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“アルバム”という音楽フォーマットは死んだのか?:テイラーやサム・スミス、スティーヴィー・ニックスらが語る21世紀のアルバム論

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アルバムは過去の遺物だと、欧米にいる我々は日常的に思い知らされることが多くなってきた。進化する音楽界のはしごの上で自らの衰退を頑なに拒み、シングルに抜き去られた芸術様式だとして、デジタル配信の台頭とともに2000年初頭には悲しくも消えていった。ポップ至上主義かつ楽曲単位で音楽が消費される現代において、「アルバムはまだ死んでいない」、さらには「アルバムは20世紀だけでなく、21世紀でも理想的な芸術様式であり続けている」と主張したい者はいるだろうか?それはテクノロジー反対主義者のようにも聞こえてしまうだろう。 しかしそれでも……アルバムは、まるでイーグルスの歌詞のように、「鋼鉄のナイフで刺しても、その獣はまだ死なない」のだ。我々はアーティストが必要なのだ。アニタ・ポインターも歌っているように、世の中で素敵なことの全てが4分で終わるわけではないのだ。 [layerslider id=”0″]

アルバムは死んだのか?

アルバムはロックンロールと運命共同体だと多くの人々がそう考えている。片方が衰退すれば、もう片方も衰退する。そしてこれは、気まぐれな結びつきなどではなく、私たちの大半は、傑作アルバムを考える時、ザ・ビートルズSgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band』や、ザ・ローリング・ストーンズの『Exile On Main St』を思い浮かべる。こうした傑作は、どういったかたちでも10~16曲を結ぶ一つのテーマを持ち、壮麗な尊大さ(フェンダーのギターを振りかざす男性に最もよく見られる態度だ)が表現されたレコードだ。しかし、2020年以降にもアルバムという形態を延命させるためには、ロックだけに頼っているわけにはいかない。今我々が知る「アルバム」の形態を考案したのは、アーティスティックな心配りに溢れていたポップ・シンガー、フランク・シナトラである。そのため、21世紀の現在、アルバムを救っているのがテイラー・スウィフトのような思慮深いポップ・シンガー/ソングライターであることも妥当だと言えるだろう。

筆者は、テイラー・スウィフトが『1989』をリリースした数年前、同世代のアーティストがアルバムを時代錯誤と考える中で、なぜそこまでアルバムを重視し続けるのか、その理由をテイラーに尋ねたことがある。彼女はこう答えた。「それはアーティストが個々に決めることだけど、私はショート・ストーリーを沢山書くよりも、長編小説を書きたいタイプです。私はむしろ、お互いに調和し、共生し、結びついている曲のコレクションで自分の作品を知ってもらいたい。こうした楽曲は、私の人生の構成要素であり、2年毎に訪れる人生なんです。こうした構成要素が、リスナーにとってもそれぞれの2年間の人生にもしっくり当てはまるように、私は曲作りに励んでいます。私が幼いころに聞いていたアルバムは、私の子ども時代、私の人生を定義づけてくれました。そしてこれからも、新しい世代の人々の人生を色んなアルバムが定義づけていけるよう願っています」。

Taylor Swift – Blank Space

 

「全曲でひとつの作品」

サム・スミス も、ファースト・アルバムのリリース後、セカンド・アルバムを完成するまでの間に、同様のことを語っていた。彼は、ディープな楽曲にさらに深く入り込む自由を感じながら、継続した物語性のあるアルバムを作りたいと話していた。

デビュー・アルバムを書いている時、心配だったんです。レコード会社はヒットを出すことだけを考えるんだろうか?って。ヒット狙いじゃない、特に私的な歌詞を綴った曲をいくつか送ったら、その楽曲がアルバム中でもレーベル担当者のお気に入りの曲になりました。彼らもアルバムを作りたいと思っていたんです。それはすごく幸運なことだった思います。現代では、最初から最後までストーリー性のある、コンセプト・アルバムを作っているアーティストって、あまりいないですが、ビヨンセは彼女の作品でそうしていますよね。アデルもそう。つまり僕が言いたいのは、僕たちはアルバムを作品として聴いてほしいと思ってるってことなんです。全曲を聴いてほしい。僕の人生を受け入れてほしい。僕の人生に関するひとつのテーマだけじゃなくて」。

