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フランク・シナトラの20曲:史上最高のポップ・シンガー

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フランク・シナトラはレジェンドであり、彼の音楽は20世紀の後半のサウンドトラックであり、彼の曲は今日においても、過去と同様に堅調に共感を得ている。彼は史上最高のポップ・シンガーだ。“グレイト・アメリカのソングブック”(*訳注:アメリカのスタンダート、トラディショナル・ポップとして定番になっている楽曲の総称)の最高の解釈者であり、映画俳優で、ファッション・センスも抜群。彼は老若男女にとっての文化的アイコンであり続けている。

フランク・シナトラは1,200以上の曲をレコーディングした——時には同じ曲を何度も——だから、このリストの作成は重要な仕事である。しかし、われわれは彼のキャリアをわずか20曲にまとめるという挑戦に挑んだ……不可能だと思うかもしれないが、われわれも同じ気持ちだ。だが、やってみるとしよう。

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フランク・シナトラは1939年にビッグバンドを従えて歌い始めた。最初は、その年の6月にハリー・ジェイムス(のビッグバンド)に参加し、「All Or Nothing At All」をレコーディング。この曲は1939年8月31日に発表された(その後、1943年にコロムビアから再リリースされた時に、全米1位になった)。それが、われわれのリストの最初の曲だ。

彼の初のナンバー1ヒット曲は、厳密に言うと、ソロのヒットではなかった。そして、それはトミー・ドーシーの名前がラベルに一番大きな級数で書かれていたからだけではない。トミー・ドーシーとザ・パイド・パイパーズ(フランク・シナトラと共に、トミー・ドーシーのアルト・サックス奏者であるフレッド・スタルスのアレンジを使用)は、1940年の5月23日、フランク・シナトラがバンドに加入した3ケ月後にこの曲をレコーディングした。

All or Nothing at All

フランク・シナトラは1942年の12月にソロ・シンガーとしてデビューした。それから3ケ月の間に、彼はボビーソクサー(*訳注:1940-50年代の、ボビーソックスをはくような10代の女の子たち)のアイドルとなり、1年以内に、彼の名前の一連のヒット曲と共に、ポップ・アイドルの原型となった。

1945年の5月、フランクは新しい映画のプロジェクト、『The House I Live In』のために2曲をレコーディングし、この10分の短編映画の撮影に2日費やした。曲はアクセル・ストーダールによってアレンジされ、ヨーロッパ戦勝記念日の5月8日にヨーロッパでレコーディングされた。この曲のオリジナル・ヴァージョンを歌ったのは、彼ではない。黒人ゴスペル・グループ、ザ・ゴールデン・ゲート・カルテットが歌ったオリジナルが、1944年の映画『Follow The Boys』で使用されている。1943年に、アビル・メエーロポルがルイス・アラン名義で歌詞を書いた(ビリー・ホリデイの「Strange Fruit(邦題:奇妙な果実)」の歌詞を書いたのも彼だ)。1988年、「The House I Live In」はグラミー賞の殿堂入りを果たした。

The House I Live In

フランク・シナトラと密接に関連した曲は、「Nancy (With The Laughing Face)」の他にはあまりない。この曲は、ナンシーが彼の妻と、長女の名前であることを思いださせるが、この曲がコメディアンのフィル・シルヴァースとの共作であったことを知っていただろうか?

Frank Sinatra Jr. "Nancy (With The Laughing Face)" on The Ed Sullivan Show

1953年の4月末、キャピトル・レコードのための2度目のレコーディングで、フランク・シナトラはネルソン・リドルのアレンジとオーケストラの指揮で、名曲をレコーディングした。「I’ve Got The World On A String(邦題:思いのまま)」は、「私は世界中を虜にしている」という意味のタイトルを予言した曲となった。

I've Got The World On A String (Remastered 2000)

1954年の3月、フランク・シナトラは彼のアルバム『In The Wee Small Hours』のための曲をレコーディングし始めた。そして、アルバム・タイトル曲を約1年後に発表した。この曲は失恋を歌った人気曲となっている。

In The Wee Small Hours Of The Morning (Remastered 1998)

『In The Wee Small Hours』と同様に、『Songs For Swingin’ Lovers!』もネルソン・リドルのアレンジと指揮でレコーディングされたが、曲のスタイルや感触は全く逆だった。

1956年の1月、「I’ve Got You Under My Skin(邦題:あなたはしっかり私のもの)」がレコーディングされ、最高のスウィング・ラヴ・ソングと評されており、フランク・シナトラが、彼のキャリアで最高レベルのヴォーカルを披露している。ソングライターのジミー・ウェッブはこう言う。

「フランクは、大型ロケットのように爆発的な人気となったビッグバンドの伴奏スタイルを共同で開発したように思う。バンドが「I’ve Got You Under My Skin」を演奏し始めた時、彼のステージでの表情にそれが見て取れたんだ。彼は私達が、人類がかつて到達したことのない場所に行くことを知っていたのさ」

