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ベスト盤が変えた音楽の歴史:“グレイテスト・ヒッツ”という文化の進化

ロマンティックなバラード歌手、ジョニー・マティス(Johnny Mathis)を“革命児”と呼ぶ人はほとんどいないだろう。だが1958年3月、彼は音楽史を変える一歩を踏み出した。ジョニー・マティスがリリースした最初のヒット曲集『Johnny’s Greatest Hits』こそ、史上初の“グレイテスト・ヒッツ”アルバムとして歴史にその名を刻んだ。
リリース当時、ジョニーはデビューからわずか2年。プロデューサーのミッチ・ミラーは、彼が英国ツアーで不在の間も世間の注目を留めようと画策し、彼の初期の録音を再編集して発表するというアイデアを思いついたのだ。その戦略は見事に成功し、アルバムは全米ビルボード・チャートで3週連続1位を記録、翌1959年6月までに50万枚を売り上げた。
こうして“グレイテスト・ヒッツ”というジャンルが誕生し、やがて多くの著名アーティストが彼の手法を真似るようになった。uDiscoverが史上最高の“グレイテスト・ヒッツ”アルバムを祝う限定カラー・ヴァイナル仕様アナログ盤を発売するにあたり、その歴史を振り返ってみようと思う。
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1960年代初頭、7インチ・シングルが主流だった時代のグレイテスト・ヒッツは、ヒット曲で埋め尽くされ、ポップスの真髄を詰め込んだフル・アルバムとして強烈なインパクトを放っていた。たとえばザ・ローリング・ストーンズの『Hot Rocks 1964–71』、ザ・フーの『Meaty Beaty Big and Bouncy』、そして『Motown Chartbusters』シリーズなどがその好例だ。
だがこれらの作品は、単なるヒット曲集にとどまらず、ストリーミング時代となった今日でもプレイリストとは異なる“ひとつの物語”としての役割を果たし、アーティストのレガシーや歩みを辿ることができる特別な魅力を持ち続けてきた。
ビーチ・ボーイズの『Endless Summer』
1974年頃のビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)は、すでに“サーフィンやホットロッド(カスタムカー文化)”といった世界からは離れていた。70年代初期には、成熟したルーツ・ロック的サウンドへと転じ、かつての完璧なハーモニーを保ちながら高い評価を得ていたが、とりわけアメリカでは人気が低迷し、セールスもライヴ動員も落ち込んでいた。
そんな状況を一変させたのが、ノスタルジックなベスト盤『Endless Summer』である。1962〜1966年に発表された楽曲のみを収録した全20曲入りの2枚組で、発売タイミングはこれ以上ないほど完璧だった。青春時代をビーチ・ボーイズとともに過ごした世代が再び熱狂し、アルバムは飛ぶように売れた。
選曲を手掛けたフロントマンのマイク・ラヴは、その反響に喜びを隠せず、今作について「リスナーにコンサートを聴いているのと同じ感覚を味わってほしかった」と後に振り返っている。結果、『Endless Summer』は発売から4か月で全米1位を獲得し、累計155週にわたりチャート入り。アメリカだけで300万枚以上を売り上げた。長年距離を置いていたローリング・ストーン誌も、彼らを1974年の“バンド・オブ・ザ・イヤー”と評した。
この影響でバンドの公演チケットの売れ行きは爆発的に伸び、その人気はニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの4夜連続公演を完売させるほどだった。この頃から、“America’s Band”と呼ばれるようになったビーチ・ボーイズは、古き良きアメリカを象徴する存在として確固たる地位を築き、彼らの公演は往年の名曲が中心となった。
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ の『Legend』
1984年5月にリリースされたボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ (Bob Marley & The Wailers)のベスト・アルバム『Legend』は、レゲエ音楽を世界的な現象へと押し上げた歴史的コンピレーション作品として知られている。
ボブ・マーリーはジャマイカ音楽界で最も影響力のある人物として広く認知され、世界中で崇拝されていたにもかかわらず、アルバムの売上はその知名度に見合うものではなかった。そこでボブ・マーリーの不朽の名曲をより広い聴衆に紹介する手段としてコンピレーションに可能性を見出した当時のアイランド・レコードの社長デイヴ・ロビンソンは、様々な層を対象にボブ・マーリー作品のマーケティング調査を行いつつ、政治色の強い曲は除外し、全英トップ10ソング10曲を含む、よりメロディアスでキャッチーな本作のトラックリストを構築した。
アイランド・レコードによる本作のキュレーション手法は期待通りの功を奏し、全米だけで1,800万枚以上、全世界で2,500万枚以上を売り上げ、世界的アイコンとしての彼の位置付けを確固たるものとした。
ABBAの『ABBA Gold』
世界中の音楽ファンのアーティストに対するイメージを一変させたもうひとつのコンピレーションが、1992年9月にリリースされた『ABBA Gold』である。
スウェーデンが誇るポップの巨匠ABBAは、70年代に世界的なセンセーションを巻き起こしたものの、80年代後半になると時代の流れとともにその影を潜めていた。それでも、70年代半ばに成人し『Endless Summer』を買い漁ったビーチ・ボーイズのファンたち同様に、90年代初頭には往年のABBAファンの間で熱狂支持と再評価の機運が高まり、レコード会社の幹部や音楽ジャーナリストたちからなるチームが、彼らの不朽の名曲に光を照らすABBAの究極の“グレイテスト・ヒッツ”を企画。
ポリグラム・インターナショナルのクリス・グリフィンは後に、「ラジオ番組のように流れを感じられる構成を意識した」と本作の制作を回想している。
こうして誕生した9曲の全英No.1シングルを含む全19曲入りのベスト盤『ABBA Gold』は、現在までに全世界で3,000万枚超えの史上最高セールスを誇るアルバムの一つとなった。しかしその数字以上に、ABBAの再評価を決定づけた本作の功績は大きく、このアルバムなくしては『マンマ・ミーア!』や『ABBA Voyage』も誕生せず、結婚式のディスコフロアは今ほど賑わっていなかったかもしれない。
ザ・ビートルズの『1』
2000年のホリデイ・シーズンにリリースされたザ・ビートルズの(The Beatles)『1』(2000年)は、“グレイテスト・ヒッツ”の意義を再び証明した。
ジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スターがプロデューサーのジョージ・マーティンと共に監修し、英米のシングル・チャートで1位を獲得した27曲を1枚に集約した今作は発売当初、誰もこれほど売れるとは予想していなかったが、全世界で3,000万枚超のセールスを記録する2000年代最大のヒット・アルバムとなり、未発表曲が一切含まれないにもかかわらず、彼らが依然として文化的影響力を保持していることを示す結果となった。
“グレイテスト・ヒッツ”アルバムは、キャリアの節目(ニール・ヤングの『Decade』)、活動の終止符(R.E.M.の『Part Lies, Part Heart, Part Truth, Part Garbage 1982–2011』)、そして死後に評価を高めたアーティスト(ニック・ドレイクの『Way to Blue』)など、アーティストやグループにとって様々な意味合いを持つ。また、ニルヴァーナのセルフタイトル盤(2002年)のように、新世代のリスナーにとっての入門編としても大きな役割を果たしてきた。
あなたのアルバム・コレクションには、いくつの“グレイテスト・ヒッツ”が並んでいるだろうか?
Written By Jamie Atkins
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