない。
今日、会えなくて良かったと思いつつ横浜駅へと歩いた。
なぜならば、私は今日、こうしてここにいる。ダイアナ・ロス、82才。あなたは? 48年前に2度会った。どう? と訊かれたら何と応えるか。
そう。自分には、6才年上の彼女に、自分が老いたとはいえない。何故なら、ダイアナ・ロスは老いる自分と戦い続けてきたという風采がある。
歌の余韻が身体を撃った。歳を数えるな。それに従うのじゃなく、自分で歳を掴め。
ダイアナ・ロスとの2時間。喝と活。40数年ぶりのありがとう、です。
Written By 紺野 慧

「Diana in Motion JAPAN 2026」セットリスト
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