この曲は完成するまでに22テイク録音され、ミルト・バーンハートが有名なトロンボーンのソロを演奏した。

I've Got You Under My Skin – Frank Sinatra | Concert Collection

「Witchcraft」は1957年5月にレコーディングされ、1958年の1月に全米チャートのトップ10入りを果たした。この曲はフランク・シナトラに完璧に合う曲のひとつだ。サイ・コールマンとキャロライン・リーの作曲で、翌年、グラミー賞にノミネートされたものの、僅差でドメニコ・モドゥーニョの「Nel Blu Dipinto Di Blu(Volare)」に破れた。そのすぐ後に、フランク・シナトラはエルヴィス・プレスリーと一緒にTV出演した。そしてテューペロ出身の男(*訳注:ミシシッピ州テューペロ出身のエルヴィス・プレスリー)が「Witchcraft」を歌い、フランク・シナトラは「Love Me Tender」を歌った。

われわれはフランク・シナトラのヴァージョンの方を気に入っている。素晴らしいネルソン・リドルのイントロが、至高の歌の冒頭「Those fingers in my hair, that sly come hither stare…(私の髪をすく指、その眼差しはいたずらっぽくて…)」へと続く。とてもセクシーな曲だ!

Frank Sinatra – Witchcraft (Welcome Home Elvis)

「Come Fly With Me」はフランク・シナトラが1958年に発表したアルバムのタイトル曲だ。この曲は、希望と明るい見込みに溢れており、国全体が一体になった当時のアメリカのムード(その裏には確かに世界第二次大戦があった)を完璧に捉えている。ビリー・メイが「Come Fly With Me」をアレンジしており、彼の見事なサックスと生きる喜びが曲を通して現れている。

Frank Sinatra – Come Fly With Me

フランク・シナトラはまた、ジミー・ヴァン・ヒューゼンとサミー・カーンに旅の曲の作曲を依頼して、彼らが「Come Fly With Me」と「It’s Nice To Go Trav’ling」の2曲の名曲を書いた。「作曲者のサミーとジミーの貢献は認めるべきだ。優れた曲は、優れたシンガーを引き出す」と、ビリー・メイは語っている。

リチャード・ロジャースとロレンツ・ハートの「The Lady Is A Tramp」は、生意気で渋いネルソン・リドルのアレンジで、まるでフランク・シナトラのために作られた曲のように聞こえる。

The Lady Is A Tramp – Frank Sinatra | Concert Collection

一方『No One Cares』は、ゴードン・ジェンキンスがアレンジを手がけたアルバムだった。そして、ジミー・ヴァン・ヒューゼンとジョニー・バーク作曲で1959年3月にレコーディングされた「Here’s That Rainy Day」を含む素晴らしい作品だ。フランク・シナトラはこの1953年のブロードウェイ・ミュージカル『フランダースの謝肉祭(原題:Carnival In Flanders)』からの美しい曲を完璧に歌っている。

Here's That Rainy Day

「Angel Eyes」は1958年3月に新しいキャピトル・タワーのスタジオでレコーディングされたのだが、エンジニア達が新しいスタジオ機器を見事に使いこなしている様子がうかがえる。それが、マット・デニスとアール・ブレントの曲でフランク・シナトラが完璧な声を出す助けとなった。フランク・シナトラ愛好家達の間で一番好きな曲としてあげられる曲でもある。

Frank Sinatra – Angel Eyes (2018 Stereo Mix / Audio)

もうひとつ、ネルソン・リドルの素晴らしいアレンジが「The Nearness Of You」で聞ける。1938年にホーギー・カーマイケルが作曲し、大勢のシンガーに歌われているこの曲は、フランク・シナトラの独特の声で歌われ、彼の1960年のアルバム『Nice’n’ Easy』に収録された。

Frank Sinatra – The Nearness Of You (2020 Mix / Audio)

アルバム『The Concert Sinatra』は1963年に発表され、8曲中6曲がリチャード・ロジャース作曲だったため、「フランク、リチャード・ロジャースを歌う」というタイトルになってもよかったほどの作品だ。そして残りは、もう一人の彼の作曲パートナー、オスカー・ハマースタイン3世か、ロレンツ・ハートの曲だった。多くの人達にとって、これは初期のリプリーズ所属時代のキャリアの中で、最も充実したフランクのアルバムのひとつである。

壮大なオーケストラがフランク・シナトラの声を支え、ネルソン・リドルの効果的なアレンジが、“グレイト・アメリカン・ソングブック”の素晴らしい曲の中でも、この曲を独特なものとしている。ネルソン・リドルが手掛けたリプリーズ時代のアルバムで一番のお気に入りの理由は聴けば明らかだ。フランク・シナトラとネルソン・リドルの長く実りの多いパートナーシップから生まれた優れた曲のひとつ、「I Have Dreamed」を聴くだけのために購入する価値がある。

