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ロッド・スチュワートのモッズからグレイト・アメリカン・ソングブックまでのキャリア変遷

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読者のみなさん、目を覚まして!ロッドが、あなたに伝えたいことがあるようだ。「Maggie May」や「Pool Hall Richard(邦題:玉突きリチャード)」を経由し、モッズのキングからグレイト・アメリカン・ソングブック(*訳注:アメリカのトラディショナル・ポップやジャズ・スタンダードなどの定番曲の総称)における主要なポップの主導者に至るのは長く、想像もつかない旅路だろう、しかしこれは、ロッド・スチュワートというアーティストの発展にとっては必然であった。少し調べてみると、それが道理にかなっていることがわかる。彼のキャリアは、ハーモニカを演奏し、しゃがれた声でリズム&ブルースを歌い、コール・ポーターを囁くように歌うことを平和的に終えるところから始まったようだ、しかし、ロッド・スチュワートは自身の芸術に誠実であり続けた。少し巻き戻してどうであったかを見てみよう。

Rod Stewart Blue Blazer

ロッド・スチュワートこと、ロデリック・スチュワートは、1945年にサッカーと音楽への2つの情熱をもって、北ロンドンに生まれた。サッカーにおける成功をあきらめ、イギリス南部の海岸沿いの街ショーハムで暮らしながら、現在はフォーク・シンガー/ギタリストとして知られるウィズ・ジョーンズとともに演奏したり、マウス・オルガンでバスキングしたりしながら、音楽を追いかけ続けることにした。

ロッド・スチュワートは旅に出た、パリでは、橋の下で眠り、1963年に浮浪し強制退去させられるこのになるバルセロナも訪れた。彼は、ビートニク(*訳注:1950年アメリカにおけるビート運動にかかわった世代。カウンター・カルチャーの最先端を行った若者という意味で使用)であった。予期せぬロンドンへの帰還は、彼の行いを理路整然と見せた。彼はモッドになり、ソウル・ミュージックと恋に落ちた。彼は後にジミー・パウエル&ザ・ディメンションズとなるザ・ディメンションズに加わった、その後、ロング・ジョン・バルドリーのフーチ・クーチー・メンに参加し、ロッド・ザ・モッドと呼ばれるようになった。テレビ出演につづき、デッカとコロンビアでシングルをリリース、続いてより愛されほとんど売れなかったモッド・R&B・バンド、スティームパケットとして過ごし、その後、ピーター・グリーン、ピーター・バーデンス、そしてミック・フリートウッドとロッド・スチュワートとベリル・マースデンでリード・ヴォーカルを分け合うショットガン・エクスプレスに在籍した。1967年にはジェフ・ベック・グループにリード・シンガーとして参加し、その荒削りで、心に刺さる歌声で観客を引き込み始めた。ジェフ・ベックとともに、高く評価されている 『Truth』と『Beck-Ola』の2枚のアルバムを制作、ロッド・スチュワートは、1969年までそこにとどまった。

Rod Stewart Little Miss Understood Record Label

ジェフ・ベックと共にしている間にも、ロッド・スチュワートはイミディエイトからソロ・シングル「Little Miss Understood」をリリース、マーキュリーと契約を結んだ。その初の成果と時を同じくして、スモール・フェイセスの元メンバー3名がモッド・アクトのザ・バーズの元ギタリスト ロニー・ウッドと組んだフェイセズに加わった。

最近のロッドのファンにとっては、これからが面白くなってくるところだ。彼のデビュー・アルバム『An Old Raincoat Won’t Ever Let You Down』は、何年かかけてこのシンガーが吸収したスタイルのコンビネーションであった: ザ・ローリング・ストーンズが考えるロックン・ロールのような「Street Fighting Man」、フォークの形をっとった「Man Of Constatnt Sorrow」や「Dirty Old Town」、そしてまた「Handbags And Gladrags(邦題:ハンドバッグと外出着)」も収録されている。この曲はマイク・ダボの作曲によるもので、示唆的な点でも道徳的な点でも際立っている。マイク・ダボは、マンフレッド・マンの元シンガーであり、「Little Miss Understood」を書いている。同じぐらいダークで、その主人公を批判するのではなく、現代の女性らしさをざらついた視線で観察している。これらの曲は、核心をついており、物語がある。ロッド・スチュワートの1971年のデビュー・ヒット「Maggie May」もまた物語を紡いでいる:若い男が年上の女に誘惑される、彼は満足していたにも関わらず、その関係をいつでも終わらせる心構えができていた。また‘マギー・メイ’はロッドが1960年代初期に聞いたフォークソングのタイトルであった、また過去に戻ってみよう。

フェイセズは、70年代初期において、もっとも直球なブリティッシュ・ロック・バンドとなった、彼らの音楽は深いというよりは、「Had Me A Real Good Time(本当に良い時間を過ごす)」(*訳注:フェイセズの楽曲名にかけている)ためのものではあった一方で、ロッド・スチュワート好みの人間的興味をそそる物語が描かれていた。「Pool Hall Richard」は、ビリヤード台におけるティーンエイジ・センセーションであり、「Miss Judy’s Farm」はイギリスの白人よりもソウル・シンガーが歌いそうな奴隷に関する物語だった、「Cindy Incidentally(邦題:いとしのシンディ)」は命を吹き込まれるようなものだった。

