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ボブ・マーリーの音楽のどこが時代を超えて人々の胸を打つのか:伝記映画公開記念連載②

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Bob Marley - Photo: Vincent McEvoy/Redferns

海外で2024年2月14日に劇場公開され全米興行収入1位を記録、英仏ではあの『ボヘミアン・ラプソディ』を超える初日興行収入、母国ジャマイカでは初日興行収入としては史上最高数を記録したボブ・マーリー(Bob Marley)の伝記映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』。

日本では2024年5月17日内に公開されることが決定したこの映画について、ライター/翻訳家の池城美菜子さんによるボブ・マーリーの生涯と功績についての連載企画を掲載。

第2回目は、彼の音楽やザ・ウェイラーズ、そしてクリス・ブラックウェルとの関係について解説いただきました。

・連載第1回「改めてボブ・マーリー、そしてレゲエとは」

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映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』海外版本予告

2024年にバイオピック『ボブ・マーリー: ONE LOVE』の公開を含め、ボブ・マーリーの再評価が高まっているのはなぜか。ミュージシャンの伝記映画ブームの理由として、N.W.A.『ストレイト・アウタ・コンプトン』や、クィーン『ボヘミアン・ラプソディ』のメガ・ヒットがあるのは否めない。

それ以上に再評価の波を後押ししているのが、ストリーミングの時代になってもボブ・マーリーの音楽、とくに1984年にリリースされたベスト・アルバム『Legend』がビルボードのアルバム・チャートに入り続け、新たなリスナーを獲得しているからである。

また、2017年に『So Much Things to Say』(ロジャー・ステファン著・未邦訳)が、2022年にはアイランド・レコーズ創始者のクリス・ブラックウェルのメモワール『The Islander-My Life in Music and Beyond』(クリス・ブラックウェル/ポール・モーリー著・未邦訳)が出版され、脚色が少ない事実が新たにわかったのも大きいだろう。

ストリーミング・サービスで「ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ」と検索をかけると気が付くことがある。「おすすめアルバム」の一覧が、なかなかのカオスなのだ。ライヴ・アルバムや企画盤を含めてたくさんの作品が出て来て、ひるむ人もいるかもしれない。どうしてこうなったかも解説しながら、前回に引き続き「改めてレゲエとは、ボブ・マーリーとは」について書く。

ただし、優れたドキュメンタリー映画『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』(2012)もあったため、アイランド・レコーズと契約して以降の世界進出と、ジャマイカ国内の政情不安を収めたワン・ラヴ・コンサートや1981年の逝去にかんしては、広く知られている。基本情報を押さえつつ「ボブ・マーリーの音楽のどこが時代を超えて人々の胸を打つのか」という命題について考察してみたい。

9月1日(土)公開 『ボブ・マーリー ルーツ・オブ・レジェンド』予告編

 

ジャンルレスな時代に合うボブ・マーリーの音楽性

1999年、アメリカの権威ある雑誌『タイム』誌は『Exodus』(1972)を「20世紀最高のアルバム」に選んだ。一方、日本の音楽誌ではボブ・マーリーの音楽は「レゲエだから/(アメリカやイギリスではない)ジャマイカの音楽だから」という理由だけで、いまだにジャンルを混ぜたベスト・アルバムのリストで最初から外される。筆者はレゲエについて書き始めてから30年が経っているので、半ばあきらめているが(毎回くやしいけれど)、ストリーミング時代における『Legend』の尋常ではない強さを見るにつけ、「やはり」という想いを新たにしている。

ここで、1999年にボブの次男、スティーヴ・マーリーにインタビューしたときの答えを引用したい。同席したオランダのジャーナリストが「お父さんがスーパースターになったのはなぜ?」という、大胆すぎて逆に新鮮だった質問をした際、出てきた言葉だ。

「理由は二つ。真実が言えることと創造性が高いこと。父さんがありふれたものを作ったことはないんだ。“Could You Be Loved”のイントロは全くレゲエっぽくないし、“Jamming”なんてジャズみたいに聴こえるだろう? いろんな要素を持っていた人だったんだ」

