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ザ・ロネッツのロニー・スペクターが78歳で逝去。その功績を辿る

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The Ronettes - Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

ソウル界のアイコンであり、伝説的グループのザ・ロネッツ(The Ronettes)のオリジナル・メンバーとして知られるロニー・スペクター(Ronnie Spector)が78歳で逝去した。彼女の遺族は、この訃報を次のような声明によって伝えている。

「私たちの最愛の天使、ロニーは今日、癌との短い闘病生活の末、静かにこの世を去りました。彼女は家族に見守られながら、夫ジョナサンの腕の中で息を引き取りました。ロニーはその瞳を輝かせながら、溌剌と、茶目っ気と笑顔を絶やさずに生きてきました。彼女は愛と感謝で満たされていました。彼女の喜びに満ちた声、遊び心、魅力的な存在感は、彼女を知る人、聴く人、見る人、すべての人々の中に生き続けることでしょう。献花の代わりに、ロニーは地元の女性保護施設、もしくはアメリカン・インディアン・カレッジ・ファンド(ネイティブアメリカンの学生を支援する非営利団体)への寄付を望んでいます。ロニーの人生と音楽を祝う会は、今後発表される予定です。 この時においては、遺族のプライバシーを尊重してくださるようお願い致します」

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The Ronettes – Be My Baby (Official Audio)

ヴェロニカ・“ロニー”・スペクター率いるザ・ロネッツは、1963年に大ヒットした6枚目のシングル「Be My Baby」で一躍ブレイクを果たし、その後も「Baby I Love You」「(The Best Part Of) Breaking Up」「Walking In The Rain」「I Can Hear Music」のオリジナル・ヴァージョンなど、グループの魅力溢れる名曲を次々と発表。後にザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンは、「Be My Baby」へのアンサー・ソングとして「Don’t Worry Baby」を手掛け、ヒットを記録している。

AP通信の追悼記事では、ロニー・スペクターが自身の回顧録の中で、当時のザ・ロネッツについて綴った印象的なエピソードを紹介している。

「私たちは魅惑的であることを恐れていませんでした。それが私たちのPR戦術でした。シュレルズがゆったりとしたパーティ・ドレスを着てステージを歩くのを見て、私たちは敢えて、できるだけタイトなスカートに体を押し込めました。そしてステージに上がると、脚をより露出させるためにスカートをたくし上げるんです。拍手が大きければ大きいほど、次はマスカラの量を増やしました。大衆の注目を集めるほどのヒット曲はなかったので、自分たちのスタイルでアピールする必要がありました。どれも計画的なものではなく、私たちは生まれつきのルックスをそのまま生かしただけでした」

The Ronettes – Baby, I Love You (Official Audio)

一方で、ロニー・スペクターは聴衆だけに愛されていたわけではない。2006年に英アンカット誌のために行われたマックス・ベルとのインタビューの中で、彼女は当時をこう振り返っていた。

「ビートルズやストーンズは、私たちを見てぶっ飛んでた。私の長い髪、セクシーなスカートのスリット、スパニッシュ・ハーレムのストリートから取り入れたチャチャチャやマンボのダンスを気に入ってくれたんです。ジョン・レノンの目は50セント硬貨のように見開いていました」

ロニー・スペクターは、Eストリート・バンドのスティーヴン・ヴァン・ザントなど、他のミュージシャンとも親交があった。2013年のシカゴ・サンタイムズ紙のインタビューで、リトル・スティーヴンは彼女についてこう回想している。

「ほとんどの健全なアメリカの男たち同様に、僕はロニーに恋をしてました。彼女はジミー(・アイオヴィン)と知り合いで、彼はもちろん業界を動かしていました。それがきっかけでEストリート・バンドと一緒に(ビリー・ジョエルの)「Say Goodbye to Hollywood」のシングルをやることになったんです。(ジ・アズベリー・)ジュークスのファースト・アルバムに続いて僕がプロデュースした2作目のレコードでした」

また彼は、このビリー・ジョエルのカヴァー曲が、彼女の元夫フィル・スペクターへ贈った別れの歌だったことも明かしている。

Ronnie Spector & The E Street Band – 14 Say Goodbye To Hollywood (HQ)

ロニー・スペクターは、同年行われたオブザーバー紙のショーン・オヘイガンとのインタビューの中で次のように語っていた。

「あの頃のザ・ロネッツのように、独自のアイデンティティを持っている人はいなくなりました。私たちはサイドにスリットの入ったスカートを履いていて、タフで、スパニッシュ・ハーレムのような格好良さがありながら、可愛らしくもあったんです。ダンサーもいませんでしたし、カツラなんてなかった」

さらに、ショーン・オヘイガンから、キャリアを通じての自分の選択肢について尋ねられた彼女はこうきっぱりと答えている。

「後悔はしませんし、辛いこともありません。歳をとると、人生で起こる事にはすべて意味があったのかもしれないと思えるようになる。そう考えると、私はまだ現役です。歌い続けていますし、人々はまだ私の声を愛してくれてる。ポップスの名盤もいくつか作りましたし、人々の心に一生刻まれるような曲も作りました。それは紛れもなく私だけのものです」

ザ・ロネッツは、不屈の努力と優れた歌唱力によって数々のヒット曲を生み出し、世界中でセンセーションを巻き起こすようになった。当初はその魅惑的なルックスで聴衆を魅了していたザ・ロネッツとロニー・スペクターだったが、その後何十年にもわたってR&Bとソウル・シーンで愛され続ける歌を生んだことを証明した。

Written By Will Schube




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