Rod Stewart Smiler Album Cover

そうこうしているうちに、昔の恋人を歌った「You Wear It Well」、マキシン・ブラウンのヒット曲をよみがえらせた 「Oh No Not My Baby」、フォークのコネクションを航海(sailing)することでカヴァーしたサザーランド・ブラザーズの曲「Sailing」などによって、ロッド・スチュアートはソロ・スターとして上昇していった。1974年の「Smiler」には、「マイ・フェア・レディ」のアラン・ジェイ・ラーナーとフレデリック・ロウによる「I’ve Grown Accustomed To Her Face」のインスト・ヴァージョンが含まれており、彼のグレイト・アメリカン・ソングブックへの愛を垣間見ることができる。しかし70年代中盤には、ロッドの物語的楽曲への興味は乗り続ける。

1976年のヒット『A Night On the Town』は2曲の卓越した楽曲が収録されている。彼自身の手による「The Killing Of Georgie Parts I & II’」は 人生が残酷に奪われる前に、自分自身を探すため、家を離れるゲイの男性のストーリーだ、この楽曲は、ジョージーが人でなしに殺されるところを除いて 「Little Miss Understood」のように、一方的な批判をするものではない。そして、「Trade Winds(邦題:貿易風)」はジャズのパーカショニスト、ラルフ・マクドナルドとウィリアム・ソルターによる楽曲であり、複雑なコードと徹底的に温かい、グレート・アメリカン・ソングブックにふさわしい楽曲である。

同じように1977年のアルバム『Foot Loose And Fancy Free(邦題:明日へのキック・オフ)』のために、ホーマー・バンクスの魂をとらえるバラード「(If Loving You Is Wrong) I Don’t Wanna Be Right」を選んだのも興味深い。この曲は禁断の愛についての物語で、音色はジャズの時代から来たものだ、歌詞の内容はそうでないにせよ。その後、何年間のアルバムで、ロッド・スチュワートはパーティーを続けたが、時々、その中には時折、彼の未来の方向性が見えていた。1988年の『Out Of Order』 には大恐慌時代のブルース「Nobody Knows You When You’re Down And Out」や実際には1932年の曲だが、彼のファンには1966年のオーティス・レディングのヴァージョンでよく知られている「 Try A Little Tenderness」が収録されている。

だから、2002年に 『It Had To Be You:The Great American Songbook(邦題:ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』で、ロッド・ザ・モッドがスムースにグレイト・アメリカン・ソングブック・アルバムのシリーズを始めたことに驚いた人はいないだろう。ロッド・スチュワートはメロディが好きだ。ロッド・スチュワートは魅力的なキャラクターが自身の感情と戦う物語を語る曲が好きだ。ロッド・スチュワートは挑戦を楽しんでいる:彼の作品選びは非常に興味深く、心のこもったものである。たとえ、ブルージーなロック・チューンを最高の状態で大声で歌うことができたとしても、彼がジャジーなコード進行や優しいバラードを恐れることはない―彼はそれらをウィズ・ジョーンズの傍らで、ビートニクの時代からカヴァーしていたからだ。

Rod Stewart Thanks For The Memory Album Cover

それでは、またしても昔に戻ってみよう。子供のころ、スチュワート家はアル・ジョルソンのファンだった、そしてロッド・スチュワートは第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に録音された曲を聴いて育った。ロッド・スチュワートの4枚目のグレート・アメリカン・ソング・ブックをテーマにしたアルバムには、世界初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」 でアル・ジョルソンによって歌われていた「Blue Skies」がフィーチャーされている。ロッド・スチュワートはこれらの音楽に魅入られていた。事実、彼は、『It Had To Be You:The Great American Songbook』で、1973年のセッションで録音され、40年間もリリースされていなかったコール・ポーターの「Every Time We Say Goodbye(邦題:いつもさよならを)」を収録している。ロッド・スチュワートはすべてジャズのスタンダードで行く準備ができているし、彼のファンもそうだろう。ここ数十年、グレイト・アメリカン・ソングブック・シリーズは彼のもっとも成功したアルバムとなった。

ロッド・スチュワートは5枚のソングブック・アルバムをリリースした。『Soulbook』は彼がモッドとして知り抜いていたアメリカの60年代の音楽を中心としている。 クリスマス・アルバムはグレイト・アメリカン・ソング・ブック時代の楽曲の作家による季節アイテムが多数収録され、ロック・クラシックスを集めた『Still The Same…Great Rock Classics Of Our Time(邦題:グレイト・ロック・クラシックス)』は我々に彼の出自を思い起こさせるものだった。そう、私たちは今や彼がロックン・ロールからのみ出てきたアーティストでないことを知っている。ロッド・スチュワートは、おそらく彼と同世代のスターの中でも、多様な影響からの卓越した総計である。彼自身の楽曲に焦点を当ててみよう、グレイト・アメリカン・ソングブックを研究し、インスパイアされたそれらは新たに高く評価されている。彼が選んで挑戦したものはなんでも、うまくこなすのだ、ビートニクのウィンクルピッカーズ(*訳注:靴。先端がとがったもの)からモッドな髪型、そしてレオパードガラのジャンプスーツからタキシードとゆるく締めたタイでさえも。


ロッド・スチュワート『Blood Red Roses』


ロッド・スチュワートのベスト・プレイリストをSpotifyで試聴するにはこちら

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