Sam Smith – I'm Not The Only One

 

アルバムの構成を決める達人

古びたアルバムというフォーマットに縛られているのは、年老いたロッカーだけである、というのが世間一般の通念だが、実はその考えは正反対だ。数年前、久々にフリートウッド・マックのツアーに出ようとしていたスティーヴィー・ニックスは、ツアーにはニュー・アルバムがつきものという昔ながらの慣習について、自分たちはそこからは既に卒業し、新曲2曲をレコーディングしてデジタル・リリースするだけだ、と語った。アルバムをリリースする必要などないでしょう、と彼女は考えていたのだ。

「今の時代に、誰かのアルバムを辛抱強く待ってる人なんていないでしょ」とニックスは私に言った。「これは残念なことで、ちっとも嬉しい状況ではないです。レコーディングのためにどこかのスタジオがついた家を8ヶ月借りて、アルバムを作る理由があるなら、私たちもそうしていたはず。私自身でソロ・アルバムを作るとしても、14曲は入らないでしょうね。おそらく8曲くらいじゃないかしら。世間は14曲も欲していないようだから」。

「実際、いまや世間は2、3曲しか必要ないみたいな感じですよね。私たちも、自分たちの意志とは関係なく、ミュージック・ビジネスの現状にあわせて少し方向転換したんです。こうした状況でなければ、アルバムを作っていたでしょうね。アルバムを作れる時代だったらよかったのにって心から思ってる。本当にね。あの時代を知らず、理解できず、愛する機会を知らない人々を心から気の毒に思います」。

さらにニックスは、理想としての“ロング・フォーム”を諦めてはいないと語った。彼女はただ、そのコンセプトをライヴの構成に移しただけなのだ。また彼女は、バンド・メンバーの誰よりも、コンサートの曲順にこだわっていることを自慢した。「私はアルバムの構成を決める達人なんです。みんなは認めたがらないけど、実際にはそうなの」。その証拠として、彼女はこう言い添えた、「“Rumours”の曲順を決めたのは私よ」。

序盤、中盤、終盤

ひとつ秘密を教えよう。素晴らしいアーティストと深くマニアックなレベルで関わりたいのならば、アルバムの曲順をどのように決めたかについて質問してみるといい。アーティストたちは多くの時間をかけて語ってくれるはずだ。

曲順は、アーティストの頭の中の神秘に迫りたい人々にとって、作品に対する興味をさらに掻き立てるものである。何故彼らはアルバムの最後のトラックにこの曲を選んだのだろう? 朗々としたバラードを2曲続けたのは、無様な過ちだったのだろうか?それともムードとテーマを貫くためのあっぱれな試みだったのだろうか?明らかにヒットしそうな楽曲をアルバムの半ばに配置しているのは、うぬぼれの証なのだろうか?アルバム全体のストーリーを伝える上で、そこが適切な場所なのだろうか?それとも、彼らは駄曲だと判断ミスを犯し、そこに置いただけなのだろうか?

内容が重要

アルバムがいまだに重要だと考えている人はいる。そして、アルバムが重要であるということは、内容が重要だということでもある。もちろん、ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高の曲順を持つアルバムだと誰もが認めることだろう。一方、『The White Album』 は種々異なる楽曲を収録し、コンセプト・アルバムとは真逆の方向性だという定評がある。それでも、アルバム最後を飾る2曲に「Revolution 9」と「Goodnight」という、極めてアヴァンギャルドな楽曲と甘やかな子守歌を並べたことでよりパワフルな作品になっている。

Revolution 9 (2018 Mix)

 

