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ネルソン最大のヒット曲「(Can’t Live Without Your) Love & Affection」ができるまで

最初から、ネルソン(Nelson)は現実とは信じられないような存在だった。双子の兄弟がフロントマンを務めるバンドで、ふたりともルックスは抜群。しかも歌声は実に魅力的。バンドのサウンドは、とびきりのカリフォルニア・ハーモニーに、グランジの先駆けやサンセット・ストリップ・ハード・ロックの要素を織り交ぜている。さらに父親はロックンロールの本物の伝説的存在、つまりリッキー・ネルソンだった。
このグループには、素晴らしいバンドになるために必要不可欠な要素がすべて揃っていた……ただ1つ欠けていたのは、名曲になりそうな素晴らしい楽曲だけ。つまり、「(Can’t Live Without Your) Love & Affection」が登場するまでは、今ひとつ何かが足りないバンドだったのである。
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そういう状態に達するまでには、しばらく時間がかかっていた。1990年にゲフィン・レコードと契約する前、ネルソン兄弟は数年間にわたってロサンゼルスのライヴハウスで演奏を続けていた。最初はストレンジ・エージェントと名乗り、その後のバンド名はザ・ネルソンズに変わった。けれど、当時演奏していた楽曲をふまえると、彼らがスターになる見込みはあまりなさそうだった。
「ガナーと僕は、ああいうライヴハウス巡りの活動をやっていたんだ。そして、もっと良い曲が必要だと気づいた」
最近のマシューは、当時をそのように振り返っている。
「誰か曲を提供してくれる人を探して、あちこち回ってみたんだ。でも、曲を提供してくれそうな人はいなかったし、たとえ良い曲を持っている人がいたとしてもその人は曲を出し惜しみしていたに違いない。だから、自力で曲を作らなければならないという厳しい現実に直面したんだ」
そんな彼らの相談相手となっていた中にジョン・ボイランという人物がいた。ボイランはベテラン・プロデューサーであり、兄弟の父リック・ネルソンもかつてストーン・キャニオン・バンドのアルバム制作で組んでいたことがあった。
「ある日、ジョンに呼び出されてこう言われたんだ。“ずいぶんライヴをやっているようだな。ルックスもいいし、使っている機材も素晴らしい。でもヒット曲がなければ、ありふれたバンドのひとつに過ぎない”とね」
そこから、長い道のりが始まった。協力してくれそうな音楽出版社やマネージャーを探し始めたのである。そうした努力によって出会ったのが故マーク・タナーだった。タナーは、それ以前にエレクトラからアルバムを数枚出していたが、さほど注目を集める存在ではなかった。
「どういうわけか、マークとはすぐに意気投合して、たちまち一緒に曲作りを始めたんだ」
ハーモニーで声を重ねることを提案したのはタナーだった。それ以前のネルソン兄弟は、2人でハーモニーを歌うことがなかった(その時点ではマシューがほとんどのリード・ヴォーカルを担当していた)。
「ガナーが歌い、僕が高音のハーモニーを歌い始めた。まるでイーグルスになったような感じで、僕がティモシー・B・シュミットの役割を務めているような雰囲気だった。突然、ある種のサウンドができた。ラジオのダイヤルを回して次々と局を変えていても、5秒聴けば誰の曲かわかるようなサウンドなんだ。僕たちも、そういう瞬間を経験した」
「(Can’t Live Without Your) Love & Affection」の曲作り
この時期には次々と曲が生まれ、そうしたたくさんできた曲のひとつが「Love & Affection」だった。活動資金が足りなくなり、また母親のアパートに戻らざるを得なくなった2人は、ひどい日々を過ごしていた。気温は高く、飼い犬も調子を崩していた。退屈しのぎに、マシューがロジャー・マッギン風の12弦ギターのリフで遊び始めると、タナーが「Here she comes…」というフレーズを口にし、魔法のような瞬間が訪れた。
