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ヒップホップを創った女性MC/ラッパートップ11

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そもそも初めから、ヒップホップの本質とは物語を語ることだった。このムーヴメントのサウンドが、既存の音楽の目指すところを変えることで生み出されたように、このジャンルに属するMCたちの成功もまた、古い形式を率先して叩き壊し、その破片を利用して新たな自己表現のスタイルを作り出すというアプローチに根差していた。男性女性問わず、ラッパーたちは言葉遊びや反復、様々なメタファーを使い、自らをヒーローや目撃者、預言者という立ち位置に置き、暗く暴力的な経験を、あるいはロマンティック、あるいは希望に満ちた思いを表現してきた。

だが、昔から女性の貢献を軽視してきた歴史を持つ音楽業界においては、ヒップホップはともすれば男性だけのクラブと見られがちだ。暴力、セックス、威張り散らしたり、男らしさを誇張する傲岸不遜なリリックが幅を利かせる世界では、大抵の場合女性たちは征服の対象か、一般論の代弁者的な存在で、彼女たち自身の物語は殆ど注目されることがなかった。けれど、まだ批評家たちがヒップホップを単なる一過性の流行だと愚弄していた初期の頃から既に、女性ラッパーたちは悪びれることなく彼女たちの生きてきた世界での経験や見解をつまびらかに表現し、この侮り難いジャンルの成り立ちを綴り始めていたのだった。彼女たちは皆それぞれに明確なスタイルのヴァリエーションとフロウ、リリックの内容を持っていたが、全員に共通しているのは強烈に個性的な声と、どんな時も一貫して、共感を呼ぶに十分なほど力強く自分自身であり続けていたということだ。

■MC ライト
自身の名義でフル・アルバムをリリースした史上最初の女性ソロ・ラッパー、MCライトの『Lyte As A Rock』が発売されたのは1988年のことだった。MC ライトのフロウと正確なリリック、自主規制に対する拒絶は業界内でもたちまち注目を浴びた。彼女は初期のシーンについて、皆互いに競争心が強くスキル本位だったが、性別によるヴァイアスと無縁だったわけではないと語っている。「プロモーターの中には時々、私が本来もらうべきものを払いたがらない連中もいたわ。ラインナップの中でも、私の曲がちゃんと聴いてもらえるような出番にはしてくれなかったりね。でも、私はそんなことを問題にしたり悪影響を受けることは一切なかったわ。足を引っ張られることも何度となくあったんだろうけど、私はそんなのモノともしなかったから」。

1993年、「Ruffneck」がグラミー賞最優秀ラップ・シングル部門にノミネートされ、MCライトはグラミー賞にノミネートされた最初の女性MCとなった。近年、MC ライトは「女性の視点がなくなったら(ヒップホップ・)カルチャーは滅びてしまう」と主張して、女性ソロ・ラッパーというカテゴリーの復権を呼びかけている。

MC Lyte – Poor Georgie

 

■クイーン・ラティファ
ニューヨーク・エリアの伝説的存在、ネイティヴ・タン・クルーの一員として、ジャングル・ブラザーズやデ・ラ・ソウル、ア・トライヴ・コールド・クエストらと世に出てきたクイーン・ラティファは、ヒップホップ界における最も古株の女性ラッパーのひとりである。ネイティヴ・タンは社会的意識の高さと、基本的にポジティヴなリリックの中身で知られる集団だが、クイーン・ラティファが名を挙げるきっかけになったのは、黒人女性たちの日常を取り巻く問題を取り上げたリリックだった。 「Ladies First」や「UNITY」のような曲ではドメスティック・ヴァイオレンスやストリート・ハラスメント、女性たちの間での団結の必要性を題材にしたこのニュージャージー生まれの女性MCは、社会全体に変化を呼びかける力強い声となっていった。

Queen Latifah – U.N.I.T.Y.

