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無理やり付けられたバンド名とその経歴:クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルの前身バンド「ゴリウォッグス」

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彼らがクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(以下、CCR)としてルーツ・ロックで何百万枚を売り上げるの大物バンドになるよりずっと昔の話だ。ジョン・フォガティ、兄弟のトム・フォガティ、ベーシストのステュ・クック、そしてドラマー兼ピアニストのダグ・クリフォードはサンフランシスコのベイエリアにあるエルサリート地区の色んなハイスクール・バンドで見習いとして経験を積んできた。そのうちのひとつがカルト・グループであるゴリウォッグスだ。ゴリウォッグスは当時はザ・ブルー・ヴェルヴェットというバンド名で、同じ高校に通っていたジョン・フォガティ、ダグ・クリフォード、そしてステュ・クックが1959年に結成。この3人編成のバンドで、彼らは当時のヒット曲を演奏していた。オークランドのオーケストラ・レコードというインディーズからリリースされたザ・ブルー・ヴェルヴェットのシングルでは、クラシックなロックン・ロール、R&B、さらにはラテンのリズムをルーツにしたオリジナル作に集中すべきだと主張していたジョン・フォガティ、そしてこのトリオに新たに加わったトム・フォガディのギターがフィーチャーされている。

ザ・ブルー・ヴェルヴェットは当初はジャズのレーベルだったファンタジー・レコードと契約するまで奮闘した。契約までこぎつけたのは良かったものの、彼らのグループ名は創業者のマックス・ウェイスによって、19世紀末の挿絵画家フローレンス・ケイト・アプトンが考案し、現在では黒人差別が横行していた時代の遺物として葬り去られる存在の黒人のキャラクター「ゴリウォーグ」にちなんだ名前「ゴリウォッグス」と改名させられた。

フローレンス・ケイト・アプトンの挿絵

フローレンス・ケイト・アプトンが描いたゴリウォーグ

今では考えられもしない人種差別的な名前だが、その頃は無邪気だったのか、バンド名だけではなく、彼らは顔を黒く塗り、アフロのかつらを被っての活動も強いられていた。ゴリウォッグスは1964年から67年までの間、「Brown-Eyed Girl」(ヴァン・モリソンの曲とは同名異曲)などのシングルを立て続けにリリース。マイアミのブレイクアウト・チャートにセンセーションを巻き起こし、合計で10,000枚のセールスを記録している。

比較的こざっぱりした4人組は実験的でサイケデリックな音楽という当時の流行に乗らずに、ガレージ・パンク的な激しさの方を好んでいたが、彼らの楽曲のうち、特に「Don’t Tell Me No Lies」や「You Can’t Be True」に関してははっきりとブリティッシュ・インヴェイジョンの影響があった。そしてジョン・フォガティは当時の流れを受けバンドのセルフ・プロデュースによる本物の作品を作り上げるために主導権を握るようになっていく。このロックの歴史において魅力的だったこの時代にゴリウォッグスの作った23曲が新しい編集盤『Fight Fire: The Complete Recordings 1964-1967』にて先日発売となっている。

1965年の夏にスコーピオ・レコードに移籍した時代は、一生懸命やれば必ずポップ・スターになれるわけではないという時代だった。ステュ・クックとダグ・クリフォードがサンノゼ州立大学に入学している間、トム・フォガティは電力会社のエグゼクティブの補佐としての仕事があり、新しい家族のために責任感もあった。一方、ジョン・フォガティはファンタジー・レコードで発送係として仕事をつかみ、夜間には楽曲制作の技を磨くためにスタジオを使用しながら、楽曲制作の資金を貯めようとしていた。ザ・モンキー・イン・イン・バークレーという汚いライヴ・ハウス(彼ら曰く “薄汚れた酒場” と呼ばれる場所。とはいえ、この場所はロック・ユニットとしての彼らの成長において重要な役割を果たしてくれた)でゴリウォッグスはひどいPAシステムで歌い演奏しているうちに、彼らの演奏技術は急激に伸び、そしてとても独特で、ハスキーでブルース調のサウンドも創り上げた。

The Golliwogs Porterville Single Label

しかしながらバンドは活動費用捻出ため方々から借りていた借金とそのお金を要求する債権者(時にショットガンで武装した者もいた)によって、ゴリウォッグスはまさに殺るか、殺られるかという厳しい状況まで追い込まれてしまった。そんな時、後に映画プロデューサーとしてアカデミー賞を受賞することになるソウル・ゼインツの登場によって彼らの運命は変わることになった。ソウル・ゼインツはベイエリアが新しいヒッピーミュージックとそれに付属するアンダーグラウンドのラジオ局の中心地となりつつあることに気付き、ファンタジー・レコードを買収、多額の投資を行い、バンドに融資をしたのだ。

バンドは財政難を克服し、その後発売されたゴリウォッグスの最後のシングル「Porterville / Call It Pretending」は彼らの最高傑作にもなり、それから起こることの兆しにもなった。このシングルはコースト・レコーダーズより発売され、曲全体にわたるジョン・フォガティの特徴的なエネルギーと新しく生まれ変わったかのようなバンドのサウンドと共に新鮮で生き生きとした曲になった。この名曲がゴリウォッグスの最後のシングルになったのはソウル・ゼインツからバンド名を変えようという助言があったからだった。ファンタジー・レコードから離れたこともあり、無理やりつけられていた差別的なバンド名を嫌っていた4人はその助言にのり、新しいバンド名がつけられることになった。新しいバンド名は、彼らの共通の友人の名前から取った「クリーデンス」、エコロジカルなニュアンスを持つビールから取った「クリアウォーター」、そしてもう一度行う意味の「リヴァイヴァル」の3つから付けられ、ここにクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルが誕生した。

そこから歴史は始まり、CCRは7枚の名盤を残し、世界的な成功を収め、「Proud Mary」や「Bad Moon Rising」、「Up Around The Bend」そして「Lookin’ Out My Back Door」といった才気あふれるシングルでチャートのトップを走るようになった。しかし彼らのキャリアはどこから始まったのかと聞かれたとしたら、ゴリウォッグスを忘れるわけにはいかないだろう。

Written by Max Bell



 

ゴリウォッグス『Fight Fire: The Complete Recordings 1964-1967』

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