「影響を受けたものすべて……たとえば大好きだったアリーナ・ロック、カントリーっぽいヴォーカル、バーズ、ホリーズ、それからあのカリフォルニアらしい雰囲気、それらがすべてひとつの曲の中にあふれ出たんだ。どういう曲名にしたらいいかわからなかったから、タイトルにはああいう風に大きな括弧を付けてみた」
その後の展開は、まるでロックンロール映画の一場面のようだった。彼らはすぐに車に乗り込み、ゲフィン・レコードの制作部門の責任者であるジョン・カロドナーのもとへ向かった。カロドナーはネルソン兄弟と低予算の育成契約を結んでいたものの、それまでに持ち込まれたデモ音源にはあまりいい反応を返していなかった。彼は多忙で、兄弟は面会の約束も取り付けていなかったが、オフィスに入れてもらうまでその場を動こうとしなかった。カロドナーはついに「わかった、何を聞かせてくれるんだ?」と言った。兄弟は「Love & Affection」を聞かせた。そして……その場は静まり返った。
「曲を一通り聴かせると、彼はただ座ったままだった。だから、“クソッ、完全に失敗した”と思った。すると彼は目を開けて、“これは大ヒットだ。お前らがこういう曲を作るのをこちらは3年も待っていたんだ”と言った。それから電話を手に取り、僕らの目の前で事務に電話をかけて、“ネルソンの契約は決まりだ。話を進めよう”と言ってくれたんだ。こうして僕らはゲフィンと契約した。それまでにもいろんな人から“お前たちをスターにしてやろう”と言われたけど、結局どの話もうまくいかなかった。そういう失敗談はここでは省こうと思う。でも結局のところ、すべてはジョン・ボイランが“ヒット曲を作れ”と言ってきたあの日が始まりだったんだ」
レコーディング
とはいえ、レコーディング・スタジオでこの曲を完成させるのは簡単な作業ではなかった。
「簡単どころか、その正反対だったよ。僕らが最初に組んだプロデューサー・チームはひどい仕事ぶりで、9万ドルも無駄遣いした挙句、何も成果を出せなかった。そのプロデューサー・チームの名前は出さないでおくけど、名の知れた連中だったよ」
ゲフィン・レコードがレコーディングに見切りをつける寸前になって、ネルソン兄弟はデヴィッド・トーナー(AC/DCやエアロスミスのエンジニア)とタナーをプロデューサーに起用し、大急ぎでアルバムを録音した。ベーシック・トラックのレコーディングには2日、オーバーダビングには2週間しかかかっていない。こうして、しっかりとした内容のデビュー・アルバム『After The Rain』が完成した ―― ただし「Love & Affection」は例外だった。
「あれは僕たちがそれまで作った中でも最高の曲だったんだけど、録音してみるとひどい出来栄えだった。どうにもうまく表現できなかったんだ」
それを修正するには、さらに別の耳の持ち主が必要だった。つまりエンジニアのデヴィッド・ホルマンである。ホルマンの主導で、徹底的なリミックスが行われた。ネルソン兄弟は元のリズム・トラック(ドラムはガナー、ベースはマシューが演奏していた)を差し替え、ヴォーカルの録音にも再挑戦した。
「実質的に全体の半分を録音し直したようなものだよ。でも、ついに完成した時、あのみんなが耳にしたような魔法が生まれた。あの曲がすべての始まりになり、すべてになった。でも、実はボツになりそうな曲でもあった。あれは“ネバー・ギブアップ”という姿勢を讃える僕らなりの賛歌だった。そして、それがまさに僕らのすべてだった。つまり“僕らは決して諦めないぞ”というわけ」
シンディ・クロフォードに関する噂
「Love & Affection」にはひとつの誤った伝説がつきまとっており、その点は正しておくべきだろう。つまり、この曲は実のところ「スーパーモデルのシンディ・クロフォードへの片思い」がテーマの曲とは言えないのである ―― 少なくとも、それがテーマのすべてではなかった。