 

■モニー・ラヴ
ネイティヴ・タンにおけるもうひとりの女性ラッパー、モニー・ラヴがクイーン・ラティファと固い友情を結んだのは、クイーン・ラティファがネイティヴ・タンと共にUKツアーに出た時だった。彼らのショウの際、既に数年来イギリスのアンダーグラウンド・シーンを賑わせていた英国生まれのラッパーであるモニー・ラヴとクイーン・ラティファが出逢ったのだ。モニー・ラヴはやがてニューヨークに渡ってネイティヴ・タンに参加し、「Ladies First」でクイーン・ラティファと共演を果たし、アフリカ・ベイビー・バムのプロデュースでソロ名義のアルバムも出した。 「Monie In The Middle」や 「RU Single」といった曲は、どちらもフロウを犠牲にすることなく巧妙に、恋愛が絡んだ時の黒人女性に対する先入観や期待に対し、抜け目のない切り返しを披露している。

Monie Love – Monie In Middle

 

■ソルト・ン・ペパ
シェリル・ジェイムスとサンドラ・デントンがタッグを組んだのは1985年、まだレコード業界の大半がヒップホップを単なる一時的な流行だと思い込んでいた時である。2人はソルト・ン・ペパと名乗り、ダグ・E.フレッシュのヒット曲「The Show」に対するアンサー・ソングとして 「The Showstopper」をリリースする。短いショーツとタイトなヘソ出しシャツという衣装をトレードマークに、このデュオは90年代のセックス・ポジティヴ革命の立役者となった。 「Push It」、 「Do You Really Want Me」、 「Let’s Talk About Sex」、そして 「Shoop」といった曲では、ソルト・ン・ペパはためらうことなく率直に自分たちの欲望やセクシュアリティについて語りながら、同時にリスペクトを要求し、フェミニスト的価値観を説き、暴行や差別に反対の声を挙げている。

Salt-N-Pepa – Push It

 

■バハマディア
フィラデルフィアのMCの草分けで代表的存在であるバハマディアは、元はプロデューサーで、ソルト・ン・ペパやレディ・Bに触発されてラップの世界に足を踏み入れた。怜悧なリリックと物怖じしないスムースなフロウが持ち味のバハマディアのヴァースは、同世代の女性MCたちと比べると大言壮語の割合は控えめだが、言葉を操る技術においては少しも負けていない。彼女の1996年のデビュー・アルバム『Kollag』は全編女性MCによって書かれた上に共同プロデュースも務めた史上初のLPとなり、リリース直後から傑作と評価された。意外なほどシンプルなビートのヴァリエーションが、歯ごたえも味わいもあるメロディを上から下から周囲から包み込むことによって複雑さを見せるアルバムは、ジャズとソウルの影響をたっぷりと盛り込まれて、温かみとフレッシュさの両方を感じさせ、フィラデルフィア・サウンドと同義になっている。

■フォクシー・ブラウン
ラップ界で最も際立った声の持ち主のひとり、フォクシー・ブラウンがシーンに登場したのは僅か15歳の時、LL・クール・Jのアルバム『Mr Smith 』に参加し、「I Shot Ya」のリミックスでラップを披露した時である。彼女は96年にデフ・ジャムと契約を交わし、同じ年にリル・キム、ダ・ブラットと共にトータルの 「No One Else(バッド・ボーイ・リミックス)」に参加した。またこの年は彼女のデビュー・アルバム『Ill Na Na』がリリースされた年でもある。当時の批評家のレヴューは賛否両論だったが、フォクシー・ブラウンのセールスには勢いがあり、ラジオで大ヒットした「Get Me Home」は10年後、20年後もオンエアに堪え得る稀有なインパクトを持っていた。フォクシー・ブラウンも自分のセクシュアリティや欲望を包み隠さず率直に口にしつつも、やはりリスペクトを命令――そして要求――するところはリル・キムと同様だ。

Foxy Brown – Get Me Home

 

