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スペンサー・デイヴィスを偲んで。グループ以外でも活動したウェールズのミュージシャン

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Photo: Jeff Hochberg/Getty Images

スペンサー・デイヴィス(Spencer Davis)は、ピート・ヨーク、スティーヴ・ウィンウッドとマフ・ウィンウッドの兄弟からなるスペンサー・デイヴィス・グループが、英国内外でヒット曲を連発した1965年から1967年の時期が常に最もよく知られているかもしれない。しかし、1939年7月17日にウェールズ南部のスウォンジーで生まれたスペンサー・デイヴィスは、約60年にわたりライブステージで人々を楽しませてきた。

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I'm A Man (Live)

スペンサー・デイヴィス・グループでの活動

オリジナルのスペンサー・デイヴィス・グループは、ピート・ヨーク、マフ・ウィンウッド、当時10代半ばのスティーヴ・ウィンウッドとともに、「マフ・ウッディ・ジャズ・バンド」という名前で活動し、その後「リズム&ブルース・カルテット」になった。スペンサー・デイヴィスは1996年にウィンウッド兄弟についてMojo誌に語っている。

「彼らは北バーミンガムのパブで演奏していた。スティーブはオスカー・ピーターソンのようにピアノを弾き、レイ・チャールズのように歌っていた。彼は素晴らしかった。まさに私が必要としていたものだ」

1964年には、名前をスペンサー・デイヴィス・グループに変えて活動していた4人は、当時まだ駆け出しのアイランド・レコードを運営していたクリス・ブラックウェルの目に留まり、グループのライヴでの評判とともに勢いがつき始めた。

その後、いくつかのシングルを経て、「Keep On Running」「Somebody Help Me」「Gimme Some Lovin’」「I’m A Man」などのヒット曲を生み出し、全英チャートで連続1位を獲得するまでになった。しかし、それらはデイヴィスの傑出したキャリアの1章に過ぎない。

Keep On Running (Mono Version)

 

グループ解散

スペンサー・デイヴィスは、アメリカのブルースとR&Bへの愛をいつも誇らしげに語っていた。それは10代の頃、南ウェールズで育った彼がレッドベリーやビッグ・ビル・ブルーンジーといったアメリカのブルースの先駆者たちに魅了され、植え付けられたものであった。彼は後にその影響についてこう語っている。

「私たちはアメリカの音楽を渇望していた。台所の押し入れから金塊を発見するようなものだった」

スペンサー・デイヴィス・グループは、ウィンウッド兄弟が脱退した後も1969年まで活動を続け、活動休止をした後、1973年には短期間再結成して活動。スペンサー・デイヴィスは、ソロのレコーディングやその他の活動を行いながら、近年は後期スペンサー・デイヴィス・グループのメンバーや、ミッチ・ライダー、フェリックス・キャバリエ、リック・デリンジャーといった著名人を集めてツアーを実施した。また、2006年にはニュー・アルバムとDVD『So Far』もリリースしている。

デイヴィスは2020年10月19日、81歳に亡くなった。スティーヴ・ウィンウッドは初期の共演について声明でこう述べている。

「私にはすでに大きな影響を受けた兄がいたが、スペンサーは当時の私にとって兄のような存在だった。彼は間違いなくビジョンを持った男で、60年代のUK勢によるアメリカ侵略のパイオニアの一人だった」

The Spencer Davis Group (feat. Steve Winwood) – Keep On Running (1966)

Written By Paul Sexton



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