“アーティスティックなメッセージ性を持つアルバム”は、ひとつのムードやテーマを維持したいという欲求から生まれており、その起源はフランク・シナトラに遡る。『Frank Sinatra Sings For Only the Lonely』の60周年デラックス・リイシュー・エディションは、50年代半ばのシナトラが、いかに革新的な存在であったかを思い出させてくれる作品だ。LPフォーマットが生まれたばかりの頃、重厚なオーケストラ・アレンジをバックに歌った同作だけでなく、ごくシンプルなアレンジを施しただけのアルバム『In The Wee Small Hours』でも、恋愛の苦悩をテーマとしている。

もちろん、シナトラが50年代で最も偉大な(少なくともエルヴィスと並ぶ)音楽的財産を築き上げた理由は、自分に向かって絶叫していた10代の少女たちを黙らせるほどのトーチ・ソングを歌い上げていたからだけではない。彼は明るいコンセプト・アルバムもリリースしていた。『Come Fly With Me』(旅についての歌)、『Songs For Young Lovers』(若者の恋愛についての歌)、『Come Dance With Me』(タイトルで内容は想像できるだろう)などがその例である。また後年のシナトラは『Watertown』や『Trilogy』で、遠大なプログレッシヴ・ロック並みのコンセプト・アルバムをリリースしている。アルバムは、アーティスティックな音楽表現において最高のメディアである。あなたがこの意見に対して異論があるならば、シナトラの幽霊が、サンズ・カジノ(シナトラが所有していたカジノ・ホテル)裏の路地であなたを待ち伏せし、あなたは説教されることだろう。

コンセプト・アルバムのコンセプト

しかし、楽曲をテーマによってまとめたアーティストは、シナトラが最初ではない。ウッディ・ガスリーの『Dust Bowl Ballads』が最初だというのが大半の見解である。同アルバムがリリースされた1940年には、まだLPは誕生していなかったが、この作品は78回転ディスク3枚を2つに分けてリリースされた。「アルバム」という言葉は、33回転の12インチや 1/3回転のレコードと同義ではないのだ。我々が考えるフォーク・シンガーやイージーリスニングのシンガーは、ザ・フーの『Tommy』がリリースされる遥か昔から、コンセプト・アルバムを作っていた。もちろん、『Tommy』のように、ケン・ラッセル監督によって映画されたり、ブロードウェイで上演されたりはしていないが。

しかし、アルバム・フォーマットは、お高くとまったイメージと結びつくようになった。70年代半ばのコンセプト・アルバム・ブームで、多くの人々がコンセプト・アルバムに複雑な感情を抱くようになったのだ。リック・ウェイクマンがジュール・ヴェルヌの『地底旅行』を原作として作ったアルバム『Journey To The Centre Of The Earth(邦題:地底探検)』を絶賛したファンもいれば、これに興ざめしていたファンも大勢いたのだ。

別の観点から見てみよう。ザ・フーの『Quadrophenia(邦題:四重人格)』は、素晴らしいロック音楽が聴ける壮大なロック・アルバムの典型だった。しかし、1981年にピンク・フロイドが代表作を収めたアルバムに、自らをおちょくるような『A Collection Of Great Dance Songs(邦題:時空の舞踏)』というタイトルをつけた頃には、コンセプト・アルバム至上主義が終焉を迎えようとしていたのかもしれない。

アルバムは死なず

サム・スミスが言うように、良いアルバムは、たとえそれが上質なダンス・ソングのコレクションであっても、ほぼ間違いなくコンセプト・アルバムだという印象がある。ストーリーを語っていようがいまいが、ミュージシャンは自身の作る音楽にテーマを探したいという欲求を常に抱えている。また、いくらストリーミングが発達し、リスナーが思うままにプレイリストを作れるようになっても、ミュージシャンは我々リスナーより、自分の音楽の聴かせ方を分かっている。がっつりと食事をしたい(=アルバムをフルで聴きたい)と思うリスナーは、まだまだ大勢いるのだ。そして、世界中に存在するテイラー・スウィフト、サム・スミス、ビヨンセのようなアーティスト(そしてごくわずかに存在する野心的なオールドスクールなロッカー)の仕事は、どんな草食、肉食を問わず、全ての人々の食欲を満たす作品をつくることなのだ。

Written By Chris Willman



 

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