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カール・レイドルを偲んで:デレク・アンド・ザ・ドミノス等で幅広く活躍したベーシスト

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Photo: Paulsen/Michael Ochs Archives/Getty Images

ベーシスト、カール・レイドル(Carl Radle)は1942年6月18日にオクラホマ州タルサで生まれ、28歳の誕生日を迎えたばかりの頃、ボビー・ウィットロック、ジム・ゴードン、エリック・クラプトンと共に、デレク・アンド・ザ・ドミノスとなるバンド初のライブでロンドンのライシアム劇場に出演した。

短命に終わったがロック史に輝ける存在となったこのバンドに参加したカール・レイドル。彼の生涯を振り返ろう。

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Layla

様々なバンドとデラニー&ボニーへの参加

1960年代初頭、カール・レイドルは、デヴィッド・ゲイツ、レオン・ラッセル、JJ・ケイルなど、タルサのミュージシャンたちと親交を深めていた。レオン・ラッセルがカリフォルニアに移住すると、カール・レイドルもその後を追いかけ、クラブで演奏するようになる。

その後、タルサに戻り、オクラホマ空軍州兵に入隊。1965年に除隊すると、ラッセルの命令で再びカリフォルニアに行き、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズでベースを弾くことになった。1967年、ゲイリー・ルイスが徴兵され、カールは再びセッション・ミュージシャンとしての生活に戻る。

その間、ジョン・リー・フッカーやカラーズというバンドとレコーディングを行い、1969年にはレオン・ラッセルの紹介でデラニーとボニー・ブラムレットに出会った。クラプトンがデラニーとボニーに参加したのはブラインド・フェイスの解散後で、この時にカール・レイドルはデラニー&ボニーの「Get Ourselves Together」と「Never Ending Song of Love」を共作している。

Get Ourselves Together

1969年、カール・レイドルはクラプトンのソロ・デビュー・アルバム『Eric Clapton』に携わり、その年の初めにはボビー・ウィットロックと共にデラニー&ボニーのファースト・アルバム『The Original Delaney & Bonnie & Friends (Accept No Substitute)』にも参加している。

カール・レイドルは、デラニー&ボニーが1969年にスタックス・レコードから発売したアルバム『Home』でも彼らと共演。しかしこのアルバムは、スタックスがアトランティックとの訴訟でマスター音源をすべて失いバック・カタログを構築することになったことを受けて、同時にリリースされた27枚のアルバムに埋もれてしまったこともあり、商業的な成功はおさめなかった。

デラニー&ボニーのバンドが一時的に休止したため、カール・レイドルはジョー・コッカーのMad Dogs And Englishmanバンドのツアー要員となり、1970年3月にニューヨークのフィルモア・イーストでレコーディングを実施している。

 

デレク・アンド・ザ・ドミノスやクラプトン

この後、カール・レイドルはUKに戻り、そこでデレク・アンド・ザ・ドミノスの創世記が始まった。また、カール、エリック、ジム、ボビーの4人がジョージ・ハリスンのアルバム『All Things Must Pass』に参加したのもこの時期だ。1971年8月、カール・レイドルはハリソンの慈善コンサート『Concert for Bangladesh』に、レオン・ラッセルやエリック・クラプトンと共に出演している。

George Harrison – All Things Must Pass (2020 Mix / Audio)

デレク・アンド・ザ・ドミノスがその短い活動を終えて歴史の一部となった後も、カール・レイドルはセッションワークに戻り、アート・ガーファンクル、デュアン・オールマン、ジョン・リー・フッカー、レオン・ラッセル、ボビー・ウィットロックらと共演し、1974年には再びエリック・クラプトンと組んで『461 Ocean Boulevard』に参加することになった。

その後4年間、クラプトンのバンドで『There’s One in Every Crowd』『No Reason To Cry』『Slowhand』『Backless』といったアルバムに参加した。その他、デイヴ・メイソンのアルバム『Alone Together』、セルジオ・メンデスとブラジル77、J・J・ケイル、ドノヴァン、プラスチック・オノ・バンド、マーク・ベノ、ドクター・ジョンなど幅広く参加している。

1979年までにクラプトンは新しいサウンドを求めてバンドを解散し、その影響でカール・レイドルはタルサに戻り、1980年5月30日に37歳で飲酒と薬物の影響による腎不全で亡くなるまでそこで生活していた。

彼は2006年にオクラホマ音楽の殿堂入りを果たしている。カール・レイドルの演奏は最高級で、この優しい男は一緒に仕事をした彼を知るすべての人から愛され、尊敬されており、音楽家の中の音楽家であった。

Written By Richard Havers



デレク・アンド・ドミノス『Layla And Other Assorted Love Songs』
1970年11月9日発売
CDiTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



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