「シンディは美しい女性だと思ったし、あの曲を作った時は雑誌のグラビアを見ていた。でも、実のところ、あの曲は僕なんかを気にも留めない美しい女性たち全員のイメージが混ざり合ったものだったんだ。それに共感してくれる人はたくさんいるだろうね」
そしてネルソン兄弟はクロフォードと実際に会う機会を得た。それは、曲を発表してから2年後に行われたチャリティー・ソフトボールの試合でのことだった。彼女とマシューは恋愛関係になることはなかったが、数年のあいだは友人としての付き合いが続いていた。
「隣に座ったとき、彼女はとても親切にしてくれたよ。あのときは、ガナーがバカな真似をしていたね。彼女のすぐ隣に座って、“ほら、こいつは君に片思いする曲を作ってナンバーワンにしたんだぞ!”と言ったりしたんだ。彼女は振り返ってガナーを見て、“私にどうしろっていうの? かわいそうな思いをさせてごめんなさい……とでも言えばいいの?”と言った。それで”この子はいい子だな。こういう話に付き合ってくれるんだ”と思った。それから数年間は連絡を取り合っていたよ。彼女はクールで、僕もクールだったけど、恋愛に発展するようなことはなかった」
ネルソンのファッション・センス
ようやくスターになったあと、ネルソン兄弟はそれらしく見える格好をするように心がけていた。
「それまでヨーロッパで長く過ごしてきたんだけど、イギリスでは音楽と同じくらい見た目が重要なんだ。僕らはそれを忘れずにいた。あのころは誰もが黒いレザーに身を包み、倉庫で撮影した白黒のプロモーション・ビデオを作っていた。でも、それはどう見ても僕ららしくない。僕らは、あれに対するアンチテーゼになりたかった。だから自分たちで服をデザインしたんだ。まるで熱に浮かされた極彩色の夢のような見た目だったから、ひどくクソみそに言われたよ。でも僕らとしては、こう考えていた。“好きでも嫌いでも、僕らが誰なのかはわかってもらえる”ってね」
「(Can’t Live Without Your) Love & Affection」ヒット後の活動
『After the Rain』からはさらに3曲のヒット・シングルが生まれた。たとえばアルバム・タイトル曲は2つ目のトップ10入りヒットとなった。とはいえ、そのすぐ後には厳しい時代が待っていた。セカンド・アルバムの内容にゲフィン・レコードがパニックを起こしたのである。その作品『Imaginator』はよりダークなコンセプト・アルバムとなっており、メディアの影響をテーマとして取り上げていた。
レコード会社の反応をふまえ、ネルソン兄弟はもっと売れ線狙いの『Because They Can』をリリースすることにした。当時のゲフィン・レコードはニルヴァーナに深く肩入れしており、ネルソン兄弟はその後まもなくゲフィンを去っている。
「ゲフィンはあるひとつの時代を捨て去ろうとしていた。そして僕らは、その時代の締めくくりのようなものだった」
それでもネルソンは再び立ち上がった。彼らはストーン・キャニオンという自主レーベルを設立し、現在もそこで作品を発表し続けている(このレーベル名は、父リッキー・ネルソンが結成したカントリー・ロック・バンドにちなんでいる)。
「僕らが音楽をやっていたのは、アルバムを2枚作って金をふんだくって逃げ出すのが目的じゃなかった。でも、そのことにみんな気づいていなかったんだ」とマシューは言う。
「あるとき、マネージャーがこちらの目をじっと見て、“いや、別にこんなことしなくても大丈夫だよ”と言ってきた。それで僕は、“でも、僕らはこういうことをやりたいんだ”と答えた。ガナーと僕にとっては、そういうものなんだ。これは決して趣味なんかじゃなかったし、Bプランなんて全然なかったんだよ」
Written By Brett Milano
ネルソン『After The Rain』
1990年6月26日発売
SHM-CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
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