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ジョン・レノン、1970年のローリング・ストーン誌と“マン・オブ・ザ・イヤー”

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Photo: Spud Murphy © Yoko Ono

197027日に発売されたローリング・ストーン誌の表紙を飾ったのは、写真家アネット・ヨーク撮影によるジョン・レノンとヨーコ・オノの写真だった。この表紙号によって、ジョン・レノンが同誌の“マン・オブ・ザ・イヤー”に選ばれたことが発表された。

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GIVE PEACE A CHANCE. (Ultimate Mix, 2020) – Plastic Ono Band (official music video HD)

ザ・ビートルズの未来について世界が疑問視し始めた当時、この記事は特に注目を集めた。記事が書かれた数週間前となる196912月に、カナダで一週間の休暇を過ごしたジョンとヨーコの様子をジャーナリストのリッチー・ヨークが繊細に書き出している。

滞在中に2人は、当時のカナダの首相ピエール・トルドー、そしてメディア社会学者のマーシャル・マクルーハン、そしてその他の著名人とのアポを取り付け、会うことになった。記事にはその他にもローリング・ストーン誌の編集者ヤン・ウェナーが「なぜジョンをマン・オブ・ザ・イヤーに選んだのか」について綴ったエッセイも掲載されていた。また、ヤン・ウェナーはこのように書いている。

「ヨーコに言及せずしてジョンについては語れない。ザ・ビートルズ4人の存在がおぼつかない時代に、彼女が5番目のメンバーだと言っても過言ではない。したがって、ジョンを“マン・オブ・ザ・イヤー”と呼んでいるが、そこにはヨーコの存在も含まれている。ただ“カップル・オブ・ザ・イヤー”とするのは少し馬鹿げているだけで、本当は2人を意味しているのだ」

それはザ・ビートルズのアルバム『Let It Be』からもう1つのヒット・シングルを発表する前のことだったが、当時ジョン・レノンはすでにソロとしての活動を開始しており、1969年にヨーコ・オノと共に実験的な作品を数枚発表している。その他にもプラスティック・オノ・バンドとして「Give Peace A Chance」と「Cold Turkey」というヒット曲、またその直後には「Instant Karma」も発表した。

INSTANT KARMA! (WE ALL SHINE ON). (Ultimate Mix, 2020) – Lennon/Ono with The Plastic Ono Band

2人が表紙を飾ったローリング・ストーン誌が発売された日、ジョンとヨーコはテレビ番組「ザ・サイモン・ディー・ショー」にゲスト出演するためにイギリスの民放テレビ局“ロンドン・ウィークエンド・テレビジョン”にいた。2人は黒人革命家のマイケルXを同伴し、その翌日放送された同番組には俳優のジョージ・レーゼンビーも出演している。

一方でジョージ・ハリソンは、ラダ・クリシュナ・テンプルの全英TOP20ヒット「Hare Krishna Mantra」に続く作品としてトライデント・スタジオにて「Govinda」のプロデュースを手掛けていた。ポール・マッカートニーは、後にソロ・デビュー作品『McCartney』となるセッションを終えるところで、リンゴ・スターは『Sentimental Journey』の制作を続けていた。それぞれのメンバーがソロ・プロジェクトに取り掛かっていたザ・ビートルズは、そのすぐ後に正式な解散に至った。

Written By Paul Sexton


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