■ローリン・ヒル
1994年のフージーズのアルバム『Blunted On Reality』で初めてローリン・ヒルの歌声を味わった瞬間から、彼女はあっという間にスターへと祀り上げられた。フージーズの同胞であるワイクリフ・ジョンも、1996年の『The Score』のヴァースの中でこう認めている

“雑誌は彼女がソロになるべきだと書き立ててる/男どもはラップを止めて/メヌードみたいに消えちまえってさ”

ローリン・ヒルは実際ソロになり、1998年に『The Miseducation Of Lauryn Hill』を出して、一般大衆と批評家両方から評価を得た。ネオ・ソウル・サウンドにパワフルなフェミニスト的リリックをミックスし、ローリン・ヒルは女性として、母親として生きること、黒人女性であること、そして音楽ビジネスに身を置くことに内在する複雑な問題を深く掘り下げた。 「Doo Wop (That Thing)」、 「Everything Is Everything」、 「Lost Ones」 更に 「Ex-Factor」といったヒット曲はいずれも、今聴いてもリリース当時と変わらぬ新鮮さと説得力を持つ。ローリン・ヒルは2007年のコンピレーション盤以降アルバムを出していないが、現在も女性ラッパーたちの正典において、かけがえのない声であり続けている。

Lauryn Hill – Doo-Wop (That Thing) (Official Video)

 

■リル・キム
前置き不要。「あたしがTVでアニメを観てる間に、バカ男どもにはあたしの××××をナメさせてやるのよ」というラップを披露した女性である。彼女も2003年以降メジャーではスタジオ・アルバムをリリースしていないが、現在も変わらず、性別問わず最も才能あるMCとして正典に掲載されているうちのひとりだ。人々の頭の中のセクシュアルな道徳観念を覆し、リル・キムは女性MCとは男性のように尊大に振る舞うべきだという範例にひねりを加えた。ミンクとダイヤモンド、レースとランジェリーで全身を飾り立てたリル・キムは、フェミニンなセクシュアリティの美的感覚を前面に押し出し、“ビデオの中でガミガミ吠えたてる雌狐”という役回りに囚われていたこのジャンルの多くの女性たちを解放したのである。リル・キムは2014年にBillboard誌にこう語っている。「私は昔からずっと超セクシーでフェミニンだったけど、私のレコード会社は女性ラッパーのセクシー路線ていうのが理解できなくてね。私にもMCライトみたいに、スウェットとか着せなきゃいけないと思ってたのよ」。既存の女性ラッパーの型にはまるために変化する代わりに、リル・キムは自らのセクシュアリティを200%パワーアップさせ、権力へのアクセスのためには色々な意味でまだまだ必要となる男たちの世界で、悪びれることなく自分の力を増すために利用することにしたのだった。

Lil' Kim feat. Lil Cease – Crush On You (1997)

 

■ミッシー・エリオット
唯一無二の視覚的・聴覚的ヴォキャブラリーを携えた南部生まれのミッシー・エリオットの登場が、形勢を一変させたと言っても過言ではないだろう。ジョデシィやジニュワイン、アリーヤ等との数年間にわたるコラボを経て、ミッシー・エリオットは幼馴染であり長年のコラボレーターでもあるティンバランドと共にスタジオに入り、デビュー・アルバムの制作に着手する。その結果、僅か2週間後に生まれたアルバムが『Supa Dupa Fly』で、ここからはラジオ・ヒットの 「The Rain」も生まれた。アン・ピーブルスの1973年のシングルをサンプルし、メディア史上屈指の革新的なビデオと、斬新な言葉遊び( “私はローリンみたいに丘の上に座ってる(I sit on hills like Lauryn)”)と唄った、「The Rain」は世間を驚かせ、スマッシュ・ヒットとなったのである。