I Have Dreamed

「今夜はスウィングしない。今夜は真面目になる夜だ」、素晴らしい『September Of My Years』の帯には、こう宣言されていた。それは、『Sinatra’65』の数ヶ月後に発表され、キャピトル時代のテーマ重視のアルバムに立ち返った作品だった。予想に反し、ビート・ミュージックが背景にあるにもかかわらず、彼自身のリプリーズ・レコードを初めて以来、創造的にも商業的にも最も成功したアルバムとなった。しかし、アメリカ内のみで。UKでは、アルバム・チャートに入ることすらなかった。

「フランク・シナトラがかつての日々と愛を歌う…September Of My Years」と表紙には書いてある。アルバムは彼の人生を反映していると同時に、未来も見据えたものになっている。それは、フランク・シナトラ自身が歌う曲を選んだおかげでもある。彼の基準では、多くの曲は新しいものだったが、フランク・シナトラの手にかかるとスタンダード曲のように聞こえるのだった。ゴードン・ジェンキンスのアレンジと指揮で、彼らのロマンチックな才能を統合した曲だ。この組み合わせのおかげで、フランクは自分の感情に対して完全に心を開き、プレイボーイ誌に1963年に語ったことを表現している。

「僕が歌う時、僕は自分が正直だって信じるんだ。観客の心をつかみたいなら、道は一つしかない。完全に正直に、謙虚になって、観客に手を伸ばすことだ」

The September Of My Years

フランク・シナトラは究極のサロン・シンガーと呼ばれており、ハロルド・アーレンとジョニー・マーサー作曲の「One for My Baby ( And One More for the Road)」は、究極のサロン・ソングである。われわれの選んだヴァージョンは、1966年の前半にカウント・ベイジーのオーケストラと録音された『Sinatra At The Sands』からの貴重なライブ・ヴァージョンだ。

One For My Baby (And One More For The Road)

1967年の12月、フランク・シナトラは別の偉大なジャズ・アーティスト、デューク・エリントンと組んで、アルバム『Francis A & Edward K.』を完成させた。このアルバムに収録された「Indian Summer」は、アレンジがモダンであると同時に、1919年の楽曲に相応しく、オールドファッションでもあった。それが「エリントン効果」だったに違いない。フランク・シナトラがリプリーズ時代にレコーディングした曲の中で一番だと評する者もいるほどだ。ジョニー・ホッジズのサックス・ソロが全体的に効果を加えており、レコーディング中にそれに魅了されたフランク・シナトラは、ソロが終わった後、半秒遅らせて歌を入れている。

Indian Summer

リストの最後の3曲は、フランク・シナトラとあまりにも強く結びついているために、説明が必要ないほどの曲だ。「Strangers In The Night(邦題:夜のストレンジャー)」は、1966年のアルバムのタイトル曲で、シングルがチャートで1位を達成したおかげで、アルバムもチャートの首位を獲得した。だが、ベテランのドイツ人バンドリーダー、ベルト・ケンプフェルトが「Strangers In The Night」のメロディを書いたことを、あなたは知っていただろうか?

Frank Sinatra – Strangers In The Night

「My Way」は他のどの曲よりも、シナトラと結びついている。ダウンビート誌はのちに、この曲は「フランクが彼自身を再創造するのを助けた」と記した。いつも通り、ジャック・ルヴォーとジル・ティボが、エジプト生まれのフランス人シンガー、クロード・フランソワと作った曲だ。カナダ人シンガーのポール・アンカが英語の歌詞を書いた。

Frank Sinatra – My Way (Live At Madison Square Garden, New York City / 1974 / 2019 Edit)

「New York, New York」は、全米シングル・チャートに入ったフランク・シナトラの最後の曲で、1980年の夏にチャート入りした。そこからフランク・シナトラはこの曲を披露し始め、誰もが彼のコンサートで聞きたがる曲になった。そして、彼の残りのキャリアで、フランク・シナトラは、それを喜んで受け入れ、しばしばラスト曲として使用した。1977年のマーティン・スコセッシの同名の映画の主題歌「Cabaret」を作曲したフレッド・エブとジョン・ケンダーが書いた曲だ。

ライザ・ミネリとロバート・デニーロの映画は失敗に終わったが、ニューヨーカー達はすぐにこの曲に反応し、ニューヨーク市内のあちこちで、特に野球の試合でこの曲が流され、間もなくビッグアップルの非公式テーマソングとなった。この曲はフランク・シナトラとニューヨークの両方を体現している曲と言われている。クールで活気があり、生意気なのに穏やかで、勝利しているのに優しいその姿を。

Frank Sinatra – New York, New York (Live At Budokan Hall, Tokyo, 1985)

Written By Sam Armstrong


プレイリスト『フランク・シナトラの20曲』:Spotify



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SINATRA IN JAPAN / LIVE AT THE BUDOKAN 1985
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