Bob Marley – Could You Be Loved (Live)

レゲエの神様と呼ばれるボブ・マーリーだが、その音楽性はさまざまなジャンルを内包している。理由としては前回も書いたように、ジャマイカのポピュラー音楽がもともとアメリカのソウルやR&B、ジャズを自己流に解釈したところから出発しているのが大きい。

また、突出したカリスマであったため、まるでソロ・アーティストのように伝えられるが、キャリアの前半はピーター・トッシュとバニー・ウェイラーとのヴォーカル・グループの一員だったし、ふたりと袂を分かってからは凄腕ミュージシャンを集めたザ・ウェイラーズを従えて「バンド」で活動している。

そもそも、デビュー当時からボブの歌声の後ろでは、レゲエの歴史に残るバンドが演奏している。1965年のデビュー作『The Wailing Wailers』ではスタジオ・ワンのバンド、ザ・スカタライツが、4作目『The Best of The Wailers』ではザ・ビヴァリー・オールスターズが演奏している。

リー・ペリー作品のジ・アップセッターズから参加していたベースのアストン“ファミリーマン”バレットとドラムのカールトンのバレット兄弟は、その後ずっとボブ・マーリー・サウンドを支えた。先日2月3日に亡くなったばかりのアストンはバンドリーダーも務め、レゲエのうねるようなベースラインの生み出した先駆者だ。

パーカッションのアルヴィン・パターソン、キーボードがアール・リンドとタイロン・ダウニー、ギターはアル・アンダーソンやドナルド・キンジー、レゲエ・フェンにはおなじみのアール“チナ”スミス、イギリス育ちのジュニア・マーヴィンなど、ザ・ウェイラーズはメンバーの入れ替えが激しかった。

ピーター・トッシュとバニー・ウェイラーが抜けた後は、バック・コーラスとして妻のリタ・マーリーとジュディ・モワット、いまではレゲエの女王との異名を取るマーシャ・グリフィスのアイ・スリーが参加。つまり、彼の音楽は「バンドありき」であり、レコーディングも多くのミュージシャンが参加して奥行きがある。そのため、のちに印税をめぐって裁判になったり、伝記の大半がミュージシャンやプロデューサーの自己申告で占められたりはする。だが、ザ・ウェイラーズの面々が口を揃えて証言しているのが、ボブ・マーリーが音楽に対して真剣で、リハーサルやレコーディングに厳しく自分を律して臨んだ点だ。そして、同じ演奏をくり返すのを好まなかったという。

Bob Marley & The Wailers – Stir It Up (Live at The Old Grey Whistle, 1973)

 

クリス・ブラックウェルとの出会い

70年代に彼の音楽がジャマイカを飛び出し、ロック・ファンに受け入れられた理由として、1972年にアイランド・レコーズのクリス・ブラックウェルとの出会いは大きいだろう。ボブ・マーリーは柔軟にアドバイスに耳を傾け、腕利きのミュージシャンを紹介されたら、肌の色を問わず自分の音楽に取り入れた。

ブラックウェルはジャマイカの富裕層の白人で、リー・ペリーやピーター・トッシュに嫌われていたため、あまりよく思っていないレゲエ・ファンは多い。だが、初対面のときのボブ、ピーター、バニーの堂々とした態度に感銘を受け、アルバム制作費の4,000ポンド(現在の日本円で1,000万円以上)を契約なしで払い、ジャマイカ録音を任せたのも史実だ。

純ジャマイカ産のスカやロックステディ、初期のルーツ・ロック・レゲエに慣れた耳で聴くと、アイランドから出された名盤の数々は音数や楽器の音色が多く、華やかだ。また、アルバムよりシングル主体だった当時のジャマイカには、「ドゥオーバー」という習慣があった。

これは、同じ曲を売れるまで何回でもアレンジを変えてレコーディングし直すこと。ボブ・マーリーのカタログが「カオス」になりやすいのは、違う年代、場所で録音された同じ曲がいくつも存在するから。言い換えれば、彼の音楽の楽しみ方のひとつとして「“No Woman, No Cry”だったら1975年の『Live!』のテイクが好き」というふうに意見交換をしながら聴き比べられる、というもある。