ミッシー・エリオットの次のアルバム、『Da Real World』も同様に成功し、更にサード・アルバム『Miss E… So Addictive』からは 「Get Ur Freak On」という、この年代で最も息の長いヒット曲のひとつが生まれた。ミッシー・エリオットのルックス――バギー・パンツにアニメのキャラクターのようなシルエット、鮮やかな色使い――も、時に過剰にシリアスになりがちなこの音楽ジャンルに和やかなコメディ・タッチを提供している。また、彼女は後に次々出て来た露出度高めで超セクシュアル路線の、若い男性ファン層にアピールしようと必死な女性ラッパーたちとは明確なコントラストを打ち出している。ミッシー・エリオットはそのユニークな視点で、モダン・ミュージックにおけるレジェンド的な立ち位置を確立する作品を生み出してきたのである。

Missy Elliott – The Rain [Supa Dupa Fly] [Video]

 

■エリカ・バドゥ
エリカ・バドゥが1997年にアルバム『Baduizm』で楚々と登場した時の当たりの柔らかさを思えば、彼女がこれからシーンの情勢を一変させることになると気づかなかった人が大勢いたとしても責められはしないだろう。辛辣さを巧みに織り交ぜ、芸術的に構築されたリリックの構成と、ジャズ・ファンクの影響を感じさせるブルージーなサウンドで、彼女は“ネオ・ソウル”の初代女王の異名を取ったが、これは彼女のサウンドを説明するにはいささか不十分だった。エリカ・バドゥの音楽を説明するのはたいそう困難で、ともすれば70年代的な言語表現である‘タペストリー’や‘ポプリ’といった言葉を引っ張り出したくなってしまうのだが、 かと言ってエリカ・バドゥがこれまで関わったあらゆるプロジェクトで披露してきたレベルの、豊かな歴史に裏打ちされた、際立って個性的かつモダンなセンスを表現しているアーティストは、過去のどの時代にも他に見当たらないのである。

ソウル、ファンク、R&Bの要素が見事にラップの韻と言葉遣いを通してヒップホップ・カルチャーの中で展開されている。彼女の曲のどれひとつ取っても、明確にひとつ特定のジャンルに帰属すると断言できるものはほぼない。彼女の音楽は彼女自身と同じように多層構造かつ多彩だ。ずる賢い訳知り顔(「You Loving Me」)をするかと思えば、傷つきやすく探るような表情を見せる(「Out My Mind」、「Just In Time」)。彼女は男のエゴに対するこの上なく痛烈な愛想づかしの曲「Tyrone」を書いた女性であると同時に、無防備な心でいることの危うさを描いた繊細なバラード ‘Green Eyes’の作者でもあるのだ。

Erykah Badu – Honey

 

■ニッキー・ミナージュ
その土がどんなものか知りたければ、そこで育ったものを見るといい。ニッキー・ミナージュは生まれも育ちもクイーンズである。90年代の先人たちから生来の鋭い言語感覚に更に栄養を与えられ、物憂げな話し方と、音節をどんどん積み重ねるような、器用で切れ味抜群の言葉の操り方を身に着けた彼女は、やがてかのカニエ・ウェストをして自分のトラックに参加して欲しいと要請されるまでになった。 彼女のヴァースにおける優勢ぶりは圧倒的で、美意識と哲学は唯一無二である。持って生まれた才能だけでは足りないと言うなら、更に手強い武器はその洞察力だ。今では“the pickle juice clip”として知られるビデオの中での彼女の歯に衣着せぬ表現は、音楽業界――いや、実のところどんな仕事の場においても――のダブル・スタンダードの理不尽さを抜け目なく的確に突いたものであり、同じ行動をした女性を懲らしめるカルチャーに対する彼女のコメントは、男性たちにとっては気味が悪いほど予言的に感じられることだろう。彼女の初期の作品は、ここ最近彼女が出しているシングル曲(「Changed It」、「No Frauds」、「Regret In Your Tears」)と併せ、ニッキー・ミナージュにはこれから先もあらゆる分野での息の長い成功が待っていると思わせるに十分な論拠を示しているのだ。

Nicki Minaj, Drake, Lil Wayne – No Frauds

 

♪プレイリスト『Rap Royalty』 spotify_logo_link


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