No Woman No Cry [Live] (1975) – Bob Marley & The Wailers

 

思想と信念に貫かれた歌詞

「Every little thing gonna be alright」というコーラスが曲名よりよく知られている「Three Little Birds」や、ジャマイカの政府観光局のCMに使われた「One Love」のバケーションにピッタリな、ゆるいイメージに惑わされてはいけない。

たしかにボブの音楽にはヒーリング効果があり、すてきなラヴ・ソングも多く遺している。それ以上に人権を問うミリタントな闘いの曲も多く、死後も長年、人々を励ました結果、普遍的な意味をまとっている。ボブ・マーリーはジャマイカで起こった宗教的な色合いがある思想運動、ラスタファリ・ムーヴメントを実践するラスタファリアンであった。

ラスタファリは聖書を聖典とし、毛髪に櫛と刃を入れずにドレッドロックスにし、菜食主義で聖なるハーブ(大麻)を吸う。エチオピア帝国最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世を神の化身、「JAH(ジャー)」と仰ぐのも特徴だ。土台にジャマイカ出身の活動思想家、マーカス・ガーヴィの汎アフリカ主義があり、アフリカ回帰を標榜する。そこは1965年に暗殺されたアメリカのマルコム・Xの思想とも共通点がある(ただし、彼はネイション・オブ・イスラムという黒人のイスラム教を信じていたのだが)。一見、シンプルでわかりやすいボブの歌詞に込められたメッセージは、思想に裏打ちされた人生観が横たわっているのだ。

ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの強みは、ステージで発揮された。1973年の『Catch A Fire Tour』から毎年のようにツアーをし、まずアメリカ合衆国、イギリス、それからカナダやヨーロッパ各国を回った。強烈なリズムと、しばしばトランス状態に入ったと言われるボブ・マーリーのパフォーマンスで聴衆を魅了し、レゲエを広めていったのだ。1979年の『Babylon By Bus Tour』ではオーストラリア、ニュージーランド、ハワイとともに、アジアで唯一、日本にも訪れている。

彼はやがて、ジャマイカで英雄のような人気を誇るようになり、その結果JLP(ジャマイカ労働党)とPNP(人民国家党)の二大政党の激しい政権争いに巻き込まれてしまう。1976年、現在はボブ・マーリー・ミュージアムになっている56ホープ・ロードの家が銃撃に遭う。怪我を負ったものの、ボブは2日後の「スマイル・コンサート」のステージに立った。

映画『ボブ・マーリー: ONE LOVE』はこのコンサートから始まり、アルバム『Exodus』の制作過程と1978年に再び危険を顧みず行った「ワン・ラヴ・コンサート」までを中心に据えている。足の親指を皮膚癌に冒されるものの、ラスタファリの信条として切断を拒否、大好きなサッカーが困難になってもステージに立ち続けて36歳の生涯を終えたボブ・マーリー。音楽だけでなく、その強烈な生き方が死後40年経っても多くの人を惹きつける。

次回は「マーリー・ブラザーズ」と呼ばれる息子たちの活動について焦点を当てよう。

Written By 池城 美菜子(noteはこちら


映画情報

『ボブ・マーリー:ONE LOVE』

2024年5月17日日本劇場公開決定
公式サイト / X

■監督:レイナルド・マーカス・グリーン(『ドリームプラン』)
■出演:キングズリー・ベン=アディル(『あの夜、マイアミで』)、ラシャーナ・リンチ(『キャプテン・マーベル』)
■脚本:テレンス・ウィンター(『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』)、フランク・E ・フラワーズ、ザック・ベイリン(『グランツーリスモ』)、レイナルド・マーカス・グリーン
■全米公開:2024年2月14日
■日本公開:2024年
■原題:Bob Marley: One Love
■配給:東和ピクチャーズ
■コピーライト:© 2024 PARAMOUNT PICTURE



ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
『One Love: Original Motion Picture Soundtrack』
2024年2月9日配信
iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



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